アレクが現在の愛車であるジャガーをモルガーナ家のエントランスにつけると、既にアーネストが迎えに出ていた。

「お久しぶりでございます、ロウエル卿」

「やあ、アーネスト。元気だったかい?」

アーネストの出迎えに答えたアレクには、誘拐などという一大事件が起こっているような切迫したところを感じさせる様子は、少なくとも表向き全くない。子供たちのことを心配していないわけはないのだろうが、今のアレクの立場からして、これくらいのことで動転していては仕事にも何にもならないのだろう。

「それはもう、私はこの通り。ロウエル卿も相変わらずでいらっしゃいますね。また、ご自分で運転して来られたのですか?」

「こういう時くらい好きにさせてもらいたいよ。なにしろ昨今、おれはリモの後席におさまってないと格好がつかないらしくって、ハンドルに触れさせてもらえることさえめったにないんだから」

「お止めしても聞かれないので困ります。今日もあまりうるさくしたので、ぼくはおいてけぼりを食らうところだったんですから」

アレクの後を受けて言ったのは、助手席から降りてきた秘書のルイだ。元々は海軍時代のアレクの部下だが、彼が除隊した時に後を追って軍を辞めるくらい心酔していて、以来15年近く、秘書としてアレクの最も近い側近の位置にいる。

屋敷の中に入るとアーネストにコートを預けながらアレクが言っていた。

「市警の連中が来てるんだろう?」

「はい、一昨日から待機しておられます」

「ルイを案内してやってくれないか。上とは話がついてるが、それだけでは帰れと言っても四の五の言うのに決まってるから。ルイならうまくやってくれる」

「かしこまりました」

「ディは?」

「警察の方と、それにベンソン夫妻が来られていますので、応接室の方に」

「アトリエか部屋がいいな。呼んでくれる? その方が落ち着いて話せる」

「すぐにお伝えいたします」

一緒に迎えに出ていた家政婦長のビバリー夫人にアレクの案内を頼み、アーネストはルイを連れて応接室の方へ歩いて行った。

アーネストはモルガーナ家に50年近く勤めているだけあり、この事態にも動揺した様子は殆ど示していなかったが、彼女の方は女性であることもあってそうはゆかなかった。アレクを案内しながら、-とは言っても、勝手知ったるディの屋敷のことで、そもそもアレクには案内など必要ないのだが - 彼女は不安そうに尋ねた。

「アレクさま。デュアン坊ちゃまは大丈夫なのでしょうか」

彼女もアーネストと同じくらい長くこの家にいるので、アレクのことも子供の頃からよく知っている。アーネストに敬称付きで呼ばれるのは立場上仕方ないとして我慢しているが、それ以外では他人行儀にするなとアレクの方から言ってあるので、昔からの使用人は彼のことを今でもアレクと呼ぶ。

「大丈夫だよ、マーサ。マーティアたちとおれがついてる限り、何があろうとデュアンは無事に連れ戻すから。」

「デュアン坊ちゃまは本当に、明るくて優しい方で...。私たちも皆、とても...」

手放しで泣くわけにもゆかないので抑えてはいたが、涙を浮かべて続けて言うのも苦しそうな彼女の肩をたたき、アレクはもう一度、大丈夫だよ、と繰り返した。彼女のこの様子を見れば明らかだったが、デュアンは既にモルガーナ家の人たちにとって無くてはならない存在となっているようだ。それは、表向き平然と振舞っていたアーネストにしても同じだろう。

アレクがディのアトリエに落ち着くと、しばらくして部屋の主が戻ってきた。他の人間がこんなにすんなりディのアトリエに通されることはありえないが、昔からアレクとマーティア、それにアリシアだけがフリーパスなのは、モルガーナ家の者なら誰でもよく心得ている。

「久しぶりだね、アレク」

向かいのソファに身を沈めながらディが言ったのへ、アレクが答えた。

「単にご機嫌伺いに来ただけなら良かったんだけどね」

「単にご機嫌伺いに、なんて今じゃそのヒマもないんだろう? マーティアが言ってたよ。今きみが偶然クランドルにいたこと自体がラッキーだったって」

「まあね。それより、今回のことはおれたちの不注意が原因だ。まず、そのことを謝らないとな」

「いや。ぼくにしたってまるっきり関わりないというわけじゃない。こういう種類のことも予測しておくべきだったんだよ。ただ、これまでは自分の身さえ守れば良かったから、そこまで気が回ってなかった。なにしろ、息子を側に置くなんて慣れないもんでね」

アレクはディが少し笑って言うのに微笑を返して、まさに、おれたちが不注意だったのもそこなんだよ、と言った。

「きみが自分の身くらい自分で守れることはよく知ってるし、だからそもそも心配する必要もなかったのさ、今までは。しかし、デュアンの、それにファーンやメリルの存在を計算に入れてなかったのは、迂闊だったよ」

「これだからイヤだったんだ、子供を側に置くのは。きみ自身もそうだろうが、ぼくも何回も誘拐されかかったことがあったしね。とうとう、あの子たちを巻き込むことになってしまったな」

「かと言って、あのままというわけにもゆかなかったんだろ?」

「ぼくの方はともかく、父がね。今だって元気いっぱいなくせに、トシがトシなもんだからことあるごとに跡継ぎが、跡継ぎがとうるさくて。あんまりグチるもんだから、こっちもつい口がすべったんだ」

アレクはそれへ笑って答えた。

「まあ、シャンタン伯の気持ちも分からないではないな。おれは三男坊だから、その点では助かってるよ。兄貴たちに子供が山ほどいるからね」

「いつも思うんだけど、神さまってのはえこひいきだよ。きみは跡取りがどうとか、結婚しろとか、そういうことを言われたことすらないだろう?」

「マーティアのことがいい防壁にはなってるな。おかげで親父たちもとっくに諦めてる。家の方は兄貴が継ぐって元から決まってるし。ま、それはともかく、マーティアと話したんなら聞いただろ? 二人とも既にこっちに向ってる。調査も現在進行中だ」

「聞いたよ」

「子供たちの居場所が分かり次第、動けるように手配もしてある。しかし、しばらくは待つしかない」

言っているところへ、ドアをノックする音が聞こえた。ディが答える。

「誰?」

「私でございます」

「ああ、入っていいよ、アーネスト」

アーネストは入ってくると一礼し、ベンソン夫妻がだんなさまとお話になりたいとおっしゃっておられるのですが、と言った。

「分かった、すぐ行くよ。警察の連中はおとなしく帰りそうかい?」

「はい。先ほど署の方からもご連絡があったようで、それにはやはり納得がゆかれなかったようですが、モーリスさまのご説明で一応は引き上げる方向で動いておられます。それでベンソンさまがご心配のご様子で」

「なるほど。じゃあ、少ししたら行く。ベンソン氏にはぼくから説明するから待っていてもらうように言ってくれ」

「かしこまりました」

アーネストが一礼して出てゆくと、アレクが言った。

「ベンソンっていうのは、一緒に連れて行かれた子の?」

「そう。デュアンの友達で、もう何回もここに遊びに来てる。可愛らしいお嬢さんだよ。2日前も一緒に研究発表の準備をするとかで、来る予定だったんだ」

「間が悪かったな」

「本当に。身内だけで済めばまだしもなんだけど、こういうことにはこうやって何の関係もない人たちまで巻き込むことになりかねないのがね」

ディは軽くため息をついて言った。その様子に、アレクはたいていのことでは動じないこの長年の親友が、表向きは普段と変わらなくても、内心では珍しく相当参っているらしいのを見て取っていた。

それからしばらくして、警察が引き上げた頃を見計らい、二人は応接室の方へ出て行った。アレクは特に口出しする必要もないだろうとは思っていたが、場合によっては自分からもある程度事態の説明をする義務があるかと思ったのだ。

応接室からは既に警察は引き上げていて、残っているのはベンソン夫妻とルイだけだった。さっき、アーネストがモーリスさまと言っていたのは、ルイのことだ。

「ご苦労さま、ルイ」

「いえ。責任者が年配の方でしたので、事態を呑みこんで頂くのが早くて助かりました。常に協力体制で待機しているとも約束して下さいましたし」

「そう」

部屋で二人を迎えたルイとアレクが小声で話している間に、ディはソファにかけて心配顔の夫妻と相対していた。

「伯爵、警察の方がいま...」

「分かっています。実は、警察の手に余る状況であることが判明しましたので、事態を拡散させないためにも引き上げてもらうのが最良と判断しました。二人の居場所については調査中ですが、間もなく結果が出ると思います。何としてでも、お嬢さんは無事にお手元にお返しします。ですから...」

「どうか、お願いです、伯爵。エヴァは...」

言いかけて続けられず、思わず泣き伏してしまった夫人の変わりに、ベンソン氏が後を引き継いだ。

「エヴァは、ご覧の通りずいぶん遅くなってからやっと出来た子供で、ご存知のように一人娘です。妻も私もあの子を失うなどということは...」

「お気持ちは当然だと思います。何よりこれはこちらの問題にお嬢さんを巻き込んでしまったことも明らかなんですから、救出には全力を尽くします。ご心配はやむをえませんが、どうか気を確かに持って待っていて下さい」

今のディにはこれ以上言えることはなかったが、それでも彼のかなり確信的な様子は夫妻を僅かながらでも安心させる役には立ったようだった。事件の背後関係がどうとか、どうやって二人を探し出し、連れ戻すつもりなのかというような細かいことにまで気を回しているゆとりすら、今のベンソン夫妻にはなかったのだ。彼らにとってはクランドル屈指の大貴族、モルガーナ家の当主であるディの力を信じて、祈るより他ないような気分だったのだろう。

一昨日の夜にここに来てから、ろくに眠ることもできずに娘の心配をしていた夫妻の憔悴を気遣って、ディは二人のために部屋を用意して休んでもらうようにアーネストに命じ、それからアレクとルイを伴ってアトリエの方へ戻ってきた。

「出来たご夫妻のようだったね」

ソファに落ち着くと、アレクは向かいに座ったディに言っていた。ルイはアーネストが運んで来たコーヒーを受け取ってテーブルに並べ、アレクの横に腰掛けた。

「おかげで助かってますよ。実際、どうこちらの責任を問われても仕方のない状況だからね。それに、以前からデュアンがお世話になっていたみたいだし。あの子もエヴァのご両親は大好きだって言ってたな」

アレクは頷きながら、ふと思い出したらしく、ルイに言った。

「マーティアたちは今どのあたりかな」

「アークを発たれる時に連絡を受けてから1時間ほどですから、まだ洋上でしょう。空軍基地に降りられるまで最大4時間として、夕方にはこちらにお見えになるのではと」

「だな」

「ルーク博士が自ら出てきて下さるとはね」

ディの冗談にアレクが笑って答えた。

「そりゃ、出て来ざるをえないでしょう、この状況では。マーティアもデュアンのことは気に入ってるようだし、遠隔操作で万一のことでもあったら一生後悔モノだって言ってたよ。なによりこれはデュアンには全くのとばっちりみたいなものなんだし、帰って来たらおねだりは何でも聞かなきゃな」

「あの子のことだから、高くつくよ」

「それはもうなんなりと」

笑って話してはいてもアレクが事態を軽く見ているのでないことは、横で聞いているルイにはよく分かっていた。長年、彼の側にいるのだ。切迫した事態であればあるほど、それに動じれば判断を誤る確率が高くなる。それをよく心得ているアレクは、海軍時代からコトがあった時ほど落ち着いて見えたものだ。それは回りの動揺をも落ち着かせ、最良の結果を得るのにいつも役立っていた。そして何より、見た目は優しげでそうは見えないルイ自身も軍人上がりであることが、アレクやマーティアの信頼を勝ち得ている大きな要因のひとつだろう。そのルイの目から見ても、自分の子供が誘拐されているというのに取り乱した様子もなく、巻き添えで連れて行かれた子の両親の気持ちを思いやるゆとりすらあるディが、尊敬するアレクの親友であるのは当然だと思えるのだ。ルイはアレクを見ていても思うのだが、これが大貴族の血筋、クランドル貴族たるものの本来あるべき姿というものという気がしている。社会的には既に家柄としてのみ受け継がれている爵位だが、クランドルにおいては現在でも一般に尊敬されているのは、彼らがこのクランドルという国の文化と気風を受け継ぎ、象徴する存在でもあるからだろう。

何はともあれ、デュアンたちの居所が分からなければ動きようもない。アレクの言った通り、今は、待つしかなかった。

original text : 2008.2.25.

 

   

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