<洋楽ファンのひとりごと>  2005-2006

 

 

歌詞については、私もかなり信を持って言えることだけしか書かないつもりですけど、

ただ、ココで書いてることは、あくまで私個人の歌詞解釈にもとづいてますので、

絶対それが正しいとは現時点では言い切れません。

その点どうぞあらかじめ、おふくみ下さいませ。

 

 

 

   

2006.5.31.

★祝・ついにリリース★

かねてから話題のScitti Politti のニュー・アルバムですが、ついにリリースされたもよーです。5/31現在、Amazon.co.jpでは既に24時間以内発送可能の取り扱いとなっているようですが、正式なリリース日は6/5らしいので、店頭などで購入を予定されている方は、もう少しお待ち頂かなければならないかもしれません。Amazonで予約しておられた方は、そろそろ届いている頃かもしれませんね。ただ、タイトルが直前でT.B.A. からWhite Bread Black Beerに変更になっているようなので、もしまだお手元に届いていないようなら、予約注文の確認をされた方が良いかもしれません。

ともかく早く聞きたい、とか、先に試聴したいぞ、という方は、現在以下のサイトでアルバム全14曲の試聴が可能となっています。

http://www.channel4.com/music/features/S/scrittipolittilisteningparty.html

あやぼーもちょこっと先に断片を聞いてみましたが、音がやっぱりいい!! 相変わらずのグリーン・クオリティというか、とても澄んだ高質な音作りが健在のようです。以前、ちょこっとBBCで流れたものは、最終的に仕上げられる前の音源だったという話ですが、完成品は更にパーフェクトな音になっているという印象を受けました。私、長年の、しかし耳がキビしいファンといたしましても、十分、期待に答えてくれる仕上がりと見ました。ま、ファンの方は言うまでもなく「すぐ買うぞ!!」という態勢で待ちに待ってらしたと思いますが、そうでない方、またROXY ファンの方も、ぜひ、ひとまず試聴して頂きたいものだと思います。グリーンは音作りに関して、フェリーさんと極めて近い完全主義的スタンスで臨むアーティストですから、ROXY MUSIC やフェリーさんのソロに馴れ親しんでる方の耳にも、十分に良い音と聞こえること間違いこざいません。

私も、まずはじっくり聞き込んでみてから、絶賛しまくりたいと思います。ところで最近のグリーン、80年代とは全然違いますけど相変わらず、とゆーか更にカッコいいですねっっっっ!! 美形はいくつになっても美形だということなのでしょうけど、やっぱり信念持ってるアーティストは不様にトシとらないって見本だね。英国のみならずヨーロッパでは2月頃から続けているギグのせいもあると思いますけど、熱狂的ファンは相当舞い上がっているもよーで、連日BBSも盛況です。いやー、昨今の退屈きわまりない音楽業界久々の大ヒットには間違いない作品だし、しばらくは大騒ぎでしょう。あやぼーも出来るだけ、情報を仕入れてお届けできるように頑張りたいと思います。

 

 

2006.3.23.

★グリーンさまご成婚(?) & ROXYニューアルバムにイーノ参加ほぼ確実★

ふたつほどニュース入りましたのでお知らせ致します。2月来、コンスタントに機嫌よくロンドンでギグやってるとゆーウワサのグリーンですが、どうやらその勢いでか長年おつきあい続けていたアリスさんとご結婚されたもよーです。これはグリーンとも個人的に親しいスティーヴ・ライトがちょこっとBBSに書いてたことなんで、たぶんホントだろうと思います。本当ならいやー、おめでとうございます、ってなもんですが、グリーンもいよいよ50代突入ですから、ニューアルバムも出すことだし、このへんでいろいろ身辺整理して気持ちを新たにってとこなのかもしれません。ちなみにニュー・アルバムの方ですが、弱冠リリースが遅れるというウワサもありますので、いましばらく待とうではありませんか。どうせ待っても数か月だろうし、数年よりは格段いいよね。それからこのBBS(英語)には、最近連日ギグの感想など熱狂的なコメントが寄せられており、読んでると「おお、グリーン頑張ってるな」って感じが伝わってくるので面白いです。未参加の方は、この機会にぜひ。グリーンの最近の写真なんかもありますよ。

さて、先日もイーノがニュー・アルバムに参加するかもしれないなんて話をしてたROXY MUSICですけど、フェリーさんのオフィシャルサイトでとうとう「5人そろって」レコーディングしてますとゆー、お知らせが出ましたね。こちらも、大々的におめでとうございます。最終的には諸事情あることでもあり、「確実」という報道はまだまだ控えなければならないとは思いますが、ひとまずこれで単なるウワサではなく、イーノがレコーディングに加わってるってことは事実のようです。プロデューサーはレット・デイヴィス&クリス・トーマスということで、こちらもファンには見慣れたお名前かと思います。またこれに先んじて、さまざまなDJによるロキシー&フェリー作品のリミックス集も企画中ということで、詳細が分かりましたらまたお知らせいたしましょう。短いですが、今日はとりあえずこれだけ。

 

2006.2.18.

★ライヴですってさ★

もうご存知の方も多いかと思いますが、2月5日、グリーンがロンドンでライヴやったらしいですね。ってゆーか、ギグっていう規模のもののようですけど、セットリストは、

Boom Boom Bap
Snow In Sun
Robin Hood
After Six
E11th Nuts
Come Clean
No Fine Lines
Cooking
Edge Of Degradation
E11th Nuts (again)

知らない曲ばっかりなんで、おー、ニュー・アルバムからの曲だなと分かります。はるばる海外から訪れた方も多くあったようで、皆さん一様に熱狂的なコメントをBBSに寄せてらっしゃいました。力の入った素晴らしいステージだったみたいです。終わってからは、お客さんと話す時間も取ったらしく、これまでとはひと味ちがった活動が期待出来そうですね。グリーンも今回のギグには満足しているようで、この後も更にスケジュールが組まれているのも嬉しいお話です。そうすると、ニュー・アルバムがリリースされたら、日本にも来てくれるかもしれない...。

何はともあれステージ嫌いのグリーンが、こーゆーこともやろうという気になっているというのが、なかなか興味深い変化というか、頑張って欲しいです。それにつけてもニュー・アルバム、早くリリースされないかなー。

 

 

2006.1.26.

★ROXY ニュー・アルバムにイーノ参加か?★

ニュー・アルバムをぼちぼち録音中というウワサのROXY MUSICですが、この新作、どうやらイーノの参加がかなり確実になっているもよーです。あくまでまだウワサとして受け取っといて頂きたいんですが、今週末、ニューアルバム録音のためにイーノがロキシーのメンバーとスタジオ入り、とゆー、実に嬉しい話題が出ています。

以前、あやぼーは今後のロキシー作品に、スタジオ録音に限ってはイーノの参加がありうると書いてたことがあると思うんですが、そもそもフェリーさんは以前から、スタジオだけじゃなくライヴも一緒にやろーよ、とかイーノを誘ってはいたそう。ただ、それはロキシー再編以前からのお話で、その頃からイーノは、既にスタジオ中心に活動しているからライヴはもうやれないよ、みたいに答えてたんですね。それに昔のロキシー作品を改めてステージでやることには、アーティストとして特に興味が持てない、という理由もあったようです。まあ、そのへんイーノも頑固なとこがあるのはメンバーも古いつきあいですから承知してたらしく、結局ロキシー再編の時にはイーノの参加は、みんな始めから諦めた格好になってたみたい。

ただ、フェリーさんのソロにはあれだけしっかり参加してたイーノが、ロキシー名義での作品だからと言って参加を拒否する理由はもう全くないと私は思ってたんです。そもそもイーノはアンディさんやフィルさん、ポールさんという他のメンバーとはめちゃ仲いいんだし、問題のフェリーさんとだって一緒にやってて、ロキシーやるのに何のわだかまりも既にないわけでしょ?

そこへ持ってきて、うちの先生は、三枚目以降「イーノのいないロキシー・アルバム」を選んで作って来はしたものの、その後、徐々に、もし三枚目以降にイーノが参加していたとしたら、どんなアルバムになっただろうなあ...、と思いを馳せるようになってたらしいです。で、アーティストが一旦そう思い始めると、まず絶対作らなきゃおさまらないだろう、と。そのへん考えると、今度のアルバムにもしイーノの名前が本当に見られたら、それはフェリーさんのアーティストとしての執念でもあるでしょうね。

ニュー・アルバムに参加ということになれば、イーノも改めてそういうことならってことでライヴもやっていーかなーと思うかもしれないし、そうすると...。いや、まだ言うまい。そんな嬉しすぎることは...。

ロキシーが結成された頃のロック・シーンというのは、80年代ほどいきなり売れるみたいな時代じゃなく、けっこうそこへ行くまで苦労するのが常だったらしいですが、フェリーさんによると、そういう背景事情のせいで、バンド・メンバーのお互いに対する信頼感は時間をかけて培われたものがあるとか。ま、だからこの二人の仲たがいに限っては、あくまでアーティストとしての主張の相違からくるもので、決してアホなマスコミが取り沙汰したがるような、単純な人気争いなんかじゃなかったんだと、私は改めてハッキリ言っておきたいですね。

ともあれ、ニュー・アルバムってだけでも嬉しいのに、イーノも参加するかもしれない...。ファンの方も、そうでない方も、ここはひとつ期待して待とうではありませんか。ちなみに、スクリッティの新作は、3月リリースというウワサもあったんですが、例によって遅れそうですね。でもまあ、今年中には出るんじゃないですか? いやー、新年早々、嬉しい話題が続きますね。あやぼー的には、これで株価が高騰してくれりゃ、言うコトなしなんですが...。きゃはははは。

 

 

 

2005.12.24.

★スクリッティの新作★

AYAPOO DIARY でもお知らせしてますが、あちらは読まない、という方もあるかと思いますので、ココでもお知らせしておきましょう。以下の内容はAYAPOO と同じです。

*****

12月22日、BBC Radio 6でスクリッティの新作が流れたということで、ファンの間では大騒ぎになってます!! スロー・ナンバーですが、めちゃいい曲です。タイトルは"Boom Boom Rap"、聴きたい方はmp3のZip ファイルなら BoomBoomRapmp3.zip からダウンロードすることができます。こちらはZip ファイルなので、解凍が必要です。

解凍ができない、という方は、いまならまだ↓のサイトで聴けると思います。

http://www.bbc.co.uk/6music/shows/tom_robinson/guest.shtml

こちらで"listen again"をクリックし、"Thursday's show"を選んで、プログラムを1時間20分くらい進めたところで出て来るそうですが、私はこっちはまだ試してみてないので、もし聴けなかったら、ごめんなさい、です。

2006年に新作という話はぼちぼち入って来ないでもなかったんですが、なにぶんにもグリーンさんのことなんで、よほど確定的でなきゃ話題に出来ませんでした。でも、これはラフ・トレードの2006年新作ラインナップということで放送されたプログラムの中の一曲で、事実上の公式発表が出たと見て間違いないでしょう。この曲の前後では、ラフ・トレードが来年リリースする他のアーティストの作品も聴けるようですので、一聴の価値はあると思います。

ちなみに、あくまでこれはウワサに過ぎませんが、ニュー・アルバムが6月頃リリースという話も出ています。またハッキリしたことが判明しましたら、お知らせいたしましょう。ともかく6年半ぶりですからね、6年半ぶり。ぜひ、みなさまこの機会に久々のグリーンの声、聴いてみて下さいませ。

 

 

2005.8.22.

★最近のいろいろ★

さて、まずはこの夏のロキシーのツアー、去年はフェリーさん、喉をいためたりしてかなりスケジュールをキャンセルしなきゃならなくて大変だったんですが、今年は順調にやってるようですね。曲のセットリストを見ると、だいたいのところは再編ライヴのCDに入ってるような曲を続けてやってるみたいです。他にそのメンバーでレコーディングもちょこちょこしてるとかで、2002年に再編して以来、昨年はちょっと中断してましたが結局またロキシーで動いてるんだな。そうするとやはり新作アルバムも!! 期待できるかもしれない...。

ま、そんな遠いであろう将来の話はともかくとして、近々クリス・スペディングのアルバム"Click Cluck"がリリースされるそうです。もう、クリスさんも全くロキシー・ファミリー状態だな。って言うのは、このアルバムにはフェリーさんがなんと!! ハーモニカで参加しているとゆーウワサが!! たぶんホントだと思うけど、それは聴いてからまた詳しく書くことにしましょうね。"Both Ends Burning"とかでロキシー・ファンにはお馴染みだと思いますけど、いいんですねえ、フェリーさんのハーモニカ。それとあと、11月のクリスさんのツアーにはポールさんも参加するという話があります。そんなこんなで、このアルバムは私もすごく楽しみです。

で、今度はグリーンの話ですが、最近英国の音楽ライターであるサイモン・レイノルズさんが、"Rip It Up and Start Again"という本を出版されました。これはポスト・パンクからニューウエーブ期(1978-1984)のイギリスの音楽事情を記した577ページに渡る大著で、当時人気のあったグループが網羅されています。そこで当然スクリッティも扱われているわけですが、それに絡んでサイモンさんのサイトでグリーンの最新インタヴューを読むことが出来ます。インタヴューセクションINTERVIEW WITH GREEN of SCRITTI POLITTI という項目がありますので、そちらでどうぞ。かなりボリュームのあるロング・インタヴューですよ。それと本についても紹介されていますので、興味のある方はそちらもぜひ。

この本、実は出版前にサイモンさんからメール頂いたので、即、Amazon.co.jp で注文しまして、ちゃんと手に入れてあるんですが、なにしろ577ページですからね...。読み終わるのに、一生かかるんじゃないかとか...。ま、頑張って読みます。皆さんも、読んでみませんか? 結構、当時の音楽事情は最近になって注目が集まっているようで、アメリカでもパンク・シーンを扱った本が確か出ていたと思います。私もそのへん興味があったので、いろいろ分かって面白いですね。

ところで Ayapoo でも書いてたんですが、ロキシーのサイトを作るぞ!! という方向でぼちぼち頑張っています。2年前には既にかなり資料は集まってたんですが、ボケボケしてる間に2年が経ってしまい、これはいかん!! といことで腰を上げました。インタヴューは既に8本くらい仕上がってて、いちおう当初10本が目標ですが、これさえ乗り切ればあとはタイプ打ちとかの単純作業が殆どなんで、なんとか遅くとも今年中にはリリースに漕ぎ着けるんではないかと思います。ホントは10月には出したいんですけど、いちおう余裕を見て今年中かな。

原文をタイプしてたら、既に20本以上のインタヴューとか記事が集まってたので、この際、英語版も一緒に出しちゃおうという気になってしまい、そのせいで少し予定が延びるかもしれない感じです。スクリッティの時は既にあったサイトから資料とかを提供して頂いてたんですが、今回はもー、すべて資料集めから自分で入りました。いやー、5年で成長したなあ、私も(自画自賛)。ともあれ、やっぱりこういうのは楽しいですね。自分で資料探しするのも楽しいし、編集して組み立てるのも楽しいし、その過程で知らなかったこともいろいろ分かるしね。今までは主に資料はロキシー関係ばかり集めてたんですが、スクリッティも面白いのがあれば手に入れていきたいと思ってます。ま、長い目で見守ってやってて下さいまし。

 

 

★なんだかな...★

以前、私は確かAYPOOで、90年代の日本製(自称)ヴィジュアル系バンドについて、「あいつらホントに美形ってのはどういうことを言うのか分かってんのか」みたいなコトを書いてたと思いますが、ご記憶でしょうか。

ある時、私はとあるレコード屋さんの店先に、最近のスターなんだろうなとおぼしきグループのポスターを見て唖然とひとこと、「なんだ、このホスト集団は...」。

思うに昨今、なぜかホストばやりですけれどもさ、それってコレとすごく関係してない? 私は、そりゃもちろん基本的に「人間に貴賎はあっても、職業に貴賎はない」って思ってますから、ホストさんという職業そのものをどーの、こーの言うつもりはありませんよ。皆さんそれぞれ諸事情おありになるんでしょうし、それは個人の職業選択の自由ってもんですから。ちなみに私が「人間に貴賎はあっても」とわざわざ付け加えるのは、人間の社会的価値というのは、その個人の生き方や性質によって決まるものだと思ってるので、だから例えば現実でもヒトラーみたいなのは社会的に唾棄すべき人物という評価を下されるし(賎)、マザー・テレサみたいな人は価値ある人物として尊敬される(貴)。人間という生物の根源的価値の定義はまた全く別物なんで、平等の概念とも関わってくるし、その話を始めると長くなるから今はヤメときますが、少なくとも社会的価値というのは、そうやって下されてゆくものなんですよね、現実に。だから、同じ職業についてても問題になるのはその個人がどういう考え方のもとに、どういう生き方をしてるかってことだと思うわけです。

で、そういうむずかしい話はちょっとこっちへ置いといて、だからそのホスト集団の話ですよ。どのバンドがどーとかってゆーより、たぶんうちのお客さんなんかだと、そう言っただけでピンと来るものがあると思うの。90年代、全体にそーゆーのが増えたってゆーか、そういう「感じ」よね。デュラン・デュランの写真を見て、「美形」とか「貴公子」とかいうコトバは連想されても、どこをどーひねくれて間違っても「ホスト」なんてイメージは絶対出てきやしないじゃないですか。その差はいったい何なのか。少なくとも私はあの日本製(自称)ヴィジュアル系バンドとかいうのの写真を見て、それしか連想出来なかった。そしておそらくそれは恐ろしいことに、そのファンの女のコたちも同じだったんじゃないかという気がする。そこが結果として昨今のホストばやりとなって現れて来たというか、90年代に十代くらいでそういうののファンだった女のコが、二十代くらいになって無意識にせよ意識的にせよ、手に入りそうなとこにいる似たものに殺到しているのではないのか。

この差について考えてみるに、いや、そりゃね、大モトってのはありますよ、生まれつきの造型の差ってものは。もしかすると、あちらはやっぱりイギリス人、こちらはしょせん日本人、そう考える方もいらっしゃるかもしれない。しかしですね、私はやっぱり「中身」がものすごく影響してんじゃないかと思うのね。

フェリーさんはともかく別格としてもだね、80年代までは例えば!! グリーン・ガートサイドみたいな男を美形と言ったのだ。 デヴィッド・シルヴィアンも美しかったが...。だからね、そういうのを見て育った私らのよーな女のコが、しかもそのニューウエーブ・ヴィジュアル系本家の、更に大モト作ったフェリーさんに長年心酔しているこの私が、いったいどうやってあのホスト集団をカッコいいとか、美形とか思えるのか。それは天地がひっくり返っても、金輪際無理というものよ。美の基準は変わるというけど、これはもうそういう次元の問題じゃないわい。単に、本当に美しい男なんてものを見る機会が絶無になった哀れな少女たちが(芸能界がアレだもんな)、単に何かカン違いしてるだけだとしか思えないの、私は。

さてそこで、その「落差」について考察してみるに、それはやはり人間としての思考の次元の崇高さではないか、と。別に神格化しようってんじゃないですけど、やっぱ現実としてね、なんだかんだ言ってもグリーンもけっこうああいうヒトだしさ。80年代、どこからどー見ても「ポップスター」してたくせに、中身はアレでしょ? で、そーゆー、世の中の軽い扱いがヤになったとか言って、さっさと田舎に引き上げてレコード業界と縁切っちゃったわけじゃないですか。だからアーティストさまなのよ。ああまで成功してたら、つまらないレコード出し続けてでも地位の保守に戦々恐々となっちゃうもんですよ、ふつーの人間だったら。だからアーティストさまの場合は、興味の対象がその程度の低俗なところにはないっていうか、社会的な成功は成功として基本的に表現者として自分のイマジネーションを具現すること、そこに全ての基盤がないとしょせんダメってことだよね。まあそのへんは、例えばデヴィッド・シルヴィアンとかにしてもフリップと仲が良かったくらいだから同じものがあると思うけど。フェリーさんに至ってはそのあたり枉げるようなことは一切せず、逃げもしないで我が道を行って、おまけに"best of both world"を目指してるという、とんでもないことやってますね。そのためにプレスに苛められよーが、ファンに非難されよーが、どんなに大変でも自分のやりたいことをそのために断念したってことはないでしょう、あのヒトの場合は。イーノの時ばかりじゃなく、1980年にポール・トンプソンをはずした時にも、あれもどうやら純粋に音楽的な理由からだったようなんですけど、さすがにファンからすっごい非難されたっていいますからね。ポールさんもすごい人気あったから。それとか"As Time Goes By"にしても、当初レコード会社にはそんなの売れないから別なの作れとか言われながらやったってさ。

ロキシーが3枚目以降、ぐっとわかりやすい音になったことや、彼がカヴァーを好きなことから、そう考えないヒトも多いようなんですけど、あれは自分を枉げてコマーシャルに走ったわけでもなんでもなく、それがやりたかったからやっただけなんです。言ってましたよ、フェリーさん。「"For Your Pleasure(ロキシーのセカンド)"みたいなものを作り続けることはぼくにとって全くカンタンなことだった。スタジオに入ってちょいちょいと作ってしまうことが出来るようなもので、だからこそ(3枚目以降の)より音楽的な作品は、ぼくにとって挑戦だったんだ」みたいなことをですね。彼も元々がノン・ミュージシャンですから、確かにそういうメロディアスな、より音楽的なものは彼にとって「作ったことがないもの」だったわけで、作れるかどうかが挑戦だったんでしょうね。だからと言ってもそれは器としての音部分の問題で、歌詞の内容面ではノーミーニングになったわけでもなんでもなく、そのあたりの音とコトバの絡み方は相変わらずアバンギャルドなんですけど。そう言えば、グリーンもパンクからポップに移行した時に、「身売り」とまで非難されたことがありますけど、あれもそっちの方が彼の表現したいことに合致してたからおのずと変わっただけで、売れようと思ってしたことじゃないですもんね。

つまりはやっぱり彼らが美しいっていうか、カッコいいのはですね、そのへんきっちりスジの通った「中身」があるからだと思うの。だから信頼出来る。それはまあ日本人のアーティストにも、そういうヒトはそれなりにいると思いますよ。だから何もかも「日本はダメ」と思ってるわけでもないです、当然。だからそれはそれなんですけど、私はやっぱりそういう中身が伴って来ないことには、「美しい」なんてコトバを使ってもらっちゃ困ると思うわけ。実際ねえ...。自分が努力して社会的に成功したんだから、それでメデタシメデタシで栄耀栄華を極めればいいじゃないですか。誰にも文句言われる筋合いのもんじゃないと私なんかは思うのに、そうやって自分が恵まれてるからってそれで終われず、"Mamouna"でやってたみたいに、自分のそのワガママな心を責めるよーな、世界の混沌を嘆き続けるよーな、そんな崇高さが!! あのホスト集団にあるとはとっても思えませんな。いくらスタイルだけ真似たって、中身が伴わなきゃ結局、お品が伴いませんものね。ほほほほほ。そりゃ、ホスト集団にも見えちゃうわ。そんなものにコロっとダマされてしまう、一般民衆の教養の無さが私は哀しいの...。

 

 

2005.8.10.

★お待たせしました★

ではまず皆のもの、イーノさまのお言葉を読むがよい。

"People who do hatchet-jobs on the members of their old bands usually come out looking like losers when it all appears in print. I started off wanting to call a press conference so that I could state my case, but that's all so pointless. Another reason for my reticence is because I don't want to damage Roxy, for the sake of other people in it. I mean, I really like the other members, and I (pause) really like Bryan, in a funny way. "

(前に在籍していたバンドのメンバーについて酷評すると、それが記事になった時にはふつうその当人が負け犬のように見えてしまうものだよ。ぼくも記者会見を召集して自分の言い分を言明したいと思いながら脱退したけれど、でも結局意味がないような気がしてね。それともうひとつ、何も言わずにおいた理由はロキシーにキズをつけたくない、バンドの他のメンバーのためにそう思ったからなんだ。だってぼくは本当にみんな大好きだから。それに... (しばらく黙った後で)可笑しいかもしれないけど、ぼくはブライアンも本当に好きなんだよ。)

-"The Thrill Of It All" by David Buckley p132

「以前から私はイーノはフェリーさんのことをどう思ってんだろーと考えてたが、それがやっと分かった」なんて話を前にちょっとしてたと思います。覚えてらしたでしょうか。そしてこれがその回答です。そうです、イーノはやっぱり!! フェリーさんのことも好きだったんですねっ!! あー、すっきりした。だーから言ったじゃないですか。イーノが脱退したのは、二人のアーティストとして求める方向が合致しなかったことが最大の原因で、何もそんなちゃちい人気争いの結果で嫌い合ってのことじゃないって。ちなみにフェリーさんがイーノのことをどう思ってるかは以前も書きました。"I've got a lot of respect for him.(ぼくは彼にとても敬意を持っている。)-Trouser Press 1977"だそうです。

まあだから、この二人の場合はね、お互いの才能をちゃんと認め合ってて、基本的には決して仲が悪かったんでもなんでもないんだと思ってたわけですよ、私は。これまで知りえた限りでは、イーノの方が最終的に脱退すると言い切ったということだったんですが、確かにそれは本当らしい。でも、それより前にフェリーさんの方からイーノに、マネージメント・オフィスを通して、「これからも一緒にやっていくわけにはいかない」とゆーよーな、お達しがあったというウワサもあるんですってさ、Buckleyさんによると。フェリーさんとしては、不恰好な大騒ぎにしたくないということで代理人を通して通達したようなんですが、それがイーノの気に食わなくて「面と向かって自分で言ってくれる?」と詰め寄ったみたいです。でもまあ、このフェリーさんの一方的お達しがそもそもかなり最終的な決定だったのは確からしく、それに対してはイーノの方も抗すべくもないと分かってたようでした。それは結局イーノが一番、ロキシーはフェリーさんの作品であるってことを分かってたヒトだからじゃないかと思う。事実、デヴュー前に一年にも渡って、あちこちのレコード会社に頭下げて回って苦労しまくったのもフェリーさんなんだし、基本的なアイデアは彼のものなんだし、イーノでなくても「ロキシーがフェリーさんの作品」だってことは、回りみんな認めざるを得なかったのよね。実際、バンドの中でいつでも彼の決定が最優先されざるをえなかったという事実が、それを物語ってると思うし。だってそうじゃなかったら、みんな遠慮なくもっと我が通せてたと思うもん。ただ、そういう事情を直接に知ってるメンバーだのオフィスだのは別として、一般のファンとかジャーナリストはさ、ふつうバンドというものはもっとメンバーの意見を取り入れるものだとか、そういう先入観があるからそのへんの事情を無視して非難がフェリーさんに集中してたんじゃないですか。ところがあの先生ときたヒには、例えそういう背景事情があったとしても言い訳がましいことすら殆ど言いたがらんのだ。

で、イーノの方はそう詰め寄ってもフェリーさんがまだのらくらするので、最終的に分かった、もうこれで終わりだね、と結論を下した、と。イーノはそう言い切ってかえってスッキリした気分だった、みたいなことを言ってましたけど、まあ彼の方もそれだけの才能のあるヒトですから、やっぱりそれで自分のやりたいことを、これからは思いっきりやるぞ!! って感じだったらしいですね。その日に、ソロのファーストアルバムに入った1曲を書いちゃったという話ですから。

それにつけてもやっぱりイーノって、みんなから尊敬されるだけのことはあるヒトだよなあ、と改めて思いましたよ。事情はそうでも脱退直後ってやっぱりいっちばんアタマ来ちゃってる時じゃないですか。それでもちゃんと理性的に、他のメンバーやバンドを思いやるゆとりがある。いや、頭が下がります。偉いです。キャプテン・イーノと言われるだけはあります。やっぱりね、こういうのが誇りのあるオトナの態度なのよね。

で、まあこの件に関しては、イーノがああいうヒトなんでフェリーさんも救われたというか、後を引くようなこともなく、長いことたってからまた一緒に仕事したりとか出来る時も来た、良かったね、というお話でした。

 

★なぜだかイジめられてしまうフェリーさん★

"I've realized for a long time that I've been disliked, but it's only lately that I've realized that I might actually be hated."

(ぼくはずっと、嫌われてるんじゃないかなってことは分かってたけど、でも、もしかしたら憎まれてるんじゃないかとまで思うようになったのはごく最近のことだよ。)

- Melody Maker Sep. 16 1978 

これは"The Bride Stripped Bare"発表当時、メロディー・メイカーのインタヴューでフェリーさんがのたまったお言葉なんですが、きゃはははは。いや、笑いごとじゃないんですけど、当時、彼はソロ活動を中心に据えつつあった時期で、でも諸事情あってそれがなかなかロキシーのようにはすんなり認めてもらえなくて落ち込んでたらしいんですね。事実あの"The Bride Stripped Bare"、これは私がめちゃ泣かされたと言ってたほどの作品で、彼としても「音楽とはかくあるべき」と開眼したって言ってるほど、それまで以上に深遠でイモーショナルな作品です。しかしまあ、暗いは暗いですわね、これは。その思いっきり暗いとこが私なんかは好きなんですけど。もちろん、彼が暗くなってたのはあんなバカ女(名前なんか書きたくもない)のためじゃないですよ。あれはその時期、一連の彼の不遇の単なるトドメの一発だったってだけで、それだけが原因であんな暗くなってたわけじゃありません。

前作"In Your Mind"のアメリカ・ツアーを納得のいかない理由でアトランティックがサポートしてくれず、コンサート・ツアーそのものはどこでも好評だったのに彼が期待してたような大々的な成功までは至らなかった(この時のバンド・メンバーが、フィルさん、ポールさん、ジョン・ウエットン、クリス・スペディング、メル・コリンズなどものすごく豪華で、日本でも相当話題になった。日本じゃ確かNHKが中継までしてたぞ。それから考えても、コンサートそのものが好評だったというのは頷ける。もちろん他の国ではこの参加メンバーの話題もあって、アルバムもいい結果を出している。)、次に英国で発表したシングル"What goes on"、"Sign of the times"が、それまでに比べると極めて低調な結果、特に"Sign of the times"、これは先生としては自信作だったから余計こたえてて、メロディー・メイカーのケナし方があんまり的外れだったことにも激怒してましたが、このあたりで既に、それまでと変わらず一生懸命、身を粉にして働いてるのにロキシーで得たほどのリアクションが得られない。パンクやニュー・ウエーブがまねっこのクセして、どういうわけか先生に敵意を燃やしてたり、なんだかんだでフェリーさん、天中殺のど真ん中だったみたいなんですね。そんなこんなで数年にわたって、そもそもアーティストとして落ち込んでたところへ持って来て、あの騒ぎ。とうとうブチ切れて、サイモン・パクスレー氏の話では"The Bride Stripped Bare"を冬の閑散としたモントルーで録音してる時には、先生の落ち込みにみんなが引きずられて、参加してたミュージシャンまでどん底暗かったですってさ。ま、だからあれが暗いのは、メインの理由は彼のアーティストとしての落ち込んだ気分の方だったと思います。

そういう背景があったんで、1978年当時、先生もこういう発言が出ちゃったんでしょうけど、なんかフェリーさんはそれまでもそれからも、どういうわけかプレスにいびられる傾向があるようで、それはそもそもイーノの脱退前後にしても一人で悪者にされたりとか、あのバカ女の話にしても、30年前の話だぜ。フェリーさんが「そんな大昔の話」って言ってんのに(事実そうだと思うしさ)、未だにそれをねちねちねちねち持ち出すアホなジャーナリストが後を絶たない。30年前に別れた女のことなんて、ふつー、持ち出すか? 私、そういう記事見るたび、あんたちょっといーかげんにしなさいよって言いたくなるわよ。失礼にもほどかあるぞ。もう「元」になっちゃったけどさ、奥さんにだって、息子さんたちにだって、失礼な話じゃん、そんなの。

ま、フェリーさんの輝かしい半生で、あの件とイーノのことは、彼をメのかたきにしてる連中が突っ込める数少ない話題なんだろうと思うけど、結局イーノの方はあの通り身の処しかたが鮮やかだったし、おかげでアト引くようなことにはならなかった。当人同士が仲良くやってんのに、そりゃー、単なるヤジ馬が突っ込むわけにはいかんでしょうよ。そこでいきおい、アレだけがいつまでもフェリーさんいじめの唯一の大ネタになっちゃうんだな。私に言わせれば、あの女には誇りというものがない。あれが例えば、スティーヴィー・ニックスみたいな女だったら納得もするよ。だけど、アレがそれほどの女か? 大体、別れた後で手記なんざ出版することからして恥を知らん。思いやりもない。そんなアホだからそうまでして結婚したミック・ジャガーにも浮気されまくって、挙句に離婚してんじゃん。イーノに比べて、いや、比べるだけでもイーノに失礼ですけれどもさ、あまりにも誇りのない人間の典型的な配慮のない行動よね。いくらでも他にやりようがあっただろーが、ああ本当に腹の立つ。

私もね、この話は出したくないんだ。だけど、いつまでもいつまでも話題にし続ける連中見てると、もうついついアタマきちゃうから、いーかげんにしてっ、て言いたくなるのよ。もちろんそんなバカなジャーナリストばかりじゃ当然ないですけど、中にはそういうのもいるってことよね。だいたい彼は被害者の方じゃないの。ふつー、そこへいつまでも不愉快な話題持ち込むか?

それにつけても、フェリーさんがそんなふうにいじめられやすいってのは何故なのか。確かに、ハンサムな上に才能があって成功もしてる。それだけでも「気に入らないやつ」って思うヒガミ屋はいくらでもいると思うけどさ。でも、それを言ったらそういうヒトは音楽業界、けっこういるのよね。でも、みんながみんな非難されやすいってわけでもないし、そもそもジャーナリストなんてそういうのに慣れなきゃ仕事になんないじゃない。そう考えてると、フェリーさん自身が「嫌われてる」とか「憎まれてる」とか言わざるをえないくらい彼のことを「気に食わない」と思うひとたちは、いったい何が「気に食わない」のか。つまるところ、あのヒトは自分を枉げない。というか、我が強い上に大衆に媚びるようなとこがないんだな。でもそれで尊大な態度に出るんだったらまだしも納得いくのかもしれないけど、自分でも「横柄なのはみっともないと思う」と言ってたくらい不当に偉そうにすることすらない。尊大なふるまいってのは裏を返せば小心だからで、そう振舞ってないと自分の優位に自信が持てなくなるってヤツが多い。結局、フェリーさんってヒトはそのくらいものすごくプライドが高いし、腹も据わってる。しかもそれに見合った才能もある。少なくともアーティストとしてスジが通ってるというか、そのへんが、いっちばんヒガミ屋さんたちにしてみるとアタマくるとこなんじゃないかなって気がするな。あまりに人種が違いすぎて。そういう根源的な劣等感っていうのは、時としてある種の人間のなけなしの理性くらい吹っ飛ばしちゃうもん。

だけど逆に彼のそういうとこ、作品に対して妥協しないとこだとか、ヘンに媚びないとこだとか、私なんかはだからこそ好きなんですけど、彼のファンの中にはそういうヒトもまた多いでしょうね。ま、そういう誇り高い人間にほど、それなりの苦労ってついて回るのかもしれないけど、でも結局アーティストなんてものは自分を枉げて大衆に媚びるようなことしてちゃね、歴史に残るほどにはならんのですよ。いやしくも、芸術家たらんとするヒトには、そのへん肝に銘じておいて頂きたいです。

 

 

2005.5.27.

★The Porter★

以前、フェリーさんがメルセデスのニューモデル・プロモーションのミニ・ムービーに顔を出してるという話をしてたでしょー? 覚えてらっしゃいます? あやぼーずっと見たかったんですけど、うち未だに遅いアクセスなんでなかなか見れなくて、今日やっとネットカフェ行って見てきたんです。きゃはははは、もー、やっぱりすてきー。13分の映画で最後の方にちょこっと出てるだけなのにー、いい役なのよねー。

もうご覧になった方もあるかもしれませんが、フェリーさんのやってる役はダイヤモンドの密売人っていうか、お金持ちっぽい紳士だけど、悪いことやってるからちょっと胡散臭いオジさんの役なのね。ミニ・ムービーとは言え、そこはメルセデスですから本格的、全篇を通して背景もゴージャスで見ごたえはすごくありますよ。ストーリーは、あるホテルの駐車係が客の車の中(これが新型メルセデス)に大粒のダイヤモンドが隠されてるのに気づくところから事件に巻き込まれてゆくんですが、その密売組織のボスが先生だって設定です。3つくらいしかセリフ言わないんですけど、もー、キザな文句ばっかし。それをまたサラっとゆーんだ、フェリーさんたら。まだ見てない方は、ぜひこの貴重な「俳優」のフェリーさんを

http://www.the-porter.com/  

もしこのリンクが死んでたら、

http://www3.mercedes-benz.com/webspecials/2004/porter/index.php

で、ご覧になってみて下さいませ。それから、このお話は最後の3分のオチがまたねー、いいのよー。見てない方のために黙ってますけど、そこで"Fool for Love"のメルセデス・スペシャル・バージョンが流れると。ピアノだけのバックで切々と歌い上げてあるのでこちらも聴きごたえあるし、この曲でこのオチってのがねー。なんか切ないなー、みたいな、いいんだわ、これがなんかありそうな話で。確かに、この曲がストーリー全体からして重要だというのも頷けますな。うーん、こんなの見たら、フェリーさんを主演にした映画作って欲しくなっちゃうじゃないかー。だってホントに、すてきなんだもーん。

あと、先生の登場するシーンなんですけど、これが殆ど彼のミュージック・ヴィデオ調なんだもの、笑っちゃう〜♪ナイトクラブのシーンで、例の美女てんこもり状態のヴィデオをパロったような雰囲気なのよね。イヴニング・ドレスの美女も二人も出てくるし。これは絶対、この構成を組み立てたディレクターかなんかも意識してたんじゃないかという気が、私はする。

でも一番驚いたのは...。http://www.the-porter.com/ こちらで「English」をクリックするとトップ画像が出て来るんですけど、そこで「The Movie」をクリックしたら本編が見れます。更にその本編の右上のところにいくつもリンクがありまして、ここの「Extra」をクリックしたら、おまけのメイキングものヴィデオが本編の横で見れるようになってます。で、この「Extra」の中で「Making of Stars」をクリックすると出演者の楽屋裏風景が見れるのね。で、問題はそのトップのとこ。ここでフェリーさん出てくんですけど、本編が結構トシ相応に見えてるのに比べ、この楽屋裏はなんなんだとゆーくらい雰囲気がワカい!! 一瞬、私は70年代の彼の写真を思い出してしまいましたが、それくらい若く見える!! 更に続けて見てくと、今度は女優さんと一緒にセットに入ってくとこが出て来て、始めのうちはまだにこって笑ってたりして、そんなにオジさんな感じじゃないんだけど、セットに入ったあたりから本編の役柄の雰囲気が一瞬で出てきちゃう!! これはいったいなになになに? もしかしてフェリーさんて、思ってたより更にずっと俳優の才能もあったりするのか? これはもう、今度彼が出るっていう映画"Breakfast on Pluto"も、なんとかして見たいぞ。

ともあれメルセデスのミニ・ムービー「The Porter」、皆さんにもぜひ見て頂きたかったので、取り急ぎご案内申しあげました。絶対、見てねー♪ (この前書いてたイーノの話は、次の更新で書きます。待ってて下さい。)

 

 

2005.5.20.-5.21.

★面白い話★

AYAPOOでちょっとデュラン・デュランとROXYの関係を書いてたんですが、例のBuckleyさんのROXY本、あれに面白い話がありました。エディ・ジョブソンが言ってるんですけど、ちょっと引用してみましょう。

"I  think it was the second gig I ever played with Roxy, in Birmingham; I was eighteen. When we got back to the hotel from the concert there was a pretty hysterical crowd waiting there. Against advice, I stopped and signed a few autographs until it got a bit too "pushy". Half an hour later, I went out onto the balcony of my room to see if the fans had left so I could go downstairs to the bar, and I was greeted by this almighty scream of "EDDDIIEEEE!!" from the mainly female crowd below, which had grown considerably. Quite shocked at this, I didn't quite know what to do, so I called my mother and went back out on to the balcony so she could hear the girls scream on the other end of the phone. I felt like Paul McCartney. This was only a little more than two years after I had been the corny violin kid at school, the leader of the school orchestra, so I enjoyed it immensely! I then called the other guys in the band, who had heard the screaming, and who started to appear on their respective balconies. The hotel called the police.

The next morning, I remember a disgruntled head housekeeper presenting us with a bill at breakfast for all the towels, washcloths, and other hotel items that we had thrown down to the fans. Ten years later, I met John Taylor and Nick Rhodes of Duran Duran, who told me that they were two of the fans for whom I had signed autographs that night, and that they remember that I was the only one who had stopped to greet the fans."

(あれは、ぼくがロキシーに加わって2度目のギグの時じゃなかったかな、バーミンガムでのことで、ぼくは18歳だったよ。コンサートの後、ホテルに戻って来ると大騒ぎになっていて、言われてはいたんだけど、立ち止まって手におえなくなるまでサインに応じてしまった。30分ほどしてファンがもういなければ下のバーに行こうとバルコニーから覗いてみると、まだ下にいた主に女の子のファンの"エディ〜〜〜っ"という物凄い悲鳴のお出迎え。さっきまでより遥かに数が増えていたんだ。あんまりびっくりしたんでどうしていいか分からなくなって、母に電話をかけると、電話の向こうでもその悲鳴が聞こえるようにバルコニーに戻った。まるでポール・マッカートニーになったような気分だったね。その2年ほど前まで、ぼくは学校で学内オーケストラのリーダーをやってたような、ありきたりなバイオリン少年だったわけだから、これは大いに楽めたよ! それから他のバンドのメンバーに電話したら、騒ぎが聞こえていたらしくて、それぞれのバルコニーに姿を見せ始めたんだ。おかげでホテルは警察を呼ばなくちゃならなかった。

それで翌朝、朝食の時に全く不機嫌な客室係のチーフから、ぼくらはファンに投げてあげたタオルやいろんなホテルの備品に関する請求書を突きつけられてしまったというわけ。それから10年ほど経って、デュラン・デュランのジョン・テイラーとニック・ロ−ズに会ったんだけど、ぼくがサインしたファンの中に二人ともいたんだって。ファンに応えるために立ち止まったのは、メンバーの中でぼくだけだったのも覚えていたそうだよ。)

―" The thrill of it all " p156


とゆーことで、エディ・ジョブソンはイーノ脱退後のROXYでキーボードや素晴らしいヴァイオリンを聞かせてくれていた当時18歳の天才少年ですが、この頃、まだスター慣れしてなかったんでそんなことなっちゃったんだな。それにしてもなんてゆーか、ジョン・テイラーとかニック・ロ−ズ、やっぱりファンだったんだねえ、マジで。だから自分もバンドやるってことになった時、どうせだったらROXYみたいにやりたいよー、ってなったんじゃないですか? きゃはははは。他にもいそー。ちなみにボーイ・ジョージもコンセプトはROXY時代のイーノだよねえ....。

いや、私よく思うんですけどね、イギリスってのはタダの単なるテレビの歌番でROXYはもちろん、エルトン・ジョンとかユーリズミックスとか、そりゃ当然ストーンズとかボウイとか、遡ってはビートルズもっっっ、見れた国なんですねえ...。(深く感動のタメイキ...)。私はそのへんにつくづく英国の音楽業界の凄さを感じるとともに、「なんで日本はダメなのか」ということの原因をひしひしと実感してしまうわけです(何故かについて詳しくはまた後日)。以前、ROXYのビデオ見ててさ、トップ40に出た時の映像とか出て来るわけですよ。んで、司会がっっっっ、エルトン・ジョンだったりするんですねーーーーーっっっ。なんとゆー、恐れ知らずな、ぜいたくなっ。殆どカルチャー・ショックでしたわ。羨ましいっっっ!!! 私も英国で生まれたかったっ、例え労働者階級でもいーからっ!!

それとか、そのボウイとフェリーさんの話でも面白いのがあった。例のファースト・ソロ"These Foolish Things"ですが、このカバー曲集をフェリーさんが作り上げた約1ヵ月後、ボウイはその初めてのカバー曲集である"Pin-Ups"の録音に取りかかったんだけど、彼はROXYの"Lady Tron"も収録したいとか言ってフェリーさんに電話かけて来たんだって。結局それは収録されなかったんだけど、けっこうボウイってそういうイタズラな所があって、ヒトのアイデアでも「お、いいな」と思うとためらわず自分もやっちゃうヒトらしく、他にもそういう話はあるみたい。だからその時もそうだったのか、フェリーさんが言うには、ボウイが電話をかけてきた理由はホントにカバーしたかったからと言うより、「ぼくもやってるよー」みたいなお知らせのつもりだったんじゃないか? と思ってたって。で、まあ先生も戦々恐々としてその完成を待ってたらしいんですが(このへんフェリーさんの性格が出ている)、フタを開けてみたら扱ってる曲の年代や性質がズレてて、結果として全く違う音に仕上がってたのでどちらも大ウケした、と。だからボウイの場合、着想そのものは他のヒトのものだったとしても、結果的にそこからは自分独自のものを作り上げるから、まあ、やっぱりボウイだねーってことになるらしい。なんか分かる気がするけど、そういうことやっても彼なら許せるってゆーか、先生も「彼は頭のいい人だから」とかって、きっちり認めてるようなこと言ってるしな。面白い...。

で、他にもイーノの話で、なるほどなってのがあって、私かねがねフェリーさんってイーノのこと気に入ってるよなーって思ってたけど、イーノの方はどー思ってんだろ、と考えてたんだね。"Mamouna"からだってあれだけ一緒に仕事してんだから、まさか嫌ってはいないよなと思ってたけど、けけけけけ♪ ...長くなってしまったし、今日は他に書きたいこともあるので、この話はここまで。それに私はもーしかしたら今後すぐは無理でも、いずれ再編したROXYのスタジオ録音にイーノの参加があり得るかも、と思い始めているのだ。その主な理由は...。

興味があったら次の更新にご期待下さい。そもそもイーノさん、問題の当事者張本人だったフェリーさんのソロに参加出来て、ROXYはダメって、それはないよなー? それにイーノが再編ロキシーのライヴに参加しなかったことについては、理由は全く別なのね。

 

 

★よっぽどイヤだったんだな...★

なんか、今ごろ何を言ってるんだと思われるかもしれませんけど、原宿の歩行者天国が無くなっちゃったんですって? なんか私、その話聞いて、う〜ん...、とその背景について深く考えてしまいました。何故かってゆーと、あのホコ天ってもうずーっと長いことあって、原宿の原宿たる一部として捉えられてたように思うんだね。それは何もそこに外から寄ってくる人間ばかりじゃなくて、住んでる人もある時期まではけっこう文化発信源として誇りに思ってるようなとこもあったんじゃないですか? それなのになんで今になって無くなったのか。

あやぼーは以前から、東京人は、マスコミにあおられて外から入り込み、昔からの東京文化の良いところを台無しにしてる連中に対してもっときっちり怒るべき、と思ってたんです。逆に東京に住んでるからって地方を不当にバカにするような俗物はただのアホだと思うけど、休みの日に外からやって来て我が物顔でノサばり歩いてるイナカもんに対して、我慢してやることないのになって。(イナカもん=外の世界を知らない視野の狭い人、この場合、マスコミごときに煽られて行動する中身のない人間というほどの意)

無くなった背景には住民が静かな街になって欲しいと望んだというのもあるらしいですけど、ともかくも長いこと許容されて来て今になって、というところに深いものを感じるわけですね。そのへん突き詰めてゆくと、つまりは結局よっぽどイヤだったんだな、と。何がってそれが無くなる直前までの原宿の状況が、ですよ。

思うんですけど、J-popって「ゲーセン、パチンコ屋、カラオケBOX御用達」ですよね? そこまでゆー 、と笑ってるアナタ。でも思わず頷いてませんか? だってさ、ゲーセン、パチンコ屋だったら喜んでかけるだろうし、カラオケBOXでは当然歌われまくってると思うんですよ、元々、カラオケ御用達ミュージックなわけだから。でもっ、でもですね、絶対、絶対、ぜーっっったいっ、オシャレなカフェとか、ホテルのロビーなんぞではまかりまちがっても流れんでしょう? で、それがなんで歩行者天国が無くなったことと関係があると思うのか。だからね、やっぱり原宿ってば日本全国で「オシャレな若者のまち」で長年売ってきたとこじゃないですか。そこに住んでる人ったら、やっぱり長年そういうファッショナブルでオシャレなとこを愛して来られたヒトも多いだろうと思うわけ。そこへさ、「ゲーセン、パチンコ屋、カラオケBOX御用達」三流ミュージック(以下)の、更に悪質なイナカもんコピーバンドなんかが横行したひには...。いや、もう言わなくてもいいかも...。だからこそ、「今になって」拒否されることになったのではないのかな、と。

私はいくら洋楽ファンだからって、日本のものはみんなダメなんて言ってるわけじゃないですよ。カラオケにしたって、ヒトに迷惑かけずにカラオケBOXででも盛り上がるんだったら個人の自由。それ自体は全然悪いことないです。ただ、問題はそういうシロウトのレベルに合わせた程度の低い「歌謡曲(以下)」に、さも上等そうなレッテル貼って売ってるマスコミと芸能界に問題があると言ってるんです。いや、歌唱力もへったくれもないという点では、昔のアイドル歌謡の方が音楽的にもエンタテイメント的にもずっとマシだったぞ。で、結局マスコミがそんなインチキをゴリ押しするから、本当に才能のあるヒトまで売れようと思ったら作品のレベル下げなきゃならないなんて、とんでもないことになってるのが、この件に関する究極的な問題なんだ。つきつめて言えば、私は本当にいい音楽を創る、才能のある人が認められる健全な状態に日本の音楽業界を戻してもらいたいと言ってるだけ。FMでもかつてのように広い範囲の音楽を「聴かせる」メディアに「戻して」もらいたいと言ってるだけ。

ま、何はともあれ現時点では、原宿も街が静かになって良かったんじゃないですか? 各都市、コレに習って、「騒音公害は迷惑行為」、この意識を取り戻してもらいたいものでありますな。ちなみに「ヘタな歌」が「騒音」だという「常識」もね。

 

 

★ああ...★

"Lost In Translation"という映画を教えてもらったんですけど、フランシス・コッポラのお嬢さんが作った映画だそうで、高い評価を受けたって話なのでご覧になった方もあるかもしれませんね。で、私まだその冒頭のとこしか見てないんですけど、なんかすごい絶望的なものをまたまた見せられたって感じでメチャ暗い気分です。

ってゆーのは、これは日本に来た二人の英語圏の方が主人公のお話で、日本語が分からないのでコミュニケーションが取れない。そのことから来るいろいろな苦労やそのエピソードが描かれてるって映画だそう。で、そのうち一人は俳優さんかなんかで、サントリーのコマーシャルに出演するという場面があるわけです。撮影現場でディレクターが「ボブさん、あなたは自宅の書斎にいてリラックスしてるんです。そしてテーブルの上にはサントリー・ウイスキーがある。くつろぎのひととき、優雅に、カサブランカのボギーのように、カメラに向かって、昔の古い友人がいるような気持ちで、」と、延々シチュエーションを日本語で説明してるわけ。もちろん通訳が付いてんだけど、コイツが問題なんだ。そのディレクターの長い説明を何て通訳したと思います? "You should do it in more intensive way."たったコレだけ。だいたい、ディレクターの説明の中に"intensive"なんて単語が対応する部分なんてどこにもないんですわ。ボブさんは長い説明をそれだけしか訳してもらえないので、「もっと彼は何か言いたいことがあるんじゃないか」と尋ねてるんですけど、通訳が言うのは"intensive"という一語のみ。結果的にディレクターの納得するような演技が出来ないのね。

この場合、やっぱりディレクターは通訳を信用しきってるから、ちゃんと訳していると思ってる。だから出来ないのはボブさんのせいだと思い込んじゃうので彼を責めるじゃないですか。でも悪いのはこのアホな通訳で、こいつほんとに英語分かんのか? レベルの語学力で通訳やっちゃってるとこが問題なのね。逆に言えば、けっこう難しいはずの通訳資格試験で、じゃあいったい何を試してるのか、ってとこまで問題は発展する。更には、日本では何を基準に英語が「出来る、出来ない」を分けてるのかって問題にも発展するね。

そもそもこの通訳だけど、サントリーに雇われるくらいだから、いちおー表向き資格もキャリアもある一流のヒトってことにはなってるんでしょ? こういったコミュニケーション・ギャップがつづられた映画というからには、このエピソードも実話を元にしてるんだろうし、そうすると「英語が分かる」という看板上げて商売してるヤツのレベルがコレか? ってことになってくる。もしかすると皆さんの中には、「そこまで酷くはないだろう」と思われる方もあるかもしれませんが、長年あのアホな対訳を見せられ続けて来た私には、あーもー、コレが実態だろうね、と納得しちゃうようなエピソ―ドなんだ。

なんで暗い気分になってるかとゆーと、それでも私はあの対訳なんてのは元の内容があまりに難しすぎるので、「英語が分かる程度」では対応できないのも仕方ないと思って来たわけ。そもそもネイティヴが殆ど分かんないよーな内容なんだから。つまり訳してるヒトは「英語くらいは分かる」と思ってたんですね。それが通訳の看板上げてし仕事しててアレ。...絶望的ですな。まあ、この映画に取り上げられた時期よりは今は少しはマシになってるかもしれませんけど、やっぱり「何を基準に英語が出来る、出来ないを分けてるのか」、この問題について改めて突き詰める必要は大いにあるんじゃないかと考えさせられましたね。

 

 

 

2005.4.29.

★ツアーだってさ★

6月のThe Isle Of Wight Festivalの後、7月はROXY MUSICでのコンサート・スケジュールが続けて決まってってるみたいですね。うーん、今年は大丈夫なんだろうな、フェリーさん。去年、のど痛めて大変だったしなあ...。Roxyでのコンサートなんてそれはウレシイですけどさ、暑い時期だし心配だなあ...。

 

★デュシャンに挑戦★

昨年、国立国際美術館で開催されていた「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展、ココでもちょっとその話出てたと思うんですが、お近くの皆サマご覧になりましたでしょうか。あやぼーは会期ギリギリの12月17日になんとか見に行くことができました。実はもっとずっと前に行ったは行ったんですが、先天性おマヌケの私はきっちり休館日に行ってしまったんですね。本当に、なんでこうもマが抜けてるのかと自分で自分が悲しくなりますが、事前に美術館のサイトで休館日を確かめてたハズなのに、この有様です。でもともかく見ることは見れたので、その話を書こう、書こうと思ってはいたんです。でもとうとう今日になってしまいました。

ではまず、あのデュシャンとその周辺の奇妙な世界に浸ってみて、ものすごく納得したことがあります。何を納得したのかというと、フェリーさんというのは元々こういう世界のヒトだったのか、ということ。つまり、元々こういうワケの分かんない世界のコトを専門に勉強して、しかも自分もそーゆー世界に入ろうと思ってたヒトだってコトです。なんかこの展覧会、私は先生の歌詞を視覚的に見る思いがしましたが、やっぱりあのオジさんだけは一筋縄ではいかないとゆーか、パブリック・イメージ通りに信じちゃだめだってゆーか、やっぱりそうなのねー、という気がつくづくしたんです。ポップアートやシュールレアリスムなんて、彼の表のイメージからは昔は私、想像すらしませんでしたが、確かに彼のアーティストとしてのルーツの一端は、ああいうところにあるんでしょう。

さてこの展覧会、もちろん例の「大ガラス」は会場中央にでーんと据えられていたのですぐ目に入り、あやぼーの第一印象は「こんなにキレイで繊細な作品だったのね」でした。と言うのは、本などの写真ではガラスの透明感が出ないので、のっぺりしてあまりキレイじゃないんです。でも実物は透明なガラスに様々なオブジェクトが埋め込まれているという感じで、とてもキレイ。今回展示されていたのは東京で作られたもので、デュシャンが存命中、最後に制作を許可したものだとか。関西での展示は初めてだったそうです。で、この「大ガラス」からしてそうなんですけど、デュシャンの作品の多くは、私が写真で見て思ってたよりずっと精巧で繊細な印象を受けました。そうするとなんとなく写真で見るデュシャン本人と作品との関係も深く頷けるものがあるような...。

殆どの作品はジャニス・ミンクの本で見たものだったので、おお、なるほど、と実物を見るだけでも面白かったんですが、デュシャンに加えて、彼から影響を受けた人たちの作品も展示品の半数くらいあり、彼の影響が20世紀美術にどのように及んでいるかも伺えて勉強になりました。中にはリチャード・ハミルトン氏の作品も3点くらいあって、これまた繊細でキレイだったので、そういえばこのテのアーティストって神経ザツな人っていなさそー、という印象もありましたね。うーん、だからものごと考えすぎて、結論が出ないのか...。

ま、こういうのは私、ひとつには提示されたものを見て観客が考えるという、そのことそのものにも作品の目的が見出されているという気がして、だからこそデュシャン自身も自分の作品のイミについて、わざわざ語ることをしなかったのかな、とも思ったりします。この「大ガラス」にしても、これはもう全く私の勝手な空想なんで、あまりマジで信じられても困るんですが、「花嫁」っていうのは高い所にいますよね。で、「独身者たち」は下にいて、その間を3本の水平線が隔てている。単純に考えて、「花嫁」は「憧憬される理想」なんじゃないかと思ったり。で、そうなるとそこへ行き着けない「独身者たち」は当然、「理想を追求する者」ってことになるのかも。でも結局、人間が理想を体現し得た例も歴史的にないので、どこまで頑張っても「花嫁」に行き着けずに「平行線」で隔てられて終わる。理想に行き着こうとする人間はその実体を模索するあまり、「花嫁」を丸はだかにしてしまって尚、その本質を見出すことが出来ない。これは哲学史が物語るところ。それから作品の独身者たちの横に「眼科医の証人」というのが描かれてるんですけど、これはその人類の愚挙を「傍観する者」、つまりデュシャン自身であり、それに類する側の人間と、いうよーな、解釈もしていいかもしんない。か? 

まあ、これは元々私、フェリーさんの「The Bride Stripped Bare」が、そんなよーな作品なんで、先生もそんなふうにコレを見てるのかなと思ったりしてたもんですから、ホントにそうかどうかは知りませんが...。それと、この「大ガラス」は「未完」であることがしっかり強調されてるんですけど、それは人間の歴史自体が未完ですから、未完でなければならない故に強調されてるのかなと思ったりもしてました。つまり「未完」である状態で「完成」している、んじゃないかなー? とかね。で、そう考えると遺作の「与えられたとせよ」とも、通底するものがあるような気もするし。ま、デュシャン自身がはっきり言及してないんですから、何でもかんでも「ないかなー?」状態から一歩も出ることは出来ないと思いますが...。きゃははは。

まあ答えがあってないようなものとはいえ、そういうのあれこれ考えるのはけっこう楽しいんで、もうひとつ気になったヤツを、あやぼーなりに解釈してみたいと思います。それは↓の写真の「ローズ・セラヴィ、なぜ、くしゃみをしない」とゆー、もー、タイトルからして何がなんだか分かんねー状態の作品です。でも、ワケ分かんないもんで余計気になって、展覧会のあと暫くずーっと、どーゆコトか考えてたんですね。

ともかくまずこの作品の外観を細かく説明すると、ご覧の通りカゴの中に立方体が沢山転がってます。そして、この写真だとちょっと分かりにくいんですが、展示されていた実物では天井から白い羽が差し込まれてありました。この写真でも、ちょっとナナメに白いものが上から差し込まれてるの分かります? コレでタイトルが「ローズ・セラヴィ、なぜ、くしゃみをしない」...。いったいコレはなんなんだ? では皆さんは、この作品どのように解釈なさいますでしょうか? あやぼー流の解釈を読む前に、ちょっと考えてみましょーよ。

 

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さて、殆ど冗談のようなタイトルなんですけど、このローズ・セラヴィってのはデュシャン自身がもうひとりの自分として設定した女性だそうで、だから、この問いかけはデュシャン自身に向けられていると考えていいんじゃないでしょうか。そうすると自分に対して、どーしてくしゃみをしないのか、と問いかけている。あやぼーはまず、ではローズ・セラヴィはどこにいるのか、と考えてみました。この作品のどこにいるのかってことですね。で、ふと思ったのが「大ガラス」の「眼科医の証人」の位置、つまり独身者たちを傍観する位置に眼科医がいる、そうすると、この作品でもこのカゴを傍観する位置にローズ・セラヴィがいるとしたらどうか。もちろん作中には全然描かれてないんですが、タイトルで自分の位置を示してるんじゃないかと考えたわけです。

例えば、このカゴの中でも外でも、もし誰かがくしゃみをしたらどーなるか。

そこまで考えて分かりました。あくまであやぼーなりに、ですけど、そもそもこの羽根が「天使の羽根」だろうなってことは始めから見当ついてたんです。白い羽根ですから、天から差し込まれた「天使の羽根」なんじゃないかなって。そうするとこのカゴは「社会」、つまり我々の生きているこの世界=竹細工のオリ、だから下に転がってる画一的な立方体は「人間」、つまり我々です。

「天使の羽根」ってのはどういうことかというと、フェリーさんの歌詞の解釈をあれこれ読んで頂いてたらたぶん分かると思うんですが、白い羽根なんですから、ヨーロッパ的な理想論に通底するんじゃないですか。日本で言えば「道徳律」みたいなものかも。つまりきっちり囲まれたオリの中で、画一的な人間たちが道徳律に従ってせせこましく生きてる図が、この作品そのものなんじゃないかと思うわけです。そこへ誰かがくしゃみしたらどうなるか。たぶん羽根が揺れて角度が変わるか、くしゃみが大きければ吹っ飛ぶか、もしかすると立方体のいくつかが揺れたり転がったりするかもしれない。更にもっとおおきなくしゃみだったら、カゴそのものがひっくりかえるかも...。「それなのになぜ、きみはくしゃみをしないのか」。

思うに、デュシャンの創作活動そのものが、この世界に対する「大きなくしゃみ」だったんじゃないのかなと思ったりもします。芸術、特にその中でも哲学、思想というのは、いつでも「人間にとって最も良い状態」を模索しているものなんですが、だから様々な芸術形態の中でも思想がらみの作品になると、このテーマから逸脱することはまず出来ないと思います。デュシャンにしても、「これこそ芸術が進むべき方向である。つまり動物的表現へではなく知的表現へと進むべきなのだ。私は"bete comme un peintre"(画家のように愚かな)という表現には本当に嫌気がさす。」なんて言ってるわけですから、芸術において感覚表現のみではあきたらず、知的作業を伴う表現、つまり思想・哲学内在型の創作活動こそが彼の本質だったと思いますね。実際この世界は、元来個々に自由であるはずの人間を社会というオリに囲い込み、「正義」という枠組みに従わせているわけで、その状態に疑問を抱く芸術家(思想家)は常に、どーやってそれをひっくり返してやろーかい、とヨコシマなことを画策してるもののようです。フェリーさんにしてもグリーンさんにしても...。たぶん、デュシャンもそうだったんじゃないですか? この作品では、「なぜ、くしゃみをしない」のか、と自分に問い掛けてますけど、実際にしなかったんじゃなく、彼は大きなくしゃみを残して行ったわけで、それが20世紀美術の新しい流れを生み、更にはそのシュールレアリスムやポップアートから影響された芸術家を生んでいることを考えれば、彼のくしゃみは少なくとも、このオリの中の立方体のいくつかを揺らしたり動かしたりしたということなのかもしれませんね。

ま、そういう感じで、あれこれ見て来たわけですが、確かにこういうの、普通の絵画なんかの展覧会と赴きを異にしてますねえ...。うーん、この混沌そのものが20世紀だったのか...? なんとなくこう、この展覧会全体、ひいてはこの展覧会でテーマにされた美術における一連の歴史的動向とそこで生み出された作品群そのものが詩的に何かを象徴してるような気もしました。ともあれクイズみたいで面白いんで、またこんな展覧会があったら見に行ってみたいと思います。

 

 

2005.3.30.-4.2.

★おお!!★

6月に、またROXY MUSICのメンバーでThe Isle Of Wight Festivalに出演するという話があって、再編そのものが一時的なもので終わらないよーな、気配はあったんですが、なんと!! ROXYの新作録音の目的でスタジオ入りしてるなんてウワサが!! あるそうなんですねっっっ。おおおおお!!! 

なんでも二ール・ハバードなんかも参加してるって話で、ま、そのへんフェリーさん周辺のミュージシャンの名前もチラホラ上がってるようなんですが先生のソロじゃなく、なんと言っても!! "ROXY MUSIC"の!! 「ニュー・アルバムのために」!! 23年ぶりにそのメンバーでやろー、なんて話になっているらしい、というのが!! 画期的というか、とうとうその気になったのかというか、ともかく嬉しい話ではあります。以前、再編時のインタヴューで、21年ぶりに再編して、それが今後どうなるのかって質問された時に、「また21年経つんじゃないの?」みたいな逃げ腰の解答でお茶を濁してたフェリーさんですがっ、いやー、どうなるんでしょうね。実現するといいですねっっっっ!!!

まあ、こーゆー話は、出てから完成するまでがふつー、延々延々.....、と際限なく果てしなく延び延びになってくのが常なんで、オマケに今度はあの名作"Avalon"を超えられるのか、とゆー、プレッシャーも背負ってると思うのですぐってわけにはゆかないでしょうが、何はともあれ「その気になった」というのが大躍進じゃないですか。嬉しいっっっっ。オジさまたち、頑張って下さいねーーーーっっっ。

 

★パクりか、オマージュか★

さて前回に引き続き、また真二の話になっちゃうんですが、初期の作品はけっこうビートルズの影響の濃いものがあったので、わりとヘンに洋楽通ぶってるヒトたちから、マネっこみたいに言われた部分ってあったみたいですね。私も当時、そういう話は聞きました。でもですね、「音楽的に影響を受けた尊敬するミュージシャンの作品に近づきたい」という純粋な音楽に対する愛情から出てる作品と、単なるパクリの区別もつかんのか、と私はその方が大問題だと思うわけです。例えば「キャンディ」という曲は、確かにビートルズの作品を想起させるところはあります。でもそれは、前にも書きましたが、もともと真二がそれを意識してわざわさそれに近づく音作りをやったんだから当然じゃないですか? そして、それは彼のビートルズのサウンドに対する純粋な感動から出てるものです。これは間違いありません。これも以前書いたと思いますけど、ホンモノの芸術的資質というものには「親子関係」みたいなものがあって、あらゆる優れた先達の作品から影響を受けるのは当然のことで、それを出発点に独自性を見出してゆく作業が「芸術的創造」というものなわけです。だからこそワイルドが言うようにっ! 「模倣の終わる所に芸術が始まる」のよね。

確かに、現在まで真二の作品には、どうしても未だに超えきれてない壁はいくつかあると思います。で、その壁というのは、彼自身の根源的な才能の問題というより、「日本」という文化圏自体に内在してる壁、つまり彼がこの日本という文化圏で生まれ育ってしまった結果でもあるし、更に広範囲の観点から言えば、「人間」の「芸術」に対する理解度、もしくは理解の可能性とも直結してる壁だとも言えますね。私でもそれを指摘することは出来ますけど、でもそれはやっぱり回りがどーのこーの言うことじゃなく、アーティストとして個人が克服してゆくしかないものだと思う。少なくとも、その模索の過程が見受けられるものと、単なるパクリやウケ狙いとは、心眼の開いてる者には一目瞭然で見えるものです。言い切ってやるぞ。分からんヤツはアキメクラなだけっっっ。

さっき「ヘンに洋楽通ぶってるヒトたち」って言いましたけど、そういうヒトたちってまず例外なく詩的側面から例えばビートルズでさえ理解出来てないんじゃないですか? あやぼーだって間違っても自分が洋楽通だなんて思ってませんけど、それでもアレよりゃマシと思うご大家評論家ってのは確かにいるよ。大体、一回言いたかったんですけどっ、この国はっ、未だにっ、インタヴューに通訳つれて回らなきゃならないような恥ずかしい「英語も分からん(自称)洋楽評論家」が、大手をふって商売できるとこだってのが、そもそも大問題なんだっっっ。そして、そーゆーコトに対してみんなが少しも疑問を持たないということ自体が、"「日本」という文化圏自体に内在してる"超ド級の大問題なのっっ。そのメンタリティは単に音楽世界だけじゃなく、あらゆる方向に作用してるから、それが日本人の真のイミでの国際性の欠落にも大いに影響している。

もちろん、「評論家」ったって日本全国に相当数存在してるわけですから、全部が全部そんなアホだとは思わないし、希望的観測かもしれないけど思いたくもない。以前も書いてたけど、聴いて楽しむ客の立場なら英語なんて分かんなくっても全然かまいませんよ。でも、やっぱりホントの評論家だったらさ、まず作品に関して、そういうシロウトが分かんないとこ分かってたり、知らないことを知ってたり、見えないとこ見えたりしてナンボの商売じゃないですか? 客と一緒になって、音だけ聴いて小学生の古典観賞感想文ナミの駄文でメシが喰えるなんざ、甘やかしすぎもいいとこじゃん。せめて英語くらい分かれってのは、プロなら誤訳だらけの対訳たよりに作品を理解したつもりになってもらっちゃ困るし、インタヴューくらい直でやってもらわなきゃ困るし、資料は原版で読んでもらわなきゃ困るし、それに英語圏のミュージックシーンの動向だとか、欧米全般の文化的な意識だとか、そういうもんをリアルタイムで理解するには、当然、相応の語学力はアタリマエでしょーにって話よね? そういうレベルに意識がないから、音が似てるってだけで簡単にパクリとか判断しちゃうんじゃないの? だから逆に言えば、そういうことをキチっと出来る評論家さんたちにこそ頑張ってもらわなくちゃ、それこそ困るのよ。

このページを始めて間もなく2周年が近づいていますけれどもさ、私はフェリーさんとか、グリーンのことだったら、長年に渡ってそれなりにインタヴューも読んでるし、関連書籍も読んでるし、何よりも作品を全作キッチリ聴いてるし、だからまあそれなりにあーだこーだ言えることもありますよ。でも他のアーティストに関しては勉強不足だし、とてもえらそーなこと書けませんね、私は。恐くって。だから余計思うんですけど、一人のアーティストについてでも、よく知ろうと思ったらかなりの労力がいるわけで、プロってのはそういう理解を多くのアーティストに対して持ってなきゃならない。でなきゃ内容のある文なんぞ書けっこないんだから、そりゃー、ハンパなアタマでは元来勤まらないものなんじゃないの?

ま、「音」だけ聞いて分かったツモリになってるヤツにアーティストの心は見えんでしょう。ましてやその作品が根ざしている文化圏の文化的、歴史的、政治的背景、どころか言語さえよー知らんと、何が書けるってんですかね。「無謀」ってゆーんですよ、そういうの。他人の作品をどーのこーの言うより先に、そーゆーヤツは自分のアタマの中身からどーにかしてよね。ともあれ作品のクオリティの高さは、アーティストの表現への思い入れの深さと比例するもんだということです。作品の価値を云々する時には、そのへん間違わんとよくみるよーに。

で、ついでですけどパクリと言えばですね、そりゃもー、究極のパクリはカヴァーでしょう。クレジットを明記するという点では著作権侵害にはなりませんけど、他人の作品を自分の作品集の中に取り入れる、これが実質的にパクリでなくってなんでしょうか。で、も。それでもカヴァー作品は、それ単体でカヴァーした側のアーティストの作品として価値を云々される余地がある。これは何故かと言えば、その作品を「どのように」消化して独自性を持って再現するかというところに、価値の基準が見出されるからです。逆に言えば、原曲が名曲であればあるほどその印象は強く、それを超えるカヴァーは至難だということで、「パク」るのはいいけど、そこに独自の価値を確立するのが難しいという点で、ものすごく危険な方法でもありますね。それはシンガー・ソングライターの作品のみならず、ジャズのスタンダードやクラシックのように作詞・作曲者が演奏者、若しくは歌手と別であることが前提とされてる作品も含めて、また更には音楽のみならずあらゆる分野で古典を再現するという作業を伴うものは全て、「既に親しまれている作品を独自の観点から再現する」、ココにその価値の有無の分岐点があるということです。

ウチの先生なんかはカヴァーの巨匠ですけどね。"As Time Goes By"にしたって楽曲としての観点からだけ見てもちゃんと「ブライアン・フェリーの As Time Goes By」 になってるでしょーが。その上!! あの方は"レディメイド"という独自の方法論まで確立されている。だから「作品のクオリティの高さは、アーティストの表現への思い入れの深さと比例する」、オリジナリティってのはそれなくして出てきやしないんだから、要はハートの問題だってことですね。そこんとこ、キッチリ分かってね。

 

 

2005.3.29.

★映画だってさ★

フェリーさん、映画にちょこっと出る予定があるみたいですね。"Breakfast on Pluto"って作品らしいですけど、マジで映画出るって初めてじゃないですか? 彼の音楽が使われたり、メルセデスのプロモーション用に作られたフィルムに出たりとかは知ってるんですけど、以前から出てみないかって話はあったのに、実際にはやってなかったよね。どーんな役かなー? 楽しみだなー。見たいなー。

 

★うーん、28年か...★

あやぼーが、未だにしつこく原田真二さんのファンであるというのは、My Favorite Albums のページでも洋楽の名盤に混じって"Feel Happy"を挙げているくらいなんで、ご存知の方もあると思います。いやー、それにしてもその真二がデヴュー以来28年とわっっっっ!!! うーん、もうそんなに経ったのか...。例のトリプル・デヴューが77年のことなんだそうで、ホントにホントに28年なんですねえ...、感慨だわー。

で、当時の武道館でのライヴを中心に劇場公開用の映画が作られてたようなんですが、その"Our Song -and all of you-"が3/25にDVDで発売されました。すっごい懐かしかったんで、Amazon.co.jpで注文して送ってもらったんですけど、良かったですね、これものすごく。改めて当時、原田さんが日本の音楽シーンでどういう存在だったのか再発見させられましたし、同時に、その頃の音楽業界が今に比べてすごく幸せな時代だったんだなと痛感させられました。なんていうか、日本でもマスコミ主導型の歌謡界じゃなくて、いいイミでミュージシャンが「音楽」をやれる状況が作られつつあるみたいな、今となっては儚い幻想に過ぎませんでしたが、現在のクソJ-POP(...そこまでゆー?)にウンザリさせられてるあやぼーといたしましては、まことにまことに、「いい時代だったよなー」とつくづく思わせられたフィルムでもありました。70年代後半ってのは、高度成長→バブルの真っ最中で、時代背景も日本にとって一番シアワセな時期だったと思うんですけど、一点の曇りもなく「未来の発展」を信じていられたような、そんな時代の雰囲気がこのフィルムの中にもありますね。別にこれは「昔は良かった」なんてちゃちいノスタルジーに浸ってるわけでも何でもありませんよ。私は十年や二十年なんて単位の刹那的な時間軸ではなく、最低でも100年単位の歴史的時間軸に添って価値判断を下すヒトなんで、古いの新しいのって問題じゃ根本的にないんです、こーゆーことは。

さて80年代の洋楽ブームから音楽に入ったくらいの方は、もーしかするとその真二の初期の全盛期に遭遇してらっしゃらないかもしれない。でも、あやぼーは元々、「歌謡曲? ふんっっ、なに、それ?」とゆー、めちゃナマイキなコドモだったんで、いちおーその頃、既にそこそこの耳は持ってたと思います。で、その耳で聴いて、「おお、これは違うじゃないか」と納得した空前絶後のミュージシャンが原田さんだってことになりますね。

以前、あのいやらしい聞くに耐えない昨今のFM放送の真っ只中で、「キャンディ」が突如かかったコトがあったんですが、ココロが洗われる思いがいたしました。もともとあの「キャンディ」は、真二がビートルズを意識して、古い雰囲気の音を出したかったということで、録音方法も一旦レコーディングしたものをスタジオでスピーカーから流して撮り直し、わざと素朴な音質になるように工夫したというイワク付きのシロモノで、そのへんにも彼の音楽への深い愛情やこだわりが感じられるんですが、「ココロが洗われる」というのは、アーティストのそういう音楽に対する純粋な愛情がつくづく感じられる気持ちの良い作品だったということです。で、翻って、昨今のあのクソFM放送なんてものは、一瞬耳をかすめただけで気分が悪くなるような下品な音質、悪い意味で才能もない上に向上心もないのにしゃしゃり出たいという賤しい人間性が渦を巻いてるというか、ヘドロの海に投げ込まれたような気分にさせられるのでたまりません。まあ、それって突き詰めていけば時代背景とも直結してるんですけど、ともあれ90年代以降のメジャーな「カラオケミュージック(=J-POP)」にしても、他にマンガとかにしても、「品がない」というコトバで総括されるんじゃないですか。主観でけっこう、けっ、私はただ事実を指摘しているだけだもんね♪ 同じように思ってるヒトは掃いて捨てるほどいるわよ。皆さん、遠慮深いから声に出して言わないだけっ。

でさー、よーするに私がここまでボロクソ言うのは、ジャマだからなのよね、あんなのがいつまでもウロウロ音楽業界の主流を占めてると。日本にはやっぱりあんなのしかないのかって、また文化レベルの高い国のヒトからバカにされるじゃないかっ。いや、されてんだよ。実際にそれに近いことも言われたよ、私。でもいくらだってあるのにっ、もっといいモノ作ってるヒトはいっぱいいるはずなのにぃぃぃぃぃっ。くそーっ。28年前と全く変わらんどころか、国民的文化レベルの低さが悪化してるなんて、シャレにもならんわっ。

まあ、「バカは勝手に自滅する」という法則があるから、ほっといてもいずれ自滅するのは自明の理なんで、愚痴はこのくらいにして本題に戻しますが、実は78年当時、ラジオで真二を特集したパイオニア・サウンドアプローチというプログラムがありまして、そのテープが手元に残ってるんです。4週連続で彼が自分の音楽的ルーツとか、デヴュー以前の活動とかについて語ったり、作詞家の松本隆さんを迎えて作品の背景を話したり、ライヴやったり、ってな番組だったんですけど、当時18歳ですよ、18歳。私もその頃はほんのガキんちょに過ぎなかったんで、よく分かってなかったフシもあるんですが、でも改めて思うに、真二って決して幸運だけでデヴューして話題になった、ぽっと出の新人タレントみたいのじゃ全然なかったよなーというのが、28年たってこのテープを聴きなおしてみてつくづく思ったことです。実際、広島にいた高校時代に、既に自分のバンドの他に5バンドはカケモチして参加してたって話で、ギターやピアノだけじゃなく、ドラムやベースもやってた、それに音楽の先生ばかりが集まってるビッグバンドにも加わってたほどで、あのトシで既にそれだけの経験がある、きっちりミュージシャンとしての下地を作って来てたヒトだったんですね。で、それは当時のスタジオ・ライヴなんかの演奏のクオリティの高さでもよく分かります。言っちゃなんだけど、78年ってば、グリーンなんかは音楽始めた当初で、今となっては隠れもない"Early"に収録されてるようなアバンギャルドと言えば聞こえはいいが、しっかり音楽素人の訳の分かんない演奏を嬉々として披露してた時代で(うー、禁句だなあ、禁句。私に言われちゃグリーンもミもフタもないかもしれないが)、少なくとも音楽的クオリティという点では、真二のサウンドは当時のスクリッティとも比較にならないほど高かったと思います。まあ、もちろんスクリッティ、というかグリーンはそもそもノン・ミュージシャンであったってとこに重要なルーツがあるわけで、単に音楽的にクオリティが高いだけでは芸術的価値には結びつかないんですけどね。グリーンの才能とか、更に言えばフェリーさんもそうですけど、彼らの場合、デヴュー当初「音楽素人」だったなんてことはどうでもいいくらい、アーティストとしての根源的価値を生まれつき持ってるヒトたちですから、ミュージシャンとしての経験は後から着いてきたって言えると思います。ま、何はともあれ、サウンドの完成度という点では、当時から真二の作品にはプロとして十分な素地があったということでしょう。当然、それにアーティストとしての素地も彼にはありますけどね。

で、そのへんの真二の本質を"Our Song"というフィルムは見事に語り尽くしてあって、それって監督の龍村仁さんが、当時から彼をよく理解して下さっていたということが大きいようで、単なるアイドルのライヴ・フィルムなんてものじゃなく、アーティストとしての原田真二を捉えているという点で、内容的にも価値のあるフィルムになってると思います。私は当時から真二の音楽業界での価値を「ミュージシャン」として捉えてましたけど、改めてそれが正しかったというのを確認出来て嬉しかったです。真二ばかりではなくて、バックのミュージシャンの音楽的クオリティも非常に高く、うちあたりそこそこの洋楽通ででもなきゃ辿り着きもしないページだと思いますけど、そういう皆さんの耳でも十分に納得させてくれる「音楽」を、18−19歳当時既に真二はちゃんとやってましたね。本来、日本の音楽業界はここから発展するべきだったのに、悲しいかな見事に後退、退化してしまった。今後のためにも万人にそれをはっきり悟ってもらいたいんで、78年という時代を知らないヒトにほど改めてこのフィルム、単に当時の売れっ子ミュージシャンの記録映画としてじゃなく、その頃の音楽業界、というか「ニュー・ミュージック」界の在り方や方向性、それに限界を知るためにも見て頂きたいなあと思ったりします。私だってあんまり重いこた言いたくないけど、言わんと分からんということもあるし敢えて書くと、「音楽は本当に音楽を愛する人たちの手で作られて受け継がれてゆきくべきものである」、改めて私はそうハッキリさせたいですね。

あと、まだ"Feel Happy"に収められてる曲、これは全て作詞が松本隆さんなんですが、作詞者と作曲者の心情が最もいい形で連携するとこういう作品になる、というようなこととか言いたいことはあるんですけど、またそのへん整理してレヴューにでもしようかなと思ったりしてます。「作詞者と作曲者の心情が最もいい形で連携している作品」というと、他に山下達郎さんの"Ride On Time"も明らかにそういう作品ですね。ともあれ真二のその後の作品については、もっとこうやって欲しかったなあというワガママなファンとしての希望は大いにあるんですが、そういう「期待」をまだまだ持てるほど、彼の才能がホンモノだってのは、改めて確信いたしました。ちなみに真二ってグリーンとそうトシ違わないんですよね。でもって、現在も、え? ホントに28年経ったの? って感じで、40代半ばってのに全然トシとったって印象がありませんな。喋り方まであんま変わってない。元来、けっこう謙虚で礼儀正しいヒトなんですけど、よくよく考えると私の好きなミュージシャンって本質的にそんなんばっかね。口に出して言うのも何なんですけど、内面的に純粋なもんで核のところがどこまで行っても変わらなくて、そのせいでみっともなくトシくったりしない。主張はあるけど、自分の限界もよく知ってて、それゆえ本質的に謙虚で、けっこうコシも低かったりするとゆー。性格良すぎ...。

ま、機会があったら、Our Song -and all of you- のDVDとか、特に真二の初期作、聴いてみて下さい。ただひたすら、美しいです。(合掌)

 

 

 

2005.3.11.

★初期作品で5ページか...★

先日ココでもご紹介してたグリーンのインタヴューが載ってるUncutが今月になって発売されたようで、ウワサでは5ページに渡る記事になっているようです。見たいんですけど、洋書でも雑誌の新刊って手に入りくいんですよね。読みたいんだけどなー。

それにしても新作のリリースというわけでもないのに5ページもの特集とはさすがというか、愛されてますね、グリーン。前作から5年以上経ってんのに待たれてるんだねえ...。彼のファンがたいがいしつこいっていうのは、10年近いブランクの間にも忘れ去られなかったという事実からだけでも分かりますが、ま、それに値する才能ってことでしょうか。しつこいファンの一人としては嬉しい限りですけどね。

ところでフェリーさんの方はここしばらくスタジオおこもりなのか、それほど表立った動きはないようなんですが、3月8日にニューヨークで行われた School of American Ballet の Fund-raising Winter Galaで何曲か歌ったみたいです。お元気そうでなにより。でも2002年の"Frantic"からそろそろ3年、ローテーション的には新作どーなってんだと回りからうるさく言われる時期でしょう? グリーンはもー、あれはほっとくしかないと思われてるってのもあるかもしれないけど、フェリーさんくらいになると本人の都合よかレコード会社とかがうるさいって聞いたことあるしな。ま、何はともあれ、私の大好きなお二人とも、元気で頑張って下さっているようで、来年とかせめて再来年あたりには新作、聴けるといーなー、と思ってます。

 

 

2005.2.26.

★出ましたね★

2月14日、ホントにScritti の初期作コレクションがリリースされました。予約しておいたのでもう届いてて、ちょっち聴いてみましたところ「アバンギャルドねーっ」とゆー印象が..。特に始めの方聴いてて、Roxy のRe-make Re-model を連想してしまったのは私だけでしょーか。なんか、改めてRoxy Musicが英国初のパンク・バンドだとゆー、あの説に自信を持ってしまいましたが、でも特にグリーンが直接Roxyの影響を受けたとかじゃなく、パンクそのものが影響されてたってことなんだと思います。初期のパンクバンドには、その意識もあったのかもしれないけど、後に行くに従って自覚ないまま影響されてるんだな、きっと。グリーンだってそんなの考えたこともないと思うよ。

あやぼー的にはbibbly-o-tec、confidence、p.a.s といった、後半の作品が気に入ってて、後へ行くほどやっと「曲」になってるっつーのが面白いと思いましたが、皆さんはどのように感じられたでしょうか。グリーンがこのあたりの初期作品を自分で「聴きたくなーい!!」とか言ってたのも分かるような気がします。自分で曲とか、絵とか、文とか、何か「創る」という趣味があるとか、そういう職業に就いてらっしゃる方なら経験があると思いますが、ともかく自分がそーゆーコトを始めた頃の作品というのは、「穴があったら入りたい」とゆーか、私の場合、十代に書いてた小説なんて、もうとても恥ずかしくて自分で読めなーい!! なんでこんなにヘタなんだーっ、と、たまに読み返してみたりするたび、自分で叫んでしまったり致します。でもまあ、グリーンの場合、こういったとりとめがないかに聴こえる初期作にも、既にその後の作品のルーツになる要素が見えたりして、やっぱそのへんが才能か...、とも思いますね。しかもこの頃はまだ例のオモチャ声じゃなくて、ストレートに地声で歌ってたりするので、そのへんも聴きどころでしょう。ま、なにはともあれ、うんと若い頃のグリーンさんの作品ですから、是非皆さまもご一聴頂きたいと思います。

うーん、それにしてもこれで彼の作品はほぼ全て現役のアルバム状態で聴けるってことになるんですね。90年代にヴァージンがベスト盤を出すのどーの言ってたらしいんですが、グリーンはヤダとか言い続けてたという話で、この初期作にしても日本国内版にオマケで付けたいという話を蹴ってたし(その後、国内盤は随分たってからオマケなしでリリースされたようですが)、ま、そのへんの頑固なこだわりもグリーンのアーティストとしての作品へのこだわりの現れなのかもしれません。こんなに時間が経ってから初期作がまとめられるなんてゆーのは、それだけでも凄いことなような気がするし。だって、聴きたがるファンがそれだけいるってコトだもんね。ん、それと、グリーンはこの"Early"のブックレットにちょこっとメッセージを書いてて、最後に"see you later"と付け加えてます。よしよし、"see you later"ということは、近いうちに新作でお目にかかれるということだと、私は勝手に解釈してるんですけど、初期作がまとまって、過去にあれだけの仕事もしてて、でも今でもグリーンは現在進行形のヒトなんだなあと、それがファンとしては嬉しいですね。やはり、ホンモノのアーティストというのは、こうでなくては。

それにつけても常々思ってることなんですが、80年代に所謂ブリティッシュ・インベージョン(第2期)ってのがあって、そのおかげで私ら洋楽聴き狂ってたわけですけど、改めて思うに、あれも突発的なものではなくて歴史的にちゃんと脈絡のある現象だったんだなと。60年代にビートルズを中心とした第1期ブリティッシュ・インベージョンというのがあって、で、その後ROXYがデヴューする頃には、だいぶシーン自体が退屈になってたらしいのよね。ある程度「勢力図」みたいのが出来上がってしまって、新しいものが出て来ないという感じで。だから ROXY MUSICは当時「アイコン・クラストとして登場した」とも言われるように、ROXY の前にROXYなしという全くセンセーショナルなバンドだったわけです。シンセを取り入れた音楽なんてのも、そんなにない時代だったわけだし、あらゆる点で「ビックリ箱」だったのね。80年代の英国のサウンドはロックからポップな方向に流れてたと思うんですけど、ROXYは70年代半ばには、もうそういうサウンドやってたし。もちろうそういう影響を齎したのはROXYだけではないと思いますけど、思うに70年代って英国のミュージック・シーンにとっては「模索の時期」だったのかな、と。ビッグ・ネームのアーティストが既に退屈なものしか作らないという風潮があったから、ROXYのような「何が出てくるか分からない」というバンドが注目されたわけだし、その後パンクとかインディー・レーベルが注目されるようになったのも同じ理由よね。で、70年代後半あたりからのパンクの流行は遡ってROXYとも結び付けられるわけだし、パンクからScritti やJAMみたいなバンドが世に出たわけで、つまりはそこからグリーンやポール・ウエラーのような才能が出発してるんだし。それってクリエイテヴィティの問題で、大手のレコード会社がリリースするものってたいていは大多数の一般大衆にウケるものが選ばれるから、音楽通には当然退屈じゃないですか。でも、そういう退屈さっていうのは、いずれ肥大化して大したセンスのない一般大衆でもそれに気がつく時が来る。英国ではたぶんそういう現象が70年代から80年代始め辺りに起こったんだと思うわけ。日本に置き換えて考えると、まあクリエイティヴィティの点では英国の足元にも寄れないにせよ、アイドル歌謡の退屈さにウンザリしたリスナーがニュー・ミュージックに目をつけたみたいなもんよね。で、70年代のそういう「模索期間」が、ある程度熟成して来たのが80年代入ってからで、例えばスクリッティの場合、初期作は70年代後半、82年の"Songs To Remember"まで来てやっと「商品」としても通用する音楽性が確立されてるわけですよ。どんなに才能のあるヒトでも、やっぱり自分のスタイルを確立するまでにはそれなりの模索期間が必要ですからね。それはグリーンばかりじゃなくて、80年代に注目されたアーティストの多くが通ってる道じゃないかな。

で、やっぱりそういう新手の若いヒトたちに注目が集まると、「過去のヒト」になるわけにもいかないから、既にビッグ・ネームのアーティストにしたって頑張らないわけにいかないじゃないですか。元々それだけの才能もあるんだし。それが80年代の英国音楽の隆盛として現象化したと、まあ、私は常々そう思ったりしてるわけです。歴史ですよねー、そうなると。「流行」ってのは所詮「風俗」なんですけど、英国の場合、それと並行してちゃんと「芸術史」というラインが走ってるから「歴史」になるのよね。だって「芸術史」ってのは何も今突発的に始まったもんじゃなく、もう何百年もずーっと続いてるもんですから。

翻って我が国ですが.....。けけけけけ♪

「芸術家」とか「芸術史」には、「親子関係」みたいなものがあって、芸術史の背景のもとに過去からの影響を受けて新しいものが生み出されてくるんですけど、例えばフェリーさんなんか、あれはもう美術、音楽、文学、多方面の影響をすっごく受けてるヒトですよね。音楽ひとつ取っても、彼の場合ロックばっか聴いて育ったわけじゃなし、現代音楽ばかりじゃなくクラシックとかバロック、オペラまで幅広く精通してるヒトですよ。そんなの例えば初期のIf there's something とか聴けば一発で分かるじゃないですか。スタイルとか表現形態というのは時代ごとに変化する横糸のようなもので、芸術史にはその端緒から絶対に変わらない縦糸がもう1本通ってるんですが、その両方が織りあわされてないと「芸術史」の回廊に残れる作品にはならないわけね。例えば"Avalon"が既にクラシックと呼ばれるのは当然その縦横両方の糸がきっちり織りあわされてるからです。もちろんグリーンの作品にしたって、初期作からちゃんとその両方の糸が通ってます。だけど、残念ながら日本のミュージック・シーンってのは一般にこの「横糸」だけ突発的にサル真似するしか能が無いから「フーゾク」にしかなんないわけ、どっちのイミでも。つまり「大衆文化」というイミでの「風俗」と、おミズ・ソープ系のイミでの「フーゾク」両方のイミでね。ま、身売り商売っつか、そういうイミで。それに言っちゃなんだけど、ユーミンでさえ所詮、内容的に「レディコミ」じゃん(レディコミとはレディースコミックの略)。芸術とは程遠い。矢野顕子さんと比較すれば私が言ってるコト分かるでしょ? ま、それはそれで「大衆風俗史」ってことで別にいいんですけど、一般にその区別が付かないのが現代日本の根本的な問題なわけ。「横糸」は誰でも見えるんだけど、「縦糸」の方はそれなりの歴史的知識とか素地がないと見えないから、「横糸」としての現象ばっかサル真似するに留まるのよね。パンクだロックだフォークだ、言いはするけど、結局どれも「かよー曲」じゃん。ファッション・パンクを更に無意味にしたような、あれのどこが「パンク」なの? 「ロック」なの? あーゆーのから、どーやったってグリーン・ガートサイドもポール・ウエラーも出てきゃしないわよ。バカのヒステリーもいーかげんにしてよね、恥ずかしい。

で、「英語詩」としての「歌詞」が読めないとか、アホなレコード業界をあげてデタラメな「対訳」しか出せないのも、「縦糸」を見るだけの素地が現代の日本文化に欠落してしまってるからです。「日本人は芸術を理解しない」とか言われるのはそのためで、でも元々ないわけじゃないのね。だって江戸期以前には、ちゃんと利休も芭蕉もいたわけなんだから。ま、文化的には明治維新以降「退化」の一途を辿って来てるっつーことですかね。悲しいねえ...。ともあれ"Early"を聴いてると、そこはかとなくそんな「歴史」に思いを馳せてしまったあやぼーでありました。

それにしてもグリーンさんの第5作、どんなのになるんでしょうね...。実際なんか私、グリーンって「これからのヒト」だったりしないか? と思ったりしてるんです、"A&B"以降。80年代はやっぱあの容姿で思い切りポップ・スターしちゃったし、それって彼の本質とは程遠かったと思うのよね。もちろん彼の場合、その当時でさえ作品がお座なりになったことなんか一回もないんだけど、そのせいで回りからの受け取られ方と彼の本質との間にギャップが生じて、それが続けられなかった大きな原因のひとつになったと思うんですよ。"A&B"ってのはかなりカケだったと思うし、ツウには絶賛されたけど、リリース当初特に昔からのファンの間では賛否分かれたしね。そのへんがどっち転ぶか難しいとこだったと思います。でも後へ行くほど「A&Bっていーよね」という意見が増えてるのも当然で、80年代を引きずらないで今一番作りたい作品でカムバックしたというのが、グリーンさんの本質をきっちり物語ってるってことなんだね。で、今は私ら、その彼の「アーティスト」な部分に期待してるじゃないですか。99年からもー、また5年以上経ってるってのに、なんだかんだ言いながらみんな待ってるし。で、グリーンの方もまた5年以上じたばたしてるわけで、そんだけ時間かけても創りたいモノがあるってことでしょ? ま、見守ってたいですね、ファンとしては。

 

 

★オリジナルかカヴァーか★

さて、なんか最近、日本のワカモノの間では、「他人の作った曲を歌うのはダサい」というアナクロいコンセンサスがあるというウワサなんですが、どんなもんなんでしょーか。いったいいつの時代の話じゃ、と私なんかは思ってしまうんですが、言っちゃなんだけど「知的パンピー(一般ぴーぶる)」ってのは10年がとこ遅れてるんだよなあ...、認識が。そもそもなんでそんな考えが定着してるかというと、かつて80年代、「アイドル歌謡VSニューミュージック」という図式が存在したからだと思います。言わずと知れた「アイドル歌謡」ってのには、当然作詞者、作曲者、編曲者というのがいて、そうやって作られた曲を「歌手」が歌うというシステムがあったわけです。でも、沢田研二さんとか山口百恵さんとか、せいぜい行って中森明菜さんあたりまでは、少なくとも「歌手」もしくは「エンターティナー」として一流の才能をお持ちだったので、それはそれで良かったと思うんですよね。私はFMで洋楽ばっか聴いてたから歌謡曲当事者では当然ないんですが、それでも彼らの才能はちゃんと認めてます。でも、歌謡曲全盛期ってのは才能の点でその辺りまでで、今では名前も残ってないような退屈な歌手も多かったから、たぶんフォーク・ブームに始まるニュー・ミュージック全盛で、「アイドル歌謡」ってのは完全にコケたんだな(でも、いんちきJ-POPで復活したわけ)。で、フォークからニュー・ミュージックってのは当然シンガー・ソング・ライターの時代で、さだまさしさんや山下達郎さんとか才能のあるヒトが結構出たので、作品のクオリティも高かった。突き詰めて言えば、リスナーが「アイドル歌謡」より「ニュー・ミュージック」を選んだのは、根本的にそちらのほうが作品の出来が良かったからだし、「歌謡曲」の作詞、作曲者より当時のシンガー・ソング・ライターの方が才能があったからだと思うわけです。

ところが...。私、かつてよく思ったもんなんですけど、「演歌」ね、あれ、個々の曲に「作曲者」がいるっての不思議でねえ...。だっで、どれも同じメロディー・ラインじゃなかったか? で、それと同じモノを昨今の「J-POP」とやらに感じるわけです。あれってホントに「作詞」とか「作曲」とかしてるつもりなの? マジ? 本気? からかってんじゃなくて? 

で、それと同じよーな現象がかつて英国のミュージック・シーンでもあったらしいんだな。丁度、ROXYのデヴュー当時の頃のことで(おいおい、70年代だぜ)、「他人の作った曲を歌うのはダサい」というコンセンサスの元に、出来の悪いオリジナル曲が横行してたんだって。そこへ、フェリーさんが何やったと思います? そうです、全曲カヴァーとゆー、あのっ、「These foolish things」をリリースしちゃったんですねえ、恐れ知らずにも。

だって「今、一番センセーショナルなバンド」で売ってるROXY MUSICのリーダーが、全曲カヴァーなんて、当時のミュージック・シーンから見て許されざる「裏切り」をやっちゃったんですもん、当然プレスからはバッシング食らいまくり。でも案に相違してリスナーにはウケたんだな、コレが。当時の記録によるとUK・アルバムチャート5位まで上がってます。けけけけけ♪ROXYのオリジナル・アルバムでファーストが10位、セカンドが4位ということを合わせて考えると、驚異的なとこまで上がったんだね。で、そのあとボウイなんかもマネしてカヴァー曲集作ったりしてんですけど(だいたい、元々ボウイの方がROXYのファンなんだよ)、結局、オリジナルでもカヴァーでも、その価値はやってる人間の才能で決まるってことじゃないですか? 教訓ですねえ。きゃはははは。だーかーら、ダメなんだよ、知的パンピーってのは自分で考えるってことが出来ないもんだから、すぐ風潮に流される。それってもー、トシの問題じゃないよ、アタマの中身の問題ね。バカはどこまで行ってもバカ、バカにつくけるクスリはなし。言われて悔しかったら、アタマ使って考えてみな!! 「模倣の始まるところに芸術は終わる」、つまりオリジナルならいいという考えは、自作曲であるという「方法論の模倣」なんだな。だから逆にその風潮の中で敢えて「オリジナルに拘らない」という方法論はセンセーショナルでありえるんだね。

でもまあ、フェリーさんがそういう状況の中でコレをやれたのには、少なくとも二つの理由があると私は思うんだな。まず先生ってヒトはほんと「音楽」が好きなんです。話ちょっと飛びますけど、最近スタカンのアルバム聴いてて、ポール・ウエラーにしても、グリーンにしても、フェリーさんにしても、「ノン・ミュージシャン系・熱狂的爆走音楽ファン」という点で共通してんなと、つくづく思いました。彼らみんなリスナーとして「音楽」を愛してらっしゃるんですね。だからフェリーさんの場合、そりゃ当然彼がシンガーとして優れてるってこともありますけど、"These Foolish Things"にしても後の"As Time Goes By"にしても、ポップスやジャズという「音楽」に対する愛情ふつふつで、そこにカヴァーをやってもちゃんとオリジナル・アルバムに比肩するクオリティの寄って立つところがあるってことです。実際、フェリーさんはコレでかなりファン層を広げたってのもあるし、彼自身も一人の音楽ファンとして「退屈なオリジナル曲の横行」にウンザリしてたとこも、リスナーと共通してたのかもしれないな。

で、もうひとつの理由は、彼にとってカヴァーは「レディ・メイド」であるという特殊な事情があるから。こっちの方は先生自身も殆ど認識されないだろうとは思ってたとは思うけど、前にも書いたように他人の作った曲でも、内容的に彼独自のイミで歌ってしまうから、単なる失恋の歌がオリジナルと変わらない哲学的象徴性を持ちえるという、ま、ド天才ならではのちょーっちイヤミなヒッカケっていうか、そのへんに「タダのカヴァーとはちがうんだよー」とゆー、密かな自信があったんじゃないですか? 

ま、どっちにしても、結局は作品のクオリティの問題でしょうね。クオリティなくしてオリジナルだからってだけで値打ちあると思う、それがもう私には「畜生の浅ましさ」としか思えんね。私、最近すっごいはっきりバカとか、劣種とか、知的レベルが低いとか平気で言ってますけど、実際、あまりにも「バカがのさばりすぎ」なのにウンザリしてんのは、絶対私だけじゃないと思うぞ。もちろん昔はおくゆかしく遠慮してやってたんですよ、これでも。どーせ生まれつきバカなんだし、かわいそーだから。でも、あんまり長い間、かわいそーってだけで放置してたのがいけなかったのか、天敵の存在をすっかり忘れてのさばりかえりくさって、目障りだったらないんだ。いーかげんそういうの一掃しないと、ホント将来ないじゃん。だから、皆さん、言うべきことは、きっちし言おうね。

 

 

2005.1.12.

★Scritti Politti の初期作品がリリースされます★

先日お話していたSPの初期作を集めた"Early"というアルバムが2月14日の予定でリリースされるそうです。リリース日付がズレる可能性は大いにありますが曲目は以下の通りで、これまでマニアしか聴けなかったんじゃないかというよーな、幻の作品がずらっと並んでます。"Songs To Remember"以前の作品が殆どなので、話のタネにでも手に入れる価値はおおいにあると思いますよ。以前チェックした時はまだラインナップされてなかったAmazon.co.jpでも予約が可能になっていますので、是非、皆さんご予約を。

1. Skank Bloc Bologna
2. Is And Ought The Western World
3. 28/8/78
4. Scritlocks Door
5. Opec - Immac
6. Messthetics
7. Hegemony
8. Bibbly-O-Tec
9. Doubt Beat
10. Confidence
11. P.A.S.
12. The "Sweetest Girl"
13. Lions After Slumber

で、このリリースが話題になってるようで来月のUncutに載るはずのインタヴューが、なぜだかココで読めたりします。音楽関係のジャーナリストのブログページみたいなんですけど、内容から言ってたぶん本モノの原稿だと思うので、グリーンの最新インタヴューってことで興味のある方は読んでみて下さい。1/5付けの投稿なので、もし更新されててこのURLになかったら Archives 2005 January にファイルされてると思います。相変わらずのグリーン調というか、こーゆーワケの分かんない喋り方すんのは彼くらいでしょうね。あたし、フェリーさんだったら直でインタヴューしても会話成り立つ自信あるけど、グリーンの場合は言ってることがその場で理解できるかどうか、すごい不安です。ちなみにこのインタヴューによるとグリーンさんは最近では自宅にスタジオ持ってて、パニクりながらもぼちぼちと新作に取り組んでるそうなんで、初期作でも聴きながら、ご本人が新作に満足してリリースする気になるその日まで、皆さん、気長に待とうではありませんか。ああ、いったいあと何年かかるの...。(謎)

 

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