いつもならとっくに帰っていて当然の時間になっても、しかし、デュアンを送り迎えしているメルセデスは屋敷に戻って来なかった。学校や友達づきあいの都合で、二時間やそこら遅くなることは珍しくなかったが、それでも冬の陽が落ちる時間になると、これはちょっと、とアーネストやディが心配し始めたのも無理はない。アーネストがいつもデュアンを送り迎えしているロイに電話してみても応答がなかった。途中何かあったのかもしれないから、市内方面に誰か様子を見に行かせようかと二人が相談し始めた矢先、穏やかではない訪問客がモルガーナ家の門をたたいた。

「だんなさま、市警の刑事とおっしゃる方がお見えになっています。坊ちゃまを迎えに出たメルセデスがこちらに向う途中の道で事故と...」

「なんだって?」

ディがアーネストの知らせを聞いて、既に訪問者を通してあった応接室に出てゆくと、そこには二人の刑事が待っていて、身分証を示した。一人は年配、もう一人は若い。

「それで、子供たちは?無事なんですか?」

ディが聞いても返って来たのは意外な答えだった。

「お子さんが乗っておられたのですか?」

「そうです。うちの子と、その友達で今日来るはずの女の子が一人」

それを聞いて二人の刑事は顔を見合わせた。

「やはりそうでしたか。発見された状況が状況でしたので、まさかとは思ったのですが」

「どういうことですか」

「車を発見したのは巡回中のうちの交通課の車両だったのです。ご存知の通り、市内からこちらに向う道はあまり車通りがありませんし、人も殆ど通りません。そのせいで、事故車に気づいた者がいても、通報には至らなかったのでしょう。問題は事故の原因なのですが、運転者は瀕死の状態で、しかしそれが事故によるものではなく、どうやら狙撃されたのではないかと...」

「なんですって?」

「フロントグラスに弾痕が残っていました。ライフル弾です。それが事故そのものの原因でしょう。運転者は既に病院に収容しましたが意識不明です。車はナンバーからモルガーナ伯爵家のものと判明しましたし、運転者が銃とその携帯許可証、それにボディ・ガードの身分証を持っていましたので、これは容易ならざる事態ではないかと判断しまして、我々が事情を伺いに来た次第です。同乗者のものと思しい鞄類なども後部座席に放置されていましたし」

「ということは、子供たちは一緒にいなかったわけですね」

「そうです」

ディは側に立って心配そうに聞いていたアーネストと顔を見合わせた。これはもうデュアンたちは何者かに連れ去られたとしか考えようがない。

「お話を伺って、我々もこれは誘拐事件と判断せざるをえませんので、即刻、捜査を開始しなくてはなりません。当然、犯人からの連絡があると思いますし、私たちとうちの者が数人、こちらに詰めさせて頂くことになりますが?」

「それは...、仕方がないでしょうね」

「もちろん、そういう事態でしたので発見した者たちと病院関係者には他言しないように緘口令を敷いてあります。誘拐の場合、初期の段階では極秘捜査が絶対の基本ですからね」

「報道関係には?」

「まだ流れてはいませんが、万一流れた場合でもこちらで協力を要請します。彼らも、人命尊重の原則から我々の報道管制には逆らいません」

ディは頷いて何か考えているようだったが、しばらくして分かりました、と答えた。

「じゃあ、ここを使って下さい。外部からの電話はふつう別の所に入りますが、切替えておけばここでも取ることができます」

刑事が頷いて手配にかかると、ディはアーネストにちょっと、と言って部屋から連れ出した。アトリエに戻って来てから言っている。

「単なる営利誘拐ならまだしもだが、それより厄介かもしれないな」

「とおっしゃると?」

「いきなりロイを狙撃したというやり方がひっかかってる。移動中の車を狙撃するなんて、ふつうの誘拐犯には手に余る方法だろう? 第一、そんな方法で誘拐したら、この通り、警察に知られる可能性だって高くなるんだから」

「はい、確かに...、そうでございますね」

「それに問題はデュアンと一緒にいたはずの...、エヴァ? といったかな、そのベンソン氏のお嬢さんは」

「左様でございます」

「このまま娘が戻らなければ当然心配するだろうし、騒ぎになる前にこちらに呼んで事情を説明した方がいいだろう。もう少ししたら、ぼくが話があると言って、誰か迎えに行かせてくれないか。ご夫妻ともお連れしてくれ。それから、報道関係も警察だけの力ではもうひとつ心もとない。そっちの対策も立てておきたいから、すぐにルドルフを捕まえて、ぼくに連絡するように言って」

「かしこまりました」

「今出来るのはそのくらいかな。どういう性質のものなのかがはっきりしないことには、それによってこちらも対応が違ってくるからね」

「はい。それではすぐにベンソン様と、アシュレー様の方を」

「頼むよ」

ルドルフ・アシュレーはディがモルガーナ家傘下の企業群の管理を実質的に任せているブレイン・チームの中心人物だが、元は彼の父であるシャンタン伯の部下だ。先代のモルガーナ伯が引退し、ディが爵位を継いだ時に、彼がまだごく若かったことと、画家としての仕事を優先させてやりたいという親心からルドルフをつけたわけだが、ロベールが見込むだけのことはあって、既に25年近くディの側にいて力になってくれている。

アーネストが出て行ってからも、ディはしばらくそのままそこで考えこんでいたが、不安を振り切るようにひとつ大きく息をついて、刑事たちの様子を見に応接室へ戻って行った。部屋を出る一瞬に、デュアンのいつもの元気な声が、ディ、と呼ぶのが聞こえた気がした。

original text : 2008.3.1.

 

   

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