「三人? 三人って言ったの、アレク。しかも、全部母親が違って、みんな十歳前後だって?」

「そ」

アレクが頷きながら言うのを聞いて、マーティアはたっぷり十秒は声もないほど驚いていたが、いきなり大声で笑い出した。

「いや、それはおれだって...」

言いながら、その事実があまりにも可笑しかったらしく言葉が続けられない。しかし、しばらくして笑いが収まってくると、手にしていたグラスからバランタインを一口飲んでやっと落ち着きを取り戻せたようだ。

「...それは、おれだっているとは思ってたけどさあ、まさか三人とは。その母親が全部違うなんて、さすがディだよ。しかも、十歳って、よくもそんなに長く隠しおおせてたもんだ」

「だろ? 一人くらいはいて当然ってのは、我々みんな思ってたことだけどね」

夏もたけなわの季節になってやっと休暇が取れた二人は、ハーバーの近くにあるアレクのボートハウスで一緒に過ごしている。こうやって二人でのんびりできるのは半年ぶりくらいかもしれない。

ボートハウスとは言っても、これはアレクが二十代の頃から所有している彼の別邸のひとつで、小ぶりながら瀟洒な美しい建物だ。純白の外装に一階部分はガレージ - 今はアレクのジャガーとマーティアのフェラリが二台仲良く並んで駐まっている - 二階に広々としたリヴィングスペースを取り、三階は寝室とゲストルームになっていた。この家は、マーティアがほんの子供の頃からアレクと会えばよく連れて来てもらったところで、今となっては二人にとってハイダウェイのような存在になっているのだ。日頃、豪壮華麗な背景でばかり過ごしていると、ごくごくプライヴェートな時間くらいこういう何の変哲もない日常的な空間の方が落ち着けるのだろう。

そういうわけで二人は今その寝室のベッドで話しているのだか、昼間はヨットで海に出ていて、夕方帰って来るとシャワーを使ったから、どちらもくつろいだ格好をしている。

「で? アレク。おれたちに内緒で、自分だけ会ってきたってわけ?」

マーティアがくすくす笑いながら言うのへ、アレクがちょっと言い訳がましく答えた。

「それはさあ、ディの意向だもの、仕方ないじゃないか。ロベール叔父さんにバレてからいろいろあったみたいなんだけど、結局、シャンタン家とモルガーナ家の跡取りもやっと決まって、秋にはお披露目するらしいよ。でも、きみだってあいつが少なくとも当分の間...、だから、そのお披露目の前にせめて彼からアリシアにちゃんと話す機会があるまで、きみにも伏せておきたかった理由は分かるだろ?」

「まあね」

言ってマーティアは何を思ったかまた笑い出し、それから、じゃ、今頃ディは大変だ、と言った。

「だろうねえ」

「そんなこと話したら、どう言い訳したってアリシアに袋だたきだよ。これは、今度こそ別れるかな?」

「そこまではさすがに無理なんじゃない? ディはそう簡単にアリシアを手放すつもりないだろうし」

「とは思うけど?」

「きみとしては、ちょっと期待してるってわけだ」

それにはマーティアは微笑を返しただけで、はっきりとは答えなかった。

ブロンドに青い目が標準のクランドル人にとって、マーティアの黒髪と黒い瞳はそれだけで東洋的神秘の象徴だが、それと白磁のような肌のコントラストは、まさに東洋と西洋の混交によってのみ齎される稀な美しさだろう。もっとも、ここ二日ばかりはアレクと海で過ごしていたこともあって、その肌も健康的に陽に灼けつつある。一方、十代の頃までは面倒で邪魔なので折りあらば切ってやろうとチャンスを狙っていた黒髪の方は、周囲の猛反対の末に、今ではすっかり切るのは諦めた格好になっていた。二十代も後半の今になっても、彼の神秘的な魅力の根源のひとつは何と言ってもこのキレイな黒髪だと言っていいのだから、アレクやアリシアを始めとする熱狂的なお取巻き連中に猛反対されたのも無理はない。

それに、ほんの子供のころから全く性別が意味を為さないとはよく言われたことで、それは大人になっても変わらないどころか、その類稀な高い知性ともあいまって、ますます"人外"の様相を呈してきている。幼い頃の可愛らしい"天使"は、年月を経て"大天使"に昇格したというところなのだろうが、その翼が白いのか黒いのかは、マーティア自身にも未だはっきりとは言い切れないようだ。

ともあれ、誰もが言う"神秘的な美貌に恵まれた大天才"とは、しかし、彼の表面的なイメージに過ぎず、本人はこれでけっこう自分のことを"大マヌケ"と思っている。確かに、リクツで割り切れることは何でも来いなのは事実だが、人間、それだけで生きているわけでもないのは当然のことで、特にマーティアの場合、ディに振り回された挙句にコカイン中毒にまでなり、自分ではヤメられなくてアレクの手を煩わせたという最大の前科があった。その上、アレクと落ち着いたと思ったら今度は期せずしてアリシアが可愛くて仕方なくなってしまい、かと言ってアレクとは別れられずで、お二人の寛大なご配慮のおかげでなんとかもっているような有様なのだ。

どちらか一人でも失うようなことがあれば、もうそれだけでマーティアは元のままではいられないだろう。それが分かっているから、アレクもアリシアも現状に甘んじていると言っていいが、二人の支えがなければ立ってすらいられないのは、マーティア自身がよく知っていることでもある。所詮、どんな大天才でも結局は人間、ままならぬは人の世ということだ。

「それで、どんな子たちなの?」

聞かれてアレクは、待ってましたとばかりに答えた。

「おれが会ったのはまだ下の二人だけなんだけど、末っ子のデュアンね。これが、すっごく可愛いんだよ。しかも、ディの子供の頃にそっくり」

「へえ」

「ただ、あんなに似てるのに不思議なんだけど、あいつがあの年の頃にはほんと"近寄りがたい"という印象があって、どこからどう見ても"可愛い"ってタイプじゃなかったよ。あいつに好き放題言ってまかり通るのはおれくらいだってみんなに言われたもんだし。もちろんディは、お高くとまるヤツじゃないけど、安易に他におもねないのも媚びないのも天下一品だったからさ。しかも、今より遥かに繊細で気難しげに見えたから、ってゆーか、そのものだったんだけど、それでみんな気後れしちゃって遠巻きに見てるしかなかったんだろうな。でも、デュアンは可愛くて活発というのがひと目で分かる感じの子」

「ふうん。じゃ、真ん中の子は?」

「そうだな...。ファーンっていうんだけど、どっちかっていうとあの子の方が性質的にはディに近いかもしれない。十歳とはとても思えないほどいろいろなことを考えてるし、IGDにも本当に興味があるらしくって、いろんなことをよく知ってたよ。確かに、ビジネスには向いてる感じだ。容姿の方はディとはまるでタイプが違うけど、なかなかの美少年だよ」

「まあ、それはディの子供なら当然かもね」

「あ、それで、ファーンはおれのファンなんだってさ」

「おや。それは良かったじゃない」

「うん」

アレクは嬉しそうに頷いてから続けた。

「で、ファーンには従兄弟が8人もいるらしいんだけど」

「8人?!」

「なんでも、叔父さんが二人いて、彼らの子供が合計8人。しかも、みんな同居してるんだって」

「そりゃ、凄い大家族だ」

「その上、おじいさん夫妻と、ひいおじいさんも同居」

「そうなの?」

「そのひいおじいさんというのが先代のクロフォード公爵なんだけど、彼のことはきみも聞いたことあるはずだよ。伝説的な人物だから」

言われてマーティアは少し考え、思い出したようだ。

「ああ、名前だけは。確か、ウィリアム・クロフォード氏だったよね」

「そう。当年、95歳だってさ」

「で、それが全員同居? 信じられない」

「そういうこと。で、その従兄弟の中の一人が、きみとアリシアのファンなんだって言ってた」

聞いて、マーティアは驚いた顔をしている。その出自や軍人だった頃からの経歴もあって、アレクがクランドルの夢多き子供たちの間で英雄視されていることは知っているが、自分たちは基本的に学者で、どちらかと言えば地味な存在だと思うともなく思っていたからだ。

「ファン?」

「うん」

「おれたちにそんなのいたの?」

「いたみたいだよ」

「それは、天然記念物にしたいような貴重な存在だな。そもそも、どんな子だろうって思っちゃうよ。アレクのファンっていうなら分かるけど」

「お勉強大好き少年らしいね、きみたちみたく」

それでマーティアはなんとなく納得がいったようで、ああ、なるほどね、と言った。

「その子、ウィリアムっていって、ファーンはウィルと呼んでたな。上の叔父さんの長男だそうだから、跡取り息子でひいおじいさんにちなんで名づけられたのかもしれない。まあ、だからその子が、そもそもはきみの論文を読んだり、うちのサイトを覗いたりしてて、ファーンにも教えたとかで」

「おれの論文? 誰がそんなもの読んでるって?」

「驚きはご尤も。でも、そのウィルって子とファーンも勉強になるって沢山読んでるらしい」

「それは、光栄。あんなものが、未来のクランドルを担う青少年のお役に立ってるとは」

「いや、冗談じゃなくてさ」

「本気で?」

「本気で」

マーティアはアレクの様子から彼がディの子供たちを随分気に入っているようだと分かったらしく、そうすると生半可な子たちではないなと思って真面目に興味を抱いたようだ。深く頷きながら言っている。

「だとしたら、それこそ天然記念物かもしれないね。本当にどんな子たちだろう。会ってみたくなるよ」

「それ聞いて安心した。おれ、そのうちアークに招待して、きみやアリシアに会わせるってもう約束しちゃったから」

「それはまた、早手回しに」

「話聞いたら、きみが会いたがると思ったからだよ。それに、おれが見たってファーンもデュアンも十分きみが気に入る種類の子だからさ。そのウィルって子も、いい子みたいだし。ディはお披露目の前にはアリシアに話すつもりのようだったから、その後なら、招待しても問題ないだろ?」

「おれは、いいけど...。アリシアが何て言うか」

「ああ...」

「まあ、あの子が会いたくないと言うようだったら、最悪おれだけでも相手するけどさ。実際、おれは会ってみたいし」

「うん」

「それに、モルガーナ家とシャンタン家、それに直系の長男ってことはそのウィルって子、将来クロフォード家を継ぐ確率が高いよね」

「ああ、それはもう決まってることらしいよ」

「だったら、それこそ興味がある。どの家ひとつ取ったって、傘下に山ほど大きな企業を抱えてるし、政財界への影響力も相当なものなんだから、その後継者の器はさっさと見極めておくに越したことはないよ」

自分はそんなことは少しも考えずに面白がっていただけのアレクは、こういうところ、やっぱりこの子にはかなわないなと思って笑っている。プライヴェートで友人の子供の話をしていても、しっかりビジネスに、そればかりではなく、彼らのプロジェクトの本質と自動的に関連付けてしまえるのがマーティアの頭脳だ。

「何笑ってるの?」

「いや、さすがだと思って」

言われてマーティアは、アレクが何のことを言っているのか気づいたようだ。

「あ、ごめん。このところ、なんかおれ昔より性格悪くなったのかな。ついつい、そういう下世話なものの見方をしちゃうんだよ。やっぱり、ビジネスの世界になんか、長くいるもんじゃないな」

「だったら、何も考えなかったおれはどうなるんだよ」

言われてマーティアは笑い、アレクはそのままでいいんだよ、と言った。

「つまんないこと考えるために、おれたちがいるんだから。でも、もちろん個人的にも興味はあるよ。ファーンやウィルって子とも会ってみたいけど、末っ子の...、デュアンだっけ? あのディの子供の頃そっくりなんて、見逃せない見モノだと思うし」

「確かに、あれは見モノだ。おれもさすがに、びっくりさせられたんだから」

言いながらアレクは手にしていたグラスをサイドテーブルに置くと、マーティアに手を伸ばして自分の方に引き寄せた。

「あの子たち見てちょっと思ってたんだけど、きみがおれの目の前に初めて現れたのはあの年頃の頃だったなって」

「そうだったっけ?」

「うん。もう十八年近くも前だよ」

言われてマーティアは笑っている。

「そんなに経ってるんだよねえ。でも、おれがまだディとつきあってた頃の話だと思えば、百万光年昔のような気もするけど。それって、今となっては殆ど前世だよ」

「あの頃は、まさかこんなことになるなんて思ってもみてなかったけどね。いろいろあったなあと振り返る気持ちになるのは、トシ取った証拠ですかね」

「アレクらしくもない。それとも、それは疲れてるってことかな?」

アレクは少し考えてから、かもしれない、と答えた。

「おれたちがアークに引きこもってるぶん、アレクに負担がかかっちゃってるから」

「それは仕方がないよ。きみたちを守るためには...」

言ってアレクは笑い、仕事の話は今はやめよう、と言った。

「でも...」

「いいんだよ。おれには、きみ以上に大事なものなんてなんにもないんだから」

その言葉に微笑して彼とキスを交わしながら、マーティアは、アレクといるとおれってほんと、子供に戻っちゃうなと思っている。

普段のマーティアは、それがどれほど困難な状況であっても的確に判断を下して処理することの出来る強い精神性と果断さに恵まれているし、従って根本的に女性的な弱さとは全く無縁と言っていい。アレクが十八年という長きに渡って溺愛しているのはだからこそだろうが、そのマーティアが一時期とはいえ薬に逃げなければならなかったのは、ディのことのみならず、それ相応の大問題にぶち当たってしまったからに他ならない。ましてや当時の彼は十歳そこそこの少年でしかなかったのだ。

そんな時に、すっかり自堕落になっていた日常に踏み込んで来て、自暴自棄の末の破滅から救い出してくれたのがアレクだった。最初のうち、思い切りグレていたマーティアは、当時はまだそんなに親しかったわけですらないアレクが、自分のやることに口出ししてくることに怒って散々反抗したし、理不尽な文句も言いまくったし、一度薬が抜けてもすぐ逆戻ってそのたびに大喧嘩。とてものことに、今のようになるとは想像もつかないような最悪の関係だったものだ。しかし、アレクはどこまでも諦めず、結局、根負けした形でマーティアの方が折れることになったのである。

そういう経緯もあって、今思い出してもサイテーと思えるようなその頃の自分を知っているアレクに対して、マーティアはもう何ひとつ隠さなければならないようなことがない。そのせいか親しくなってからは、彼の曇りひとつない誠実さや、様々な意味での力に守られることにすっかり安住してしまっているのだ。それで十何年も来てしまったのだから、一緒にいるときくらい子供に戻っても仕方がないかもしれなかった。

一方、アレクはアレクで、マーティアがディに振り向いてもらえないなら死んだほうがましというくらい投げやりになっていた頃、その深い感情が自分に向いていない時でさえ、マーティアのそんなところがとても可愛かったのだという。そんなふうに何の打算もなく人を愛せる人間なんてそう多くはいない。そのことに薄々気づいていたせいかどうなのか、マーティアと出会うまでのアレクは、人間よりも海の方が遥かに好きだったことは確かだ。そんなアレクがまさに必要としていたのがマーティアのような存在だったのだから、それが男の子だろうが女の子だろうが問題にならなかったのも無理はない。ましてや、誰もが言う通り、どんな美女でも女性というだけでもう、比べものにも何にもならないほど美しい少年であってみれば、である。

今のマーティアは、自分に生来課せられることになっていた根本的な命題にもきっちりと答えを出しているし、だからこそ本来なら隠棲に甘んじるのが最も楽な天分を抱える身で、"歴史の軌道修正"などという危険極まりない大事業にまで手を出しているのである。そのために、これまでアリシアともども何度も誘拐やテロなどの危険に晒されてきている上に、IGDが巨大になればなるほどそういった危機に見舞われる可能性は増すばかりだ。結果として、現在では表立った活動をアレクに任せ、アークを本拠として常に居場所を変えているのが最も安全ということになってしまった。彼らだけの問題で済めばまだしもだが、その存在そのものが周囲に与える危険性まで甚大なものになっては、選択の余地が無かったからだ。

それで数ヶ月に一度、顔を合わせられれば良い方という日常を送りながらも、アレクは未だにマーティアと別れる気はまるでないようだ。適当に遊んではいるらしいし、まことしやかに婚約しただの結婚するだののゴシップが流れることもしばしばだが、ディにアリシアがいるのと同じくらいアレクにマーティアがいることは誰知らない者もない事実とあっては、ディの場合同様、つきあう女性の方で最初からマーティア以上になれるなどとは期待することもできないのかもしれない。ましてや、アレクは基本的にストレートだから、他に男の子の恋人など作るわけがなかった。言い換えれば、アレクにはそれほどマーティアが特別ということなのだろうし、アリシアがいてさえマーティアにとってもそれは同じだ。神々の恋とはまさにそうしたもので、打算や我欲で組み上げられた愚かな人間のそれとは全く比べるべくもない。

original text : 2009.12.4.-12.13.

  

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