ANNEX : 洋楽ファンのひとりごと 2003/8月

 

 

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スクリッティの歌詞研究はこちら...

 

歌詞については、私もかなり信を持って言えることだけしか書かないつもりですけど、

ただ、ココで書いてることは、あくまで私個人の歌詞解釈にもとづいてますので、

絶対それが正しいとは言い切れません。

その点どうぞあらかじめ、おふくみ下さいませ。

 

 

 

 

      

2003.8.31.

★あーあ、とうとうかあ...★

たーまには、ゴシップもいいんじゃないかと思うんで書くけど、いいよね? いいよね?

えっとね、実はフェリーさん、この3月頃から離婚協議で大変だったらしいですよ。もうそろそろ正式に離婚成立してるんじゃないかって話ですけど、昨年の8月頃から別居だかしてて、奥さんがとうとうゴシップ・コラムニストにそれバラしちゃって、おおさわぎだったらしい。誰が悪いって、やっぱりフェリーさんが悪いのよ。奥さんと4人も子供のある身で21の女のコとつきあっちゃったりしたら、そりゃ奥さん怒るわ...。どうせ、そんな話、これまでにひとつやふたつじゃないんだろうし。でも、どっちかっていうと離婚したがってるのは奥さんの方みたいだったって。こういうのに加えて、とにかく仕事が何より大事って性格、従って息子さんたちも奥さん一人で育てたみたいなものだって話だからね。もう、ホントがまんできなかったんじやないかな、今度という今度は。

うーん、まあねえ、いっか、ここは身内しか来ないとこだから言っちゃうけど、怖いのはね、フェリーさんの歌詞読んでると女の好みまで分かってしまうとゆーコトなんだよ。57で21でしょ。そうなんだよ、彼ってそういうヒトなんだよ。知ってたよ、私それ"Manifesto"聴いた時から。30の時に18のジェリー・ホールとつきあってて、ルーシーさんと結婚した時36だかだったけど、彼女は22だったし。言っちゃなんだと思ってたから黙ってたけど、もー、ほんとーに仕方のないオジさんだよ、全く。ほっといたら、どこまでも同じこと繰り返すぞ。歌詞読んでりゃ分かる、それくらい。そもそも、そういうのにだって、きっちり原因あるんだから。条件ってのはトシだけじゃない、ってゆーか、どっちかってばそれは結果としてそうなるというだけのことで、彼の名誉のために付け加えておくと、若きゃいいというもんでもないの。

でね、さもあるだろうとは思ってたけど、奥さんいわく、「彼にとって何よりも一番大事なのは音楽なのよ。でも私はそれには嫉妬しないけれど」。で、本人いわく、3年前、乗ってた飛行機がハイ・ジャックされて、10000メートル急落して墜落しかかった時、とっさに思ったのは家族のことじゃなくて「まだ出来てないアルバムがあるんだってことだった」ってさ。で、その時の経験から、時間というのはいつまでもあるもんじゃない、と思ったらしくて、それがかなりROXYの再編に動く原動力になったみたいね。まあ、彼ってミューズだか神々だかにコトのほか寵愛されてるヒトだから、そうそうそんなコトで命落とすこたないだろうけど、深く思うところがあったんだろうなあ、それで...。

プライヴェートは極力オフ・リミットに置くヒトらしいから、何もかも表沙汰にはなって来なかったろうけど、ともかく作品を作るってことにかけて、彼の執着心はすさまじものらしいよね。一時はそのためにニューヨークに持ってるアパート手放さなきゃならなかったりとかもしたっていうもん。私なんかは、このへんの話聞いて、やっぱりなあ、と納得したよ。もー、ほんっとおに、芸術家。けど、彼の作品への思い入れっていうのは、単に「音楽」だけのことですらないんだけどね、実際は。でも、奥さんのことはそこそこ本当に大事にしてるんだろうと思ってたけどなあ...。やっぱり、そうなるか。彼女でもダメだったか。もういい加減、全部あきらめて落ち着けばいいのにと思ってたけど(子供4人だし)、挙句のハテにこれではなあ...。私は奥さんの方が、すっごくエラいと思っちゃうよ、あれで20年もったのは。まあ、少なくとも単なる「いい人」なんてのは、やっぱり、よいこのフェリーさんがパブリック向けに作ってるイメージにすぎないってコトよね。私は、彼のそういう「わるいこ」な実像の方が、すっごい好きなんだけど、芸術家気質なんてものは、時としてまっとうな女性にはハタめーわくなだけだからね。

ところでちょっと話は変わりますけど、ジェリー・ホールの話、あれもそもそもは彼女の方は結婚したがってたのに、婚約したはいいけど彼の方がハッキリしなくて、結果としてああゆうことになったらしいよ。フェリーさんの言い方も毎度のことで誤解招くような言い方だから仕方なかったかもしれないけど、とことん好きで思いつめてた女相手なら、去られたらそれが作品に出ないとも限らない。でも結婚するかどうかについては当時まだ迷ってたみたいな感じだし、けっこう冷静に彼女のこと見てたみたいだし、それで去られたからって、そこまで嘆かないでしょう。結局、それもこれもJust one of those things でしかないんだよな、彼にとっては。

なんかねえ、私、外側から彼を見るにつけ、その言動と内面性との呼応がすっごくハッキリ分かって来ちゃって、あきれるというか、笑っちゃうというか。いや笑っちゃいけないんだ、本人、全存在かけてやって来てることなんだから。ホント作品にだけは、真っ正直に自分を表現してるんだもの。でも、ともかくやっぱり彼の作品、とんでもないもんだったなと今や確信しつつある。 ふつー世間に提出される単なる作品としての「音楽」からは、完全に逸脱している。実際、私も自分で分析してて、こうしか考えられないけど、それはあまりにクレイジー、っていうのがあったから、どうなんだろうなと思わないでもなかったけど、やっぱりそうだったのか。うーん、私も笑ってられないよなあ、これはもう。

      

2003.8.26.-8.27.

★これは根が深そう...★

例のジェリー・ホールがどうとかいう話、彼の失恋の歌と結びつけて考えてるのは、どうやら、おひざもとのイギリスでもおんなじらしーい!! もう、大笑いしちゃったよ、私。そうか、きっとそんなようなコトを自分で言ったんだな、先生自身が。「ガールフレンドへの拒絶と離別の歌だった」とか何とか。どうせ誤解されるのも分かってて言ったに決まってる。まあ、いいや、そのうち真実が明るみに出る日も来るだろう。たださ、「自分を見つめ直して、その時の状態を表す、それがアーティストの仕事というものだからね」とか「自分の感情を表現する努力をしてゆくしかない」なんて言ってるヒトが、結婚してまで、おんなじよーな失恋の歌うたってたりしたら!! もうとっくに離婚問題に発展してるぞ!! "Just one look" とか、"Answer me"とか、奥さん相手に今更 "Just one look"もないもんだ。それはカヴァーじゃないか、とおっしゃるなら、"Bete Noire"や"San Simeon"はどーする!!立派なオリジナルだぞ!! (自分で書いてて驚くが、実際、彼の歌ってそんなんばっかりじゃないか〜。)

ともかくホントにそういうヒトなら、いや、確かに内面性を歌にはしてるんだけど、そういう類の私生活を作品に反映するヒトなら、もっと今ごろ明るい音楽作ってるのがふつーだって。子供が生まれたら、その名前つけて曲作ったりとか。それに"Siren"のジャケットに使ったってことは、当時まだ別れるなんて想像もしてなかったはずだし、でもそれより前の"Stranded"で"A Song for Europe"なんて壮大な離別の歌を既に歌ってんだよ、あのヒトは。もちろん、その類の曲って当然それ1曲じゃなくてデヴュー当初から今日に至るまで、イヤというほど作ってもいるし、カヴァーしてもいるでしょ?

まあそもそも、"More than this"が凡人に理解出来る境地じゃないんだし、もしそーカンタンに理解してもらえるようなもんなら、フェリーさんあんなに淋しがってないよな。ともかくプライヴェートがある程度、制作に向かう姿勢に影響はしても、まずそれをそのまま歌ってんじゃないってことは確かなのよね。

実際、本当にこれら全ての作品は彼の内面性を物語ってるとしか私だって思ってないし、そういうのがアーティストの仕事だって自分でも言ってんだから困る。ただ問題は、それがどういう内面性なのかってコトなのよ。私の見るところ彼の作品において、4本中3本までの柱になるテーマ性は、決してヨーロッパ文学史において珍しいものでも奇異なものでもない。つまり彼自身も言ってた「英文学、ヨーロッパ文学の伝統」を継承しているとも言えるわけ。で、Western Moral Philosophyというバケものをバックボーンに持ってるヨーロッパ社会では、ずっと昔からこのテーマは芸術史において出つづけてるんだけど、ロックやポップスっていう世界が、そもそもそういうのと結びつきにくいことにも、理解しづらい原因はあるわね。

うーん、それにしても本当に面白い。スーパースターの光と影とゆーか、これまで私って、歌詞から先生の内面性を眺めて楽しんでいたからなあ...。彼が外側からどう見られて来たのか知るにつけ、私はもーおかしくって、おかしくって。なんか小説になりそーよ、これ。スターの虚像に勝手なイメージ重ねた小説なんて掃いて捨てるほどあると思うけど、これはまったく実話だもんな...。何よりすごいのは、そういう内面性が隠されてるんじゃなくて、これっほど、大っぴらに歌にされてんのに一般に殆ど疑われてさえいないってコトよね。歌われてることが歌われてることだけに、さもあろうとは思うけれども...。

付け加えると、ことほど左様にですね、こういう英語による詩作品っていうのは、ネイティヴの英国人でさえ、なかなか本当のとこは理解しえないくらい不可解な世界なんだってことです。しかも英語圏のヒトって、こういうわけの分かんない歌詞に慣れてるらしいから(なんかそんなんばっかなんだもん、あちらの歌詞ってば)、かえってあまり深く考えないってのもあるだろうな。グリーンの歌詞だって、みんなイミあると思ってなかったみたいなんだもの〜。フェリーさんに至っては、もともとそんな思想性がどーのこーので音楽やって来たヒトじゃないし、文学専攻のジャーナリストとかならともかく、一般には想像もつかないのかもしれない...。笑っちゃう〜♪

       

2003.8.21.-8.23.

★おもしろーい★

"MAMOUNA"、これホント面白お〜い。これ聴いて歩いてても、きゃははは、ってなっちゃって困るよ、私。ねえねえ、知ってる? 2曲めの"N.Y.C"とラストから2曲目の"GEMINI MOON"、イントロそっくり同じような音出てんの〜。で、フェリーさんのヴォーカルも、2曲とも近い〜!! もちろん、わざとだ〜!! それに、このアルバムの中でこの2曲だけが、一見暗いようでいて、実は陽性の曲想持ってるんだよね〜。いやー、芸が細かい、細かい。

実は1994年のワールド・ツアーの時のパンフレットがオークションに出ていたので落札したんですけど、この頃、私ものすごく忙しかった時でコンサートなんて行ってるヒマさえなかったし、だから手に入ってすっごいうれしーい!! 今、特に"MAMOUNA"にハマってるとこだし、いやー、タイムリーだなあ。写真もめちゃいー!!

ところで、このパンフレットって、フェリーさんがいろいろ自分の作品について語ってるお話がずーっと載ってるんだけど、いろいろ分かって面白いですよ。でね、日本では、ライナーで正々堂々と、これは例の製作が難航していたホロスコープとは全く別物、とか書かれてたんだけど、私はそれはヘン!! と思ってたのよね。で、フェリーさんの語るところによると、"MAMOUNA"が、やっぱりその「ホロスコープ」そのものなんだって〜。一旦すっごい煮詰まっちゃって、"TAXI"作ってる間離れてはいたけど、"TAXI"のリリース後、改めてこのレコーディングに戻って、いろいろ変えて、新しく曲も加えて、その中の一曲がタイトル曲の"MAMOUNA"だったらしいのね。で、アラブのお友達に、どういうイミなのって聞いてみたら「Good Luck」ってイミだよって教えて下さったんですって。結局、元のホロスコープとは、かなり変わっちゃってるんだし、その方がバッチリ作品に合うなってコトでタイトル変えたって言ってるよ、先生!! でもベースはホロスコープだったってコトね。

まあそれはともかく、いろいろ舞台裏とか、作品の背景とか分かってホント面白いよ、このパンフレット。やっぱり歌詞には苦労してるんだなあ...。音楽作る方が楽しいってのも分かるよ。↓でね、"Dream Home"の話した時に、アルチュール・ランボーにもこういうのはあるって書いたけど、フェリーさんの言うところによれば、なまじ大学なんか行っちゃうと、英文学、ヨーロッパ文学の伝統ってものがしっかりのしかかって来て、いざ自分が詩のひとつも書くってことになると、ものすごく自分に対して批判的になっちゃったりとかしちゃうって。そもそもなあ、日本人はなあ、そこそこの大学なら講義とかもやってんだろーけど(聞いとらんのだな、学生は)、この「英文学、ヨーロッパ文学の伝統」の何たるかを一般に理解しとらんからなあ...。だから彼の失恋の歌をプライヴェートと結びつけちゃったり平気でするんだな。先生も面と向かってそういう誤解されてるって分かっても、まさかいちいち否定して説明してやるわけにもいかんだろーし(どうせ一生かかっても分からんものを)、笑って受け流すしかないよね、そりゃ。毎度のことで、なれてるんだろーし。だから私はゆーのよ、「相手の知的レベルに合わせてやらなきゃならない以上、限界ってもんもあると思う」って!!

さてホロスコープの話も、歌詞の誤解の話もしたし、ここまで言ったらついでだな。もーひとつ言っちゃうぞ!! 「音楽至上主義」ですって? アンビエント・ポップですって? これが? この作品が? だーかーら、音しか聴いとらんってゆーのよね。英語もよー分からんのに、なんでこの国ではプロの評論家として通用するのか、もー、私はそれが不思議で不思議で...。

んじゃ何ですかい、先生のヴォーカルも含めて、アンビエントなんですかい? それじゃ、どっちのソロだか分かんないじゃないですかあ、もお、しっかりして下さいよお。いやいや、そこまで言うつもりじゃなかったんだろうな。うんうん、悪いのは先生だね。こんな歌詞書いて平気で歌ってる本人が一番悪いよね。分からない方が正常なんだよね。それに先生自身、アンビエント的に聴いてくれてもいーよ、って言ってんだし、かまわないけど、それでも...。だけど、ハマりこんで聴くって聴き方もあるとも言ってるよ。私なんかは、ついついフェリーさんのワナにはまって、そっちの聴き方しちゃうんだけど、つまりはちゃんと音以外もやってあるから、そういう "dual-purpose"的な聴き方も出来るってコトなんだよね。

とゆーコトで、他にもいろいろ言いたいことはあるから、"MAMOUNA"ネタは、これからもしばらくつづくんじゃないかな〜?! だって面白いんだもーん、これ!!

       

★フェリーさんのボキャブラリー★

日本でもよくいるけど、二字熟語とか四字熟語を使ってりゃ知的な文だと思い込んでる二流のモノ書き!! そういうのに限って内容ない上、誰が書いてもおんなじよーな、個性もクソもない文体しか持ってない!! (なーんか、今日は私、言い過ぎてるなあ。機嫌悪いのかなあ、そんなはずないんだけどな。単に本性かも〜。ああ、それに寝不足なんだな。)

英語でもさ、あんまり使わないよーな単語使ってなけなしの「知性」を強調しよーとしてる歌詞なんてものは、しょせんその類。まあ、そういう珍しい単語が日常語になってるグリーンとかが使うんなら別に、まんま額面通り受け取っても差し支えないけどね。あのヒトの場合は、どうやってふつーの人間らしく喋るかについて、すっごい努力してた一時期があるくらいだし、いちおー思想的には高い天分の持ち主だし、言われたら本人いやがりそうだけど、ホントにかしこいんだから仕方ない。

で、ひるがえってフェリーさんですよ。このヒトってばもー、たぶん彼の歌詞見て、ボキャが特に豊富と思うヒトないかもしんない。そんな珍しい単語使ってる歌詞もあんまないしね。ところがところが、このヒトほど英語よく知ってるヒトも少ないんじゃないかな、少なくともミュージシャンの中では。前にも書いたけど、歌詞はもう相当苦労してるって言ってるし、音楽をこわさず、なおかつ相応に文学的意図も満たしたレベルで歌おうってことになると、こういうコトになっちゃうんでしょーか? 

どういうことかと言うと、彼の場合 train とか、mirrorとか、redだの、speedだの、shoesだの、字面見てたら何も疑問持たないような平々凡々たる単語をっ!! いちいち疑ってかからなきゃ何言ってんだか真意が分かんない。始末悪いったらないですよ。まあそもそもは、これが音楽の流れや雰囲気をこわさず、意図を盛り込める最適の方法だから使ってるんだろうけど、私でさえ未だに、始め気付かず通り過ぎちゃって、後からくっそ〜、やられた!! って気がつくのあるもん。それでいて、細かく分析していくと、きっちり自然にイミの通る解答があるんだものな。いつもいつも彼のこの悪魔的頭脳には、ひたすら感動を覚えるのみです。単に音楽作ってりゃ満足なヒトなら、ここまでコトバで苦労はせんでしょう。

これに関してはStudy of the Lyricsの序章で書きましたけど、英単語のイミというのは日本語のように、ひとつの熟語にせいぜい2〜3個のイミなんていうカワイイもんじゃなく、ひとつの単語に10とか、20とか、時にはもっとある場合もありますけど、それくらい沢山のイミ持ってるものがものすごく多いんです。いや、殆どそうと言ったって過言じゃありません。熟語にしてもですね、例えば"go for"ってのがあるんですけど、これ「支持する」と「攻撃する」っていう全く正反対のイミに使えるんです。もちろん通常は会話でも文章でも前後関係がありますから、取りちがえるってことは少ないでしょうけど、これが詩に出てきたりしたら判断困りますよ。フェリーさんの歌詞って、かなりの確率で主語がない、つまり単語や熟語だけがポンと提示されてて、その羅列が続くなんてコトが毎度よくあるんですが、それでこんなの出てきたひには、もー、お手上げ。始めからテーマ性とか、つまり文章における文脈に当たるところを把握してないと、まず判断つきません。そういう英語の多面性を、まあよく知ってること、知ってること。おまけに普段使われないよーな熟語まで当然よく知ってる。そりゃ、こういう詩を書こうと思った時に勉強もしたんでしょうけど、それにしたってナミの読書量じゃありません。そもそもこういう使い方が出来るって知ってることがよく文学に親しんできたってことだし、それを利用出来ると考えるところが、一般に娯楽音楽と信じられてる分野の音楽家としては、彼の常軌を逸してるとこなんですよ。いや、別に彼だけがやってることじゃなくて、そもそもシェークスピアからして、そんなんなんですよね。で、シェークスピアの研究大家とかならともかく、一般的に日本人がそれ知らないのには理由があんの。でもそれまでゆーと、話長くなるから今日はやめとく。

ともかく英語におけるボキャってゆーのは、単に字面だけの問題じゃなくて、ひとつの単語のイミをいくつ知ってるか、という問題なんだよね。そこいくとフェリーさんの場合、そのボキャブラリーたるや、そらおそろしいレベルってことになっちゃう。そりゃ、こういうのこれだけ使いこなせるんだから、あんまり使われないような単語とか、古語、文語だってよく知ってるに決まってるよ。だけどあえて、そういうの殆ど使わないわけ。たまに図らずも出ちゃうってのは、あってもね。だから余計、私なんかはその知的レベルに感動してしまうの〜。

      

★きっと子供の頃って...(単なる空想よ、空想)★

坂田靖子さんの「バジル氏の優雅な生活」っていう作品の中に「Stranger in Paradise」っていう一篇があるんだけど、その中でバジル氏の友人を不穏な世界に引き込もうとしてるらしい美貌の青年に、バジル氏が言うのよね。「光の中にいた時、さぞ皆は君を愛したろうな」って。これはまあ、お話読んでもらわないと、どういう脈絡で出て来たか分かんないと思うけど、このタイトルからして、なんかもうすっごい深いなあと思っちゃうのよ、私なんかは。

で、何でこの一節を思い出しちゃったかってゆーと、フェリーさんのこと考えててさ。ああいう、私から見ればangelic smile というか、何も作為的なとこのない子供みたいな笑顔をですね、50も半ばになって出来る!! とゆーより、例え一瞬でもしてしまう!! そういう彼の子供の頃っていうのは、ましてやあの救いようのない理想家が、何の負い目もなくdiamond ladyに恋していた頃というのは、もう回りの人たちがどんなにか彼を愛しただろうなって思っちゃって、それでふとこの一節が浮かんでしまった、と。その頃の彼は文字通り光の中にいただろうなってゆーか、ところが今やメフィスト、いやルシフェルだな、この文脈じゃ。そういや、自分でも歌ってる歌詞あった、それ。え? 今でも愛されてるじゃないかって? そうですねえ、愛されてますねえ。なのにっ、なぜ〜♪、"Nobodoy Loves Me"なんてわざわざ作って、歌えるんでしょうか〜。ただの歌だよね、うんうん、そうに決まってるよね。

それはそーゆーことにしておいてっ、と。まあ、たぶん未だに信じられない、ってゆーよか信じたくないんだろうな、自分に「彼女」を捨てることが出来るなんてこと。 結局あるイミ、捨てちゃいないんだし、きっぱり捨ててたら、それこそ音楽至上主義にでも何でも走ってるよ、今ごろ。だから救いようがない、ってゆーの、私は。そうでもなきゃ、ああまで壮大に自分の「失恋」嘆かないよ、ふつー。

ところでバジル氏のお話の方なんだけど、あのセリフは、こう続くの。「だが、地獄をのぞいたあとの方が、ぼくは好きだね。」ってね。

      

2003.8.14. 

★よし、今年の冬はあれを...★

例のDVDのドキュメンタリーで、フェリーさんがやってた普段着スタイル。ジーンズに何の変哲もないジャケットでマフラー巻いてるってやつ〜。あれあれあれ、あーゆのでさえ先生がやるとイキなんだ〜。よし、今年の冬は私、あれをマネするぞ〜!!

ああいうのって彼の手持ちのスタイルのひとつだけど、ビシっとスーツとかで決めてるときよか、ずっと彼らしい感じがするなあ、私は。やっぱりへんに老け込まないよね、彼って全然。ああいう日常的なとこ見てると、40代の頃とさして変わってないとしか見えないんだよな...。悔しいから〜、言いたくはないんだけど!! やっぱりステキって言わされちゃう〜!!

      

★ついつい笑ってしまうのよ〜★

やっぱりROXYをバックに歌ってるライヴ、ノリがちがうよね〜。"Love is the drug" なんかはソロ・コンサートでもよくやってるから、比較してよく分かるんじゃないかと思うけど、やっぱりバックがROXYだと安心しきって歌ってるというか、彼が何やっても絶対ハズさないという信頼がフィルさんとかアンディさんとかには、あるんだろうな。ポール・トンプソンにしても、なんで"The great"って言われてるのかホントよく分かるし、すごいよね、あのドラム。あれだけタイトな音でしっかり支えてくれてたら、歌ってて何も不安ないと思う。それにしても、あのポールさんもさー、あんなすごいドラマーなのに、なんかシャイそうで、マイク向けられると上がっちゃうって感じのヒトなのが面白いじゃない?

まあやっぱり長いこと離れてても、ずっと一緒にやって来てた仲間っていうのはこういうもんなのか、っていうか、先生もあのバックだと伸び伸びしてて、思い切り歌わせてもらってる感じがするんだよな。だから外歩きながらこれ聴いてると、ついつい笑っちゃって困るんだけど、何回聴いてもやっぱりいい〜!!

       

★フェリー・マジックの舞台裏★

ところで、ライヴに続いて"MAMOUNA"、なんかすっかりハマってしまっているぞ、これも。うーん、いいなあ...。やっぱね、全体のメイン・テーマが見えてくると一曲一曲のイミも分かって来て「おお! なるほどな!!」と思えるから余計面白いんだよ。なんでこのヴォーカルかとか、なんでイーノの音が必要だったか、とか。ちゃんと納得させて下さるんだもの、先生ってば。さすが!! かんぺき!!

この作品で今んとこ一番気に入ってんのがN.Y.Cかな。他ももちろん気に入ってるけど、なんで特にコレかってゆーと、すっごく笑わせてくれるからっ。くくくくく。またまたまた、根性の悪い歌詞とヴォーカルを〜、ってゆーか、多分大半のリスナーが考えてみもしないだろう「なぜ」の部分まで歌詞、ヴォーカル、音楽ともきっちり行き届いて芸が細かいから嬉しくなる。これ先生の作品だし、あくまで70パーセントは作品としてのテーマ性として扱ってるんだと思うし、とことんマジ入ってる当事者状態じゃないというか、そういう段階は既に殆ど超えてると分かるからそれほど心配もしないけど、これがもし、もっとずっと性格の暗いヤツが作ったCDだったりして100パーセントマジだったりしたら、明日にでも自殺するんじゃないかって本気で心配するとこだよ。殆どディスク一枚分、しつこくこのテの歌詞書きまくって歌ってるとこ見ると、そりゃ30パーセントくらいはマジ、未だに気にはしてるってコトなんだろうから、根は深いと言えば言えるわね。でもホント自分でも書いてるけど、"I can see there's no way out ("Wildcat Days")"、"there's no turning back ("N.Y.C")"なんだから、いーかげんこっちだけでも諦めれば楽になるのにと思うけどな、私は。自分でもよくよくわかってるくせに、これ1994年の作品でしょ? 2002年に至ってまだなお引きずってるからなあ、これ...。分かる? それでもその中でジョークかませる余裕あるんだから、まだ笑い事ですむけどね。

そのへんの裏話はともかく、"MAMOUNA"って"Boys and Girls"以来の傑作だったかも、と今改めて、感心させられちゃったりしているあやぼーなのでした。"TAXI"は、またあれはあれで5枚目のソロあたりから方法論踏襲してる作品ってことになるわけで、もちろん無意味にカヴァー並べてるわけじゃないし、ちゃんとまとまったテーマのあるよく出来た作品ですけど、...特にあの"I put a spell on you"ね、そりゃ、この原曲見つけた時、どんなに飛び上がって喜んだろうと想像にかたくないけど、実際気に入りまくってて、1回歌うだけじゃ気が済まず、アルバムの10曲目でそこから取り出した歌詞"Because you are mine"を、しつこくこのセリフだけ繰り返した挙句、5つもリミックス作らせた上に、それだけでCD作ったってゆー。あのハタめーわくな性格!! だーかーら、彼のラヴ・ソングは怨念こもってるってゆーのよ、私は。(なんでハタめーわくか、というのは内緒よ。でも、この曲を、オリジナルでもないのにこれほど気に入りまくっていたのは、ちゃんと理由のあることなんだもーん。)

と、いうことで、またわけのわからないコトを〜、言ってしまいましたが、このページをよくよく熟読、学習しておられる方には、少なくとも"MAMOUNA"に関して、私が今何を言ったのか分かったかもしれない...。ここらあたり、まだ大して思想性の核に入り込んでるわけでもないし、それに既にあたし、これに関しては答え書いてるよ、うちのサイトのどっかで!! でもせっかくのビューティフルなマジックを、舞台裏からネタあばくなんてコトは、長年のおしかけ弟子としては極力したくないので、今はこれも表立っては言うまい。自分で歌詞読んであげてね。

ところでフェリーさんのことを「音楽至上主義」とか言うヒトいるらしいけど、そういうのはさ、まるっきり自分が「歌詞読む能力がありません」と自己申告してんのと同じコトだと思うよ、悪いけど言わせてもらえば。確かに以前から書いてるけど、先生はとにかく音楽そのものをとてもとても愛していらっしゃるので、だから音作りもてってーてきに成し得る限りのことやってるわけですよ、やっぱり。だから音しか聴かない、というより音しか聴こえないヒトには「音楽至上主義」と見えちゃうんだろうね。でも、どんなに音楽に細かい労力がつぎ込まれてて、カンペキに仕上がっているからと言って、コトバやテーマ性をおろそかにしてるわけじゃ全然ないんです。そもそも彼は、作曲者であると同時に、作詞者でもあり、ヴォーカリストでもあり、ってことは、コトバと切っても切れない関係にあるわけで、なおかつ自分で自分のことを「ノン・ミュージシャン」と言及するくらい、単に音楽だけでいられないヒトだと自分で認めてるじゃないですか。あの発言が例えば十代の頃とかなら、まあ一過性で思想に染まってて、後に音楽至上主義に流れたってことも考えられるけど、あれ言った時、先生もう30近かったんだよ。そのくらいのトシになってれば、いいかげん自分の本質くらいきっちり把握してるのが普通だよ。

でね、まあふつう多くの方は表舞台から彼の作品を見ておられるから、それはきっとまるっきり華麗なる「マジック」にしか見えないんだろうなと思うけど、やはりステージには舞台裏というのがありましてね。そこではいろいろと「わるいこ」がイケナイ画策をやってるわけですよ。その舞台裏に通じる唯一の迷宮回廊が歌詞ってコトになるんでしょうね。(当然ジャーナリストのお相手してるのなんか、よいこのフェリーさんに決まってるじゃないの。確かに、なし得る限り誠意をもって答えようとはしてるようだけど、やっぱ相手の知的レベルに合わせてやらなきゃならない以上限界ってもんもあると思うよ。)

この分かるよーでいて、よくよく見るとその多くがたぶん殆どのヒトにはまるっきり分からない歌詞ってのも、先生のマジックの実に魅力的な一部ってことになるんだな。だから私なんかは、すっごい特等席でタネもシカケも見せてもらってるわけですけど、逆に表舞台から見てるだけの方がふつーは楽しめるだろうとも思う。そもそもロックやポップスなんてそう期待されているもので、そうあるべきものなんだしね。でも、結局それじゃあ、大芸術史に残るというわけにはいかないの。しょせん歴史的に見て表層的な現象なんてものは一過性でしかないんであって、その背景にあって数千年つづいて来ている大芸術史ってのはバケものみたいなもんだから、大半の人間が理解しようがしまいが、一時代のマスコミにどれだけもてはやされようが、その系譜に連なるもの以外は強制的に排除、淘汰してしまうものなんですよ。そして価値のあるものだけが歴史の回廊に飾られるということね。また、だからこそ真の芸術のみが時間も空間も越える力を持っているとも言えるわけ。

でも、ともかく一般的には表舞台から見えてるままで全然かまわないんだし、ふつー、こむずかしいことをあれこれ言われるよりその方がずっと楽しめるだろうし、だからいらない口出しはあまりすべきではないと思うんだけど、ただ、彼のことをいろいろと誤解してらっしゃる方をみかけるとですね、先生のすごさをよくよく知ってるだけに、「ちがうんだよ、もお」とついつい抗議の声のひとつも上げたくなっちゃうわけですよ、私としては。特に彼のラヴ・ソングなんかは、ホント聴く側の意識とか教養レベルが低ければ低いほど、そのレベルで解されちゃってお話にも何もならなくなっちゃうんだもの。本人それでいいと思ってんだから、ほっときゃいいってば、いいんだけども、いちおー、やっぱりシャクにさわるので、あたりさわりの少ないとこで、このあと9月には↓でも出てた"A Song For Europe"のお話、10月には「ブライアン・フェリーにおけるカヴァー曲の極意」ってなお話をテーマに講義してゆきたいと思ってます。このへんは、相応の教養があれば誰にでも分かるようなコトだし、バラしてもまあ大丈夫だろう...。

ウォルターさんも書いてらしたけど、どうしてフェリー先生はカヴァーをあれだけ取り入れても、決してそれが一枚のディスクの中で浮き上がらないのか、違和感なくおさまるのか、これも当然、舞台裏のトリックってものがあるんであって、単に好みの曲だからって無意味に手当たり次第で並べてるわけじゃないんでーすよ!! 知ってた?

      

2003.8.8

★なんてゆーか.....★

↓のイーノの話ね、まああれは半分冗談だけど(半分は本気、ってか?)、なんで私があれほどフリップに腹立ててるかってゆーと、それはもー、やっぱりあの騒ぎは一番先生自身が起こしたくなかっただろーな、と、しかもバンドにはマイナスになるし、フリップみたいなことゆーやつが出てくるのも始めから分かってただろーし、それでもやらなくちゃならなかった気持ちが分かるよーな気がしちゃうからですよ。まあ、「分かるよーな気がする」っていうのは今んとこの控えめな言い方であって、イーノ脱退後、"AVALON"にいくまでの迷いのふっきれたよーなサウンドはですね、この決断なくしては実現しなかったと思うからです。つまり、もし、あのままイーノがいて、ROXYに"AVALON"が作りえたか、という問題なんですよ、これは。で、先生はもともとそこへ行きたかった、っていうか、試行錯誤の果てにゆきつくべきところが"AVALON"だったわけだし、だからどーしてもっ、我を通さなきゃならなかったんだろーな、と、私なんかは思ってるわけですね。それ考えると、彼はとーぜん端的にホントのことを説明してるだけなのに、あのクソのーてんきなフリップは何ゆーとるんだ!! ...と思っちゃって、暴言も吐きたくなるってもんじゃない? 

ともかく、"MAMOUNA"でもさ、イーノが入るとあーなっちゃうんだよ。あれでどーやって"AVALON"作るの? "MAMOUNA"はテーマがテーマだから、あのサウンド゛でいい、っていうか、それこそが先生あれ作るのにイーノの音欲しかった理由だと思うけど、まあ、けっこう複雑だろうなあ、そのへんの心境。しかしそれにしても、イーノってヒトも確かにすごいわ。今だからそこそこ御せるんだろうけど、ファースト、セカンドの時期じゃ先生自身が取り込むのは苦労だったんじゃないかという気がする。だから私はその才能、一番始めに認めてたのはフェリーの方だって思うのよね。

90年代入ってから、ちょくちょく一緒に仕事してんだし、もう時効だと思うけど、それでも未だに出るからなあ、その話ことあるごとに。そんなものちょっと耳さえ良かったら、その後のROXYの音聴いてるだけで、どっちの言ってるコトが本当かなんて一目瞭然だと思うのに、分からんもんかなあ...。

     

★デリダ氏とグリーンのおはなし★

ポップ・スターと天才哲学者、なんかふつー信じられないよーな取り合わせですけど、↓でも書いたように、グリーンから会いたがったんじゃなくて、デリダ氏の方が彼をパリに招いたっていうのが、いいじゃない? うーん、やっぱりすごいなあ、デリダ氏って、見るとこ見てるなあ、とうれしくなっちゃうのよね、こういう話聞くと。彼自身「芸術、文学、音楽に関心を抱いている」っておっしゃってるし、やはり「天才」だね、まぎれもなく。社会が何によって成り立っているか、そしてその構造を変えるには何が必要か、何をなさねばならないかが、ちゃんと分かっておられるのよね。うー、良かったねえ、こういう方がいらっしゃって。問題はそれを後継出来るヒトがちゃんと育ってるかどうかだな。思想界ってのは厄介だから、天分あっても、いやあるほど入りたがらないってのも多いだろうし。でも実際、あのディコンストラクションの根幹っていうのは、哲学史上、画期的だと思うよ、私は。もー、ホントにファンだわ、今や。

でね、そもそも何でデリダ氏がグリーンに注目するようになったかっていうと、例の"Jacques Derrida"ってシングルを彼の門下の方が聴かせたらしいのね。それ以来、グリーンの動向には注目してたんだって。さすが!! あの歌詞、一発で分かっちゃったんだな、何歌ってるか。それ以外で、ああいうヒトがグリーンに会いたがるわけないじゃない。私は「詩」っていうのは「神々の言葉」だと思ってるんだけど、それはあの短い言葉を並べるだけで、もし説明しようとしたら一大論文になるようなものすごい内容を瞬間的に伝えてしまうからなんだよね。共通の意識基盤がある人間の間でだけ通じる言語とでも言うかな...。だからデリダ氏にもグリーンが何考えてるか、分かっちゃったんだろうね、きっと。それに「ディコンストラクション」という一語そのものだって、その詩句と同じ働きをするくらい多くのことを伝えてると私は思うけどな。

ところでデリダ氏はジャズがお好きだとかで、グリーンはそんな話もしたよ、って言ってた。思うに「大哲学者」っていうイメージじゃなくて、そういうステキな方なんだって彼の著書に触れる人たちにも分かって欲しいよなあ...。そうしないと、見えないものってのもあると思うんだけど。

     

★なんで、こんなことに...★

今は、このページの更新するのが一番楽しいなあ...。モトのAYAPOO DIARYに比べたら全然お客さん少なそうだけど、いや、それはもー、当然始めからそうだと思ってるから全くいいのー。ココでやってる話なんてものは、全体の1パーセント以下くらいのヒトにしか必要じゃないと思うし、必要のないヒトには、まるっきり必要のないものなんだし。ああいう世界もあるし、こういう世界もある、でいいんじゃないかと思うのよね。そもそもフェリー先生の歌詞の解体なんてのは、でーきるだけ内輪にしときたい話でもあるんだし。

この3年半、私の作って来たページで異質だったのはStudy of the lyricsくらいで、あとはしごくマトモなふつーのHPだったんではないかと今更ながら思うけど、ここ3年半は、そういうのが楽しかったし、これからもその方面のページをどんどん増やしてゆきたいとは思ってるんですよ。自分でもこんなのやるつもりつい最近までなかったんだから。始めてからだって、まさかポスト構造主義がどーの、ディコンストラクションがどーの、ジャック・デリダがどーのなんて話をすることになろーとはユメにも思ってませんでしたよ。全く自分でも日常避けてる世界なのに〜!!! でもフェリー先生の話してたら、ウォルター・ケスラー氏のライナーが出て来ちゃって、その訳の脚注つけようとしたら結局自然と話がそこまで飛んでってしまったとゆー、コレは絶対!! 私の責任じゃない!! 先生が悪いんだっ!! 何の罪もない芸能人のふりして、作ってるもんが作ってるもんだから、その話してる間にこんなとこまで来てしまったとしか思えなーい!! ワナにはまってるのは私の方なんだ〜!!

それにしても7月に"Frantic"聴き始めてから、ずぅぅぅーーーっと、毎日毎日、来る日も来る日も先生の歌ばーっかり聴いてて、すっかり15年前の再現状態...。思えば90年代は私にとってほんっとーに、平和な日々だった...。だから、そろそろ何かどかんと来そうだな、とは思ってたけど、いや、そもそも3年くらい前からぼちぼちその兆しはあったんだけど、いよいよ平穏な日々も終わりつつあるのかも。なにしろ15年前がモロそーだったもんな。ああいう「流れ」が一挙に変わる時っていうのは、やっぱり生きてるとあるねえ...。皆さんもそういう時って経験ありません? それで気がついたら全然それまでとちがう生活してたりするのよね。

いろいろそういうの考えてると、やっぱりココもいきなりっていうよりは、そういう時期に来てたというコトなのかもしれないなと思ったりする。そういう自然と変わってく時っていうのは、その流れに任せとくのが、少なくとも今まで一番いい結果を生んでるし、ココはココでやってても、こんだけサイト全体がふくれ上がってると埋もれちゃってて、ココのせいでお客さんが減るってコトもないし(ってゆーより、全体としては今も上昇中。SPの英語版ページは安定してるし今のところ意図してた通りで問題なし)、大勢に影響ないんだから、何をか言わんやだわね。

で、基本的には、ココはこういう話が必要なヒトのための、わりと排他的なページなんで、ここまででも既にふつーに常識的な世界からかなり逸脱してるということは明らかだと思いますが、でも〜。まあたまにはいいんじゃないか、と思ってつづけることにしたいと思います。考えてみれば、私がこんな話、表立ってするなんてそれこそ20年ぶり? くらいかもしれないんだから...。

      

★そうすると、大藪春彦さんなんかは...★

すっごい突然ですけど、私が大藪先生のファン、とくに伊達邦彦のシリーズのめちゃファンだっていうのは、Magazine Workshopのレヴュー読んで下さった方はご存知だと思います。でね、↓で、リチャード・ハミルトン、これは確かフェリーさんの大学時代の先生でもあった方だと記憶してますけど、ともかくそのポップ・アートの定義というのを読んでてね、すっごくそれって大藪先生の作品にもあてはまるなあ、と思ったりしてたんですよ。「通俗的、過渡的、消費されるもの、機知、セクシーさ(きわどさ、魅力)、シカケに富むこと、魅力的であること」って、ほんともうあの「野獣死すべし」のシリーズなんかはモロそうだなって思えるし。そうか、大藪春彦っていうのは、そういう存在だったのか...。そう考えるとエンタテイメント、それも出来のいいエンタテイメントってのは、たいていそういうとこってあるんだよな。うーん、これは深い。エンタテイメント小説ってのは、文学におけるポップ・アートだったのか!! 今更かもしれないが、なんか分かってきたぞ。やっぱりヘタな純文学よか、大藪先生のが芸術だ!! と思ってた私の考えはまちがってなかった!! ... よーな気がする。

そもそも私って大藪先生のファンだから、ああいう小説書くのってあこがれだったんですよ。でも自分の性格が性格だけに、伊達邦彦をやろーと思って失敗して、結局思いっきり楽天的なキャラになっちゃって、それはそれでまあいいか、っていうんでそのまま来てるってのが2本ほどありますけど、そもそもはあれほど憧れのキャラもないし、私は男のこに生まれてたら絶対、邦彦みたいな生き方がしたかった!! のよね、マジで。で、更に追求してくと、シリーズの最後の方にいくにつれ、DKってディコンストラクション的な方向に走ってくんですよ。うー、なるほどなあ、そういうコトか〜。そうすると私か゛自分の小説をエンタテイメントにしてしまおう、と開眼したのは、やはりなるべくしてなったということだったんだな。そもそもフェリー先生とかグリーンから、さまざまな面でそういう影響受けてるわけだし。うーん、やっぱりこういう「系譜」的なものって合致してくるものなんですねえ。なんか、かんどーだわ、これって。

      

2003.8.5.-8.6

★100万ドルの笑顔★

久しぶりに"TAXI"と"MAMOUNA(マムーナ)"を聴いてるんだけど、いーじゃないですか、"MAMOUNA"。これさ〜、なんかとっつきにくくて、私もあまりよくは聴きこんでなかんったんだけど、どうやらそれってイーノのせいだったらしい。このアルバムは全篇に渡ってブライアン・イーノが協力してて、音もすっごい彼のカラーが出てるのよね。キライっていうわけじゃないけど、とにかく私はイーノの音ってすっごいとっつきにくいの〜。なんか怖くて〜。まあ、それだけの拒否反応引き起こすってとこが逆に彼の才能からくる存在感の大きさなんだろうなと思ったりもするけど、"I thought"で、やっと最近になって免疫出来てきた。逆に一旦そうなると、いーじゃないですか〜、ということになるんですけど、でも、たぶんきっとすっごい苦手なヒトだな、私なんかは。 "Frantic"ではキーボードだけじゃなくて歌ってくれてるんだよ、とかってうれしそーに言ってたから、先生は好きらしいけどね。分かる気はするが...。

このアルバムは1994年のリリースで、"TAXI"は1993年だから、珍しく近い時期に発表されてるんだな。当時ともかく私は一番忙しい時期だったんで、"TAXI"はテーマなんて一目瞭然だったから悩む必要もなかったしけっこう聴いてたけど、"MAMOUNA"の方は音に加えて歌詞が、てってーてきに厄介そうだったんで、あえてあまり聴いてなかった。なんでかってゆーと、また何を歌ってるのか考え始めると夜昼なくなりそーだったから、でーす。("TAXI"はモロに殆ど全ての曲がスタンダード系の誤解しようもない明々白々たるストレートな歌詞。中学生でも読める。でもこれも当然ダテにカヴァー並べてるわけじゃないですけどね。で、"MAMOUNA"の歌詞と比べると、後者がどれほど真意つかみにくいか一目瞭然だと思う。) そういうわけで、今改めて聴いてみてやっぱり全曲が関連性のあるテーマを持ったトータル・アルバム、しかもなんでイーノ使いたかったのかも分かるよーな気がしてきたし、そうなると、なかなか愛しくなってきちゃったりするな〜、これも。

ところでそれはおいといて。"TAXI"のお話なのよっ、今日は!! これに入ってる写真がまたなかなかいーんですよ〜。Anton Corbijn撮影のフォトで、写真家の個性もあるんだろうけど、これがなんか思索に耽るふーの? すっごい雰囲気のある写真なんだな。いつにもましてまたステキってゆーかー(きゃはは、また言ってるよ)。これに入ってる"I put a spell on you"のリミックス版みたいのがあるんだけど、それのジャケットもAntonさんの写真なんだよね。他にもこの時に撮影されたらしいフォトを見たことあるけど、遠景から捉えても彼だと分かるのが、やっぱりさすがね。

で、殆どの写真が何考えてるんだろうなあ、ってゆーよーな、すっごい静謐で深い雰囲気なんですけど、一枚だけ、もー、これだよ、これ。どーして、こういう顔で笑うかな、このヒトは。例のドキュメンタリーでも、サウンドチェックで殺気立ってそーな開場前のステージでこの笑顔が出るんだよ、彼って。ファンだけじゃなくて、近くにいるヒトたちでも、こーゆー顔みるとホッとして何でもしてやりたくなっちゃうんじゃないかって表情ですよ。華があるというか、作意的なとこが全然ないし、これはもうホントに生まれつきのスターにしか出来ない表情だな。うーん、私なんかは作詞者としての彼の内面性にどっぷり踏み込んでるだけに、よけい神サマは何考えてこんなとんでもないヒトを地上に置いたのかと改めて思っちゃう〜。写真家の捉え方が独特だってのもあると思うけど、珍しく彼の本質的なとこが垣間見える、いい写真ですよねえ、これ。CD持ってたら、改めて見てみてね〜。

      

★そーか、おまえか!! ★

なるほどな、うちの先生がイーノの人気が気に食わなくて追い出したんだなんて最初に言ったのは!! ロバート・フリップ、おまえだったのか!! くっそ〜!! なんかそう言いたかったのは分かる気もするけど、それにしても許せなーい!! もともと好きじゃなかったけど、てってーてきにキライになったぞ!! そもそもロバート・フリップってのは思想性が全く正反対なんだもんな、もとから気に食わなかったのよっ!! ふんっ、いーもんねっ。イエスさまもおっしゃっている!! 生まれつき苦労知らんヤツは、どこまで行っても救われないって!! 大っっっ、キライっ!! 死んでも天国なんか行けないわよっ、あんたなんかっっっ!! あんたみたいのがいるから、世の中、不幸な人間が多くて、先生嘆いてるんじゃないのっっ!! あー、情ないっ!! なんって、情ないやつなの〜っ!! そもそもイーノが何も言ってないのに、何でかんけーのないあんたが、そんなことゆーのよっ!! (古い話だし考え変わってりゃ許してやるけど、そうじゃなかったらいずれ同じコト、絶対えーごで書いてやる!! 私の論理性に勝てるものなら勝ってみるのねっ!! 踏みつぶしてやるわっ!! )

でもまあいいか、うちの先生の方はどーせ何言われたって意に介してないだろうしな。そもそも思考のケタも、人間の格も、ぜーんぜんっ、ちがうもん!! (私がこーゆー理由は↓を読めば少しは分かるかもしれない...)

      

2003.8.4.

★考えてみると...★

よくよく考えてみると、やっぱりSPで始めてるから、こーゆーページを作れたんだなあと思ったりする...。というのはですね、グリーンってひとは、いちおー"Jacques Derrida"なんてタイトルの曲も作ってるし、メディアでも思想性がらみで取り上げられていたから、わりと私があの歌詞にもそういう内面性が反映されているんだって言ったって、それほど奇異には聞こえなかったと思うんだよね。でも、ROXY MUSIC...。

私は"AVALON"の"More than this"聴いた時、何の疑問もなくストレートにあれが哲学的明視の歌だ、すごいなあ、フェリーさんってと、すとーんと解してしまったんで、当時はまだ世間知らずのコドモだったし、そんなことがヒトさまに分からないわけがないと信じ込んでた、つまりあまりにも一目瞭然だったために、理解されてないなんて疑ってすらみなかったんですよ、長いこと。でも、どーも全世界的に全然そーじゃなかったみたいで、そもそもROXYとかBRYAN FERRYに思想があるなんて、考えてるヒトの方が少なかったのか? と今更ながら気がついてガクゼンとしてたりするのね。いくらかそういう話が出ても、ああまで大スターだとかえって本質的なとこまで行く前に横道にソレちゃってたのかもしれないなあ...。それに今になって考えると、先生の歌詞ってばROXYをさかのぼるほどに、「こりゃ、分からんわ」とゆーのばっかりだから当然かもしれなかったけど、そもそも本人、理解なんてモトから殆ど期待してなかったりするし〜。困ったやつ...。

つまりはSPとROXYのテーマ性は基本的に大変近いってことで、例えばSPの"Perfect Way"とROXYの"More than this"、これ両方テーマは同じよね。ROXYは「これ以上のもの(内容から言って、「これ以上のものはない」っていう歌なのよね、あれは)」で、SPは「完全な方法」でしょ? どっちも何かしら「最終的なもの」を表現しようとしてるタイトルなわけで、語感からしても近いという感じくらいはするんじゃないかな。で、グリーンの場合は、それがデリダ氏のディコンストラクションと何らかの関係があるってことくらいは彼の過去の経緯からも分かってもらえると思うんだけど、フェリー先生の場合は、それだけですらないから余計コトがやっかいなのよね。思想的にポスト構造主義からんでるんだから、そりゃ彼の作品がポストモダン的になるのも当然と言えば当然なんだけど、思想史そのものが今ですらそこまで追いついてないってくらい凄いからな、あのヒトは...。70年代も入る前にここまで考えてたとは〜と、私などはただただ、ひれふすのみ...。(アンディさんによると、ROXYが活動を始めたのは71年頃で、72年にファースト出してるけど、先生が本気で音楽やろーって決めたのは当然それより前ってコトだからね。)

でもホントならあんなものは、日記にでもして書斎の奥深くカギかけてしまっとかなきゃならないよーなもんなのに、それをわざわざ歌ってんだから分かって欲しくないわけじゃないんだろー、やっぱり。"the thunder says no shout is greater than mine ("I thought")"だってゆーし。殆ど誰も本気にしてくれないだけで...。まあ↓のケスラー氏のライナーなんかもあるから、ある部分では理解されてるんだろうけど、一部で理解されればそれでいーってことだったんだろうね、きっと。期待してもムリってばムリなことだったんだし、Slave To Love だから黙ってるわけにもいかなかったんだろーし、音楽による表現がコトバ以上に人々にもたらすものについても当然彼なら気がついてたと思うし。まあ他にもいろいろと、ミュージシャンになった理由はあるみたいだけど。

ともあれ一般的にROXYっていうのは、SPほど思想性と絡んで語られることはなかった、の? って改めて思ったりしてるんだけど。...なんだろうな、やっぱり。そう考えると、ああ、良かった〜、ROXYからやらなくて。きゃはははは、フェリーせんせの作品からやってたりしたら、もー、絶対キチガイ扱いされてたよ。これは私が気がヘンなんじゃなくて、先生が天才すぎるのっ!! いちおー、SPで説明しておいたから、まだ救われたな。ああ、危なかった...。 

      

★ちょっと、まじめなおはなし★

うーんっとね、2001年の9月にデリダ氏が答えられたインタヴューというのを見つけまして、やはりなるほどこの方はすごいなと、まあ今更なんですが、思ったりしてるんですよ。9.11.がらみも含んだ解答ですけどね。

私、思想界は絶対信条としてノータッチですから、あの世界はデリダ氏クラスの天才ならともかく、その底辺に群がってる連中ってのは使えたもんじゃないと思ってるし(おっ、えらそーに!!)、だからあまりそういう話題は出したくないんですけど、まあ興味がおありならってことで別にムリじいはしませんので、ひとつ、こちらまで

いちおー国際情勢の概要くらいはアタマ入ってないと、何のコトか分っくわんなーい、ようなお話なんですけど、でも私としてはホント、デリダ氏って単純に当たり前のことを言っておられるだけなのになあ、と思いますよ。今年73才ということですし、ちゃんと後継者が育っていることを切に祈りたいですね。なんで彼がグリーンに会いたがったかってのも、分かる気がするな。デリダ氏なんかから見れば、そんなのグリーンの書いてる歌詞の内容なんて一目瞭然だと思うもの。動かされるものはきっとあったと思うし。

↓でウォルター・ケスラー氏のライナーの話をした時に、うちの先生は鉄壁の論理構築が出来るヒトだけど、決してそれだけに溺れこんだりしないハートがあるって書いたと思うけど、デリダ氏もおんなじだよね。このインタヴューの解答を読んでるだけでも、如何に彼が世界の現状を真に憂えておられるかというのが伝わってきますよ。なんで私が思想界の底辺は使えたもんじゃないって言うかとゆーと、結局「論理のための論理」に溺れこんでしまっていて、何のための哲学なのかということを忘れてる、とゆーより、そもそも分かってないヤツが多いとしか思えないからなんだけど、まあやっぱりあのヨーロッパのど真ん中で、あれだけのこと言うんだものな、それがやっぱりあるか、と改めて納得したりしてました。うー、デリダ氏も"Heart Still Beating"なんだよなあ...、カッコいいわ...。既にファンよ、私。(彼の著書を眉間にシワ寄せて読んでるヒトたちから、ぶたれそーな発言だな。でも、これで私の「カッコいい」の基準がどこにあるか、ちょっとは分かってもらえません?)

まあなあ...。うちの先生がまちがっても思想界入ろうと思わなかったのは当然だよな。これはアレだな、アレ。「会議は踊る」。核心の回りをぐるぐる回っちゃいるが、結局どこにも行き着かない...、ってのは、確かグリーンも言及してる曲があったように思うけど、不毛な論議に巻き込まれるよりは、歌でも歌ってる方がよっぽと気が晴れるわ...。しかもそっちのがまだかなり実用性がある...。大変だよなあ、デリダ氏も...。

ところでそのインタヴュー、国際情勢の裏事情ってものをいくらかでもご存知ない方が読まれると誤解されそーな部分もあるけど、こんなページに足しげく通われるような方なら、そのへんは大丈夫でしょう。あえて私はコメントひかえさしてもらいますんで、それぞれ皆さん、デリダ氏の発言から学ばれることを祈ってます。ま、グリーンとも縁のある方ですし、その思考の一端を垣間見るのも勉強になるかと思いますよ。

      

2003.7.30.-8.3.

★なんなのっ、あの異常なまでの尊大さのなさは!!★

さて...。

前回の更新では怒り狂って失礼してしまいましたが、まあそれはおいといて、今日はDVDのお話をしよーっと。

例のドキュメンタリーなんですけど〜。ごらんになった皆さん、お気づきになられたでしょうか。どーもなんか、ヘン。何がヘンかってゆーと、あのリハーサル風景...、あれはまるでなんかご近所さんが集まってアマチュア・バンド組んでるとかの雰囲気しませんでした? 全然ノリが軽い...。しかも先生ってばぜーんぜん浮いてないのね、あの中で。なんか一部、ベースとあそんでたりするし〜。そりゃ音は当然皆さんプロなんですけどね...。

仮にもROXY MUSICなんですよねえ、あれ...。やっぱりなあ。私もなんか彼の作品にひたりこんでると、まるっきりあれが大スターだとゆー気がしないんですけど、ふうん、日常もそうなのか...。ふと現実に返って、ああそうか、ROXY MUSICってこーんなすごい評価を得てるんだ、と改めて驚くことがよくある。まあ、ああいう雰囲気も結局彼の性格のたまものだろーなーと私なんかは思っちゃいましたが、「大スター」にありがちな尊大さってもんが、まるっきりないのよ...。もちろん、演出が必要な時には、どんなにでも尊大に見せられるんだろうけどね。

さりげに会場入りしてくるとこなんて、あれはまるで高校かなんかの美術の先生って雰囲気で、特にものものしいとこなんかないし、まず道ですれちがっても、あれが大ROXY MUSICの総帥だとは気がつかずに済ましてしまいかねないんじゃないかとゆー。 まあ、ああいうのが片方の本質ではあるんだろうけど、あの穏やかそーなヒトのどこに、"Street Life"やDo the strand"のヴォーカルをとれる人格が眠ってるのかなって思うと、やーっぱりなんか"Boys and Girls"が改めて分かってくるよーな気がしない? しかもステージとかでは、グッチのトム・フォードをして彼の"ultimate style icon"とまで言わせしめた、あれだけ存在感のあるヒトなんだよ。実際、ROXY MUSICって神格化された感のあるバンドなんだし。ちなみに、そのトム・フォードの話聞いて思ったけど、あの大胆なレザー使いのデザインなんかは、そーか!! ROXYが原点にあったのか!! なるほど、確かに"Manifesto"の頃の先生のファッションなんて、あれに通底するものってあるよな〜。うーん、そんなとこまで影響を与えていたとは!! びっくり〜。やーっぱ、見るヒトは見てるんだねえ...。

ま、そんなこんな考えてると、あのにこにこと地に足のついた感じで人前に出ているのは「よいこのフェリーさん」なんだな、きっと、とか思ったりする。「わるいこ」は、ああいう時は外に出してもらえないのね。でも歌詞書いたり、歌ったりしてるのは「わるいこ」の方なんだ...。くくく、そうそう面白いの見つけた。"Manifesto"にね、"Still Falls The Rain"って曲あるんですよ。私も忘れてたんだけど、これ読めばモロ私の言ってること分かると思うよ、どーゆーコトか。まぎれもなく「ジギル&ハイド」モノの歌詞だから。なにしろ冒頭が"Dear Hide "ですからね。もちろん先生がそーゆーMPD(多重人格障害)引き起こしてるとか言ってるんじゃないですよ。必要に応じて表に出す自分を使い分けてるっていう方が自然かな。そういうのって、誰でもわりとふつーにやってると思うんですけど(芸能人なら特にそういうのあるよね)、彼の場合は結構、極端かも。だからといって「よいこ」のフェリーさんが虚像だというわけでもないんだよなあ、あれは...。もし彼の中に「よいこ」がいなかったら、もっと楽に生きてゆけたんじゃない? 

こういうタイプの歌詞って、この"Still Falls The Rain"は極端に分かりやすい例で、表面的にはまるっきりそれと分からないようなのなら、あちこちにあるよ。私もこれ一曲なら単なる歌だと思ったと思うけど、あれだけあちこちでおんなじコト、しかもちょっと見じゃ分からないよーにやられちゃなあ...。それを30年に渡ってやってんだよ、30年!! しかも持ってる哲学が哲学だし、あるイミ、それがあるから"Still Falls The Rain"みたいのが出て来るとも言えるんだよな。そのへん合わせて考えると、これはマジ入ってるとしか思えませんね、少なくとも私は。

つきつめて言えば、彼の歌詞ってのは、ひっかけもひっかけ、ダブル・ミーニングと連想ゲームの世界なんだよね。単語自体に元来深いイミがあるものも多いけど、そうかと思うとその単語だけ見たんでは辞書引いても何も深いイミなかったりとか平気でするし〜。でもひねって考えると隠喩だったり、簡単な置き換えだったり、なーるほど、ってのが絶対ある。だから、その置き換えとかヒネリとか隠喩とかに気がつくためには、彼の思想性のバックグラウンドを知ってる必要があるってコトで、少なくともふつーに健全な思考の持ち主があれ読もうと思ったら、あらゆる哲学体系に精通してないとムリだし、オマケにそれが哲学論文ででもあるならそれだけでもなんとかなるかもしれないけど、それを詩作に封じてあるんだから、まあちょっとやそっとのコトではね。

ま、興味があったらその"Still Falls The Rain"、 ROXY6枚目のアルバム"Manifesto"で聴いてみて下さい。(...でも、そういえば今、あのへんのアルバムの国内版ってあるのかな。輸入版だと歌詞カードついてないと思うけど、国内盤なくなってるなら、それに越したことはないよーな気もするな...。今、初期のアルバムを2枚組にしてリリースしなおしてるみたいだし。)

で、話をDVDに戻しますけど、ステージではともかく、日常は殆ど気配消しちゃってるってゆーか、そういえばフィルさんが「音楽のための音楽をやって来た、そのコンセプトが良かったんだろうね」とか言ってらしたけど、まあ、このコトバに集約されてますよね、ROXY MUSICというバンドが逆に何であんなにすごいのかとゆー根本的な何事かが。あのリハーサル風景にしても、先生や参加してる他のメンバー全員が如何に音楽してれば楽しいかってヒトたちばかりなんだろうって思えるし、でも当然それはミュージシャンとしての絶対的な実力をふまえての上ではあるんですけどね。もちろんオリジナル・メンバー全員がそうなんだろうし、それに加えて若い参加ミュージシャンの質、つまり技術的なものばかりじゃなくて、その音楽に対する姿勢も同様に高いってコトですよね。(何言ってるか、わっかんな〜い、という方は、DVDを見よう!! ライヴを聴いて、あれを見たら、誰がどこでどんな音を出してるか分かって更に楽しい!! )。

これはまたあとで改めて書こうと思ってたんですけど、コリン・グッドの他に特に私の印象に残るのがルーシー・ウィルキンスとジュリア・ソーントンのお二人なんですよ。どちらもクラシックのバックグラウンドがありそうという気がするんですけど、若いよねえ...。特にジュリアさんはパリのライヴDVDで既に見かけた方で、そもそもはハーピストなんだと思うけど、こういう才能のある若い人たちを違和感なく取り込めるというのが、やっぱり彼らの音楽が常に停滞せず現在形であれる理由のひとつだとも思いますよね。それはたぶんROXYばかりじゃなくて、欧米の音楽世界の幅の広さということももちろんあると思うんですけど、例えばマイルス・ディヴィスでもPerfect Way カヴァーしたりとかして、グリーンなんかすっごい喜んでた、ってゆーより恐縮してたじゃないですか、マイルスから電話もらった、とか言って。こういうの見てると、日本みたいにロックは若いヒトのもの、とかさ、そーゆーヘンに不当な壁ってものがないってことですよね、社会そのものに。日本ってマスコミにバカが多い上、いや、まあ欧米でもそういうのはあることはあるんだろうけど、問題なのは自浄作用がないことで、90年代よけいそういう傾向増しちゃった感じすらするもんね。救われないな。

ところで、9月にそのジュリアさんのソロ・アルバムが出るんですって〜。これは楽しみですね、私。リリースが待ちどおしいわ...。

      

★さて、ここで問題です★

いきなりですが、"A Song For Europe"のお話をいずれするって言ってましたよね。でもこれ、もー、説明するまでもないくらい少なくとも私にはカンタンすぎるほどカンタンな歌詞なんです。別にこれの入ってるROXYの3枚目"STRANDED"を持ってる必要もないです。聴いたことすらなくても大丈夫。タイトルだけで分かりません?

分っくわんなーい、という方に、ヒントです。この曲は切々と失われた恋を歌い上げるって感じの、誰がどー読もーと、中身まるっきり失恋の歌以外の何者でもありません。そしてこの歌の最後の方では、離別を告げる内容の歌詞を、しつこいくらいにラテン語フランス語で繰り返して歌ってます。では、フェリーさんは、誰に失恋したのでしょーか?

このページと、SPのStudy Of the Lyricsを熟読して下さった方には、もうきっと答えは分かっているはず...。そういえば昔、"Flesh and Blood"の中の失恋の歌詞を指して、あれはジェリー・ホールのことだとか言ってたヤツがいたよーな気がするけど、当然何も関係ありませんよ、そんなの。勉強不足!! そんなにスケール小さいヒトじゃないって言ってるでしょ!! 先生が失恋の歌好きなのは、殆どROXYデヴューの頃から、結婚したあともしつこいほどに今に至るまで、ずぅーっと、ですから。こーゆーことゆーヤツも、往復ビンタの対象になるので、今後めったなことは口にしないよーに!!

とゆーことで、分かりました? まあ、たまには一度考えてみてもらうのも良いかと思ったりしたものですから。

      

★かれこれ1ヵ月★

AYPOO DIARYでフェリー先生の話を始めてから、かれこれ1ヵ月は経っていると思う。その間、こんだけ話まくって、それでもまだ止まらない...。書くヤツも書くヤツだと思うが、読むヤツも読むヤツかもしれない...。

それにしても、いつかはこんな日が来るかもと思ってたけど、とうとう来てしまった、という感じよね。ここ何年も忘れてたけど、もともとホント彼に関しては言いたいことがいっぱいあったのよ、歌詞の話を中心として。まっだまだネタはヤマほどあるもんね〜。まだまだ書くわよ〜!!

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