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スクリッティの歌詞研究はこちら...

 

歌詞については、私もかなり信を持って言えることだけしか書かないつもりですけど、

ただ、ココで書いてることは、あくまで私個人の歌詞解釈にもとづいてますので、

絶対それが正しいとは言い切れません。

その点どうぞあらかじめ、おふくみ下さいませ。

 

ANNEX :

洋楽ファンのひとりごと 2003/7月

 

 

 

2003.7.26.-28

★もぉ、困るなあ★

昨年リリースされてたROXYのDVD、あれにドキュメンタリーって入ってたの、見た?

もぉ、なんで困るなあって言ってるかとゆーと、先生ってば、どーしてあー日常の顔のがステキなの??? あんな笑顔見せられたら、また愛しくってしかたなくなっちゃうじゃないの〜。ホント、いくつになってもハートが年とらないってゆーか、やっぱりステキですよ、彼は。

ああいう顔見てると、ホント、この詩の作者なんだなあ、と改めて納得しちゃうよ。ビュアとゆーか、そりゃ人間なんだから、いろいろな側面があると思うけど、少なくとも作品にかかわる限りでは、あれが本質なんだろうなって思う。

"While my heart is still beating"、あれは最近の"CRUEL"にも通底してくるんだけど、あの曲の最後に"Will it never stop bleeding?"って一節あるでしょう? ホントにそうなんだよ〜。だから"While my heart is still beating, will it never stop bleeding?"ってことなんですってば。(日本語にしたらダサくしかなんないんで、分かんなかったら辞書引いてね。)日本の歌謡歌手みたいに、脳天気に架空の恋愛を歌ってんじゃないんだよ、あのヒトは!! だから"CRUEL"で未だに、"Everywhere I go there is a world full of heartbreak"それで当然ホントに、"It's tearing me apart"なんだよ。20年たっても変わっちゃないんだよ、そのへん。だから彼の使う"Love"ってコトバは、たいていの場合「愛」と訳すべきで、「恋」にしちゃダメなの!! 特にあの偉大なる"Love is the drug"を「恋はドラッグ」なんてのーてんきに日本語にすんじゃないんだよ!! 先生はそんなスケールの小さいヒトじゃないんだからねっ!! あれは「愛はドラッグ」で、やっとマトモな邦題になんの!! (なんでか分かんないなら分かんないでいーから、原題のままカタカナにしときなさいっ!!) だからこそ"Everywhere I go there is a world full of heartbreak"で"It's tearing me apart"、 そんでもって"While my heart is still beating, will it never stop bleeding?"なんじゃないのーお!!!

うっうっうっ(泣)、彼だけじゃないのよ。もー、おねがい、60年代以降すでに40年は経ってるんだから、そのへんいいかげん分かってよっ!! そういうとこ分かってる方ももちろんあると思いますけど、実際そう思いません? あんたらいったい、金とヒマかけて大学くんだりまで行って、何習ってきたんだよ?! っつーかさー、高等教育もサルには何ももたらさないとゆーかさー、もー、だから私は怒ってんですよ、何怒ってるかとゆーと...↓

      

★今度という今度は!!!★

私は↓でイーノの脱退について書いたとき、うちの王サマの度量を疑うようなコトを言うヤツは許さん!! と書いた。そして今、付け加えたいのは、ウチの先生を、どこぞの国のアホな歌謡歌手のおっちゃんと同列に並べるヤツには、どんなことがあろうとも往復ビンタをかましてやる!! ということである。決意したぞ!! 今度という今度は、私、意地でも何年かかろうとも絶対止めてやる。何があろーと絶対絶対絶対!! 許さないからね〜っ!!!

なんでこんなにおこってるかとゆーと、2000年にフェリーさんがバラッドを集めたコンピレーション出してたんだよね。私それ知らなくて、今日たまたまライヴのDVD探しに行ってついでに見つけたの。そしたらさー、またあのアホなキャプションを!!! しょーこりもなく!!! ナツメロじゃねーってんだよ、えーかげんにせんかい!!! 怒ると言うより、既に呆れるしかないわい!!! 

もう何年も前の話だけど、たしか以前にもこれとおんなじよーなコトやられて、それが耳に入って先生めちゃ怒ってたってウワサも聞いてんだよ!! それをだな、まーたあんなキャプションつけやがって、もーこれは極刑!! あー、ケトバしてやりたい!!!

いや、そりゃーね、確かに先生の歌詞はむずかしいよ。しかもあのSlave To Loveを始めとするラヴ・ソングの真意ってのは、哲学的テーマを盛り込んだ歌詞よか更に分かりにくい!! おそらくあの哲学系の歌詞を読めるヒトでも、少なく見積もって90パーセントまでは真意をハズす!!まず分からない!! それにしたってね、とにもかくにも何でいつもいつもあんなダサいキャプション付けないと気がすまないのか、もー、誰か教えてやってよ、そんなの時代おくれでダサいだけだから、いーかげんにした方がいいって!! 彼の作品集には全然似合わないって!!  いつの時代のセンスだよっ!! ホントのファンはみんな呆れてるよ!! あのぶんじゃ、どーせ"A Song for Europe"あたりもタダの失恋の歌だとしか思っとらんな。言っとくけどウチの先生はそんなにスケール小さくなーい!! まあこの曲の真意は言っても、ふつーに納得出来るコトなんで、そのうちお話するね。

で、当然私は輸入版の方のCDを買って来ましたけど(以前にも書いたけど、その方がずっとずっと、ずぅぅぅぅ〜っ、と、すがすがしいから!!)、そのブックレットにね、しごくマトモなライナーが付いてて、私ホッとしましたよ。やっぱり英語圏のライターさんはちがうわ。望みうる限り、分かるべきことは分かってらっしゃる。うんうん。日本人だけだよ、フェリー先生の真の偉大さを知らないのは!!

で、まあイリーガルではあるけど、そのブックレットのライナーを翻訳しときましょう。国内盤でもせめてあれの翻訳がされてたらいいんだけど、どうなのかな。ま、叱られたら、あんなキャプション付けたヤツがいるからだって言ってやるもん!! うー、今度のライヴって国内盤出るの? ヤメてよ、も〜、アホなナツメロ・キャプションや解説付けるのは!! あれもブックレットに、しごくマトモなライナー付いてるから、せめてあれの翻訳にしておいてくれ〜!!! "AVALON"のりマスター版も、それにしなかったら、レット・ディヴィス氏とボブ・クリアマウンテン氏のライナーを訳してしまうぞ、私は!! ともかく↓がその"Slave To Love - The Best of the Ballads"のライナーの訳!!


いわゆるフェリー・マジックというものは、簡単に取替えのきくような種類のものではない 。それはどこかから流用されたものではなく、また意図的に捏造されたものでもないからだ。言ってみればそれは天賦の才と殆ど戦略的と言っていい鋭敏な意識のユニークな渾淆の上に存するものである。しかしフェリーの場合、そうした特質に加え、彼の世代において明確な定義を持つ手法のひとつを挙げる必要があるだろう。かつてリチャード・ハミルトンがポップ・アートを「popular, transient, expendable, witty, sexy, gimmicky, and glamourous (通俗的(大衆的)、過渡的(一時的)、消費されるもの、機知、セクシーさ(きわどさ、魅力)、シカケに富むこと、魅力的であること)」と定義した時、巧妙かつ包括的にこれらの特質を音楽の世界に持ち込みうる人材を手中にしているとは思いもよらなかったはずだ。ここに原型的な70年代バンドであるロキシー・ミュージックが成立する。そしてそれはかの一撃によって出発点を得たと言っていい。「*1Virginia Plain」、それが*2彼女の名であり、そしてそれは旋風を巻き起こして、「*3リオへと飛び翔けた」のだ。

このロキシーの輝かしい成功の一方で、フェリーは主に彼の好きな他のミュージシャンによる作品を、彼流に新たに展開することにより構築される ソロ・レコーディングによって、素早く第2の糸口を開いてゆく。 確かに彼の、脱かつ再構築とも言えるこれらの作品は、*4ポストモダニズム的予兆を纏っているが、同時にこうした初期のアルバムにおけるフェリーの素材再展開について論じようとすれば、*5アイロニー、*6パスティッシュ、*7ブリコラージュといった言葉が容易に浮かんでくるところでもある。しかしこうした言葉を突出させ過ぎることは、他のアーティストの作品の彼によるカヴァーに示された胸を打つ率直さや、真にその内面からくる生命力を見落とすことにもなるのだ。意図性と率直な純粋さ を融合させるといった、このまごうことなき彼の才能が、そのカヴァー曲の数々に独特の特性を与え、そしてその鋭敏さこそがそれらの作品を的を射たものとしていると言っていい。

長年に渡ってフェリーは彼の歌と様式の幅を広げる試みを続けてきたが、それらは彼自身の筆によるものであろうと、他の作者のものであろうと、違和感なくその*8作品に組み入れられている。"Slave to love"はその所産への手掛かりを示してくれる作品であり、そしてそれはおそらく最も中心的な要素を示すものでもあるだろう。このコレクションの中には1973年にレコーディングされた"These foolish things" のように初期の曲も含まれているが、その殆どは80年代から90年代に生み出されたものだ。この間、フェリーは我々全ての思いの中に確かにある憧憬(言うに言われない想い)、それを(彼の音楽で)捕えることに献身して来たと言っていい。.言葉にしようとすれば粉々に崩れ去ってしまいそうではあるが、その最も完全な表現の形が「ラヴ・ソング」なのである

ウォルター・ケスラー

訳者注

注*1 ロキシー・ミュージック、伝説のデヴュー・シングル

注*2 「Virginia Plain」の歌詞の中の一節

注*3 このように人間ではない何事かを指してshe, he, her ,himなどの代名詞を用いることは、こうした芸術的意図を持った文章では特によく用いられる。

注*4 ポストモダニズム...19世紀末から20世紀前半にかけての芸術・文化の傾向のひとつにモダニズムがあるが、これはこの時代の産業社会の発展と対応した動きであって、特に伝統との断絶、機能性、新しさの探求などを特徴とする。デザインや建築の領域で特にモダニズムの運動は有力であったが、その反動が後にポストモダニズムとして現出することになる。モダニズムが機能主義と結びついて比較的単純な要素から成っていたのに対し、ポストモダニズムでは異質な要素を重ね合わせたり、過去の作品からの引用がなされたりする。そのため、その意味でそれは思想の領域のポスト構造主義と対応しているといわれる。モダニズムの場合と同じく、ポストモダニズムも建築、デザインの領域で具体的な作品となって現れており、それらの作品はしばしば折衷主義の傾向を見せる。

ちなみに構造主義とは1960年代に特にフランスで盛んになったもので、思想史的には実存主義の後退の後に現れ、「構造」という概念を中心に据える。この反動として現れるのが後のポスト構造主義であり、構造主義における人間軽視の傾向の反作用としてそこでは殆ど無視されていた宗教や歴史の役割が再度重要視されるようになる。一般にポスト構造主義は思想の領域での動きを示し、ポスト・モダニズムは文化・芸術での動きを指すものとされる。

またこのポスト構造主義と不可分な存在としてフランスの哲学者ジャック・デリダにより提唱されたディコンストラクション(脱構築)が挙げられねばならない。これは伝統的な西欧の形而上学の基盤にあるあらゆる考え方を徹底的に批判したもの。ディコンストラクションでは、まず第一に与えられたものとしての全体性という考え方を否定する。当然それは、その背後にある神とか理性といった秩序の基礎にあるものを批判することになる(このへんが最終哲学体系に通底する部分なのよ〜。やっぱり天才ね〜、ジャック・デリダって!! んでもって、ウチの先生のA Song for Europe なんかは〜、モロこのあたりと関係があるのよん。るんるん)。またこれは元の言葉、即ち存在と表象、中心と周辺といった全ての二元論を否定し、多元論的な考え方を優先させる。(おお!! さすが!! よくお分かりですこと!!)

注*5 アイロニー(irony)...ギリシア語のエイロネイア(eironeia)「装われた無知」を語源とする。ユーモア性を持った皮肉、芸術的比喩でもある反語、風刺などで、ある言葉をそれと正反対の意味に用いることにより、ある現象または人間について逆説的な真理をつくことをいう。

*6 パスティッシュ(pastiche)仏・英)...いろいろな作品の寄せ集め、諸作品の継ぎ合わせ。また模倣作品。語源はイタリア語のpasticcio(パスタのパイ)から来るが、特に継ぎ合わせられた諸作品が理想的に渾淆して新たな個性が築き上げられた作品をいう。

注*7ブリコラージュ(bricolage)仏) ...一般にいろいろな仕事に手を出すことをいう。また、文化人類学者レヴィ・ストロースの定義するところによれば、「自己の幻想のみを追い、自己の内面に戻ることにより、それに基づいて行われる作業」をいう。またストロースは「市場社会のシステムに規定されることなく、限りなく自己に、原始のロマンに戻って「手仕事」として全てを創り上げること、現在は学問や思想さえも、そうした「ブリコラージュ」でなければならない」と言っている。

注*8 原文oeuvre = 仏) 作品、仕事、活動

(原文は輸入版のCDのブックレットで見てね。)


うううーん....。いやー、もーなんつーか、これがヨーロッパでライナーのひとつも書こうかという方のCPU標準仕様なんでしょうか。だとすると、とんでもない世界ですな。そもそも入ってる解析ソフトの性能&データバンクのケタがちがうってゆーかー、ただただ、恐れ入るしかございませんです。この長年彼の作品を掘り返してきた私でさえ、フェリー先生の作品に対して新たな見地を見出したくらいですから。(合掌)

まあ要約すれば、先生の作品は緻密かつパーフェクトに張り巡らされた論理構造を持ちながら、それに生命を与えているのがまぎれもない彼自身の心だってコトですよね。うんうん。だからね、彼の作品って、どれ聴いても絶対冷たくないでしょ? ふつー、これだけの論理を構築するヒトってのは、それだけに走っちゃってかえって「仏作って魂入れず」状態に陥りやすいんですよ。論理におぼれちゃうというか。でもその論理を統括しているのが、何より作者のハート、未だに自分でも止めようがない痛みに苛まれつづけてる彼の"never stop bleeding" な心だってことなんですよね。こういう緻密でありながら論理に流されないっていうの、視覚的に捉えるとすれば、例えば画家ならレンブラント、それからアルフォンス・ミュシャ、特に彼の油彩なんかを想い起こさせるんだよなあ....。そう言えば、ミュシャもいい絵描くためなら何でもやったってヒトだったよな...。

きゃはははは、私ってネが極道だから、こーゆー思想がどーの、哲学がどーのってゆー話してるとめちゃゴキゲンになるけど(楽しいっっ!!!)、ふつー、マトモな思考の持ち主にとっては↑の脚注なんか気ぃ狂いそうになるよーなお話よね。 ともあれ、いちおー、こーゆーのがヨーロッパなどでは「評論」と呼ばれるらしいですよ。よく私の言ってる「芸能レポート」と、どこがちがうか一目瞭然って気もしますけど、なにしろあの脚注付けるのにも結構テマかかっちまったもんな。書くヒトも書くヒトだが、こーゆーのを書かせてしまう作品作ってるフェリーさんもフェリーさんよね。しかもこれ「ラヴ・ソング」系の作品集の解説でしかないんだもんね〜。哲学系なんて殆ど入ってなーい!! それでこれ〜!!! 笑っちゃう〜。「世界がちがう」としか言いようがありませんわ。おほほほほほ。

ま、日本の現状については言いたいことはいくらもあるが!! 言い始めると、とことんボロクソ言っちゃいそーだから、今の所はだまっておく!! でもいつかは言ってやる〜!!!

ともかく、ね? 彼の作品に表現されているものは「愛」であって、ちまちまちまちまちまちました「架空の恋愛」ではないでしょ? 少なくとも日本的なかよー曲との根本的なスケールの差くらいは感じて頂けるでしょ? 日本のかよー曲の、どこでポストモダニズムとか、パスティッシュとかブリコラージュとか、出で来るヨチがあんのよ〜?!?!?! だから彼の作品を、ジャパニーズ・かよー曲といっしょくたにされたことを、どれほど私が怒っているか、多少は感じてもらえるでしょう? のーてんきに教養がないのにも程がある〜う!!! ま、たまにはせめてこれくらい言ってやらないとね。ほっとくとアホが伝染、増殖して困るんだもの...。

       

2003.7.24.

★Colin Good★

うー、聴けば聴くほどいいなあ、ライヴ・アルバム。なーんか、宝石箱みたーい。

中でもやっぱり、あやぼー的に特に出色なのはコリン・グッドのピアノだよね〜。んー、パリのライヴDVD見た時から、やたらすごいピアノを弾くヒトだなあとは思ってたけど、もー、天才だよ、彼って。

そもそもクラシックの基盤がしっかりある人だというのは演奏聴いてれば一発で分かるけど、だからジャズ・ピアノまでは分かるよ。でもさー、ロック・ピアノまで、こうもこなせるとは思ってなかった。恐れ入りました。いやー、もう、3歩下がってアタマ下げるしかごさいませんわ、わたくし。

例えば2枚目の"Do the strand"ね。このピアノ、もー、ホントにゆわえる典型的な「ロック・ピアノ」でしょ。それがパワフルの一語につきるんだわ。それでいてなんてゆーか、他のジャンルの演奏から連想される「コリン・グッドの」ロック・ピアノにちゃんとなってる...。最後の"For Your Pleasure" でも、ヘタなヤツにたたかせたら気にさわるだけの高音が〜、ビューティフルの一語につきるのよ〜。

そう思って他のも聴き返すと、やっぱりどれもこれもすごいクオリティで弾いてるんだよなあ。フェリーは気に入ってるなんて程度のものじゃないんじゃない? 単にピアニストとしてバックで弾かせるだけじゃなくて、プロデュースには加えるわ、M.D.(ミュージカル・ディレクター)には据えるわ、挙句のハテにROXYにまで引っぱりこんでるとは思わなかった...。やっばりなー、天才は天才どうしってゆーか、相当喜んでるだろうな、このビアニストを手に入れたことは。

もともと私はフェリーって音楽のジャンルなんてなんも気にしてないってゆーか、クラシックだろうが、オペラだろうが、ロックだろうが、フォークだろうが、ジャズだろうが、ポップスだろうが、何でも好きで何でも消化してしまうヒトなんじゃないかとは思ってたんですよ。だからソロ・キャリアを始めるにあたって、ファースト・アルバムがロックであること、またオリジナル曲であることにこだわらなかったんでしょ。彼を単に「ロック・ミュージシャン」という観点からだけしか見ないとしたら、それはちがうと思う。あのソロでもそうだけど、それと同時に基本的にSINGERなんですよね、つまり「歌手、歌い手」。自分でも言ってるけど、

"Don't Think Twice" was done very simply and live, which is quite unusual these days. I'm always building these collages of sound, but it was great for me, as a singer, not to have to compete with a hundred other instruments.(「"Don't think twice"はシンプルでライヴにやったんだけど、それって最近ではとても珍しいだろ。ぼくはこれまでずっと音をコラージュするように創り上げて来たけど、でも歌手としてはさ、沢山の楽器と競わなくてもいいっていうのは、なかなかすばらしいことだったんだよ。」)"

との、おコトバでございます。はい。

まあ彼自身"singer"って言葉を使ってるし、私もやっぱりな、とは思いましたけど、それに音の作り方ね。このコラージュっていうの、やっぱり私が以前言ってた「音を絵画的に構築してる」ってのは、まったく的を射てたってことよね〜。ふふふふふ、ウレシイわ。何にしてももちろんそのsingerとしての才能だけでもすごいのに、あれこれ他のも持ってるからなあ、彼は。

そもそもフェリーの作品、例えば"Boys and Girls"の中の曲なんかは、マネ出来そうで、マネ出来ないっていうか、他のヒトでも作れそうで作れない曲じゃないですか。そういうのも、さまざまな音楽の渾淆から生み出されるもので、だからもう彼の作品とか音楽とかはジャンルがどーのこーのと言う問題じゃなく、既に「BRYAN FERRY」というジャンル、誰にもマネできないジャンルだと以前も言ってたわけね。ともかくそういうヒトだから、クラシック、ジャズ、ロック、なんだろうと最高のレベルでこなせるビアニストなんて、願ってもないんだろうと思うよ。そりゃ、もちろんROXYのメンバーがそもそもそういう多様なスタイルに対応しうる才能のあるミュージシャンだったわけだけど、それにしても楽しみだなあ、この先どんな作品作ってくれるか。もう大々的に期待してしまっているよ、私は。

     

★いきなりですが...★

ちょっとブラックなこと言っていい? ふと思ったんだけどね...

「日本人って、ロックって何だと思ってるんだろう...」(暗)

それ考えると、悲しいやら、なさけないやら...。この気持ち、分かってくれるヒトもきっとあるかと思って...。

     

2003.7.22.-7.24.

★In Every Dream Home A Heartache★

オフィシャル・サイトで"SAN SIMEON"の話が出て、この曲の経緯を知って以来、あまり好きじゃなかった初期の頃の"In Every Dream Home A Heartache"が、なんかすごい愛しい...。好きじゃなかったってのは、この曲のイメージ的なものがすっごくてね。クレイジーってゆーか、けっこー私なんかは怖かったんだよ、この歌。底にあるイミまで読むと表面のイメージはシャレっけだって分かるんだけど、とにかく語感からイメージを引き出すのがうまいというか、特に2節めがぞっとするような印象があるの。

コトバそのものは単純で大してむずかしくない歌詞なんだけど、これの描き出す強烈なイメージと、その奥にある作者の意図の深さね、そのへんが分かってくると面白い。それでライヴ・アルバムでも、この曲のせめてイメージくらい知って聴いた方が雰囲気伝わるかと思ってお話しようかなと思ったわけ。なんで先生があんなヴォーカルのとりかたしてるかってのも分かるとおもうし〜♪

まずタイトル"In every dream home a heartache"は、このひとかたまりのコトバで、ドンとイメージ作ってるタイプのタイトルなんで非常に日本語にしにくいんですけど、そのイミするところを出来るだけ直訳に近い形で再現すると、「故郷を想う夢それぞれの中には(In every dream home)心痛がある(a heartache)」っていうような感じです。事実この歌詞最後まで読んでもらうと分かると思うんですが、辛いのは誰かというと詩の作者なんですよね。「天国から遠ざかるばかり」だから、「どんなに豪華な環境で暮らしても満たされない」から、「どんなに大事にしても見返りをもたらさない」から、そして最後の一行「心を砕かれた」から、辛いのは作者本人なんです。だからタイトルも"I dream home in every dream and it's a heartache"と受け取って始めて、この作品が作者本人の気持ちを語ったものとして一貫した内容になると思うんですよ。

このdream homeは本来「動詞+副詞」で、例えば日常よく使う英語の言い回しに、walk home、 drive home、 write homeなどがありますが、これらはそれぞれ「歩いて家まで送る」、「クルマで送る」、「家へ手紙を書く」というようなイミなんです。だからdream homeは「故郷へ想いをはせる」ってコトだと思うんですけどね。 

ともあれ、そういう受け取り方で説明を続けますと、"home"というのは一般に「住居、自宅」ですけど、"house"と、ちがうのは通常心理的にあたたかい場所、平穏と安息がある場所、日本語にすると「故郷」とか「家庭」という含みのイミを持っていることですね。ただ、彼の使う"home"というコトバには、ほぼ一貫して歴史認識に基づく作者独自のイミが不可されてるようなんですが、まあこの歌詞を読む限りでは、そこまで深く考察しなくても大体のイミは通ります。

かつて自分がいた場所、幸福と安息に満ちた場所に今はいないから、そのあとの節で

And every step I take

Takes me further form heaven

Is there a heaven 

I'd like to think so

 

そしてこの一歩一歩が

ぼくを天国から遠ざける

天国などあるのか

ぼくはそう信じたい

 

という状況にあることが歌われているわけです。だから1行目のIn every dream home a heartacheとこの後の数行はあくまで作者の心理状況を語っている一節として対応させて訳さなければイミがありません。「信じたいけれども今は安息に満ちた場所から遠ざかるばかりだ」から、「故郷(かつていた安息の地)を想う夢のそれぞれが胸をしめつける」んですよね? そして、

Standards of living

They're rising daily

But home oh sweet home

It's only a saying

 

暮らし向きは

日々良くなってゆくけれど

心温まる家庭

それはただの言い習わし

 

とりあえず直訳に近い形にしてますけど、この部分は「どんなに生活が良くなろうと、そこは昔自分がいたようなあたたかな場所(home)ではありえず、スイートホームなどというものは世に言われるだけのものでしかない」というのがこの一節です。そしてこれに続くのは"SAN SIMEON"と同じようにsmart town apartment(気の効いた街のアパート)、the cottage is pretty(コテージはステキ)、the main house a palace(本宅は宮殿)、Penthouse Perfection(ペントハウスは完璧)、とゴージャスな暮らしぶりをずらずらずらっと並べあげたあとで、ガンと来るのが次の一節、

But what goes on

What to do there

Better Pray there

 

けれど何が起きているのか

そこで何をするのか

祈る方がずっといい

 

つまり、この一節で作者は、「どんなにゴージャスな暮らしも空虚でしかない」という結論に達していることが分かるわけです。それはその豪勢な暮らしが決して彼にとっての"home"ではありえないからなんですね。このへん確かに”SAN SIMEON”の一方のテーマと本質的に近いよね。

そして問題の2節。うー、これねー。60〜70年代のアメリカ映画なんかにありそうな設定なんですけど、このへんがホラーなんですよ。と言ってもオバケとか出て来るやつじゃなくて、「あらゆる豪華なものに囲まれて暮らす恵まれた人の、心理の奥底にある孤独と狂気」とでも言えばいいのかな。究極の物質文明が、人間を孤独に追いやるっていうかね、まあ今の日本でもそれに近いものってあるじゃないですか。家庭崩壊とか、一緒に暮らしていても既に家族とは言えず、家庭とも呼べない不毛な関係。笑い合って友だちヅラしながら、心は少しも通じていない友人関係。それらが人間をどんどん孤独に追いやり、狂気を併発し、暴力をも誘発する、って感じ? この歌詞の場合も、どれほど良い暮らしをしていても、「天国から遠ざかるばかり」で、もう精神に平穏が戻ることはない、だからどんどんその失望感や孤独感から狂気にさいなまれてゆく、っていうよーな、コワいイメージを作者はあとの節で描き出してるんです。まあ心理ホラーとでも言えばいいのかな? そういえば、栗本薫さんの作品の中にもあるよね、そういうお話。で、続きですが、

I bought you mail order

My plain wrapper baby

 

ぼくはきみをメイル・オーダーで買った

簡単にくるまれたきみ

 

そういう豪華な暮らしの中で孤独と狂気を併発しかけている歌詞の中の「ぼく」がメールオーダーで何を買ったかというと、「Immortal and life size * inflatable doll」 これは、まあ言えば「等身大のふくらませる人形」を買ったわけね。人形なんだから当然「immortal(不死の)」ですよね。このメールオーダーってのも、あまりにこれが発表された70年代当時のアメリカ的でリアルさを増すというか、私なんか最高だなと思って笑っちゃうんだけど、この買ったモノってのが更にコワいと思わない? しかもそれを、どーしてるかってゆーと、

Your skin is like vinyl

The perfect companion

You float in my new pool

De luxe and delightful

Inflatable doll

My role is to serve you

Disposable darling

Can't throw you away now

Immortal and life size

My breath is inside you

I'll dress up you daily

And keep you till death sighs

 

きみの肌はビニールのよう

なパートナー

きみはぼくの新しいプールに浮かんで

でぼくを楽しませてくれる

ふくらませた人形

ぼくの役目はきみに仕えること

使い捨てにできる恋人

もう手放すことは出来ない

死ぬこともなく等身大で

きみに生命を吹きこんだのはぼく

毎日着飾らせて

死の時まで共に

 

って具合にですね、プールにうかべてためつすがめつ眺.めたり、パーフェクトなコンパニオンだとかデラックスだとか考えつつ悦に入ったり、毎日あれこれドレスアップさせたり、自分の役目はきみに仕えることとか、今やきみを捨てることなんか出来ないとか、死ぬまで側に置いておこうとか、ますます切々と思いつめてゆくんですよ。とにかく気に入って毎日スリスリしているとゆー、この情景が「コワい」以外の何者でもないじゃありませんか。異常でしょ、どう見ても。それもその舞台背景が、あのゴージャスな邸宅の中だったりしたら、これはもー、めちゃコワいですよ。どこで発狂するかの世界じゃないですか。だから、ヴォーカルもそういう歌詞の雰囲気を表現して、ああいう歌い方してるってコトですよね。

まあここまでは表面上のイミを読んでみたわけですが、で、も、これはもちろん作者の、シャ、レ。(きゃはは〜♪)

ここから↓は、真意をバクロしてるんで、歌詞の雰囲気とかイメージをこわしたくない方は読まない方が良いと思います。でももー、ここまできたら、こわいもの見たさになっちゃうよね。ごめんね。


で、これはマジでそーゆー異常な歌うたってるわけじゃないのよね。それは表面上のイメージでしかなくて、実は、この後半の部分は全くマトモな「理想喪失」を歌った象徴詩なんです(アルチュール・ランボーにも、こういうのはあるぞ。殆どヨーロッパの伝統芸能かもしれない、これって)。それは最後の一節で分かるんだけど、

I blew up your body

But you blew my mind

 

ぼくはきみの身体をこっぱみじんに砕いた

けれどきみが砕いたのは、ぼくの心だ

 

つまりね、このInflatable dollっていうのは、他の例えば"True to life"では"diamond lady"と表現されているような、彼がかつて持っていた「理想」、自分がそうあろうとしたかつての理想の人間像や、その基盤となる考え方を象徴してるんです。これSPのStudy of the lyricsを読んでもらうともっとよく分かるんですけど、そもそも↓で"Boys and Girls"を分析した時に書いたような哲学的思考展開というのは、社会の悲惨や不条理への疑問とか怒りを発端としてるもので、彼がそういう不条理に対して今でさえ無関心でいられないヒトだということは最近の"CRUEL"見ても分かるでしょ。だから今彼が持ってるような最終的な解答を出す以前には、お定まりとはいえキレイな理想を持っていたわけですよ。つまり「他者のためにつくす」というようなね。それを今の彼はblew up(爆破した)してしまった、つまりあれほどかわいがってスリスリしてたのに自ら「こっぱみじんに粉砕してしまった」から、今となってはその「きみ」と「きみを失ったこと」こそが彼の心を砕いた張本人、つまり原因だと結論してるってことだと思うんです。

で、このI blew up your bodyね、確かにblow upには「ふくらませる」というイミもあるし、この人形はinflatable(ふくらませられる)ものだから、「ぼくはきみの身体をふくらませた」というのも表面的には正しいように見えるんだけど、でもblow upには「爆破する」というイミもあって(blow一語でも同じイミになりますが)、「ぼくはきみの身体を爆破した」つまり「こっぱみじんにした」という直訳もできる。このどっちを選ぶかが文脈、つまり詩の真意にかかってくるわけですよ。歌詞の全体が起承転結つくように訳さないとイミがないから、それを先におさえないと直訳でさえ判断つけられないというの、こういうの見ると分かるでしょ? 

まあこの部分はどちらで訳しても、全体から見てタイトルのイミを取りちがえるほど大きな誤訳にはなりませんし、どちらが正しいかは作者以外に言えないことだと思うので、これはあくまで私の考えということで聞いて下さい。

で、私としては双方が相手を粉砕しているという相互関係があってこそ、最後の一行がすさまじく迫ってくるように思います。それがなければ何故そんなに可愛がっていた人形に、しかもそれが文字通りタダの人形だったとすれば、彼が「心を砕かれる」と言うほど傷つけられる理由が見つけられますか? でもこれが何らかの象徴的な存在であれば、他の作品との関連から単に歌詞の中の架空の「ぼく」ではなく、作者本人が「本当に打ち砕かれている」という状況が見えてくるんですよ。そして今はもうこの"doll"が象徴しているものを彼は事実持っていないので、単にふくらませただけじゃなく、「こわした」というイミが出てこそ彼の作品全体に一貫性を求められると思うわけです。そしてだからこそ、この曲の最後、特に強調して歌われている「But you blew my mind」が、生きた一行になるんじゃないですか? そして言葉にこめられているのが架空のものではなく作者自身の気持ちそのものだからこそ、ただの歌謡曲では決して与えられない衝撃を与えるようなヴォーカルになりうるんじゃないでしょうか。それが以前から私が言ってる「歌にハートが入っている」ということの具体的なイミなんですけどね。

それと、ちなみにこの後半部分で、

I'll dress up you daily

And keep you till death sighs

このあたりが未来形になってるのは、強い意志を表現するもので、かつて作者が強く思っていたことを語っているんだと思います。まあ言えば、「着飾らせもしよう、死の時まで側にも置こう」と思ってたから、「My role is to serve you(ぼくの役目はきみに仕えること)」とまで思いつめて「いた」んでしょ、実際。でもそうしてもなおその「人形」は"lover ungrateful (見返りのない恋人)"、つまり何一つ救いをもたらさなかったからこそ、blew up(爆破した)してしまったんだと、私は思いますね。この作品の場合は、こうした後半部分の途中の時制にヘンにまどわされるべきではないでしょう。そもそも結論としての最後の一行が過去形で、すでに彼は「打ち砕かれてしまっている」わけですから、この先まだ死ぬまでその「人形」を同じように大事にしてゆくとは考えられません。なぜならそれは彼にとって既に「終わった恋」だから。

      


      

さて、これで、前半、後半それぞれについては、いちおーの説明しましたけど、双方の関わりを説明しないと起承転結ハッキリしないよね。では...。

まず前半の部分。これはこの作品だけでは私もそこまでの含みがあるとは思わなかったんだけど、"SAN SIMEON"とか"CRUEL" 、 "A Fool For Love"でやっと彼にとってのhomeのイミがハッキリしたんで、たぶんこれもその含みがあるんじゃないかなという気がするのよね。彼にとって"home"っていうのは、「原初の楽園」ともいうべきものみたいで、それは自分の個人的な故郷というよりは、人間の歴史の混沌が始まる前のエデンとでもいうか、(まあ言えば"AVALON"とも通底するところがあると思うけど、)未だ人間が平穏に暮らせた時代の「理想郷」ってことらしいんですね。

これは"CRUEL"の冒頭でも見られるような歴史認識から来るものだと思うんですけど、ともあれ、かつて人間は愛に満ちた平穏な世界で暮らしていたはずなのに、今では長い歴史の混沌の底でのたうち回っている。そもそもこれが不条理の認識なんですけど、それがあるからこの混沌とした世界で、かつての楽園を思う時胸がいたむってのが、この作品前半の総合的な真意じゃないかなっ、と私は思ってるんですよ。だから冒頭の部分で「天国から遠ざかって行く」と言ってるわけで、つまりhome=heavenなわけですよね。

この歌詞の中の物質的に恵まれた状況を延々と並べている部分も、彼、もしくは歌詞の中の「ぼく」個人のものというよりは物に埋もれながら心(愛)を失ってしまった社会そのものに言及してるってコトも考えられます。Standards of living つまり生活水準っていうのは、個人のことも言うけど社会全体のことも言うでしょ。で、一般に文明圏での生活水準は歴史的に見て高くなる一方ですよね。そうするとこの部分は豪華なペントハウスに住んでるヒトもいれば、気の効いたアパートに住んでるヒトもいる、ある者は宮殿のような屋敷に住み、こぎれいな別荘を持ってる者もいる、で、も、そこで実はいったい何が起こってるのか、何をすることがあるのか。物質的な生活水準は高くなる一方なのに、本当はその状況こそが救いようがなく空虚で愛がない、だからこそ、そこ(人々の生きている世界)で、モノに埋もれてゆくよりは、祈る方が余程救いを得られるだろう、と、ここまで読むことも可能なんですよね。

どちらにせよ、こういう何らかの深いイミのある前半だからこそ、この後半部分が生きてくることになるんですけど、後半冒頭はまずこう始まります。

Open plan living

Bungalow ranch style

この部分は、前半の豪勢だけど空虚な暮らしに対して、より比較的質素な生活様式を並べてあるんですね。例えばBungalowは「小別荘」というイミもありますけど、それは比較的小さなもので、またこれには「(インドなどでヨーロッパ人が住んだ)ベランダに取巻かれた草ぶき、瓦ぶきの一階建て住宅」といったような、邸宅に対する「小住宅」というニュアンスがあり、またranchは「牧場」、つまりranch styleにも都市の華麗な生活様式に対して自然の中の素朴な田園スタイルの生活様式というニュアンスがあるわけです。この含みがあるから冒頭のOpen plan livingにつながるわけですが、ちなみにこのopenには、「開いている、広々とした、利用出来る、入手できる、公開の、温和な、温暖な、未解決の、未決定の、知れ渡った、公然の、あからさまな、率直な、腹蔵のない、寛大な、不凍の、」などなどなど、と、私の辞書では形容詞だけで34項目、語句にすると100近いイミが列挙されています。こういうところから見ても、歌詞全体のテーマを把握せずに一語の意味を決定することが、どれほど危険か少しは分かってもらえるでしょう。作者本人の語彙の広さを考えればなおさらです。

ともあれこのOpen plan livingは、それに続く比較的質素でありながら精神的に開放的な生活様式につらなるものですから、やはりopenは「広々とした、開けた」というイミが有力なように思われ、またplanは「案、策、構想、意図」などのイミがあるので、開放的な策、とか構想、とか当てるのが妥当ではないでしょうか。そして、この形容がかかる名詞であるlivingは、living roomの略称として用いられる以前に、そもそも辞書引いてもらえば分かりますけど「生活様式、暮らし方」というイミの方が有力です。そのあたりから考えても、ここは「開放的なタイプの生活様式」、そしてそれが小住宅や、田園スタイルの暮らし方と通底するということでもありますね。

そしてこれに続くのが

All of its comforts

Seem so essential

この部分は前出の素朴な生活様式を指して、「その快適さが重要なことに思われる」と結論しているわけですから、豪壮華麗な暮らしより、そっちの方が作詞者にとっては好ましいってコトなんでしょう。ここを更に深読みすると、前半の好ましくない状況がdiamond lady、好ましい生き方がseaside diamondと通底するってことなのかもしれませんけど、それは"True To Life"を説明しないと分かってもらえないと思うので、ここはとりあえずこのへんまでに留めましょう。

さて、今はこういう認識を持っている詩の作者ですけど、それでもかつて"home"を求めて彼がよりどころとしたのは、メールオーダーで買った人形が象徴している、「キレイだけど空虚な理想」、このinflatable dollは直訳すれば「ふくらませられる人形」ってことですけど、ふくらませるってことは中身空気でなんにも入ってないってコトでしょ? そしてdollにもいろいろイミありますけど、人形のようにととのいすぎてキレイなだけ、という含みのイミもある。つまり「実(じつ)がない」ってことですよね。そういうキレイな理想をですね、側において可愛がって、大事にしてたんだーけーど、どんなに大事にしても、それが結局彼の求める"home"をもたらしはしないから、"blew up(こみっぱみじんにする)"しちゃった、ってコトなんですよね。結論は。

だけどそうやって、大事にしてた「人形」を自ら粉砕した時に、そのことそのもので彼自身の理想も砕けたってのが最後の一行の真意です。もちろんその結論を出したのはROXYを始めるずっと以前のことだと思いますよ。だからこそデヴュー・アルバムのトップが"Re-make Re-model"なんだし。そして何より、何故かつての理想を粉砕しなければならなかったかと言えば、それに代わるものを見つけたからです。彼にとって真の"home"を、もたらしうるモノね。ここから先の思考については他の歌詞読まないと、この曲だけではハッキリ出てませんけど、あえて言うなら"seem so essential" な "open plan living" が、それってことかもしれません。そしてその「代りとなる思想基盤」こそが何より重要で手放し難い最終的なものだからこそ、それ以降の彼は例えそれが一般に受け入れられないものであっても、それに固執してるってことなんでしょうね。

ま、以上はあくまで私個人の解釈ですけど、ともかくこのよーに、この一曲で出てるコトバだけ見てたんでは、英語詩の真意ってのは、量りきれないものなのですよ。歴史、ヨーロッパ芸術史、哲学史、キリスト教史、聖書学その他もろもろ全部やれとまでは言いませんが、せめてこういう歌詞を訳そうとするなら、作者の全ての作品に目を通すくらいのことはしてもらいたいです。「芸術家ならざる者がこの城に近づくならば、僧院に生涯を捧げる覚悟で臨め」ってのが、私、本来言いたいことですけどね。まーなー。日本人にそこまで期待しても、ムリに決まってるから...。でも芸術家というものは芸術と共にあることが至上であり、生まれつきそこにつながれている人たちなんですから、その重さを思えば、その程度の覚悟もなしにズケズケ踏みこもうなんて、あつかましいんじゃないかと思えてならないんですけどね。第一、その覚悟もないタダの人間にやすやすと踏み込ませてくれるほど、かの城の城壁は低くありませんから。

では、これも原文そのまま読んで雰囲気つかんでもらう方がなんぼかいいんですけど、いちおー日本語にしておきますか? 

In Every Dream Home A Heartache

And every step I take

Takes me further form heaven

Is there a heaven 

I'd like to think so

 

Standards of living

They're rising daily

But home oh sweet home

It's only a saying

From bell push to faucet

In smart town apartment

The cottage is pretty

The main house a palace

Penthouse Perfection

But what goes on

What to do there

Better Pray there

************

 

故郷を想う夢はどれも胸をしめつける

そしてこの一歩一歩が

ぼくを天国から遠ざける

天国などあるのか

ぼくはそう信じたい

 

暮らし向きは日々

良くなってゆくけれど

心温まる家庭

それはただの幻

インタフォンから蛇口まで

気の効いたアパートメント

コテージは素敵

本邸は宮殿

ペントハウスは完璧

けれど何が起きているのか

そこで何をするのか

祈る方がずっといい

 

Open plan living

Bungalow ranch style

All of its comforts

Seem so essential

I bought you mail order

My plain wrapper baby

Your skin is like vinyl

The perfect companion

You float in my new pool

De luxe and delightful

Inflatable doll

My role is to serve you

Disposable darling

Can't throw you away now

Immortal and life size

My breath is inside you

I'll dress up you daily

And keep you till death sighs

Inflatable doll

Lover ungrateful

I blew up your body

 

But you blew my mind

 

開放的な暮らし方

バンガローやランチスタイル

それらの快適さが

大切なことであるようで

ぼくはきみをメイル・オーダーで買った

簡単にくるまれたきみ

その肌はビニールのよう

完璧なパートナー

きみはぼくの新しいプールに浮かんで

豪華でぼくを楽しませてくれる

ふくらませた人形

ぼくの役目はきみに仕えること

使い捨てにできる恋人

もう手放すことは出来ない

死ぬこともなく等身大で

きみに生命を吹きこんだのはぼく

毎日着飾らせて

死の時まで共に

ふくらませた人形

見返りのない恋人

ぼくはきみの身体をこっぱみじんに砕いた

 

けれどきみが砕いたのは、ぼくの心だ

 

まあこれで大筋は分かって頂けたのではないかと思いますが、それにしても長いですね...。お疲れさまでした。

         

2003.7.20.

★えーい、なんてことするんだ!!!!!★

くっそー、やっぱりこういうヤツだったか。だーかーら、言ったんだよ、フェリーって今でもまちがいなくロッカーだってっ!!

なんであやぼーがこんなにエキサイトしてるかってゆーと、ROXYの2001年ライヴを網羅した例のアルバムがめちゃすごいからなんだあぁぁぁぁ!!! もー、のっけからRe-make Re-modelで始まるんだけど、これはもー、20年前に解散したバンドの再編回顧アルバムでも、50も半ばのオジさんのヴォーカルでもないぞ!! こんなことやられたら、例えブリティッシュ・ロック界と言えども、90年代の若手バンドなんか顔色ないよ。こりゃー、めちゃ面白くなってきたな。オジさんたちにこれやられてこのまま済ませたらロックやってる資格はない!!

今だから言うけど、ハッキリ言って90年代のUKロックシーンのテイタラクぶりってのはなかったからさ。タルいとゆーか、もー、何のために音楽やってんだよって言いたくなるよーなのばっかだったじゃない。あるイミこのライヴ・アルバムってのは、そういう90年代UKロックのだらしなさに対して挑戦状たたきつけたもおんなじじゃないかって思うよ。ロックってのはこーやるんだよってゆーか、すごいわ、全くもって。ホント、極道なオジさんたちだぜ。

一枚目のラインナップは、Re-Make Re-model、 Street Life、 LADYTRON、このへんは言わずと知れたROXY初期の所産ともいうべきロック・ナンバーばっかだけど、このあたりが特に凄いんだよ。80年代以降、ついぞ見せなかったブライアン・フェリーのロック・ヴォーカル健在ってとこを見事に証明したね。いや、当時よか格段すごいんじゃないかとすら思うよ。オリにとじこめてあったライオン、解放したらここまでなるか、みたいなど迫力だもん。そりゃ"Frantic"でもいくらか聴けたけど、ROXYをバックにやるとノリがまるでちがうんだよ〜。やっぱりなー。もー、またまた惚れ直しちゃうったらない!! 第1期オリジナル・アルバムが1972年〜1975年のスタジオ録音ってコトを考えると、当然メンバーの音楽性も格段向上してるんだし、ROXYのニュースタンダードを確立したって言っても過言じゃないね。今からこれ聴かずしてROXY MUSICを語るなかれだと思うな、私は。なんでっ、ライヴでオリジナルのスタジオ録音よかタイトでパーフェクトな音が出るかな。ああ、もー、ただひたすらカンドーする以外に私には...。

で、While My Heart Is Still Beating、 Out of The Blue、 A Song For Europe と続くんだけど、またまたまたまたまた、このA Song For Europeがあああああ!!! コリン・グッドのみごとなピアノで始まるんだよ!!! 昨今のフェリーのお気に入りだろうねって↓でも書いてたけど、リマスター版の"AVALON"でもプロデュースに入ってたし、 そりゃ御大に気に入られて当然のピアノだけどさ、実際"As Time Goes By"や"Frantic"が音楽性という面で更に伸びてるってコト考えると、このコリン・グッドってヒトの影響はめちゃ大きいと思う。とにかく彼のピアノってのは聴き入ってしまうんだよぉ。私ホントにこういう生ピアノの生命力あふれるビューティフルな演奏ってめちゃ好きだからさ。この、のっけからもろロックロックしたアルバムでいきなりクラシカルと言ってさえいいピアノで割り込んできて息を呑ませるような演奏するんだものなあ...(タメイキ...)。しかもA Song For Europeがそのタイトル通り、ヨーロッパ的な繊細さにあふれる、ノスタルジックで歌い上げるってタイプの曲じゃないですか。キマるんだよな、これがまた。カッコいい、ってのはこーゆーコト言うんだよ、こーゆーこと!!

このあとはMy Only Love、 In Every Dream Home A Heartache(この歌詞がまたいーんだよ、なんかホラーなイメージがあって!! )、 Oh Yeah!、 Both Ends Burningと続いてラストがTARAなんだけど、これもオリジナルよりアレンジ加えて更に広がりのある曲に仕上げてるんだよね。これも聴かせてるけど、A Song For Europeのアンディさんのサックスってのはもー、これまたど迫力なんですよ。それを言うならLADYTRONとかでのフィルさんのギター・ソロもすごいけどっ。

今から思うに、これオリジナル・メンバーでしょ? よくまあ、いちどきにこんな才能のあるヒトばっかり集まったもんだよね。これにポール・トンプソン、そしてブライアン・イーノだもの。これは70年代マジックなのか、それともフェリーがやっぱり絶大な強運の星のもとに生まれてるヒトだからなのか、とにかく信じらんないよね、こんな人たちが一同に会する機縁なんてのは。フェリーはイーノの脱退後もポール・トンプソンの脱退後も、誰もROXY MUSICへの正式加入という形は取ってないと思うけど、彼にとってはやはりこの5人だけがまぎれもないROXY MUSICのメンバーということなんだろうな。ここまで言うとワガママだと分かってはいるけど、欲しいよなー、このライヴにイーノのキーボード!!

で、1枚目だけでも十分だと思うのに、2枚目まであるから嬉しかったりするのよね〜。こちらはMore than this、 AVALON、 Dance awayとわりとポップ系の曲が始め続いてて、今ロックを聴きたい私としては、ちょっとペースダウンする感じが否めないんだけど、その代わりEditions of youに入るといきなりバンドが生き返るっていうか、一気にテンション上がるから面白い。ここからあとは、VIRGINIA PLAIN、 LOVE is the drug, Do the Strand、と初期ROXYのパワフルな曲を一気に聴かせて、ラストFor your Pleasureで終わるの。

うー、音だけ聴いててもそりゃーめちゃいいんだけど、何といってもROXY MUSICの魅力は音楽ばかりじゃなく、そのシアトリカルなライヴ・パフォーマンスにある、ってのがよく言われることですよね。このライヴ・アルバムに入ってるフォト見ても、もーめっちゃ派手な舞台装置のくせに、なんか洗練されてるというか、これはもー、かなうなら絶対日本じゃなく本国でライヴ見たいよね。私あんまり日本でライヴ見たいなって思わないのもあるけど。

さて、最後にこのライヴ・アルバムの概要を付け加えますと、2001年の再編による51日間に渡るワールドツアーの中から、ハイライト的な曲を集めて編纂されているもの。実質18年を経ての再編だけに、ROXY MUSICの音楽的革新性やシアトリカルな見せ方がそのまま生きているかどうか注目されたらしいけど、これはもー、十分観客を納得させたってことなんじゃないかな。フェリーは最近Ivor Novello Awardsで英国の音楽に対する多大な貢献をみとめられて受賞したって話だし、まあヴォーカリスト、ソングライターとしてばかりじゃなく、パフォーマーとしても特にすぐれてるってコトなんでしょうね。同時に回りにいる人たちの貢献も見過ごしには出来ないと思う。彼自身もそれには感謝してるって言ってるらしいしね。

ともかくこのライヴ、ホントの「ロック」が聴きたいってヒトには是非聴いてもらいたいなあ。これこれ、ロック・ヴォーカル、ロック・バンドってのはコレなんですよ。それでいてこの音の洪水の中で、A Song for EuropeとかTARAみたいなぐっと聴かせる曲が映えるってのは、緩急のつけ方がうまいっていうか、これで双方引き立てあってしまうんだよね。それにやはりこのアルバムではバンドが望みうる限りトップ・シェイプにあるってとこも聴いて欲しいなあと思う。

MDに落とすとどうしてもクオリティ落ちるけど、うちのふつーのオーディオでもヘッドフォンかけて大音響で聴いてるとすっごい迫力だし、こうなるとますますいいオーディオが欲しいよなあ。うー、このアルバムの話はきっとまたすると思うよ。すばらしいんだもん。しばらくハマらずにはいないな、もうこれは...。

        

2002.7.17.

★いいオーディオが欲しい!!!★

ROXY MUSIC "AVALON" SACD Remaster

*The PCM and DSD stereo ...オリジナルの10曲収録

*DSD Multi-channel player...オリジナル+always unknowing(シングル"Avalon"のB面に入ってた曲) 収録

ということで、念のため付け加えますと、PCでは聴けません。通常のCDプレイヤーなら、オリジナル10曲は聴けますが、always unknowingだけは、DSD Multi-channel対応機器でしか聴けません。うー、でも通常のCD プレイヤーで聴いても、明らかにオトがハイクオリティになってる〜!!

      

って、コトで、昨日SACDの話をちょこっと書いてましたが、これはもー絶対、めちゃいいオーディオで、しかもサラウンド・システムとか入れて聴きたいよー。欲しいよー。あやぼーんちの、ふつーのオーディオじゃもったいないよー。しゃーちゃんのサラウンド・システムだったらきっともっといいと思うんだけど、ウチにも入れようかなあ、そういうの、でもビンボーだしなー。

そもそも私ってオーディオ・マニアの人たちみたいに全然耳よくないから、リミックスとかリマスターとか言われても、何のことだかよく分っくわんない!! という場合が多いんですよね。でもさすがにこのアルバムだけは、オリジナルを数百回、ひょっとすると千回は聴いてんじゃないかってくらい聴きまくりましたから、さすがに音の冴えってのが、ちがうというのに気付けます。もともとのオリジナルの方も、そんなに悪くないと思いますけど、何がちがうって、ともかく楽器の音がしっかり浮き上がってくるんですよー、コレが!! オリジナルではバッキングで平坦にしか出てなかったアンディさんのサックスとか、フィルさんのギターが、ちゃんとヴォーカルに絡んでくるの。おお、やっぱりROXY MUSICってバンドだったんだなあ(笑)と、今更ながらによくよく分かりました。きゃはは。

でね、もともとああいう音ですから、あれをサラウンドで聴いたらオリジナルだって広がりがどれほどあるだろうって感じするんですけど、このSACDを、そうやったらもー、きっとすっごい迫力じゃないかって思うのよね。うー、聴きたいなあ、いいオーディオで!!

それはそうと、これは当然輸入版なんですけど、何がすがすがしいと言って、見た目えらそーなくせにタダの感想文でしかないというライナーノーツとか、分かってるよーでいて何も分かってない対訳とか、あーゆーもんが一切ないってのがホントすがすがしいのよ〜。もー、これって私、本当の洋楽ファンの気持ちを代弁してるだけだって思うけど、ともかくあーゆージャマなもんがなく、しかもレット・ディヴィス氏やボブ・クリアマウンテン氏の、シンプルだけど、自分がたずさわった仕事に対する愛情とか誇りとか、そういうものが感じられる文ってのが、とにかくスンナリ受け入れられるのよね。うんうん、このディスクを"クラシック"と表現する彼らの気持ち、もー、ホントよく分かります。日本的なつまらんフィルターのかかってない文ってものが、どんなにすがすがしいか。分かって欲しいなー、この気持ち!! もー、これから洋楽のCDは、極力輸入版にしとこ、と改めて思いました。くくくくく。

ま、そういうわけなんで、これからROXYを聴こうかなとか思ってらしたら、ぜひこちらのDSDリマスター版で聴いて頂きたいです。さすがにROXY MUSICだけに、これまでもリマスターって出てるけど、こっちが最新だからね!!

        

2003.7.16.

★Super Audio CD★

7/7に発売された"AVALON"のSACDリマスター版を、あやぼーは既に手に入れてしまったぞ!! これの詳しいコトは明日にでもアップしようと思ってるけど、2001年のROXYのライヴ2枚組みもー、出ていたのでついでに買ってきた!! それからねー、1978年のライヴもあったからついでよね、ってコトで手に入れて来た!! うー、タイムリーだなあ!! これでまたしばらく、ひたりこめるぞ〜!!!

このSACDってのは特にすっごく期待しちゃってるんだけど、今日はちょっとこのあと忙しいので、そのへんも明日にでも書きます。ともかくこのアルバムを今聴くなら、絶対このSUPER AUDIO CDを手に入れるのをオススメしたいです。ボブ・クリアマウンテン&レット・ディヴィス両氏によると、まあ"AVALON"のすばらしい原音に、やっと技術的なものが追いついてきたってコトのようで、それから考えてもこの作品の先進性たるや凄いものがあったってコトでしょうね。なんたって21年前の作品ですからね。

リマスター版は以前にも出てるようなので、もし探すならこっちのSACDにしてね。"always unknowing"というボーナストラックが入ってて、DSD MULTI-CHANNELって書いてあるから分かると思います。

詳しいお話は明日ね〜!!! 

        

2003.7.15.

★The Thrill of it All★

久々にフェリー先生のロック・ヴォーカルを聴きたくなりまして、ROXYの4枚目"Country Life"をMDに落としました。もー、この一曲目の"The Thrill of it All"が、めちゃカッコいーんだわ。6枚目の"Manifesto"まではけっこうこういう硬派のヴォーカルも聴けたんだよな。その後"Flesh and Blood"で音は全然ポップ化してるんだけど、あのへんも80年代に先駆けた音で、さすがって感じなんですよねえ。

で、その"Country Life"ですけど、"The Thrill of it All"の他に"Casanova"なんかもすっごいド迫力のヴォーカルで、80年代以降、特に彼がソロをメインにしてからの音しか知らない人("Boys and Girls"とかね)は、絶対びっくりするようなもろロックって感じの音です。そのわりに歌ってる内容は相変わらずなんですけど、そう考えるとロックってのはオトだけじゃないんだよなあって、改めて思っちゃうんだよ。ふふふふふ、どーせ言っても分からんだろーけど、彼は今でもロッカーですよ、まちがいなく。どんな音作ってよーとね。

まあ単にロック的な音ってだけでもさ、日本にこんなヴォーカルとれるヤツ、いる? 

ぜーったい、"Love is the drug"はカヴァーできても、"Casanova"なんてやれるヤツいないよ。根性の入り方がちがうもん。"Bitter-Sweet"にしてもさ。歌ってのは声やヴォーカル・スタイルだけじゃないの、ハートなの。根性入ってないといい歌なんか歌えないの。そこんとこ、よーく分かって欲しいもんよね。

きゃはははは、またキツいことをー、言ってしまいましたが、もともと私はこういうロックロックした音って好きじゃなかったんですよ。ケニー・Gとかアール・クルーとかフュージョン系の音の方がよほど好きで、ハッキリ言ってまるっきり興味のない分野だったと言ってもいいかも。だからね、フェリー先生の写真を雑誌で初めて見た時「わっ、すてき〜、アタマよさそ〜」と思って、でミュージシャンだって知って「なんでこんなステキなヒトがロックなんかやってるの〜???(大爆)」って思ってめちゃ不思議で、理解に苦しんだ。まあコドモだったから、そんなものブリティシュ・ロック界ってもんが、なんぼほどすごいもんか、まるっきり認識してなかった頃なんだから仕方なかったけど、今思えば本当に何も分かってなかったなあって思うよ。

で、その後"Boys and Girls"聴いて、始めはよく分かんなくて、でも"AVALON"の"More than this"だったんじゃないかと思うけど、何かそういうキッカケで、あれ、この歌詞ってなんか凄いんじゃない? とか気付いて、あわてたんだよね。あれあれあれ? って、とっても気になったもんだから、そのへんからまた"Boys and Girls"戻って聴いて、例の"train of mirrors"のイミが分かった時は、あまりのコトに持ってたペンを放り出して大笑いしてしまったとゆー、まあそのへんで、なるほど、そういうコトか、と分かってしまったんですよ、いろいろと。でもその後がけっこう大変で、当時は私えーごなんて今ほど分かんなかったから、読むにしても辞書引きまくらなきゃならなくて、この2枚だけじゃ分かんないこととかもあったから、全部のアルバムを集めて検証して、おかげで夜昼なくなって、回りからは気が狂ってんじゃないかとか言われるし、散々だったな、あの数か月は。そんなこんなで、それ以来、私にとっては彼は本当に「先生」なんです。このヒトほど私にいろいろ教えてくれた人もないよ。芸術家っていうのは、そういうコトが出来るんだよね。例えこれから100年先でも、まあ私はオスカー・ワイルドからも多くを学んだ人だからそう思うんだけど、彼や他のアーティストたちの残した作品から、学ぶべきことを学ぶ人というのは必ずいる。逆に言えば、フェリーだって過去の芸術家の残したさまざまな作品から、多くを学んでる人だと思うしね。

っと、まあそういう「芸術史の血脈」とゆーか、それ考えるとヨーロッパ芸術史の凄さを再認識してしまいますな。ハンパじゃございませんわ、やはりあのへんは。だからね、音だけ聴いて分かったつもりになんないで、 って余計思っちゃうんだな。

今でもそういうロックらしい音というのはあまり好きとは言えないんで、やはり聴くものっていうのは特定されてるけど、ジェネシス、フィル・コリンズね。あとスティーヴィー・ニックスとか、このあたりはすっごい好きですよ。やっぱりいい歌うたえる人ってのはちがうわ、中身が。そういうものに限って、どんなにうるさかろーがロックってすごいなー、って思っちゃうの。デカい音出してりゃ、いーってもんじゃ、なぁーいのよ!! 

      

2003.7.14.

★詩人の魂★

あやぼーは、もー"Frantic"の歌詞を殆ど把握しつつあるぞ。けけけけけけけ、Red Ruby Lips, Don't touch me eyes〜??? いや、失礼しました、あんまりよく出来てるんでつい笑っちゃって〜。これ"train of mirrors"以来の大ヒットかもしんない。少なくとも私にはめちゃウケた。「赤いルビーの唇」って、そりゃ「赤い」からルビーなんだよね。うんうん。まあそれで詩的表現が完結してると信じている大半のリスナーの皆さんのユメをこわすのもなんなんで内緒にしとこっと。

あとなかなか難解なのがディランのカヴァーで、"It's all over now, baby blue"なんだけど、これ読んだ時、お? と思って、なるほどやっぱりボブ・ディランもそういう歌詞を書いてたのかと納得してたの。フェリーも「I always find Bob Dylan's songs very poetic.(ぼくはずっとディランの歌ってポエティックだと思ってたからね)」って言ってたし、なかなか深遠ですよね、これも。ただこういうのは作詞者の思想体系が分からないとイミを特定するのはとてもむずかしくて、そうするとディランのアルバムなんかを全部検証しなくちゃならなくなって、そうなると大仕事で...。ってことなんで、まあそのうちってことにしとこう...。老後の楽しみでいいや。

ってことで、今日は「詩人の魂」ってコトについてお話したいと思います。

↓で私はフェリーせんせの性格がどーのこーの言ってますけど、どうしてそんな会ったこともないヒトの性格が分かるんだって思うよね、ふつー。で、まあ芸術家と作品の関係っていうものをお話しといた方がいいかなと思ったんです。

ここにある歌詞、これは当然彼が自分でペンを走らせてひとつひとつ考え考えして書いたものでしょ。で、「詩」なんだよね、単なる歌詞じゃなくて。詩人にとってコトバというのは自分の魂、つまり心の奥底を顕現するものなわけです。言ってみれば一番作者に近い存在、いえ、作者そのものかもしれない。だからその人の側で10年友人やってるより、作品を分析する方がよほどよく作者の性質が分かるってものなんです。まあこれは、真に芸術的資質に恵まれた人の作品に限って言えることですけどね。それ以外は、大して何も考えてないタダの人間の程度の浅い思考が見えるだけですから。

こんなページをわざわざ読もーかという皆さんには、けっこうタダの人間以上のハートがあると思うので分かって頂けるかもしれませんが、もし皆さんの中に自分が芸術的資質に恵まれていて、何かを創造する立場にある方があれば、よりよく理解してもらえることじゃないかと思います。作品を作ろうとすると、やはり日常の中では自分があまり語らない本質的な部分を作品の中に注ぎ込もうとするんじゃありませんか? 回りの友人や家族を愛していても、自分の底の底の方で何を考えてるかなんてのは、あんまり話す機会もないし、コトによっては話せないものだったりするんじゃない? 詩に限らず真に芸術家の作品というものは、そういった「語られざる自分」を、それも決して論理的に整理されている場合ばかりではなく、衝動とか、イメージとか、そういったものであってもいいんですけど、とにかくそういう自分の内在を表現している最もプライヴェートなものだということですね。芸術家と作品、というのは、それほど底のところでつながれているものなんです。だから作品を見れば、ある程度はその作者の性質も把握出来る。もっともそれはそういうものを見る「心眼」ともいうべきものが開いているヒトだけですけどね。フェリーにしても自身がそういう心眼を持ってるからディランも読めれば、ジョン・レノンも読めるし、シェイクスビアだってちゃんと読めるんだろうな。だから、自分もああいう歌詞を書くってことなんでしょ。

ってまー、えらそーに書いてしまいましたが、そんなようなワケで、私は先生のコトをなかなかとんでもないヒトだなあ、やっぱり芸術家だなあ、と思って見ているってことなんです。そりゃ「ラヴ・ソングの達人」とまで言われちゃうわけですよ、ここまで来てれば。ハートの入り方がタダの歌手じゃないもの。

"Nobody Loves Me"に"your poison pen"って表現があるでしょ。まさに彼のペンって毒そのものなんですよね。この歌詞もけっこう意地が悪いけど、"your poison pen, your shotgun slave"って、自分のこと言ってんだと思います。実際彼のペンが生み出す歌詞っていうのは、本当に毒を含んでるんだし、やっぱりホントに天才なんだよなあ。うー。だからこっちは中毒になっちゃうの〜♪

       

★SAN SIMEONのお話★

SAN SIMEONっていうのは、アメリカの新聞王ハーストが建てた宮殿のような大邸宅のことなんだそーです。この歌詞読んだ時、そういう邸宅が集まってる街の名前かなんかかなと思ったんですけど、まあ当たらずと言えども遠からずってとこでしたか。

で、この歌詞の方は曲作ったあとに、これが使えそうって思ったらしくて、それはずっとさかのぼってROXYの2枚目に入ってる"In every dream home a heartache"を書いたのと同時期に書いてあった作品なんですって。それが今回デイヴ・スチュアートと共作した曲に合いそうだっていうんで引っ張り出してきたとか。なんかそういうおクラ入りになってる詩がヤマほどありそうだな、このヒトの場合。そう言えば、あの当時の作風が伺える感じで、なるほどって気もします。

この"dream home"ね、これもフェリーのオブセッションだなあ...。"SAN SIMEON"は失われた恋だけじゃなく、その邸宅をかつてゆきかっていたはずのハリウッド・スターたちの幻影、そういったものもイメージされてるそうなんですけど、彼の表現を借りればその"Hollywood Ghost"に、やはり重ねているもうひとつのイメージもあるような気がしますね。彼にとって想いをはせる"home"というのは単に故郷というイミではないようだし、だから"A Fool for Love"みたいな歌詞も出てくれば、"AVALON"や"TARA"というコトバにも深い思い入れを感じずにはいないんでしょうし。うーん、やっぱり深いなあ...。好きだなあ、何回聴いてもこの曲...。

     

2003.7.11.

★SONG BIRD★

ああ、この感動を伝えたい〜!! よーし書いちゃうぞ!!

今ねー、"As Time Goes By"に入ってる"Lover Come Back To Me"を聴きながら書いてんだよー。実は今日は一日お出かけしてたんだけど、それをよいことに一日"Frantic"と"As Time Goes By"と"Boys And Girls"を3連チャンはしごで聴きまくっていたんだよね。MDに入れてあるから持ち歩いてかわりばんこに聴いてたのよ〜。うー、幸せきわまりない一日であったことです。

で、今日は特に"As Time Goes By"のお話なんかをっ、しちゃいたいわけー。くくくくくく。

もー、あんまり幸せそーに歌ってるからさ、こっちもなんかつられて幸せになっちゃうんだよ。すごいねえ、ヒトを幸せに出来る歌を歌えるんだものなあ...。それに"Frantic"でも共同プロデュースにまで名を連ねてるから、昨今のフェリーのお気に入りなんだろうけど、このコリン・グッドってヒトのピアノがさー、また逸品なんだよ。"Frantic"では"Don't think twice"でも弾いてて、すっごいいいんだけど、この"As Time Goes By"の中の演奏はまたまたすっごいいいの。ジャズ・ピアノってのはこうでなくちゃ!! みたいな、素晴らしい演奏なのよね。こういうホントに音楽を愛している人たちが一緒に作ったアルバムってのはいいよねえ。聴いてると気持ちが豊かになるもの。うんうん、これが「愛」なんですよ、分かって頂けます〜???

このアルバム初めて聴いた時から思ってたんだけど、ほんと全体にジャズへの愛情があふれているのと同時に、とにかく歌うたってれば幸せ!! みたいなさ、歌ってる本人の気持ちがそのまま伝わってきちゃうんだよ。ホント、好きなんだろうなあ、歌うのが。このアルバムは、彼のSONG BIRDな一面が思う存分出てるのがすごくうれしいなー。"These Foolish Things"は、そもそもフェリーが如何に音楽好きで、コドモの頃からいろいろ聴きまくってたかを物語ってたけど、"As Time Goes By"はそれを確証してくれたみたいな出来上がりだよね。

↓で、ノン・ミュージシャンの話をしてたけど、確かにフェリーってそういう思想性とかいろいろ彼自身の意図を歌詞の中にコトバで歌いこむってことをやってはいるし、それがミュージシャンという職業についた理由のひとつでもあると思うけど、でもAYAPOOでも書いたように音楽を本当に好きであることに変わりはないのよね。そもそも内面的なテーマの表現方法はいろいろあるのに、あえて音楽を選んだのは、だからこそだと思うもの。

あやぼーはロックとかポップスに入るよか、はるか早くからスタンダードジャズってすっごい好きでさ。まあ今から思えばナマイキなガキだったんだけど、"Bei Mir Bist Du Schone"とか、"After You've gone", "Love Letter"、それにそれこそ"As Time Goes By"や"Where or When" "I'm in the mood of love"なんかを歌いまくってた一時期があるんだよね。ジャズのスタンダードってメロディも歌詞も覚えやすくて歌いやすく出来てるから、入って行きやすかったんだと思うけど、そんなわけで、このスタンダード・ナンバーっていうのは、私にとってすっごく親しみの持てるものなんです。それだけにアレンジとか、単に伴奏に留まらせない楽器の使い方とか、あえてモノラルで聴かせてる曲があるなんてのも、「このヒトも好きだねえ...」て笑えてきちゃって、すんなり納得してしまうんですよね。でも、それでいて"I'm in the mood of love"みたいに変則的なアレンジで歌っちゃうとか、単にジャズをジャズとしてやってるんじゃなく、ブライアン・フェリー流にやってるってのが、やっぱり彼らしいんだな。アメリカ人がやるジャズとは明らかにちがってて、ヨーロッパ的というか、いちいち繊細なんだよ、感覚が。

せーっかく、モノラルなんて粋なことをやってくれてるんだから、ホントなら、ふた昔くらい前の古いステレオで聴きたいくらい。アナログレコードならいーのに〜!! 困るなあ、夜中なのに歌っちゃうよ、この"Lover Come Back To Me"。もう歌詞覚えつつあるぞ。

実はこのアルバムを始め聴いた時に、彼のカヴァー曲選びの法則からはずれてる曲もずいぶんあるような気がしたので、この先はこれでいくのかな、そろそろ諦める気になったのかなと思ったりしたんだけど(何を?)、"Frantic"では、再び全面的にモトに戻ってたから笑っちゃったのよ。でも改めて"As Time Goes By"に入ってる曲を細かく見ていくと、始め思ったほど完全にはテーマはずしてなかったみたいね。「ジャズのスタンダード」と選曲対象が限定されてたせいで、限界があったんだろうな。ただ特に"Miss Otis Regrets"みたいな曲は彼にしては珍しい曲ではあるよね。いや、確かにこの曲を歌いたかった理由は何となく分かるんだけど。静かでキレイな曲なのに、すごいソーゼツな内容なんですよ、この曲。恋人に裏切られたミス・オーティスが相手を射殺しちゃうんだけど、拘留中に留置場から群集に引き出されて吊るしクビにされちゃうとゆー歌。それをまた内容と対照的に淡々とした語り口で語る歌詞になってるもんだから、よけいそのシーンの壮絶さが伝わっちゃってさ。メッセンジャーか執事が「Miss Otis Regrets, she's unable to lunch today, Madam(奥様、オーティス嬢は今日は残念ながらランチにお見えになれない、とか...」みたいな出だしなんだけど、よくよく聴いてると、そのランチに出席できない事情というのが、おいおいなんかソーゼツじゃないか、みたいな? なんかこう淡々と報告してる執事の横で、聞いてる方の奥様が号泣してそうなシーンが映画みたいに浮かんできちゃうんだよ。やっぱり、つくづく歌うまいわ、フェリーって。(今更言うまでもないが...。)

まあ、そういう珍しい内容のも入ってたりしますけど、なんか映画のサントラにしたいようなアルバムでもあるなあ...。ああ、ため息が出てしまう〜。スタンダード・ジャズお好きな方にもぜひ聴いてもらいたいですねえ。こんなジャズもある、っていうか、けっこう新鮮な驚きがあると思いますよ。それにこれと"Frantic"は特に、声が若い頃より更に深みをましてるというか、もー、聴いてて惚れぼれしちゃうのよね。さすがにあと2,3年すれば60代入っちゃうんだけど、最近の彼って見てるとなんかセルジュ・ゲーンスブールを思い出しちゃってねー。彼もじーさんになってもカッコいい人だったけどさ。なんか、ああなりそうじゃない? フェリーも。

ってことで、今夜は遅くなってしまったので、このへんにしておこうと思います。おやすみなさい...。聴きながらねよーっと。

     

2003.7.8.-7.10.

とゆーワケで、先日来AYAPOOダイアリーで、掟破りの熱狂的ファンのひとりごとを続けてしまって、挙句のハテに止まらなくなったんだよね。で、もーこのさいだから専用ページを作って、独断と偏見にみちみちたお話をしまくろー、という気になってしまったのでした。このページのテーマは一応、芸術全般ってことで区切ってるので、たぶんフェリーせんせとかグリーンの歌詞世界のお話なんかが中心になると思う。でも、そのテーマの範囲内でではありますが何が出るか分かんないのはAYPOO本篇とあまり変わんないんじゃないかな〜。ま、おヒマな方は、ぼちぼちおつきあい下さればと思います。きっと、ものすごくワケの分からんことをブツブツ言いつづけるでしょうけど、まだいちおうこれでも日常の生活に支障はきたさない程度に正気を保ってますので、そのへんはご心配なく。まだそのAYPOOを読んでないって方は、過去ログのこのへんから私のブライアン・フェリー崇拝の話が始まってますので見てみてね〜。ちなみにココは日記形式なので、上に行くほど新しい記事が出てきます。

歌詞については、私もかなり確信を持って言えることだけしか書かないつもりですけど、ただ、ココで書いてることは、あくまで私個人の歌詞解釈にもとづいてますので、絶対それが正しいとは言い切れません。その点どうぞあらかじめ、おふくみ下さいませ。

     

★メフィスト★

そもそも、もうここ何年も音楽を聴かなくなっていたのに、なぜか"Frantic"を聴く気になってしまったのがコトの発端だった。始めに言っときますが、私は当然ROXY MUSICとフェリーのソロはベスト盤以外のオリジナル・アルバム全部持ってます。つまり一旦聴き始めると次々さかのぼってあれもこれも聴く〜、という事態が勃発してしまうことになるんですね。それで久々にあの!! "Boys & Girls"を聴いてたんですが、この作品、歌詞が笑いと涙なくしては読めないというか、よくこんなの書いて、あまつさえ人前で歌うよ、って思ちゃうよーなのも入ってるんです。もちろん表面的なイミだけ読んでたら何のことか分かんないんで、きっと、殆どの場合そんな深いイミがあるとも思われずに聞き流されちゃうんじゃないか...。しかもあのメロディとヴォーカルですからね。で本人もそれが分かっててやってるとゆーのが、なんともヤなヤツというかカワイイというか、私は彼のそういうとこが特に好きだったりします。

例えばこの"Boys and Girls"のタイトル曲には

"you know it's all in my song, all the sin I can take, but you don't even know my name

( = you know, all the sin I can take is all in my song, but you don't even know my name)"

という一節があるんですけど、まんまでしょ? 「わかるかい、ぼくの歌には、ぼくが犯せる限りの罪が宿っている、でもキミはぼくの「名前」も知らない」、この"name"については後で説明します。

この歌は"I'm a stranger in your town, that's the place I belong, laid behind the frame" という歌詞から始まるんですけど、そもそもこのtownっていうのが現代の彼を取巻く社会そのものを象徴していて、でもそれは"your town"であって、彼はその中でstranger(ヨソ者)だって言ってるんですね。

そしてその「きみの街」でヨソ者でしかない彼が

"that's the place I belong, laid behind the frame"、これは倒置になってるんで元来

"the place (where) I belong is laid behind the frame"

として受け取るべきなんですけど、始めのthatはリズムの関係もあって強調的に用いられてるんでしょう。the placeは物理的な場所ではなくて、概念上の領域のことですから別にここthat節で置き換えてもイミ同じですけどね。で、直訳すると「ぼくが属する場所は、その"frame"の後ろに横たえられている」となるわけなんですが、ココでこのframe、この一語が彼の思想性の背景を把握してないと読めないんですよ。このコトバにも、いろんなイミがあって、どれを当てれば詩の全体にわたって正しくイミが通せるのかは、当然書いたヒトが何考えてるのか分かんないとムリですよね。で、このframeにはまず「組織、機構、制度、体制」つまり「システム体系」というイミがあり、かつまた"frame-up"つまり「でっちあげ」のイミもある。それを当てると単に直訳しても「ぼくの属する場所は、その組織機構(=your town)のうしろに横たえられている」。更に深くカンぐるなら、その組織機構=でっち上げ、作り事という揶揄をも含んでいるとさえ受け取れるんです。

そしてこの"is laid"の方には「埋葬されている、葬られている」というイミもありまして、更に細かく当てていくと「ぼくが属する場所はその組織機構(= your town = flame -up)の後ろに葬られている」と、これは全くの直訳で通るんですが、そうも読めるわけ。この場合、your town = frame なんですけど、こう考えてくると、彼がそもそも今いるこの現代社会という概念エリアに属しておらず、しかもそれはでっちあげられたもの、その向こうに葬り去られている何らかの概念世界こそ彼の属するところなのだ、という深いイミを持ったウラが見えてくるわけなんですね。

うーんと、こう言っても「概念世界」ということのイミがそもそも分かってもらえないかもしれませんね。

我々の暮らすこの世界は、言ってみれば概念の集積によって構築されているんです。社会というところは、常に何らかの概念を基盤にし、その概念に従って回っている。例えば「善悪」もひとつの概念ですが、「こういうことは悪い」、「こういうことが良い」という社会通念、こういった細かい取り決めによって社会における意識側面が出来上がっているということです。でもこの「概念」というのは全て人間の作ったもので、絶対性は全くない。だから「善悪」という概念でさえ、戦時下においてはカンタンにくつがえされてしまうわけです。

そして今我々のいるこの世界も、当然ある概念体系を基盤にして回っている。で、も、フェリーせんせはそもそもその通念に相反する思想性を持っているから、その象徴である「your town」ではヨソ者だと言い、なおかつその「your town」こそが作り事であり、元来彼のいるべき概念世界を葬り去っている元凶ですらある、と言ってるんだ、と受け取ることも出来るんですよね。うー、この短い一節だけで、こんだけ説明しても、たぶんワケが分からんってヒトの方が多いんだろうな。...私あたりが説明して分かるようなコトだったら、そもそも釈迦かイエスが既に全世界を昇天させてますもん。あきらめてますけどね、私だって。

まあそんなわけで、これは私の解釈ですが、今彼や我々のいるこの世界、そこで一般に信じられている通念こそがこの詩の作者にとっては歓迎できるものではない、という意図がこの歌詞にはしょっぱなから隠されているわけです。

この曲ばかりではなく、"It's all in my song, all the sin I can take" この部分は単なる歌詞でもなんでもなくマジで、実際例えば"Love is the drug"なんてタイトルそのものが反逆的というか、みんなタダの歌だと思ってるし、彼はミュージシャンなんで気にも留められずに済んでますけど、全くもってこのタイトルはバチカンにタテついてるもおんなじってゆーか、もし思想家とか哲学者がこんなこと言ったら絶対長生き出来ないというような反逆的で恐ろしい、悪魔的なタイトルなんですよね。だって、キリスト教圏においては、愛というのは献身に基づき、他者のためのものでなければならない。でも"Love is the drug"をマトモに受け取れば、愛についての概念定義が、社会通念によって好ましいとされているものと正反対だって言ってることになるんですから。つまり「愛とは自分のためにこそあるのだ」。

他にも、このテの「受け入れられない概念」について歌った曲は彼の作品の中にヤマほどあります。Love is the drugの入ってた"SIREN(これもタイトルそのものが「セイレーン」と「サイレン(鳴りわたるデカい音)」のふたまたカケてます。)"の"She sells"なんかもそうだし、"AVALON"の"True to Life"なんかにも歌いこまれてました。もちろんその概念を象徴句で代表してあるので、まずもともと彼が基盤としている哲学体系を理解してないと、そうとは気付くことも出来ないようになってます。

話は"Boys and Girls"にまいもどりますが、そのように今この世界で一般的に受け入れられている概念を皆さんと同じように受け入れて歓迎せず、それに相反するようなことばかり歌ってきたからこそ、彼は自分の歌の中に「罪」が宿ってるんだ、と告白してる、でもだあれも、それがマジだとは思っちゃいないから、「ぼくの名前」つまり「彼の本性」を知らないだろ、と。

ハッキリ言ってバカにされてんですよ、私たち!!

ところで前出の"you know it's all in my song, all the sin I can take, but you don't even know my name"という一節の中で"name"のイミについて説明を後回しにしてました。これはまあ「名前」と受け取っても別にイミはとおりますけど(古代ケルト的な考え方で、真の名前はその本質を現すというのがあるんですよね。日本でも陰陽道とか、霊界、神域に近い世界ではこれに似た考え方もあるし。)、でもこの"name"には「悪口、悪態、雑言」というイミもあります。そうすると、「ぼくの歌の中には、ぼくの犯せる限りの罪が宿っている、でもきみはぼくの"悪口"も知らない」、という直訳も可能なんですね。何も意訳してるワケじゃなくて、直訳ですよ、直訳。辞書引いてコトバどおりにつないでも、こういうイミが出てくるんです。で、ホントに他の歌の中でも、そういう、世の中で正しいとか良いとされてるコト("The right stuff"って曲もありましたね、Bete Noireに。このタイトルなんて、まんまなんだけどな。)に対して、どれだけの罵詈雑言を彼が投げかけてるか。当然それも表から見てるだけじゃ分かりゃしませんけど、例えば"She sells"ってどーゆーイミだと思います? 「彼女は受け入れられている(直訳...この場合のsellは、まちがいなく自動詞扱い。自動詞としてのsellには「受け入れられる、認められる」というイミがある。まあ、「売れている」でも意味は同じですけどね。受け入れられてるから売れてんだし。)」、もちろんこの「彼女」は世界で正しいとされている概念を象徴してます。それに対して彼は自分が真に「愛」と考えるモノにとらわれてるからこそ、"Slave to LOVE"、なーんだけどなーっと。

さて、"Boys and Girls"ですが、更に2節目はこんな歌詞が続きます。

You've got no sense of fun

But you know I've one

All the good turns to bad

and you know what I think of that

no time to dream

no time to sigh

no time to kill

when love goes by

まず"You've got no sense of fun, but you know I've one"は 、つまり「きみは何ひとつ楽しいことなんかないだろ、でもわかるかい、ぼくにはあるんだよ」ってとこですか。

そしてそのあとに彼に取っての「楽しいこと」が語られていてそれは、うー、出ましたね、これですよ。

all the good turns to bad、これはそのあとのwhen love goes byとつながってて、

when love goes by, all the good turns to bad と受け取るのが正しいと思いますが、

このlove goes byは本当に愛とされるべきものが訪れる(go by は「立ち寄る、訪問する」というイミで用いられます。例えば Will you please go by? = 「ちょっとウチに寄ってって」みたいな感じ。)、先の説明でお分かり頂けるかもしれませんけど、その時には「良いこと全てが悪くなる」、要するに、「きみの街(your town)=この世界」で良いと認識されてきたものが「悪」に変わるってことで、つきつめて言えば真実の「愛」がその真価を認められる時には、それに相反するニセものは「悪」とされるだろうってことなんですね。で、それについて彼がどう思っているかっていうと(and you know what I think of that、)、

no time to dream, sigh, kill、これまでそれ(「良い」ことが「悪く」なること)が現実のものになるのを夢見て、ため息つきつつ時間つぶししてたんだけど、when love goes by(愛が訪れれば)これは、彼にとって本当に「愛」と信じられるものが、この世界にやってくればってコトだと思いますけど、もう夢見なくても、ため息つかなくても、時間つぶしてなくてもいい。なぜなら、それが彼の本当に属する場所(the place I belong)だから。

そしてトドメはこの最後の一行

Death is the friend I've yet to meet つまり「死はぼくがまだ会ったことのない友だ」

「友」なわけですから、死をも彼は否定的に見ていないってことで、実はこれもこの哲学体系で重要な要素なんですけど、死の概念をどう定義するか、ってとこにかかってくるのよね。少なくとも一般に考えられているような、怖れるべきものではないという定義がこの一行に象徴されてるんですけど、これを言えるってことは、この哲学体系を完全に構築してる、つまり悟りが開けてるってことでもあるんです。

そして彼はこのタイトル"Boys and Girls"に「未来を暗示させている」とおっしゃってるとか。つまり彼の望む未来=彼が愛と信じるものが人々にも認められる、元来彼の属している概念体系の復活。それこそがこの歌にこめられた「未来」なんだってコトなんでしょうね。「葬られた楽園の復活」かな? 実はこれが例の"AVALON"のモトである古代ケルト民族の持っていた概念と非常に近いもので、そのへんの含みもあって、あのアルバムタイトルに"AVALON"を持ってきたのかなと思ったりも、私はしてたんですけどね。"AVALON"はアーサー王たちが死後赴いた地とされているということはAYPOOでもお話しましたが、死後おもむく、ということは、死をデッドエンドとしない概念定義を基盤としているからこそ出来ることで、ある研究では古代ケルト民族には死の概念がなかったとさえされてます。まあこれは全くなかったわけじゃなく、死そのものを終わりと考えなかったということなんでしょうけど。

でね、この中で

You've got no sense of fun

But you know I've one

All the good turns to bad

この前後のとこを彼は、とってもヒトを小バカにしたような鼻歌まじりで歌ってるんです。うれしそーに。

「どうせ分からないだろうけど、ぼくはこんなふうに思ってるんだよ」ってゆーか、もー、「悪魔〜!!」と叫びたくなるような歌詞と歌い方ですよ。惚れちゃうなあ、あのヴォーカル。 それがねー、もうなんていうか、これで連想しちゃうのがジェラール・フィリップの演じたメフィストフェレス。「美しき悪魔」ね。元来悪の中に宿る美というか、でもこの「悪」はあくまで現代概念社会における「悪」であって、彼にとってはそれこそが「善」そして「光」。だからそれのない今の世界を彼はよく「夜」という表現で代用してます。"Frantic"の"Cruel"でも"When I turn to the east, I can see no dawn"(東を向いても夜明けは見えない)という言い方で表現してますしね。

ところでそう言えば釈迦の思想でもこの概念変換が行われているんですよ。釈迦はそもそもカーストの最高位にいるバラモンを非常にきらってて、それでウパニシャッド起源の思想を打ち立てたヒトなんですけど、大日如来ね、ホトケさま。あれは別名が慮遮那仏(るしゃなぶつ)っていうらしいんですね。で、もともとの名前は毘慮遮那(びるしゃな)、これはヒンズー教における魔王である「ビローチャナ」から来てるんですって。つまり釈迦は自分の気に入らないインド古来の宗教が「魔」とするものを自らの思想において「本善」に位置させちゃったとゆー、まあ私なんかはそういうとこ、お釈迦サマもなかなかお茶目じゃないかと思ったりしてしまうんですが、そもそも釈迦がバラモンの何をきらってたかと言えば、その祭式万能、つまり取り決めばかり重んじて、真に必要な救済を人々に与えようとしないとこね。だからそれこそが「悪」だ、と言いたかったんじゃないかという気がするんですよ。だからこそ、彼らの「悪」とするものを「善」に変換してしまった。これはユダヤ教のパリサイとイエスの関係に非常に酷似していてなかなか面白いんですが、フェリーにしてもそういう「形式主義」的なコトがキライだから(彼と会ったことがあるとかいうひとは、たいてい誠意のあるヒトだという印象を受けるみたいだし。あれだけ大スターなのにね。)、"all the good turns to bad"な「未来」を夢見てしまうということなんじゃ、ないかなー??? なんて思ったりもしちゃうんですね。きゃはははは、ホントか?

それにしてもああ、長い...。たった18行そこそこの歌詞でこの長さだよ。もっと詳しく説明しようとしたら、こんなもんじゃ済まないけどな...。疲れたぜ...。(でも読む方がもっと疲れてるね、きっと。)ま、英語詩、しかもすぐれた象徴詩の凄絶な世界をいくらかでも垣間見て頂ければウレシイんですが、でもこの歌詞なんて実はまだ見たまんまだからカンタンな方なんです。もっともっと壮絶なの、いくらでもありますよ、フェリーの作品には。Valentine, Love is the drug, She sells, Casanova, The right stuff, True to life, More than this, ... etc, etc, etc...  でもホントにコワいのは、Bete Noeirのタイトル曲や"Frantic"の"I thought"みたいな、誰がどこからどう見たって、どっこにもダブルミーニングもクソもない、まんまそのままの単純きわまりない「ラブ・ソング」の方なんですけどね。カバー曲でも"I put a spell on you" とか"TAXI"とか。このテの歌詞が好きでしょ、彼って。哲学性なんてものは、私のように元ネタ知ってれば理解するのはそれほどむつかしくもないんですけど、私がとっても怖いのはあるイミこっちの単なるラヴソングの方。ロマンティストってやつは、ほんっとーおに、こわいなあ、と思ったりするあやぼーなのでした。ああ、とんでもないオジさんだ...。

ともあれ、こういう逸品の英語詩を、もともとがダサい日本語に訳すなんてコトは私もしたかないんですが、いちおーこういう解釈をモトに訳を書くと以下のようになります。原作の究極的美には、とても及びやしませんが、まあひとつ、こんな感じだ、というコトで。

Boys and Girls

I'm a stranger in your town

that's the place I belong

laid behind the frame

and the curtain's torn again

a wailing saxophone

you know it's all in my song

all the sin I can take,

but you don't even know my name

 

You've got no sense of fun

But you know I've one

All the good turns to bad

and you know what I think of that

no time to dream

no time to sigh

no time to kill

when love goes by

and who's that crying in the street

Death is the friend I've yet to meet 

      

きみの街ではぼくは他所者さ

ぼくが繋がれている所

それはその偽りの向こうに葬られている

カーテンは引き裂かれ 

泣かせるサックスの音色

ぼくの歌の中には

ぼくが犯せる限りの罪が宿っているのに

きみはぼくの名前すら知らない*1

 

きみには楽しいことなんか何ひとつないだろう

でもぼくにはあるのさ

全ての善が悪に変わること *2

ぼくがそれをどう思っているかわかるかい

夢見ることも...

ため息をつくことも...

時を待つことも...

愛が訪れるなら

泣き声が聞こえる

ぼくには死さえまだ見ぬ友だというのに

     

*********

おそまつさまでした。まあこの歌は私の思うに「華麗なる魔王の独白」っつー感じですかね。彼って、どこかそーゆーとこ、あるじゃないですか。性格明るそうでいて、とんでもなく悪魔的な雰囲気の写真とかあるし。ああ、なんてバチあたりな歌ですことね。そう考えると、あのイントロだって、なんか分かってこない? なんとなく冥界に降りてくみたいな、おどろおどろしいとゆーか、それとも彼のずっと深い深い、表面には決して出てこない内面の深淵? どちらにせよ、曲の方もそれをちゃんと表現してあるってことなんだろうな。特にこの"Boys and Girls"はアルバム全体にtranscendent(超越的な、不可解な、並外れた)と表現すべきヴォーカルで一貫してるし、それはこの中核になってるタイトル曲に会わせた選択だったのかなと思ったりもする。そもそもフェリーって70年代のROXYなんて聴いてると分かると思うけど、ロックらしいというか硬派なヴォーカルも取れるひとでしょ? それをあえてこの"Boys and Girls"では、そういうのと正反対なスタイルで一貫させてるわけだから。うー、だからね、私は彼の歌のうまさはナミじゃないと改めて思っちゃうんだよ。どんな歌でも、それをもっともよく表現するヴォーカルスタイルを自在に使い分けられるんだもん。

さて、ちなみに 「*1」と「*2」を付けた部分ですが、

きみはぼくの名前すら知らない→「きみはぼくの独白にすら気付かない」

全ての善が悪に変わること→「全ての光が闇に沈むこと」

なーんて、ホントはしたいとこですが、まあかなり飛躍した意訳になるので、見たまんまの字ヅラにより近く、こんなもんではないかってことにしときましょうね。「対訳」レベル程度の初歩的翻訳なら、これが限界よ。私の限界じゃないけどね。

ま、ともかく長くなっちゃったんで、この話はこのへんで、とりあえずおしまい。

     

★イーノの脱退って...★

ブライアン・イーノのROXY脱退は、未だにイーノの人気がすごかったことと関係してる、みたいに考えてるヒトとかもいるよーですが。でもね、これに関しては、フェリー自身が「ひとつのバンドに二人のノン・ミュージシャンは必要ない」って端的に説明してるんですよね。まあ全くその通りだったと思うし。

ノン・ミュージシャンっていうのがそもそもどういうイミか分かってます? グリーンにしても、そういうスタンスから音楽に入って来たひとだけど、通常、音楽家は演奏家なら楽器を演奏することそのものに、歌手なら歌うことそのものに非常な喜びを感じるひとたちなわけで、フェリーやグリーンみたいに思想性が絡んでくると既に純然たるミュージシャンとは言えない存在になっちゃうのよね。彼らの場合は、歌の中に自分の「考え」を盛り込むことに全存在かけてるから。だからこそグリーンにしてもフェリーにしても、曲を作る時は音楽の方が先に出来て、そのあと延々と歌詞に労力をつぎ込むって言ってるしな。まあそうだろうと思うよ。そもそも単に象徴詩を書くだけだってナミのアタマじゃ無理なんだから、そこへ持って来て歌おうと思ったらメロディやリズムの制約が入ってくるじゃない。それに合うコトバで、しかも自分の意図を盛り込めるものを選ぼうと思ったら、そりゃーもー、相当苦労してると思う。

で、まあそもそもROXY MUSICはフェリーが一旦美術方面に進みながら、あえて音楽に転向して根本の企画から起こしたバンドじゃない? それは当然、そのバンドでやりたいことがあったし、表現したいテーマもあったからだよ。でもイーノの方も、それと同じノン・ミュージシャン系統の人で、確固たる思想性っていうのがある。しかもそれが自分のと正反対だったとしたら、どうしたってひとつの音を作ってゆくには不適当にならざるを得ない。もしイーノが、もうちょっと才能ないか、少なくとも純然たる音楽家だったら、どんなに彼の人気がすごかろうが、フェリーは意に介さなかったと思うしね。逆に喜んでたんじゃないかな、そういうの、あのヒトの性格だったら。(別にいいヒトだからってわけじゃなく、性格悪いから!! 自分がやりたいようにやるのに支障にならない限りは、バンドの中に観客を熱狂させる要素なんてあるほどいいじゃない? そのへん、きーっちり計算できない人だと思う? あの完全主義の自信家が!! )そもそもそれならイーノにROXYを引っぱれるだけの力がないってこともハッキリしてただろうし、脱退させる必要もなかったと思うな。

で、フェリーは以前からイーノとまたいずれ一緒に仕事してみたい、と公言してたし、実際に "MAMOUNA"や""Frantic"で実現してるでしょ? つまり私は一番始めにイーノの才能の大きさを認めてたのはフェリーの方だったと思うわけ。第一、そういう作品を作っていく上でのワガママだったら、それはもう芸術家としてゆずれない部分だろうし、そういう事情でのイーノの脱退だったからこそ、ここへ来てまた一緒にやれるんじゃないですか?

実際、フェリーって回りの人をとても大事にするなあ、って思うし。今、再編されてるROXYのラインナップは、イーノ以外フル・オリジナル、しかも"Frantic"ではプロデューサー&ミキサーが"AVALON"のレット・ディヴィスとボブ・クリアマウンテンってラインナップじゃないですか。それだけ一緒に仕事してきたひとたちと、20年たってもやれるっていうのは、人間関係の築き方がすごくしっかりしてるからだと思う。

まあね、そんな事情の上でのことだと思うんで、今後この件に関してめったなコトは言ってもらいたくないな。熱狂的ファンの言うことは聞いといた方が身のためだよ。カミソリ送りつけるくらいじゃすまないんだからね、うちの王サマの度量を疑うようなコト言うヤツには!! 

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