こうして、三人揃っての初めての夏休みが始まったわけだが、みな、朝は明るい陽射しと小鳥の囀りでのんびりと目を覚まし、それぞれ部屋で好みに合わせた美味しい朝食を取ってから散歩や読書、美術や庭園鑑賞、時には兄弟どうしや祖父との雑談で過ごすのがいつの間にか日課になっていった。メリルに限っては、どうやら起き抜けから部屋でキャンバスに向かっていることも多いらしい。そうするうちにランチの時間になるのでダイニングに集まり、一緒に食事をしてからまた午後の楽しみが始まるのである。

デュアンは祖父と約束していた通り乗馬や釣りを教えてもらうのに忙しかったが、それにはたいていファーンも参加していて、一週間もすると三人で馬を駆り、多少の距離なら遠出できるくらいにデュアンも上達してきた。もちろん、他の二人に比べれば超・初心者のデュアンに合わせるから、それほどのスピードが出せるものではないが、ロベールは孫と一緒ならロバに乗っていても幸せだったろうし、ファーンはこうして弟や祖父といるのが何より楽しいようで、デュアンの世話もなにくれとなくやいてくれる。

一方、メリルは午後の時間をもっぱらスケッチや描きかけの油彩に手を入れることで過ごしていたが、彼も母が乗馬クラブに属していることもあって、幼い頃から教えられていて馬には乗れたので、時にはまだ見ていない場所のスケッチがてら、朝から三人につきあって一緒に遠出したりもした。そんな時は、バスケットにたっぷりのランチやおやつを携えて、馬に乗れるメイドたちも二、三人同行するのが常だ。ちなみに、この辺り一帯は広くシャンタン家のエステートなので、遠出とは言ってもそれは城の敷地内を走っているだけということになる。

また、ある時はメリルも交えて街に出かけたり、祖父にこの辺りの観光スポットを案内してもらったりもして、夜ともなれば連日工夫を凝らしたディナー、食事の後はサロンでビリヤードやチェス合戦だ。

ことに四人が例外なく熱中しているのはチェスで、デュアンとファーンはお互いに思っていた通り互角で勝ったり負けたり、メリルも案外に強い。しかし、一番強いのは当然のことながらトシの功かロベールだった。何度やっても祖父には勝てず常時玉砕の三兄弟は、滞在中に絶対一度はおじいさまに勝ってみせると熱く誓い合うに至っている。それをまたロベールは嬉しがって、連夜飽きもせずに挑戦してくる孫たちに嬉々として相手してやっている始末なのだ。まさにそれは、子供たちにとってもロベールにとっても、理想の夏休みが進行中ということなのだろう。

そんなふうに祖父と孫たちが水入らずの休暇を楽しんでいるところへ、ある日、三人の客が訪れた。ロベール直属の部下でフランソワ、フレデリク、そしてマシューだ。もちろん、ロベールが呼んだのである。

ロベールは数多くの企業が集まって構成されているグループ全体を束ねる会長職にあるわけだが、古くから彼のもとで働いてきてくれたブレーンたちは、今では各企業のトップとして世界中に散っている者が殆どだ。従って、現在直下で動いてくれているのは比較的若手ばかりということになる。ロベールがお披露目に先んじて孫たちを紹介しておこうと呼んだのは、その中でも特に彼が信頼を置いている三人だった。いずれファーンの右腕になる可能性は、彼らが最も高いだろうと思ってのことだ。

メリルは例によってその辺りにスケッチに出かけている時だったが、ファーンとデュアンは城の中にいたので、ロベールは二人に自分の居間まで来るようにとアルベールを呼びにやった。三人にソファへ掛けるようすすめ、自分も腰を降ろしてロベールが言っている。

「遠いところ、すまなかったな」

「なんの。ヘリで飛ばせば一時間もかかりませんからね」

答えたのはフランソワだ。三人の中では一番年嵩だろうが、それでも三十を大きくは超えていない。ブロンドで、眼鏡の奥の青い瞳がいつもいたずらな微笑を浮かべているような好青年だった。

「それに、なによりお世継ぎが決まったともなれば、我々、どこにいても駆けつけませんと」

フランソワが言うのを聞いて一番年下のマシューはにっこりして頷いているが、フレデリクはなにがなし不機嫌そうな顔をしている。

「しかし、聞いて驚きました。モルガーナ伯に三人もお子さんがあったとは」

マシューが言うのへ、ロベールはそれだけでもう相好を崩して、おかげで一挙に孫が三人も出来てなぁ、と嬉しそうに言って続けた。

「それがまた、あの脳天気息子の子とは思えないほどいい子たちなんだよ。きみたちも会えば分かると思うが...」

言っているところへノックの音がしてアルベールの、ファーンさまとデュアンさまがお見えになりました、と言う声が聞こえて来た。

「おお、来たか。入りなさい」

子供たちが居間に入って来ると、三人と一緒にロベールも立ち上がり、孫たちを紹介した。

「向こうがファーン、そしてこっちがデュアンだ。メリルは今出かけているんでな。帰って来たら紹介しよう。で、ファーン、デュアン、この三人は私の仕事を手伝ってくれている者で、そちらからフランソワ・マルソー、フレデリク・リシュリー、そしてマシュー・ルアールだ」

「はじめまして」

フランソワが代表で進み出て、ファーン、そしてデュアンの順で握手を交わした。子供たちも、はじめまして、と答えている。

「じゃ、こちらに掛けなさい」

孫たちを掛けさせて自分はその横に座りながら、ロベールは三人にも座るように促した。

「この三人は今、私が若手のうちで一番信頼を置いている連中でな。まだ内々とはいえ、秋にはもうお披露目することが決まっていることでもあるし、いい機会だからきみたちに引き合わせておこうと思ったのさ」

祖父の言うのにファーンもデュアンも頷いている。一方でその様子を眺めながら、フランソワたち三人の最大の興味は、まだ僅か十歳そこそこでこのヨーロッパでも名門中の名門、シャンタン伯爵家の後継者と決まったファーンが、どのくらいの器を持つ少年かということだった。デュアンに対しても興味を惹かれないわけではないが、いずれ自分たちの上に立つのはファーンなのだから、勢いそちらに値踏みの目が集中するのも仕方のない話である。ましてや、まだ二十代や三十代で堂々とロベールの右腕と認められている彼ら三人、誰一人とっても知性のレベルもプライドもバカ高い。生半可なガキだったら許さんぞ、という気持ちは、程度の差こそあれ皆が感じていることではあったろう。しかし、それを知ってか知らずか、ファーンにはまるで動じた様子ひとつ見えなかった。

「このままゆけば、いずれファーンが私の後を継いでくれたとき、一番力になってくれるのはこの三人だと思うし、うちとモルガーナ家の関係が深いことを思えば、デュアンにも関りが出てくることだからな。今から仲良くなっておいてもらうに越したことはない」

「そうですね」

ファーンが答えるのへ、フランソワがやんわりと切り込んできた。

「どうですか、ファーンくん。ここでの夏休みは」

「はい、とても快適に過ごさせてもらっています。ラファイエットには何度も来ていますが、この辺りは特に景色も環境も良いところですね」

十歳とは思えない落ち着いた話しぶりに、フランソワはなるほど、と内心頷いている。それで、もう一歩踏み込んで反応を見てみようと思ったらしい。

「ええ。まあ、いずれこの辺り一帯はあなたのものになるわけですがね」

「ぼくのものというか...。ぼくのような年齢の者が言うと口はばったく聞こえるかもしれませんけれど、ぼくはおじいさまの後継者になるということは、シャンタン家の管理者になるということだと思っていますから。おじいさまから受け継いで、大事に守って次の世代に引き渡すまでがぼくの仕事、ということでしょうか」

おっと、これは一本取られたと心中笑って、フランソワは微笑を浮かべながら頷いた。ウワサに違わず、なかなか利発そうじゃないかと思ったからだ。そしてさすがにクロフォード公爵家の令息だけあって、大家の当主というものの役割りを既によく心得ているようだ。ファーンが続けて言っている。

「そのためにも、おじいさまも今言われましたが、皆さんにはこれから沢山お力添えいただかなければならないと思います。ですからどうぞ、よろしく」

三人を見回して言ったファーンの誠実な態度と物言いに、フランソワとマシューはどうやら彼が気に入った様子だったが、一人だけ、最初から不機嫌そうだったフレデリクは簡単には頷かず、ちょっときつい口調で答えた。

「それは、どうかな」

言われて、皆の視線が彼に向いたが、フレデリクは構わず先を続けた。

「私は、モルガーナ伯爵が継がれるのであれば、今後もその下で働かせてもらうことに何の異存もありませんでした。しかし、今会ったばかりでは、まだきみのことが少しも分からない。従って、お約束は出来かねますね」

雇い主であるロベールがいる目の前で、そのお気に入りの孫にこうも真正面から切り込むとは、と、わりとセレモニカルな気分でいたファーンは一瞬驚かされた。大体、こういう場合は社交辞令で進むものなのが常だからだ。しかし、そのくらいの驚きが顔に出るほど、この子は一筋縄でゆく子供でもない。一見理性的に見えてこれでなかなか、売られたケンカなら買わずに済ませられません、というのがファーンの本質でもあるからだ。フレデリクの言うのを受けて、ファーンの様子が微妙に変わったのにはロベールも、そしてフランソワやマシューも気づいたが何も言わないまま見守っている。

「...それは、ご尤もです。ご覧のようにぼくはまだほんの子供ですし、ぼく自身が自分を少しも分かっていない状態なんですから。皆さんの信頼を得られるようになるまでには、多く学ばなければならないことがあるとも思っていますよ」

微笑すら浮かべて、相手の言葉の底に潜んだある種の敵意をすんなり受け流したファーンの様子に、今度こそフランソワは、こいつ、やっぱりタダのガキじゃないなと舌を巻く気分になっていた。一方、横で見ていてロベールは、よしよし、と内心深く頷きながら自慢げな表情を浮かべている。デュアンはデュアンで、兄さん、やるなあ、と思いつつ、その様子はきっちりこの子の脳のデータバンクに刻まれたようだ。デュアンはこの後も様々な場面で大きく兄に学ぶことになるが、ファーンの側でしたそれらの経験は、後にデュアン自身"モルガーナ家の後継者"として振舞わなければならなくなった時に大変役に立つことになる。

ともあれ、このように下手から出られては、フレデリクにもそれ以上噛みつく余地はない。ファーンの言葉になんとなく座は和み、ちょうどお茶が運ばれて来たこともあって、それからは子供たちが過ごしている夏休みのことや、フランソワたちの経歴や役割など、当たり障りのない話題が続いた。そのうち帰ってきたメリルも紹介され、三人は今夜はディナーを共にして一晩泊まってから、翌朝帰ることになっている。

ディナーまでの時間、客たち三人はそれぞれ用意された部屋に下がって行ったが、三人で廊下を歩きながらも、話題がファーンのことに集中するのは当然の成り行きというものだった。

「いや、なかなか骨のある坊ちゃんみたいじゃないですか。ぼくは、気に入りましたね」

「うん。さすがに伯爵が見込まれただけのことはあるね。あの子なら、私はこの先も今の仕事を続けられそうだと思う」

まだ二十代後半に差し掛かったばかりで、本来のその年齢よりもさえずっと若く見えるマシューがにこにこしながら言うと、フランソワも笑って同意を示した。しかし、フレデリクだけはそうすんなり納得する気はないようだ。

「二人とも、それは早計というものだよ。そりゃ、確かになかなかアタマは良さそうだけどね。何と言ってもまだ十歳だ」

「しかし、なにしろあのクロフォード家の先代公爵も目をかけてらっしゃるお気に入りだそうじゃないか。今の公爵も立派な方だが、先代と言えば伝説的な大人物だよ。私は、なまなかの子ではそうはなれないと思うけどね。事実、きみのつっこみをああもさらりとかわすとは、大人でもなかなか咄嗟には切り返せるものじゃないだろう? ああ見事には」

言われてフレデリクは苦虫を噛み潰したような顔をして、まあ、切れそうなのは認めるけどね、とだけ言った。

ロベールの後継者が決まったと聞いて以来、彼が不機嫌なのが何故か、もちろん他の二人はよく知っている。両親を早くに亡くし、幼い頃は施設で育たなければならなかったフレデリクにとって、早くから自分の能力を認めてくれ、目をかけて上の学校に進ませてくれたロベールは、子供の頃から崇敬する父親にも等しい存在なのだ。だからといって自身言っていたように実の息子のディには少しも反感があるわけではない。芸術家としても人間としても、尊敬するロベールの息子の名に恥じない人物であると認めているからだが、しかしファーンの場合、特にフレデリクにとっては"ある日突然現れた"という印象がどうしても拭えないのも仕方のない話だった。後継者云々ということ以上に、平たく言えばいきなり"お気に入りの孫"などという地位につかれたこと自体が面白くないのだろう。

「全く、きみは未だに子供みたいなんだからな。ま、そこがいいとこでもあるんだか」

フランソワが言うのを、フレデリクは聞こえないふりをしてそっぽを向いて歩いている。そうやって三人の客がそれぞれの部屋に退いて行った後、ちょっと話したいと言ってロベールの居間に残ったのはファーンだけだった。二人だけになった居間でロベールの向かいのソファにかけ、ファーンが言っている。

「まさかあの席でいきなり噛みつかれるとは思っていなかったので、ちょっと驚きました」

それへロベールは笑って答えた。

「フレデリクのことか?」

「はい」

「いつものことだが、きみはここ一番という時に見事に切り返すな。感心するよ」

「あんなところで負けられませんからね。あれで負けてたりしたら、ますます"この程度のヤツか"と思われてしまうでしょう?」

「まあな」

「でも、おじいさまがどのくらい彼らを信頼しておられるかはあれでよく分かりました。それだけの能力の裏づけがなければ、あの席でああは切り込めないでしょうから。おじいさまがいらっしゃるのに」

ロベールは、それには答えず含み笑いで頷いているだけだ。

「そうなると、もちろんぼくも味方につけたいと思いますよ。それに、お父さんなら、ということは、ぼくの実力さえはっきりすれば、ぼくに力を貸してくれるということでもありますからね。ただ...」

「何だ? 何でも言っていいぞ」

「ええ。ただ、ちょっと気になったことがあって。あの...。おじいさまはもし、お父さんにぼくたちのような子供がいなかったり、最終的にお父さんに子供が出来なかったりした場合、事業や爵位はどうされるおつもりだったんでしょう?」

「ん? そうだな」

言って、ロベールにはファーンが何を気にしているのか分かったようだ。

「その場合、確かに事業に関しては、私の信頼のおける者に分割して譲るという話はあったよ。もちろんそれは相応の株の売買を伴ってということだから、単に譲り渡すということではないがね。まあ、経営者が変わるというだけのことだ。しかし、シャンタン家そのものや爵位はそういうわけにはゆかんので、とりあえずディに譲ることになったろうな。あとはあれに任せて、血の近い家から養子を迎えるなり何なり、好きにさせるしかあるまい?」

「では、彼らのうち誰かをおじいさまが養子に迎えて、という話は無かったんですね?」

「無かった。それは、彼らもよく知っているよ」

「分かりました」

「きみは、きみの現れたことでそういう話がご破算になったので、フレデリクがああいう態度を取ったのかと思ったんだろう?」

「申し訳ありません、失礼な考えでした。ただ、もしそういうことがあったのなら、この先いろいろやりにくいかなと思って」

「うん。しかし、彼がきみにちょっと反感を持っているとすればね、それは私を好いていてくれるからというだけの理由だよ。フレデリクは早くに両親を亡くしているんだが、十二歳の頃だったか、うちの財団の奨学金を受けることになったのが縁で、私とも知り合う機会があってね。そんな年の子とはとても思えないような利発さだったし、真面目でよい子だったから私も気に入ってな。彼も父親のように思ってくれているんだ。なにしろ私は子供がすごく好きなのに、自分には一人しか授かることができなかったからなぁ...。それで彼のことも、息子同様に思って来たんだよ」

「そうですか」

「ただ、養子云々という話が出なかったのは、まあ、きみも知っての通り、社交界というところはお上品に見えて、実際は海千山千な世界だからね。"成り上がり"と見られると、しなくてもいい苦労を背負い込むことになる。だから、こちらとしてもそういう方法を取って良いものかどうか難しいところでな」

「確かに」

「ま、そういうことだ。そんなわけなんで、いきなり現れたきみが、既に私の"お気に入り"というのがカツンとくるんじゃないかな。彼もまだ、若いからな」

ロベールの言うのへファーンは笑って言った。

「そういうことなら、おじいさまを好きなことにかけてはぼくは絶対彼に負けてるとは思いませんからね。それに、彼が"親がいないのに頑張ってきた"というなら、ぼくだって長年片親で頑張ってきたんです。そんなリクツで、負けてはいられません」

ビシっと言うファーンに、ロベールはまた、この子は強いなあと思いながら笑っている。

「うんうん。あれはねえ、もの言いがけっこうキツいんで最初は驚くかもしれんが、根は本当に誠実なヤツでね。信頼を得られさえすれば、きみにとっても大変心強い味方になってくれると思うよ」

「ええ」

「とにかく、この件に関しては私は口出しするつもりはないから、きみの好きなように対処すればいい」

「ぼくの好きなように、ですか?」

「そうだ」

祖父がいたずらに笑って見せるのへファーンも意味ありげに微笑を返し、分かりました、と言った。

「見捨てられないように、精進努力したいと思います」

「うん、頑張ってくれ。期待しているぞ」

ファーンがあの三人を手なずけられるかどうか、これもこの先の見モノだなと思いながらロベールは答えた。そうするうちに、もうヒト波乱はありそうなディナーの始まりが近づいて来ている。

original text : 2009.11.25.

  

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