<洋楽ファンのひとりごと> 2004. 2-3月

 

 

歌詞については、私もかなり信を持って言えることだけしか書かないつもりですけど、

ただ、ココで書いてることは、あくまで私個人の歌詞解釈にもとづいてますので、

絶対それが正しいとは現時点では言い切れません。

その点どうぞあらかじめ、おふくみ下さいませ。

 

 

 

Taken from Roxy Music Live CD

"Concert Classics"

circa in 1979 Live in Denver

 

 

   

 

2004.3.11.-3.15.+3.29.

★既にスター★

フェリーさんの大学時代のお写真がまた手に入りましたのでお見せしてしまいましょう。クルマは例のスチュードベイカーで車種はChampion、以前もお話してましたが先生が初めて手に入れた愛車がコレだったんですね。でもトラブル多発で大変だったとかで、ガソリンよりオイルを食う方が多くなっちゃって結局1年くらいで手放したそうです。実は私ついこの前、道走っててこれと殆どそっくりのスチュード・ベイカー偶然見かけました。ツラがまえがコイツよりもっとゴツかったから車種はちがうと思いますけど、スタイリングは殆どこれに近かったので同系統、同時代のクルマだと思います。すっごいデカくて、粛々と走ってるって感じでしたが、先生が手に入れた頃でさえクラシックな感じだったものが、40年近く経った今、それも日本にもいて道をちゃんと走ってる!! そりゃもう、オーナーが多大な出費と労力をかけて走らせてらっしゃるんでしょうけど、それにしたってクルマの寿命ってな長いもんだなと改めて思いましたね。いいなあ、やっぱりクラシック・カーって。風情がある。

で先生の話に戻りますが、その後、まあいろいろといろんなクルマを乗り換えて来てらっしゃいますねえ...。BMWとルノーの話は前にもしてましたけど、他にモーリス・マイナー、メルセデス、ベントレー、ジャガーと絢爛豪華なラインナップです。初めて新車買ったのは黒のデイムラー・ダブルシックスだったんだって。私もこの車大好きなんですけど、シックな雰囲気でフェリーさんらしい選択ですよね、これも。

大学生の頃はクルマの性能についてはあまり考えたことなくて、どちらかと言えばスタイル優先で選んでたそうです。まあ美術専攻だから、そっちの方に先に目が行くのは当然だったかもしれません。意外だったのは、マニュアル・ミッションよりオートマの方が好きとかってコトで、そう言えばダブルシックスもミッションはオートマなんだよな。

それにしてもねー、これまだデヴューするずっとずっと前の写真ですよ。クリックすると大きいバージョンでご覧になれますので、そちらを見て頂けるともっとよく分かると思いますが、この頃でさえ既に「スター」って雰囲気なんだもーん。少なくとも何でもないふつーの大学生に見えるか? 今時のおつむてんてんな日本の大学生とエラいちがいよね。いくらファイン・アート専攻の芸術家の卵とは言っても、二十歳くらいで既にこれだもんなあ...。確かに大学の始めの2年は学業そっちのけで自分のバンド(Gas Board)で歌ってたってゆーし、ふつーの大学生とは言えなかったかもしれないけど。うーん...。でもま、この頃からスタイリッシュだったってことか。それってでもフェリーさんの場合、どっちかってば純粋に美しいもの、スタイリッシュなものが好きってことなんだろうな。単にカッコつけとかじゃないから、何やっててもステキなのよね。愛があるもの。きゃははは、また贔屓のひきたおし〜♪ いいもん、好きなんだから仕方ないもん。

こっちの写真も見てね♪ → → →

 

2004.3.29.

★やーい、なっかまはっずれ〜♪★

以前、5月のリリースとウワサのあったフィルさんの新しいアルバムはどうやら7月にホントに出そうな雰囲気なんですけど、イーノ、アンディさん、ポールさんと殆ど初期ROXY状態のメンバーが参加してるらしいです。でも先生は仲間はずれ〜♪ いや、しかし先生まで参加してしまったら、それはもうフィルさんのソロと言うよりROXY MUSICのニューアルバムになってしまうわけで(しかもイーノまでそろって)、やはりそれは...、と言うことなのでしょう(そう思っておこう...、きゃはは)。

でもさー、ウワサではあの初期の頃でも特にフィルさんとアンディさんはイーノとすっごい仲が良くて、そもそもイーノはアンディさんのお友達だったわけだし、だからイーノが抜けた時よけいROXY崩壊説が飛び交ったって事情もあったわけで、もともとそのへんみんな仲いいらしいのよね。でも結局、ROXYはイーノの脱退をモノともせずに発展してったわけだし。まあ先生ってあの通り、コト作品に関する限りはめちゃ我が強いじゃないですか。詩的側面からROXY を見てると、あれが一貫したテーマ性、つまりフェリーさんの内面性を作品に具現してるってコトが分かるんで、どうしても彼の曲が中心的になるのは仕方ないと理解出来るんですけど(先生も若かったしね)、そこが見えないと、やっぱりどうしても彼ばかりが我を通して来た、みたいな? そういう見方されることもよくあったようです。まあ我を通してたんですけどね、実際。だけどそれはもう芸術家として譲れない部分の問題で、単に自分が主役になりたいって程度の、レベルの低い話じゃないから。

丁度、フェリーさんのソロ4作目だったか、その頃、彼とアンディさんってもっのすごく険悪なムードになってて、フェリーさんとしては、少なくとも当時「アンディとは一緒にやりたくなくなってて」みたいなコトを口走ってるほどで、だからあのアルバムには他のメンバーの参加はあるけど、アンディさんは入ってなかったのね。アンディさんって、グラハム・シンプソン(ROXYの初代ベーシスト。ファーストのリリースと殆ど同じくらいに脱退してて、以来ROXYのベーシストは決まったヒトがいなかった。)を除けば、一番始めのメンバーだったから、後にリクルートされたフィルさんとかポールさんより、当時わりとフェリーさんにおかまいなしにモノ言える立場のヒトだったと思うの。で、やっぱりどっちも我が強いから一時そんなコトなってたんだろうな。そのくせ後に"Mamouna"ではアンディさんは随分参加してたし、イーノもひっぱりこまれてたし、まあなんだかんだ言っても一緒にやってるってことは、世の中よくあることだけど根本的なとこでそれなりに仲いいってことなんじゃないですか? 一番、しょーがないヤツと思われつつ愛されてるのはフェリーさんかもしれないけど...(バカな子ほど可愛いと言うじゃありませんか(暴言か?、しかしもちろん"Fool for love"ってイミですよ)。で結局、我を通させてもらってる)。フェリーさんの方はフェリーさんで、例えばあんな経緯があったイーノに対してすら、「ぼくは彼には敬意を持ってるからね」とか無邪気に言ってたりするしな。あの先生の場合、これがマジの発言だからなあ...。

思うにね...、まあ先生もそこそこトシ取ったんだし、"Boys and Girls"より後はイーノも含めて曲の共作よくやってんだし、私としてはなんかそのセンで今までになかったタイプのROXYのアルバムって作って欲しいなあと思ったりもするのよね。今ならフェリーさんとしてもそういうのやれるんじゃないかという気がするし。"Love Is The Drug"なんて、あれは確か曲は主にアンディさんのだったと思うけど、すっごいいいじゃないですか。これは単にファンの勝手な希望ですけど、22年たった今こそ、みたいな期待くらいしてもいーよねーっ。結局"ROXY MUSIC"名義で作品を作るとなったら、あのセンセが腰上げない限りぜーったい実現しないんだしさ。でも可笑しな話、その先生が中心になって作っても、彼のソロとROXYでは明らかに印象がちがうわけで、そうなるとやはりROXY MUSICである限りメンバーは...、ってことにもなるか...。そのへん面白いねえ...。

ところで、仲間はずれのフェリーさんの方ですが、それはそれなりにジェーン・バーキンの新しいアルバムに顔出したりしてらっしゃるよーです。こちらの彼女のアルバム・リストの中の新作のラインナップに、初期ROXYの "In every dream home a heartache"、これをフェリーさんとデュエットしてると出てるので、是非私もこのアルバム取り寄せて聴いてみたいと思ってます。このページでは一部の試聴も出来るようですよ。しかしそれにしても、ココでも内容をご紹介したあの曲を、しかもジェーン・バーキンとどーゆー感じでデュエットしてるのか、ものすごく興味ありますね、私。

それと以前もお話してたRoxy Music の本、今年出るやつの第1弾が4/4付けで発売になるようです。もう一冊は7/31付けで出るそうで、どちらもAmazon.comの洋書の部でRoxy Musicを検索すると購入、予約出来ます。私も既に注文しました。うー。楽しみ楽しみ。

 

 

2004.3.9.

★おひさです★

え? と気がついたら約1ヶ月、もうそんなに更新できてなかったんですね。申し訳ありませんでした。確かに"Mamouna"の解説がまとまらなくてアタマを抱えてたというのもあるんですが、それ以上にオークションであれこれ買うのに没頭してたので忙しくて、アタマ抱えるくらいならしばらくほっておこー、ってことになっちゃってたわけです。と言っても無責任に放り出してたというんでもなくて、ある程度アタマの中でまとまるまで無理せず時間を置いた方が自然とまとまってくるっていうのが、いつものパターンだからなんです。ともかくなんとかいちおーまとまりまして、アルバム"Mamouna"のタイトル曲と"N.Y.C"を比較して、この作品集の中心的テーマに迫ろうという試みを↓でやってます。また長くなってますが、おヒマな方は宜しくおつきあい下さいませ。

で、長いこと更新も出来ずお待たせしてしまったお詫びというか今回の付録と致しまして、サービスで先生の写真集を1ページ公開したいと思います。13枚中3枚は既にどこかでお見せしたものですけど、これもそのうちどんどん増えてゆくと思うのでお楽しみに。こちらでそれぞれのお写真をクリックして頂くと大きいバージョンで覧になれます。ファンかそうでないかは別として、是非ひとつ。(※写真集全体は作りかけなんで、大きいバージョンの写真ページ内で INDEX等へのリンクはまだ生きてません。クリックしても「ページがありません」と出ちゃうので、戻りたい時はブラウザの「戻る」ボタンを使って下さい。)

 

2004.2.17.-3.9.

★Mamouna のタネあかし★

"The Song is about the struggle of good against evil. That eternal conflict.(悪に対する善の闘争についての歌なんだよ。それは終わりのないせめぎ合いだね。)"

― Record Mirror 1986 Mar 29

これは"Is your love strong enough?"というシングルについてフェリーさんが言ってたことなんですけど、同じことが当然既にご説明した"Still Falls The Rain" や "Both Ends Burning"にも言えるんですよね。つまり彼の作品の中には、私の言い方で言えば「よいこ」と「わるいこ」の闘争に関する歌があちこちで出て来ていて、この"Is your love strong enough?"もその中の一曲にすぎないということです。突き詰めて言えば、このテーマも彼の長年に渡るオブセッションのひとつだと言えるでしょう。なにしろ各アルバムの中にそういうテーマの曲を取り入れるだけでは飽きたらず、ついに例の"Mamouna"、このアルバムは私の見る限り10曲中8曲までが、このテーマと関わりのある内容の曲だったんですから。しかもブックレットに使われたアートワークまでそれを表現しているということは、それがこの作品の中心的テーマに据えられていたと言っても過言ではないと思います。でもこの作品の中の歌詞、これがまた前出のマーク・エドワーズ氏に言わせると「殆ど俳句のよう」な短い言葉の羅列で出来上がっていて、結果としてこの作品だけ見てもそのへんの精緻な裏の構造はまず分からないように仕上がってます。

ところでタイトルである"Mamouna"、これは中東の言葉で、英語圏では異国風の響きがある女の子の名前として用いられているものだったそうなんですけど、もともとの大体のイミは「Good Luck」、これが実はたいっへん、このテーマとも大きな関わりがあるんです。その元イミを知った時に、先生がこの作品を"Horoscope"から"Mamouna"に変更した気持ち、それはもお私、よくよく納得出来ます。何故なら彼にとって"Mamouna"は正に"Good Luck"そのものなんですから。

そもそもこのタイトル曲を作った時、フェリーさんは"Mamouna"というコトバの元のイミを知らなかったらしいのよね。彼としては、あくまで「女の子の名前」という認識しかなくて、そのつもりでこの歌詞を書いたらしいです。それが後で調べてみると偶然「幸運」というイミだったってのは、神がかりですらあるなと私なんかは深く頷いてしまったりするんですが、あるんですよ、たまにこういうこと。小説とか漫画とか、作者本人はまるっきり意識もしてなくて偶然その名前を使ってたら、それが作品全体の中で重要な意味とか詩的象徴性を持つ名詞だったなんてことが。もっともそういうことが起こるのは、インスピレーションから作品を生み出すようなごくごく少数の天賦の才のあるヒトに限られますけどね。ともあれ、この中心的テーマとタイトル、そしてあのジャケットに使われていた馬の絵は、全てきっちり相互に関連のあるものなんだと少なくとも私は思ってます。でも今の時点では"Mamounaちゃん"そのものに言及するのはすっごいヤバい領域まで足を踏み入れることになるので、ここは「よいこ」「わるいこ」に関連したテーマのお話だけをしようと思います。ただ、この作品もそれを包含した更に大きい全容を持っているわけで、このテーマだけ把握してもなかなかその全貌を見ることは出来ないのが先生の作品の意地の悪いところ。もっともそんなにカンタンに見破られちゃったりしたら、彼としてもやっぱり...。ってコトなんで、私としてもそこまでバラすのは宜しくないかと。

さて、"Still Falls The Rain"では、一曲の中に「よいこ」「わるいこ」が両方交互に歌いこまれていたわけですが、"Mamouna"では曲ごとに「よいこの言い分」、「わるいこの言い分」、それが別々に歌われて対になっているものがあります。つまりある曲はジキル博士からハイド氏へ、ある曲はハイド氏からジキル博士へって感じで、アルバム全体で文字通り"Both Ends Burning"、つまり大論争やってるわけ。それが最も顕著なのが"N.Y.C"と"Mamouna"なんですけど、まず歌詞をざっと見てみて下さい。

 

N.Y.C

hey there mister

let me tell ya

i got something here

gonna blow you mind

the way that it is

there's no turning back

they can burn it out of your blood

never out of your mind

 

no way out of this place

my neighbourhood

house and garden topiary

just like hollywood

on the mainline to harlem

you want to live

desdemona waiting for ya

something's gotta give

 

Mamouna

So you say

you're living just for fun

isn't it enough?

so you say

you wait o will it come

isn't it enough?

you a prisoner of loving

you're chained and bound

i could never be the one 

in moonlight and the sun

 

o mamouna momouna run

 

you and me

we're just like night and day

the here and now

the ghost of yesterday

hack and tear

we're prisoner of loving

we're chained and bound

there's a road i've got to take

a thread you got to break

 

o mamouna momouna run

 

***********

この二つの歌詞を比べて文体が正反対の性質を持ってることに気づかれた方は、いくらかでも実用的な語学力があるヒトではないかと思います。"N.Y.C"の方はどちらかと言えば乱暴というかヤクザなもの言いで、逆に"Mamouna"の方は丁寧で紳士的なもの言い。例えば"N.Y.C"の冒頭を日本語にすると「ちょいと旦那、言わせてよ」って感じ? 逆に"Mamouna"は「それでは、きみはこう言うんだね?」みたいな? 前者がハイド氏的だとしたら、後者はジギル博士的なもの言いだと思いませんか? つまり"N.Y.C"は「わるいこ」から「よいこ」へ、"Mamouna"は「よいこ」から「わるいこ」へ向けた言い分になってるわけです。だから先生の歌い方も前者ではちょっとからかい半分の陽性を含んだヴォーカルや曲想になってて、後者はどっぷり暗いクソまじめで陰性を表現した歌い方や曲想になってるわけ。うーん、芸が細かいねえ。

そこで双方の言い分を別々に見てゆきますと...

N.Y.C.

hey there mister

let me tell ya

i got something here

gonna blow you mind

the way that it is

there's no turning back

they can burn it out of your blood

never out of your mind

 

no way out of this place

my neighbourhood

house and garden topiary

just like hollywood

on the mainline to harlem

you want to live

desdemona waiting for ya

something's gotta give

 

ねえ、ちょいと旦那

言わせてよ

オレがここに持ってるもの

あんたの心を吹き飛ばすようなヤツさ

引き返すことは出来ない

それがこの道

それはあんたから奪うものがあるだろうけど

決して追い出せやしない

 

ここからは出られないよ

オレのいる所

我が家と庭のトピアリー

まるでハリウッドのよう

ハーレムに堕ちても

生きていたいんだろう?

デズモーナが待ってるよ

なんとかしなくちゃね

 

 

MAMOUNA

So you say

you're living just for fun

isn't it enough?

so you say

you wait o will it come

isn't it enough?

you a prisoner of loving

you're chained and bound

i could never be the one 

in moonlight and the sun

 

o mamouna momouna run

 

you and me

we're just like night and day

the here and now

the ghost of yesterday

hack and tear

we're prisoner of loving

we're chained and bound

there's a road i've got to take

a thread you got to break

 

o mamouna momouna run

 

では、きみはこう言うんだね

楽しく生きたいだけだと

それでいいんだろうか

では、きみはこう言うんだね

ただ成り行きにまかせると

それでいいんだろうか

きみは愛に囚われている

繋がれ、縛られている

ぼくは二度と一つにはなれるまい

月夜にも太陽の下でも

 

 

 

きみとぼく

まるで夜と昼のようだ

今ここにあるのは

あの過去の亡霊

引き裂かれて

ぼくらは愛に囚われている

繋がれ、縛られている

ぼくには行かなければならない道があり

きみには断ち切らねばならない糸がある

 

 

すいませんね、ロマンチックな恋愛の歌じゃなくて。その認識で翻訳を書こうなんて無謀なコトさえしようとしなければ、別にそう思いたいヒトは思っててもらってもちろんいいです。でも夢こわして申し訳ないんですけど、ホントは引き裂かれた自我を嘆く作者の苦悩の歌なんですねえ...、これは。だからゆーのよ、あのオジさんはああいうパブリック・イメージだけど中身コレだから困るって。

分かりやすいように出来るだけ原作に忠実な直訳をしてみましたが、双方が相聞歌的なものになってることと、何が言いたいのか、つまりそれぞれのテーマが分かっていれば、日本語なんてどうにでもなります。でもそれ分かってないとどんなに日本語がそれらしく出来てても作品の本質からは掛け離れてしまって、結果として「まるっきり原作と内容の違う日本語」になっちゃいますよ。

さて、では双方何が言いたいのか。まずN.Y.Cの方ですが、ぷーたろーの「わるいこ」はマジメな「よいこ」がぶっ飛ぶようなモノを何か持ってる、だからちょっと話を聞きなさいよってすり寄ってってるんですね。で、それは相手の心(blood=「気質、気性、精神状態」)から何かをburn out(「奪う」、若しくは「追い出す」)モノなわけです。ココで「わるいこ」が具体的に何を持ってるのか、それはthey can burn it out of your bloodの「they」に当たるモノで、相手の心の中から何かを追い出して代りに居座っちゃうよーな何事かなわけ。逆に「it」は追い出されるモノの方で、もちろんこちらにも具体的な対象があります。こういう歌詞の場合、代名詞の指す対象を具体的に特定することがまず一番にやらなきゃいけないことだと前にも書きましたが、元々その対象そのものが知識にないような場合どーやってもまずこの歌詞が何なのか理解することは不可能でしょう。だってそれなくしてはそもそもこれが哲学的テーマを含んだ歌詞であるとさえ思いつきもしないでしょうし、結果として「自我の分裂」なんて上等な認識が生まれてくるワケありませんから。だーかーら、社会的問題意識もないふつーのヒトにこんなもんの翻訳やらせんなっつーの。

で、まずこの特定を先に済ませると「it」は当然マジメな「よいこ」がこれまで大事にして来た何かですよね。つまり人間としての美徳とか献身的な生き方とか、要するにthe right stuffってことです。でも「わるいこ」の持ってる「they」の方は「よいこ」の中からそういう大切にしてたものを追い出してしまう。つまりthe right stuffに代る諸々の究極哲学そのもの。だからこそ一度それに馴染んだらもうそれを追い出すことは出来なくなるよって「わるいこ」は誘惑してるのね。

そして第2節、no way out of this place(ここからは出て行けない)というのはどこから出てゆけないかと言うとmy neighbourhood(=場所、土地、地域)、つまり「わるいこ」の領域ってことで、「わるいこ」にとってはハリウッドのような居心地のいい場所なんだけど、でもそれは同時に「よいこ」にとって道徳的堕落とイコールされる場所なわけ。だからon the mainline to harlem、これは、the right stuffを担いだそれまでの「よいこ」の生き方=mainline(主幹線)、要するに誰からも尊敬されて後ろ指さされるコトのない、人間にとって王道的生き方、そこから逸脱して道徳的に堕落しちゃったらharlemに堕っこちるってコトで、「わるいこ」がのうのうとノサばるようになったこの歌詞の作者の心の中は、かつてはmainlineに乗っかってたのに今や既にharlem、つまりすさみまくってスラム状態になっちゃってるのね。でもそうなってもまだあがいてるから「you want to live(それでも生きたい)」、それに対して「わるいこ」は、このまま行ったらデズモーナに行き着いちゃうよ、だからなんとかしなさいね、って嘲笑ってるわけ。デズモーナ(デズデモーナ)ってのはシェークスピアのオセロに出て来るオセロの若い奥さんなんだそうですけど、嫉妬に狂ったオセロに殺されちゃうとかで、破滅というか終末というか、まあ待たれて嬉しい存在ではありませんわね。そんなところに行き着かないためにはsomething's gotta give(なんとかしなくちゃね)。

確かに、mainlineには「静脈」ってイミもありますけど、「静脈からハーレムへ」ってそれいったいどーゆー前後関係から出てくるのかいっぺん聞いてみたいわ、私。それでこの歌詞の起承転結どうやってつけるよ? 古い話だしまあ今更どうでもいいけどさ。あとタイトルのN.Y.C、これは当然New York City のことで、でもなんでこの内容でN.Y.Cなのか。これはまだ私もハッキリとは分かってないんで言明は避けます。ただアメリカの地名には別称のあるものが多くて、N.Y.C.にも実はいろいろと他の名前があるんですよ。だからそのうちのどれかと置き換えたらイミが通るんじゃないか、とは考えてるんですけど。

<要約>:ということでそのへん総合してN.Y.Cを要約すれば、これまでも書いて来たようにこの歌詞の作者がそれまで人間としての王道(mainline)を行く生き方を追求して来たにも関わらず、その正当性に疑問を抱いた時に"More than this"に表現されたような究極哲学に行き着いてしまい、それまでと同じ上べだけの理想追求に甘んじていられなくなってしまった。それは道徳的堕落をイミすることでもあったけれども、そちらの方がよほど真理にかなった生き方であるために二度と手放せなくなり自我の分裂を引起こして現在に至る。しかしそれでもネがマジメなので完全「わるいこ」化は果たせず、「こっちの水はあーまいよ」と誘惑する「わるいこ」に未だに抵抗してあがいている「よいこ」に、このまんまじゃ破滅だからなんとかしなさいよ、と「わるいこ」はからかい半分で嘲笑っている、とまあそんな歌です。それに対してその「わるいこ」を追い出せない「よいこ」の嘆きと苦悩が、次に解説する"Mamouna"で歌われているんですね。

こちらはまず第1節で「楽しきゃいい、なるようになるさ」とゆー、ゆきあたりばったりでいーじゃーんって「わるいこ」の生き方に対してしょっぱなから「よいこ」がクソまじめに「そんなんでいいのか」と抗議してるわけです。そういう「わるいこ」の生き方そのものが自然発生してくる感情である「愛」に囚われた生き方であるからこそyou a prisoner of loving、you're chained and boundだと言ってるんですよね。 それは言い換えれぱ"Slave to love"だってことですか。でも、そういう「わるいこ」を内側に抱え込んでしまったこの歌詞の作者はそれ故i could never be the one(単一のものにはなれない)、このoneは結構悩むとこなんですけど、「よいこ」と「わるいこ」に分裂してしまっている現在の状態から言って、私はそれが「ひとつにまとまることはあるまい」と解釈しました。他に「わるいこ」が望むような者にはなれないとか、one には超越者、変わり者、礼賛者など様々なイミがあるのでそれを当てはめるとかも出来ると思いますが、結局どれを取るとしても突き詰めれば、どうやってももう一方の自分と融合する、もしくは同調することが出来ないということに落ち着くと思います。

だからこそ第2節の冒頭で you and me、we're just like night and day、これは自分の中の相反する二面性がyou and meなんですから、当然昼と夜ほど正反対だってことですよね。まあ、だから決して相容れないってことで、次はthe here and now(=現在、今この時、現時点)、the ghost of yesterday、これは今ここにあるのはただ過去の亡霊ばかり、つまりまだ「わるいこ」が入り込んで来る前に見た過去の夢は今や亡霊と化しているってことです。過去の夢ってのは言ってみれば「正義が導く理想的な世界」みたいなものでしょうか。それが彼の昔の夢、つまり昔の「ヨーロッパへの終わった恋("A Song For Europe")」だから。そしてhack and tear、we're prisoner of loving、we're chained and bound、このhack and tearは文字通り引き裂かれている状態を表現する言葉で、第1節ではyou're prisoner of lovingだったのが今度はwe〜に変わってます。youは自分から自分への呼びかけなんですから、当然weでも自分のことで結局は= I ですよね。だから"Slave to love"だって言ってるでしょ? 当然"Slave to love"はこの歌詞の作者自身のことで、それが「よいこ」と「わるいこ」に分裂してるからhack and tear。そうでありながら、どちらも「愛」に囚われているので we're prisoner of loving=I'm a prisoner of loving = I'm  a slave to love。

しかしそれでもこの道をゆかなきゃいけない、「わるいこ」の言う通りもう後戻り出来ないってコトが分かってるから there's a road i've got to take、そしてa thread you got to break、ここでも当然 I も youも自分のことですから、自分に対して繋がれている糸を断ち切って進まなければならない道があるのだ、と言い聞かせてるわけです。その進まなきゃならない道ってのは当然「わるいこ」がそそのかしてる方の、でも実は険しい道のこと。このへん複雑なんですけど、重要なのは引き裂かれていながら既に作者は「わるいこ」の方が正しいということをよく知ってるってことです。それに実はthe right stuff=Queen of the Nileが支配するこの世界で、そういう「思うままに生きる」っていうのは楽そうに見えて一番困難なコトでもあり、でもそっちの方がホントは真理に至る唯一の道(唯我独尊)なんで、それを知ってる作者としては譲れないから戦うしかない。そしてそれが彼の「取らなければならない進路」なのよね。アーティストとして彼がやってることは現実にまさにその通りのコトで、そのあたりが一般的なよくある善悪の図式では理解しきれない心理なために、よけい先生の作品って真意を測れなくなっちゃうんだな。ともかくこのテの歌詞ではyou も I も結局は作者自身のことなんで、他の作品から見える作者の心理状態全体から内容を把握してゆく必要ってありますよね。

<要約>:こちらもそのへん踏まえて要約すると、「愛」という内的な感情に忠実に繋がれている作者の一面は「楽しければいいじゃないか、なるようになるよ、思うままに生きようじゃないか」と楽に生きる方を選ぼうとするんだけど、もう一方の自分はそれに否定的でそれでいいんだろうかと疑問を投げかけている。どうやってもこの分裂した自我はひとつにまとまりそうにはない。まるで昼と夜のように融合できず、バラバラになってしまっている彼のもとには今や昔の夢の亡霊だけしか残っていない。どちらに転んでも、結局はそのどちらの側面も彼自身のものであり、「愛」に繋がれているのは自分自身に他ならない。こんな状態でも取らなければならない進路があり、それは同時に繋がれている糸を断ち切ることでもあるのだ。

これにコーラス部分を付け加えるとすれば「だからどうかマムーナ、ぼくに幸運をもたらしておくれ」ってとこですかね。ちなみにこのo mamouna ってとこの表記、o だけっていうのは文語的というか昔から英語詩で用いられる表記です。それにシェークスピアの原版を読まれたことのある方なら気づかれるかもしれませんが、よくよく見てるとこの"Mamouna"というアルバムの歌詞には、そのスタイルに非常に近いものとかあって、私は先生そういう文語的なスタイルにこだわってたのかなと思ったりもします。

以上のように、この2曲の中にも引き裂かれた自我の二面性が表現されているわけですが、このアルバム"Mamouna"の他の曲も、そのへん踏まえて読んでゆくとイミが通りやすいものが多いと思います。そうやって読んでくと見えてくるのは、↑でも書きましたけど「わるいこ」の誘惑に耳を傾けまいとしながら("Don't want to know")、自分の底の底では既にそちらの方が理にかなっていると知っているし確信してもいるって作者の複雑な心理ですねえ...。でなきゃ"Avalon"は出て来ないし"Cruel"なんて曲も出て来るわけないもん。前からよく言ってますけど、それが先生の一番すごいとこなんですけどね。それでもやはり自分を取巻く空気、地面、それを通してどこからも世界が上げてる悲鳴が聞こえて来る("This island earth")ってヒトですから、結局それを断ち切ってしまえないので、結果として「よいこ」を断ち切ってしまうことも出来ない。かあいそーに、だから「たすけてー」ってことになっちゃうんですけど、すがられても困るよ、私なんか完全「わるいこ」なのに。誰か助けてやって!!

それとついでにアートワークの解説もしておきましょうか。このブックレットには似たようなコスチュームの二人の女性が使われていて、彼女たちが対になっていたり、フェリーさんの両側にいたりするんですよね。前にも書いたかもしれませんが、西洋の考え方では一人の人間の両側には一人ずつ天使がいて、片方は人を善に導き片方は悪に導くのだそうで、このイメージを作品の中心的テーマである彼の内的な二面性の分裂と重ね合わせて、こういったアートワークが生まれたんだろうなと私は思ってます。ジャケットの馬の絵の方はまた全く別の話で、それを説明するには"Mamouna"とは何か? から説明しなきゃならなくなるんで、これはまだバラせないんだな。まあ、そのうちにってコトで、後の楽しみにしておいて下さい。

 

 

2004.2.8.

★ちょっと見せちゃお★

2月になったのでトップのお写真を変えました。コレはRoxy の "Manifesto" の頃のライヴCDに使われてた写真ですけど、すっこ゜い全体の色のコントラストが決まってるステージでしょ? この"Manifesto"の頃って、フェリーさん、鮮やかな色のレザーのスーツをステージでよく着てるんですけど、これはピンクよね。他にも黄緑とかイエローとか、めちゃハデな色使いなんだけど、ステージに乗せるとこのよーに色の効果がキレイに出てるわけ。考えてるねえ、そのへん。

さて、写真集はどんどん点数を増やしてまして、こうして並べてくとホントいろーんな雰囲気の写真があるなあって思っちゃって、フェリーさんって改めてバケるのがうまいってのに気づかされます。それもわざとらしくバケてるってのじゃなくて、さりげに雰囲気変えてるだけなのに並べると全然違うヒトみたいに見えたりするってゆー。ふと思ったんですけど、20才前後の頃ってああだったじゃないですか。だけど70年代のRoxy の写真にはけっこうトシとって見えるようなのとかもあるのね。それで当時、メイクとかでわざとそう見えるようにしてたのかなと思ったりもする。で、逆に最近の写真で、すっごい若く見えるのとかもあったりして、そういうの見てると好きなよーに外見変えられるんだってのがよく分かりますよ。それってもー、殆ど俳優の素質かも。髪の色も昔からよく染めてて、どれがホントか分かんない〜、ってくらい色々だったりするんだ(確か、もともとは黒髪)。でもー、そーゆー若く見える写真とかもいいけど、日常の地が出てるってゆーか、トシ相応に見えて「気難しい芸術家」ってとこがそのまま出てる写真なんかが、まためちゃステキなのよね〜♪ 私は大スターしてる時よか、そっちのが好きかも〜。

で、そういうのともちょっと違うんですけど、わりとアーティな雰囲気の写真を3枚集めてみました。確か、1999年、2002年のツアー・パンフからスキャンしたやつだと思うので、持ってらしたら見たことある写真かもしれませんけど。

         

 

クリックすると、大きいバージョンでご覧になれます。うー、なんか先生だよねえ、これも。長い手足をもてあましてるって感じがいー♪ まあそもそもスタイルめちゃいーヒトだからサマになるのは当然だけどね。それにどれもなんか絵みたいに画面の効果考えて撮ってある写真だよ、これ全部。そうそう、そう言えばステージでもさ、ライティングで雰囲気変えるってのもやってたりする。けっこう光のあたり方でヒトの顔って全然違って見えるものなんだけど、"New Town"のヴィデオで"Dream Home"歌ってる時、ステージ真っ暗にしちゃってライティングで表情出してるの。で、ああいう暗い曲じゃないですか。その効果がまたハマってたりするんだわ。持ってたら改めて見てみて下さい。やっぱそーゆー視覚的なとこも、きっちり考えてあるんだよなあ、先生のステージって。

ところで↓でお話してる珍しい写真とかのクリップに続いて、1983年にイタリアで出版されたRoxy の写真集が手に入りそうなんです。168ページもあるってゆーから、また見たことない写真とかいっぱいあるかなって期待してるところ。実際、Roxy 関係の写真って、先生のも含めて視覚的によく出来てるものが多くて、写真集としても見ごたえあるんですよね。うーん、やっぱりフェリーさんが美術畑の出身っての強いよなあ。彼のアイデアもあるんだろうけど、大学時代の人脈とかもしっかりあるみたいだし。音楽だけじゃないよねえ、やっぱりRoxy Musicって。

 

 

2004.2.2.

★なんてキワどい...★

eBayでRoxy関係の写真とか記事とか40点以上集めたものが出品されてて、もおこれは絶対欲しい!! というような内容のものだったんです。なにしろアイテム紹介に出てる一部の写真だけでも、これまでどこでも見たことがないようなのが目白押しだったし、これが手に入ったら写真集とかもぐっとレベルアップしそう〜♪ という感じでした。で、もうこれは絶対にっ、落札してやる、と£130という予算を立てて、ギリギリ一発勝負の入札をするつもりでいたんです。前に逃したのが£55だったし、今回もよくRoxy関係のアイテムを落札してる方が既に入札してらしたので、最低£50くらいまでは入ってるかもと見当つけてたのよね。いくらなんでも£100までは入れてないだろうし、終了までの数秒で反撃されたとしても£130入れとけば自動入札で勝てるはず...。でも私だってむざむざそんな高い金額に上げられたくはないから、終了数秒前で乱入するつもりだったわけです。以前、終了1秒前ってのがうまくハマってたし、そのへんのタイミング計算も慣れてきてたからかなり自信はありました。失敗するとすれば通信障害起きた場合だけだろうと思ってたし。まあ皆さんからすれば、雑誌の切り抜きとかそんなものに£130(約25,000円)なんて金額、とんでもない狂気のサタと思われるかもしれませんけど、例えば一冊ずつ雑誌とか落札してくと、ひとつで送料とかひっくるめて1500円〜2500円くらいかかってしまうんです。それを一気に40点以上、それも珍しい写真がいっぱいってコトは私としてはその金額でもかなりお買得。特に今、こんなページ作ってるしね。やっぱりいろいろネタは欲しいじゃないですか。

丁度PayPalの支払リミットが来つつあって、1月に拡張手続きのための暗証番号は申請してたんですけど、この番号ってクレジットに請求が来る時に一緒に入ることになってるのよね。それで、もしかしたらこのオークションの終了までには手続き出来ないかもしれなかったから、もうひとつ口座まで作って万全の体制で待ってました。そして当日...。

さあ入札しましょう、と思ってネットにつなごうとすると、なんかめちゃ通信状態が悪い。朝の5時半ですよ。いつもならスイスイ動くのに、これは危ないかなあ...、とドキドキしつつタイミング計って、終了10秒前と思しきところで入札ボタンを押しました。でも画面が動かない。え、ダメ? えーっっっっ!!! と思ってふと見たら、マウスの接触が悪かったか何かして Submit ボタンがまだ押されてないまま。あわてて押しなおしたら通って、どうなるかな、どうなるかな、終わっちゃってたかな、と祈るような気持ちで待つこと数秒。画面変わった時はきゃー、きゃー、きゃー、やったわ〜♪、と思わず叫んでしまいました。そおです、私が Submit したのはおそらく終了前1秒を切ったところ、コンマ数秒ってとこで入ったみたいで、画面が変わった時には既に私の勝利が決定しておりました。ふふふふふ、やっぱり日ごろの行いがいいから...(ホントか?)

しっかっもっ(るんるんるん)、あれだけ入れ込んだわりにはそんなに金額上がってなくて、私が入札する前でも£26くらい。あれタイミングまちがってたらきっと反撃されてもっと上がってたと思うけど、ものすごいきわどいとこで入札入ったから、誰も反撃できなかったらしい(あたりまえだな...)。その結果、£28.03とゆー、私としてはうっそ〜、ほんとお??? みたいな安値で落札してしまったのでありました。嬉しい...、この余った分はYahoo! で、その日落札した洋服2点分のお支払をしておつりがくる...。で、結局日本円にして書留郵便料金こみの6,705円、PayPalのリミット上げなくても支払えたくらいの金額だったの。やっぱりオークションって水モノよねえ。最後までどうなるか分かんないとこが面白い。

ところでこれは南アフリカからの出品だったんで、着くのに2〜3週間かかるってことですけど、無事到着したらまたぼちぼちお見せしてゆきますね。もう1200件近く取引きしてる業者さんっぽい出品者だし、書留にしてもらったからまず問題ないと思うけど、南アってのはさすがに初めての取引きだわ...。

 

 

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