ファーンとデュアンがアシュバに案内されて島を一巡りしている頃、ウィルはサロンでくつろいで、マーティアと世間話を楽しんでいた。昨晩、宴会で盛り上がって、なんだかんだと皆でお喋りしまくったせいもあるのか、さすがにウィルも"憧れの人"の近くにいることに慣れてきつつあるらしく話もはずんでいる。マーティアがしょっぱなから堅いディナーの席ではなく、気軽な内輪のパーティで子供たちをもてなしたのは、彼らをリラックスさせてやろうと思ってのことだったのだが、どうやらそれが功を奏したようだ。

「アレクに聞いてはいたけど、それじゃホントに四世代同居してるんだ」

「ええ。で、そのうち半分が、ぼくの年以下の子供でしょう? だから、やたらに賑やかですよ」

「だろうね」

「特に叔父のところの双子の女の子が凄くて。ファーンと殆ど同い年なんで、やんちゃな盛りというか」

「へえ。じゃ、きみの兄弟は?」

「弟と妹が二人づついます。みんなどちらかと言えばおとなしい方かもしれませんけど、下の弟だけはちょっと暴れん坊かな」

「兄弟が多いって楽しそうだよね。ファーンには従兄弟が8人いるって聞いてたから、そうすると、叔父さんの所にもう一人いるってこと?」

「そうです。男の子なんですが、まだうんと小さくて年はリデルと同じくらい」

「それはいいなあ。実は、リデルがきみたちのこと凄く気に入ったみたいなんで、クランドルに戻ってからも親しくしてやってくれると嬉しいなと思ってたんだよ。それに、きみの兄弟や従兄弟たちにも紹介してもらえないかなって。なにしろ、あの子は一人っ子状態なもんで、回りに子供もいないし、今のままだと将来的に社会性に欠けるのが危ぶまれてて...」

マーティアの言うのへ、ウィルは笑って答えた。

「大歓迎ですよ。うちの家族もみんな喜ぶと思います。話しておきますから、いつでも遊びに来て下さい」

「そう?」

「はい。特に曾祖父は子供がとても好きな人なので、リデルだったらいっぺんに気に入ってしまうでしょうね」

「ああ、そうそう。そのひいおじいさんのことも聞きたかったんだ。95歳だって?」

「ええ」

「アレクは小さい時に会ったことがあるって言ってたけど...」

「曾祖父からも聞いてます。前に何かの席でその話題が出て、大じいさまはIGDの活動にもずっと注目してらっしゃるので、ロウエル卿やルーク博士、アリシア博士とも会って話してみたいものだとおっしゃってました。世の中で話題になるような人たちをよく家に招かれるんこともあるんですが、さすがに皆さんの忙しさを考えるとそれもならないと残念がってらして」

「それはそれは。本当だったらおれたちの方から表敬訪問くらいさせて頂かなきゃいけない人物なんだよね。アレクも、そのことは今さらながら気にしてたよ。じゃさ、リデルのこともお願いしたいし、そのうち、みんなでお邪魔させてもらってもいいかな」

「えっ、皆さんでですか?」

「うん、なんだったら、マリオも一緒に」

「バークレイ博士まで?!」

「リデルのこともあるし、マリオは先代とも今の公爵とも面識があったと思うからね」

「ああ、それはそうだと思います。ええ、もちろん皆さんが来て下さるということなら、曾祖父は飛び上がって喜ぶに違いありませんけど、でも、お忙しいのに」

「大丈夫、そのくらいの時間ならいくらでも作れるから。帰ったら、それも含めて話しておいてくれる? いずれ、マリオかアレクから正式にアポイントを取らせてもらうようにするよ」

「はい、もちろん。皆さんが来られる時は、ぼくも絶対に学校から戻っておきます」

「寄宿学校だって言ってたよね」

「そうです、ロウエル卿やモルガーナ伯爵も卒業なさった学校で」

「じゃ、きみやファーンは彼らの後輩ってことになるんだ」

「ええ」

「なるほど。おれ、自分が学校と縁のないまま育っちゃったからさ、そういうのってちょっと想像つかなくて」

「学校と縁が出来た時には、大学の教壇に立ってらっしゃいましたもんね」

「知ってるの? うん、一時期、教えてたことはあるな」

「もっと早くに生まれてたら、ぼくも講義を受けられたかもしれないのに。こればっかりは思いっきり、残念です」

「じゃ、今度どこかで講演する時に来る?」

「外での講演だったら、これまでいくつも参加させて頂いてますよ。でも、大学でとなると...」

「そうか。殆どの場合、その学校の学生が対象になるからね」

「そうなんです。ぼくは大学に入るまで、まだ2年もあるし」

残念そうに言うウィルに、マーティアは微笑ましい気分で答えた。

「経済の方に進むんだろ?」

「はい、そのつもりです」

「きみは、ゆくゆくクロフォード家を継ぐわけだし」

「ええ。ただ、できることなら、ぼくは平和な学究の徒でいたかったんですけどね。父や祖父を身近に見てるだけに、実経済に携わるというのは本当に大変なことだと思わざるをえなくて」

「ああ、まあ、それはそうなんだけど」

「そのあたり、どう思われます? マーティアは本来、学者ですよね。ご自身でもそう思っているっておっしゃっていたのを何かで読んだことがあります」

「そうだよ。だから、アレクがいなかったら、ここまで自分でやる気になったかどうかは分からないけど、研究室レベルでは出来ないことも多いしね。ただ確かに、実経済に首つっこんじゃったのは若気の至りってものだと思うことはつくづくよくある」

「でしょう?」

「うん。だから、きみの言うのも分かるよ」

「現代においては、企業は単なる利益追求を目的にした媒体としてのみ機能しているわけではないし、それだけにその中枢がどういう考えで動くかは、その企業が大きければ大きいほど世界的、更には歴史的な問題になってくるっておっしゃってましたよね。政治は経済の上に乗っかってるわけだし。逆に言えば、その責任を負う立場に立つということは、背負うものも相応に大きいということで...」

「きみの年でそれだけ分かってるなんて、よく勉強してるなあ...。感心するよ」

「有難うございます。ぼくにとっては勉強って趣味みたいなものなんですけど、でも、マーティアだってそうでしょう?」

「まあね。ってことは、同好の士だよね、おれたち」

「そんな風に言ってもらえるなんて、ものすごく光栄です」

嬉しそうに言うウィルに、マーティアは笑っている。

「あー、でもなんか本当に夢見てるみたいだな。あなたとこんな風に親しくお話できる時がくるなんて、こうしてたって未だに信じられませんよ。それ以上に信じられないのは、ぼくのような子供とそんな風に気さくに話して下さることですけど...」

「そう? でも、これっておれの地だよ? まあ、外ではみんなに"ルーク博士"を期待されちゃうから、IGDの信頼性にも関わってくるし、それなり気は張ってるけどね。だーかーら、イヤなんだ、プライヴェートでまで、それをやるのは」

「ああ、なんか分かります」

「昔、マリオがね。昔って、おれがまだ子供の頃の話だけど、なにしろ彼って世間にとっては"大バークレイ博士"なわけだよ。それで、ずっと若い頃から、どこへ行っても下へも置かない扱いをされてしまって、まあ、みんな、相手が彼だってことだけで固まっちゃうもんで、なかなか新しく知りあう人たちとは気軽に話すってことが難しくてさ。それで、おれやアリシアが側にいるのは救いだったみたい。今になると、その気持ちが、おれにもけっこう分かっちゃって、だから今回、きみたちといろいろ話せるのは、おれにとっても凄く楽しいことなんだ。ちょっと話しただけでも、きみたちが勉強熱心で向上心豊かなのはすぐ分かることだったし、それでリデルもきみたちと知り合えて嬉しかったらしいよ」

「そうなんですか?」

「ん、知ってると思うけど、あの子はアタマがあの通りなんで、どーやってもこーやっても普通に同い年の子たちに馴染まなくてさ。実はそれがうちのちょっとした頭痛のタネになりつつあったんだ。先ゆき、学校に入れても浮き上がりまくるのは目に見えてるし、かと言って兄妹とはいえ、おれやアリシアはいつも側にいてやれるってわけじゃなし、第一、そんなに年の離れた大人とばかりつきあってると、それはそれでいろいろ問題あるじゃないか」

「ありますね」

「で、まあ、できればもっと年の近い、日常気軽につきあえる友達を作ってやりたいなと思ってたわけ」

「それって、"お兄さん"ですよねえ」

「可愛い妹なもんでね。それに、おれ自身やアリシアの経験から言っても、他人事じゃないってのもあるし」

「ああ、なるほど」

「ま、そのへんも含めて宜しく」

「分かりました。ぼく、ちょっと思ってたんですけど、特に叔父のところの双子ね。リデルよりはだいぶ年が上ですけど、あの子たちなら性格的にけっこう合うんじゃないかな。リデルも気が強そうだし」

「"気が強い"なんて言ってる間に手遅れだよ。おれなんて、いつもいつも押されっぱなし。アリシアとあの子のやり取りなんて、それこそもうソーゼツだよ。アリシアも気が強い上に未だに子供っぽいとこがあるもんだから」

「え〜、そうなんですか? あのアリシア博士が? 超・意外です、それって」

「アリシアこそ外では思いっきりネコかぶってるからな。信じられないかもね」

「ちょっと想像つきませんよ。あ、でもそれならリデルって、うちの双子とならもう相性バッチリです。ケンカ友達になっちゃうかもしれないけど」

「それもけっこういいかも」

「見モノかもしれませんね。それに、女の子はぼくの妹たちもいますから」

「良かったよ。きみのとこみたいな大家族とつきあいができて。それって今どき、珍しいよね」

「ええ。四世代同居っていうと、学校でもよくびっくりされたりしますよ。四世代なんて、しませんよねえ、ふつう。でも、うちの場合、やっぱり曾祖父の存在が大きいので」

「だろうね。アレクからもいろいろ聞いてて、おれ自身、会ってみたくなってるんだ。曾孫のきみから見ると、どんな感じの方なの?」

「そうですねえ...。ぼくたちには基本的にとても優しいんですけど、...甘いと言ってもいいかな。でも、やっぱり厳しいところは厳しくて、だからよけい、みんな大じいさまのことが好きなのかもしれません。ここ一番というときに頼りになるっていうか、父や叔父はもちろんですけど、祖父まで未だに頼りにしてますから。それに、あの年になられても"日々此れ精進努力"ってとこを目の前で実践されてるわけですから、ぼくらとしても目標にしないわけにはゆかなくて」

「ウワサ通りだね。これは、お会いするのが楽しみだ」

「でも、実を言えばその跡を継ぐ方はけっこう大変なんです。やっぱり比べられてしまうので。それは祖父や父にしてもプレッシャーみたいだし、況や、ぼく自身をや、ですよ」

深い溜め息まじりに言ったウィルに、マーティアは笑って答えた。

「まあ、それは偉大な人物の後継者には、付きものの苦労だろうね」

「そういうものなんでしょうけど、実際、祖父たちでさえそうなら、ぼくなんてやってけるのかなって折に触れて不安になります。人の上に立って組織を動かしたり、そもそもそのためには周囲の信頼を得られなければならないわけで、それって知識があるだけでは追いつかない問題でしょう? 人望とか、決断力とか、そういう種類の力って、わりと生まれつきのものなんじゃないかと思うし。大じいさまは今でも本当に魅力的な方で、それは主に人格から来るものだと思うんですけど、それを言えばロウエル卿もそうですよね。ああいう力がないと、組織を牽引するのは難しいんじゃないでしょうか」

「そうだなあ...。確かにアレクの場合、あれは生まれつきの性質と言うか、今の立場に立つために生まれてきたような人だからね。まあ、おれたちもできる限りサポートしてるけど、基本的にああいう地位にいるからって、それで心理的に負荷がかかるようなところは殆どないみたいだし。めんどうがるのは格式ばったつきあいくらいのもので、あっちこっち飛び回るのも、それはそれで楽しいらしいし」

「大じいさまがロウエル卿のことについて、"王の器"ということをおっしゃってたんです」

「ああ、分かるよ。おれやアリシアなんかは、物ごとを徹底的に理詰めで処理して判断する傾向があるんだけど、アレクの決断力って殆ど本能だからなあ。それでコケることが全くと言っていいほどないんだから。よく言えば豪胆、悪く言えば大雑把というか、でも、ある意味、あれくらいアバウトでも回るものは回るってくらいでないと、一国の当主としてやってくのは大変かもね。だからこそおれは、アレクがいなければIGDもないと思ってるんだけど」

「やっぱり、本当にそう思われますか?」

「まあね。確かに、バックグラウンドとしての論理の裏付けは絶対に必要だよ。でないと、組織の方向性が定まらなくなるからさ。IGDでは、それが主におれやアリシアの受け持ってる部分。でも、いかんせん、きみも今言ったようにそれだけで実際に人間を動かすのは難しい。翻って、アレクの生まれつきの力ってのは無条件に周囲の人間を動かしてしまうようなものなんだ。みんなが彼のやることに関わりたがるっていうか、早い話、おれだってそれで動かされちゃったみたいなもんだよ。でもさ、おれはきみにもそういうところ、あるような気がするよ。アレクとはタイプが違うかもしれないけどね」

「え〜、まさか」

「ファーンが前に、きみは学校でも人望があって、いい友達もたくさん持ってるって言ってたけど、実際に会ってみて納得できたな」

「そうですか?」

「うん。で、それって、重要なことだと思う。ひいおじいさんのような人物が身近にいれば、きみがそれを意識するのも当然のことだと思うけど、でも、きみはきみだろ? 同じになる必要はないんじゃない? 曾孫とはいえ、コピーじゃないんだから」

言われて、ウィルにはかなり感じるところがあったようで言葉を失っている。これまで、そんなふうには考えてみたことがなかったせいだろう。

「それに、どんな人間でも、もちろん、おれやアリシアだって何もかも全てを持っているというわけじゃない。アレクだってね。だからこそIGDのような組織を成立させて維持してゆくには、おれたちにはアレクが必要だし、アレクにはおれたちが必要なんだよ。きみのひいおじいさんだって、そうだったはずだ」

「ええ、それは...。過去に沢山の業績を上げて来られてますけど、"どれも一人で成し遂げたことではない"というのは、よくおっしゃることです」

「だろ? 逆に言えば、それが分かってらっしゃるから、大人物たりえたんだと思うよ。だから、きみの回りにだって、きみが自分で欠けていると思っている部分を補ってくれる人がいるはずだし、きみなら見つけられると思う。とにかく、何もかも一人でやらなければと思い込みすぎないことだな。そもそも、そんなのどんな天才にだって不可能なことなんだから、...と言うか、現代においては、あらゆる問題が一個人の力で扱うには大きくなり過ぎているから、それに相応しいシステムを構築しなければ、何一つ解決しやしないのさ。そう考えると、きみはきみの持っている能力を要にして、回りにどういう構造の組織を作り上げてゆけばいいかが分かってくるんじゃないかな」

「ルーク博士」

「マーティアでいいって、言ってるだろ?」

「いえ。今だけ、少なくとも、今だけはそう呼ばせて下さい。ぼくは、なんだか目からウロコが落ちたって感じがしてるんですから。非常に重要な指針を得たというか」

あまりに真面目な顔でウィルが言うものだから、マーティアは笑っている。

「笑わないで下さいよ。あなたにとっては、なんてことない発言だったのかもしれませんけど、ぼくにとっては衝撃的だったんですから。確かにぼくは、"大じいさまのようにならなければ"とか"なれるだろうか"ってずっと考えてました。だからファーンに...、あの子ならそれができるだろうと思えたので、跡取りの役を押し付けてしまえば、ぼくは大学の先生にでもなってのんびりやれるかもとか目論んだりもしてたんです。でも、ああいうことになって...」

「ああ、あの子はシャンタン家を継ぐことになったからね」

「ええ。それで、その目論見は思いっきりハズレたわけで」

「確かにファーンは伯爵が気に入ってるだけのことはある子だけど、だからって大家の後継者として、きみがあの子に劣ってるとは、おれは全然思わないよ?」

「そうでしょうか?」

「うん。って言うか、おれがいいなあと思うのは、むしろきみのそういう所だよ。ファーンによれば、きみは成績は常時主席、人望があって、生徒からだけじゃなく先生たちからも信頼を置かれてる、まあ言えば、学校でも既にそれなり人物なわけじゃないか。おまけに大公爵家の後継者とくれば、普通ならいくらか天狗になってても仕方ないところだよ。でも、きみはこうして話していても、そんなところがちっとも見えない。だからって自分に自信を持てないタイプではないし、出来ることは出来ることとして評価してる。きみの年で、そんなふうに自分を等身で客観的に評価できるっていうのは、それそのものがある意味、凄いことかもしれないな。それこそ、大じいさまあたりの教えが生きてるんじゃないの? ファーンにも、似たようなところがあるし」

ウィルは、たった二日近くにいただけで、自分の育ってきた環境や人となりを見事に見抜かれてしまっていることで、またまたマーティアの炯眼に舌を巻いている。なんだかんだ言っても、この洞察力と炯眼なくして天下のIGD主席経営顧問は務まらないということなのだろう。

「ともあれ、ディんちの跡取り騒動で後継者問題についてはおれもいろいろ考えさせられててさ。まあ、IGD自体は既にバケモノのような規模に達しちゃってるから、例えアレクに子供がいたとしたって、それでどうのこうのできるようなもんですらないんだけど、逆に言えば、組織を維持してゆくための後継者をどうやって用意するかというのは、今後の重要な課題だなあと思って。前々から、考えないではなかったんだけどね」

「確かに、それは大変な問題ですね」

「分かる?」

「ええ。だって、ロウエル卿だって、マーティアやアリシア博士だって今はまだ全然若いから差し迫ってはいないでしょうけど、でも、じゃあ将来的に代わりが出来る人間がいるかどうかというと...」

「それが、難しいとこなんだよ。だから今、おれはきみやファーンたちに期待しつつあるんだ。リデルにもね」

「ぼくたちですか?!」

「そう。ぶっちゃけた話、"IGD"という個体は別にそのまま継続しなくてもいい機構なんだ。同じ機能が果たせるシステムさえあればね」

「と言うと?」

「IGDは現代においてそれが最も効率的だから"企業"という形態を取って発展させただけのことで、内部的に実際やってることは"国家経営"なんだよ。はっきり言って、現代の経済流通という観点から見ると、底のところで一蓮托生なんだから"国土"なんて概念は既にして意味を為してない。それを必要としてるのは"政治"の方だな。"統治単位"という枠組みとしてね。逆にそれが経済流通の観点から見れば、枷になっているとも言える」

「それはなんとなく分かります。だから、"世界連邦構想"なんですよね」

「お、分かってるじゃない。"世界連邦構想"というのは、もちろん知っての通り昔の拡大主義みたいにIGDが主体になって世界を支配しようなんて、そんなバカげたもんじゃない。第一、世界の支配者なんて、しんどいだけじゃない。あれってある種、拡大症候群とでも名付けるべきビョーキだと思うけどな。どう考えたって、脅迫観念に駆られた行動ってものだよ。おれだって贅沢を否定するつもりはないけど、それにしても使い切れない富を積み上げて無意味に酒池肉林とか栄耀栄華とか、ちょっと冷静に考えれば、どんなに長生きしたってたかが知れてる人間にとって、単なる時間の浪費でしかないことくらい分かりそうなもんだけど」

全くもってマーティアらしい発言だと、ウィルは可笑しかったようだ。世界経済を事実上掌握したも同然のIGDという巨大組織を、僅か十年やそこらで成立させてしまった頭脳である。"世界の支配者"などというものになりうる者があるとすれば、まさにそれはその頭脳を有する者のみだろうに、本人はまるっきりそんなことを考えてみたことすらなさそうなのが、いっそ清々しく感じられたからだ。

「まあ、だから、単に効率の問題なんだよね、効率の。現在ある各国の版図はそのまま自治体として存続させればいいわけで、文化的観点からも"変えない"ということが重要なポイントだと思うよ。だけど、中央政府を一元化することは、各パートの制度や経済状態の均質化を図るとか、経済流通における摩擦やムダを取り除くとか、いろいろメリットがあると思うわけ」

「ええ」

「だけど、そういうことはおれたちが生きてられる百年足らずの間に全て実現するのは難しいよね。IGDは場当たり的に現代の問題の一部を解消するのには役立つ機構だけど、賢人会が目標としてるのは歴史そのものの軌道修正だから、IGD自体ではなくて、IGDが基盤として来た論理体系の存続拡大が重要だということだよ。そうすると、IGDがそのまま存続しなくても、それと同様の機能が果たせる組織機構が継承してくれるなら構わないわけ。もちろん、IGDが母体になるなら、それはそれでいいことだと思うしね」

「なるほど。だいたいのところは、理解できたと思います」

「ん、そこで、やはり問題になるのが次の世代をどう用意するかということなんだな」

「それで、ぼくたちが期待されてるわけですか?」

「そういうこと。もともとリデルをどうやってIGDに取り込むかってことは考えつつあったんだけど、そこへディんちの跡取り騒動だろ? おかげで、きみたちみたいなイキのいいのが三人も目の前に現れたんだから、この際、その辺りの問題にも手をつけるべき時かなと思ってさ。有り難いことに、特にきみやファーンはIGDにかなり興味を持ってくれてるし。もちろん、きみたちはきみたちで自分の家を継ぐんだけど、きみたち自身の考えがうちと同調するなら、それは...」

「IGDの基盤が拡大されるってことですよね」

「その通り。組織機構と言えども結局は人間が動かしているんだから、重要なのは中枢にいる人間が、どういう考えを持っているかなんだよ。分かるだろ?」

「ええ」

「歴史の軌道修正 = 人間を変えることだと、おれは思ってるからね。まあ、きみたちは変える必要もなく、もともと理性値が高い側だと思うけど、そもそも、哲学的理想が往々にして机上の空論になりがちなのは何故だと思う?」

「その質問なら任せてください。"人間性"のせいですよね?」

「当たり」

「これでも、あなたの論文はほぼ読破してるんですから、それくらいは分かりますよ」

「それは頼もしいというか、末恐ろしいな。ま、ともかくさ、現実が理想論通りにゆかないのは、哲学的理想が想定する"人間"という要素が、現実のそれとは大幅にかけ離れているせいなんだよ。個々の人間の性質は理性と獣性の割合いで決まってくるとも言えるけど、一般に人間の理性は、まだその獣性に勝っていない場合が非常に多い。逆に言えば、実際の人間の理性値を向上させることができれば、おのずと社会状況も改善されてゆくということだね。狭い範囲でなら、それは既に実例すらあるよ」

「枠組みを整えることが出来ても、中に入る人間が変わらなければ理想的に機能はしない?」

「そう。そこのところを認識していなかったから、20世紀においては民主主義と共産主義という壮大な愚挙をやらかしちゃったってことだよね。あれは実際、壮大な実験だったと思うけど、おれがあの時代に生きてたら、やってみるまでもなく絶対失敗するという根拠を百も挙げ連ねて止めてたな」

これにはさすがにウィルも大笑いだ。

「ですねえ。マーティアの論文を読んでると、確かに"愚挙"だったんだなと納得出来ますよ」

「うん。ともあれ、"歴史の軌道を修正する"という観点から見れば、IGDはまだ単にそのとっかかりであるにすぎないわけでね。まだまだ考えなきゃならないことは山ほどあるし、時間も人手も無制限に必要なんだよ。だから、きみたちのような有望な人材には、この先思いっきり頑張ってもらわないとね」

「はい。ああ、なんかそんな風に言われると、ぼくたちのような小さい力でも将来的に何かが出来るのかなという希望が湧いてきますよ。さっき言われたことと合わせて、よく考えてみたいと思います」

ウィルの言うのへ頷きながら、マーティアの方でも弱冠十六歳にしてこのテの話題にすらすらとついてこれるとは、この子もなかなかの掘り出しモノだぞと感心している。

もちろんこれまでもIGDは優秀な人材を育てることや集めることに熱心に取り組んで来たし、世界的なレベルで志の高い子供たちや学生を支援する機構をも整えて来たが、確かにこれからは組織そのものの次世代について真剣に考えるべき時期になっているのかもしれない。なにしろ、一気にここまで巨大化したのは多分にマーティアとアリシアの度外れた知的レベルあってこそのことだから、今もし彼らに何かあろうものなら、アレクの力をもってしても帝国崩壊は免れないだろう。IGDの全貌を把握し、全ての方面へスピーディに的確な指示を出せるだけの能力を持っている者は、さすがに未だ彼ら二人をおいてないからだ。マーティアもかねてからこの状態を憂慮してはいたから、ぼちぼちその辺りの改善も含めて考えていかなきゃなと思っている。

それからも二人はとりとめのない話に興じていたが、やがてファーンとデュアンが戻って来てそれに加わり、そうこうするうちにお喋りは楽しい夕食のテーブルに持ちこされて行った。マーティアは今やすっかりこの三人の少年を気に入ってしまったようだ。

original text : 2011.7.15.- 7.20.

  

© 2011 Ayako Tachibana