序章

英単語と日本熟語の機能相違

 

forceという単語があります。

フォースと言えば誰でも「力」と単純に思い込むというパターンが、日本の英語教育の弊害の始まりです。こいつにどれだけの意味が含有されているか、いっぺん見てみましょう。

force:

1.力、強さ、勢い、エネルギー

2.影響力、支配力、効力

3.体力、腕力

4.(あるものに加えられた)力、腕ずく、暴力

5.[法律](人・物に加えられた)暴力、暴力行為

6.説得力

7.(精神的、道徳的な)力、気力、迫力

8.(支配者、王国などの)力、勢力、軍事力、戦力

9.≪しばしばpl.≫軍隊、部隊

10≪集合的に≫.(共同活動のための)軍団、隊、一団、総勢

11.迫力、力感

12.一勢力、一勢力たる人物

13.(協定・条約などの)効力、施行

(小学館ランダムハウス 英和大辞典より)

 

とまだまだあるんですが、これらはまだ力という範囲にある意味ですから関連性はあります。ところが、forceには「意味・真意」という意味(笑)もあるのです。言葉の意味がもつ力、ということで、こういう使い方が生まれたのでしょう。

Provisionの”All That We Are”には

"Somewhere the forces of love come to disagree"という一節があります。

このforce、どう訳しますか。「力」か「意味」か。力が一致しなくてどうするんです?単純に考えても意味が一致しないんです。その方がよりストレートな解釈だと思うんですが。そもそもdisagreeというのは意見が一致しない場合など、主に抽象的な事柄が不一致である場合に用いられる単語です。

この歌詞の基盤になる思想性を知らずにどちらか判断することは、文脈を見ずに文章の内容を判断するのと同じことです。歌詞といえども起承転結があり、その中には何がどうしてこうなった、という何らかの内容が表現されているはずなのです。もし始めから終わりまで意味の通る内容にならないなら、(だからこそ、意味がないと感じる人も現れるのでしょうが)それは内容を理解出来ていないからです。そして、これはポップ・ミュージックの歌詞であり、歌われているのは単純な恋愛関係であろう、という先入観が、これらの解釈の間違いに拍車をかけることになります。特にグリーンの場合、ポップの歌詞に見せかけることには執念を燃やしてますから、一筋縄ではいきません。

愛の意味が一致しない、と言う場合の愛、というのは、単なる恋愛関係ではなく、LOVEという概念の定義そのものに言及しているからこそ生まれてくる表現です。

これに関連して最近の”Brushed with oil, Dusted with powder”には

"Abraham my father had a girl

He called his angel

I made my excuses and I like the way it feels"

というのがありますが、このエイブラハムというのは確か旧約聖書の筆頭に出てくる人物だったと思います。

辞書によると、ノアの大洪水以後、最初の族長であり、古代ヘブライ民族の始祖と言われる人物、だそうです。つまり、このエイブラハムが「象徴」するのは聖書そのものだと考えるのが妥当でしょう。聖書に言及すると宗教問題を突き詰めることになるので、簡単に触れるだけにとどめますが、(宗教論争にまきこまれるつもりは毛頭ないので)歌詞のこの部分はエイブラハムを否定して、自分が感じているままでいる方が好き、という流れになっています。直訳するなら「父なるエイブラハムには女の子がいて、彼は天使と呼んでいたけれど、ぼくは言い逃れて、こんな風に感じている方がいい」となりますね。この女の子は当然、聖書で言うところの愛の思想です。エイブラハムのイチオシなわけですから。

聖書(厳密に言えば新約)により定義されている愛と、この歌詞の作者の考える愛の定義が「一致しない」から、

"somewhere the forces of love come to disagree"という表現が生まれてくるのです。

これらの二つの歌詞は、発表まで11年の開きがありますが、インタヴューなどから推測するに書かれた時期はそれほど遠くないでしょう。

どちらにせよ、思想的基盤がしっかりとあり、それが作者にとって、オブセッション(つきまとって離れない考え)となっているからこそ、いくつも違う歌詞の中で、それに言及してしまうのでしょうね。愛という言葉の定義が双方なんであるかまで言うと、宗教団体からクレームつきそうなんで、とりあえず、グリーンは一般的に考えられている定義とは違うものだと感じているらしい、ということだけ、言っておきます。

ところで Provisionの"Philosophy Now"には"the blue shoes"という句がコーラス部分で挿入されています。

"青いくつ"って、訳すよねえ、こんなの誰だって疑いもせずに。もう、ここまでなって来ると誰も責められないと思う。

でも、実はこのshoe(s)には"くつ"以外にも20くらい意味があるんです。ところがその中にも入ってなくて、成句になった時だけ出現する意味もあるんですよね。

例えば shake in one's shoes

直訳すれば"靴の中の振動"とかなるんだけど、意味は"(災いがやってくるのを恐れて)びくびくする、おどおどする"なんですって。でね、この場合、くつってのは心の中のことを意味するんです。だって精神的におびえてる状態を表現してる成句なわけですから。つまりshoe(s)には精神の内情を象徴する性質があるんです。

で、次はblue。

いろいろ意味があるんですが、(厳格な宗教または道徳に基づく)堅苦しい、厳格な、という意味があるかと思うと、不敬な、(とく)神的な、毒気を帯びた、という意味もあるんです。厳格と背徳がいっしょくたになってるってのもすごいですが、ともかく"the blue shoes"、どうしましょうかね。

でも、グリーンはエイブラハムにたてついてるんですよ、そりゃ背徳の方でしょう。つまり、"背徳的な精神性"という意味になりうるわけです。

こういうのをダブル・ミーニングと言うんですが、単語の意味が辞書に載ってるだけまだ易しいかも知れません。ほんと、英単語ってお茶目なやつです。


さて英単語の恐ろしさという点では、実際このforceなど力に関連する意味がほとんどですからまだかわいい方で,blueみたいなひねくれた奴はいくらでもいます。えげつない、というか、おんなじ表現で全く正反対のことを表す、なんて例は頻繁ですね。

例えば lay aside。この熟語は「捨てる、やめる、拒絶する」なんて意味があるくせに、その一方で「たくわえる、とっておく」と堂々と表現するというツワモノです。その他に「(衣類などを)脱ぐ、取る、脇へ置く」とか受身で用いて「(病気で)働けなくする」なんて意味もありますが。で、これは全く珍しいことではありません。

takeという単語など、前出のランダムハウスでは、実に80項目に及ぶ意味を持ち、その一項目ごとに2〜3以上の意味が列挙されています。言語学の研究でもしてない限り、高校生が使うような辞書しか見たことがない人が殆どでしょうから、一般的に日本人が英語を訳そうとする時に、言葉をそのまま差し替えればすむと考えているのは仕方のないことだと思います。

ただ、残念ながら、特にシェークスピア以来、英単語はますますひねくれる一方で、新しい意味が日々付加されている、という現状があります。日本語なら広辞苑で見ても、熟語の意味なんて、そんなに多くありません。見たまま表現の素直な言語です。日本語の熟語が、「着替えるのは法事かお葬式ときだけ」、というイナカのおばちゃんだとするなら、英単語はケーハクにころころファッションを変える都会のねーちゃん、みたいなもんですな。素朴な言語になれている日本人には、根本的に相容れないものかもしれません。

ましてや、この意味の多重性を用いて、ブライアン・フェリィのようにわざと、ダブル・ミーニングの歌詞に仕立て上げる、なんて教養豊かなことをやってくれる奴がいると、素直な日本人にはもう、どう対応したらいいんだか、という世界です。彼は、「シェークスピアには二重の意味がありそれが英語のすばらしさと言えるだろう」とまで、のたまって下さってます。もちろんこの英単語における意味の多重性をグリーンもよく知っていて利用しているようですし、他の多くのアーティストの中にも同様の認識のもとに歌詞を書いおられる方があるようです。何故そういうことをするのか、何故ストレートに言葉にしないのか、それについてはまたいずれお話する機会もあるでしょう。

ともあれ、ここではまず、英単語が日本語の熟語に比べて、相当数の意味を包含しているらしい、ということを感じて頂ければそれで宜しいかと思います。そして、それで書かれた英文や、ましてや歌詞を翻訳するには、よく言われることですが、「文脈から大意をつかむ」ことが不可欠になってきます。大意がつかめていなかったら、多くの意味の中からどれを選ぶか、にも当然責任が持てるわけがありませんから。

歌詞、もしくは詩の場合、文章と違って、前後関係から意味を把握することは至難以上でしょう。つまり、始めから基盤となる思想性について知っている必要がある、という主張がいかに重要か、お分かりいただけるでしょうか。

更に、英語から日本語に変換する時に意味そのものを取り違えたとするなら、結果的に歌詞の内容そのものが違ってきてしまう、そして、それが大量に出回ると文化的な誤解が一般に生じる結果になりかねない、という主張もいくらかご理解頂けるのではないでしょうか。

あらためてハッキリ言っておきますが、英語の歌詞にはちゃんと意味があります。

それも日本の歌謡曲の歌詞のように表面的な意味ではなく、かなり深遠な意味が象徴されているものが少なくありません。問題は理解するにはどうしたら良いか、ということだけです。

最も、これは一般リスナーにはあまり関係のないことで、分かる人には説明されなくてもわかっているでしょうけど、責任ある立場にある方または影響力のある方が理解しないまま、「意味がない」とか、単なるラブソングに仕立て上げるとかされると、文化的に大きな弊害が出る可能性があり熟考して頂きたい点でもあります。

それに本当に何が歌われているのか真面目に知りたいファンだっているんですから。

 

では、次章からは、実際にグリーンの歌詞を分解研究してみましょう。

2003.7.12.改稿

 

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