デュアンたちの誘拐騒ぎから既にひと月近くが経ち、ケンという強力なボディ・ガードがついてくれたことで当初の不安も格段に軽減されたモルガーナ家には、のんびりした日常がすっかり戻って来ているようだった。しかし、目前にマーティアからのご招待という一大イベントを控えているデュアンは、それなりにわくわくと毎日を送っているようだ。それはもちろんエヴァも同じである。

最初はエヴァだけを招待するということで始まった話ではあったが、その後ディの配慮で、心配をかけた彼女の両親も一緒にどうかということになり、結局この旅行にはベンソン一家とデュアン、それにディやファーンも行くことになって、なかなかにぎやかな一行になりそうだった。それでも10人にも満たない客を乗せるためにアークのような大きな船を動かさなくても、アレクもIGDももっと小ぶりな船をいくらも所有はしているのだが、これが経費などものともせず洋上を自在に航行しているという事実は、IGDという巨大帝国の威光の象徴にもなっているのだ。そして、それにこうして招待されるということは、今では世界中の上流階級の人々にとっても、最高のステイタスと考えられるようになっている。

そんな法外な贅沢旅行を控えたある日。ディとデュアンは、ぽかぽかと春めいて来た陽射しが満ちるアトリエの床に二人で座って、いろいろな画集を眺めながら、とりとめのない話に興じていた。

「だから、そういう意味でマルセル・デュシャンというのは美術史において偉大なわけだよ。その作品の意図を読みきれないバカな評論家なんかが、彼のことをいんちきだとか言ったりしてたみたいだけど、ぼくに言わせればその程度の鑑賞眼しかないくせに評論家なんて名乗っている彼らの方がよっぽどいんちきだったと思うね」

「でもさあ、デュシャンって分かれって言う方が無理なとこもあるじゃない?」

「だからさ、分からないなら分からないと素直に認めて評論家なんて気取らなければいいものを、って話だよ」

ディの酷評にデュアンは笑っている。ディはこうして話すにつれて、この子が美術史にも芸術史全般にも、この年で既に相当造詣が深いらしいと気づいて驚いていたのだか、どうやらカトリーヌが幼い頃からいろいろ教えていたらしい。そうでもなければ、ただでさえ難解なディの作品に夢中でハマりこんだり、ましてや熱狂的ファンにまではなっていないだろう。

「それはそうとさ、デュアン。エヴァのことだけど」

「エヴァ?」

「うん。あの子はずいぶんきみのことが好きみたいじゃない?」

「ぼくもだよ? だって幼稚園に入った時からの友達だもの」

そおいう意味ではなくて、とディは思ったが、デュアンがまるっきり気づいてすらいないようなので内心笑いながら、面白いからもう少しこのまま何も教えないで見ていようと決め、以前から言わなくてはと思っていたことの方を話題に振ってみた。

「ところで覚えてる? きみはエヴァが寄宿学校のことでご両親と抗議に雪崩れ込んで来た時、お父さんにだけは言われたくないとかなんとか言ってたよね?」

デュアンはちょっと首を傾げて考えたが、すぐに思い出したらしい。

「ディが女の子を泣かせるとかどうとか言った時?」

「そう。ぼくは女の子を泣かせたことなんてないから、それってどういう意味かと」

デュアンは彼が冗談で言っているのか本気なのか咄嗟には判断しかねて、ちょっと考えてから答えた。

「もしかして、それって本当に自覚がないの?」

「自覚って何の?」

「お父さん」

「はい?」

「だってぼくと兄さんのことが発覚した時だって、うるさいゴシップ誌に散々"女の敵"とか書かれてたじゃないですか。お堅い婦人団体にとっちゃ、ディって全くその通りの存在なんだよ?」

「ぼくはお堅いご婦人方には縁がないからなぁ。そういうのってよく分からない」

「もしもし? それって暗に、ブスはお断りって言ってるように聞こえますけど?」

「とんでもない、そんな大それた」

「とにかくディはこれまで散々女性を泣かせてるんです。ぼくの母をはじめとして。ちょっとは自覚しておいた方がいいと思いますよ」

「なんでカトリーヌが? ぼくは彼女が泣いたとこなんて見たことないよ。第一、きみと一緒にここに来れば? って言った時、彼女がきっちりぼくをふってるとこ、きみだって見たじゃない、目の前で」

「だーかーらー、そういう問題じゃないんですってば。そもそもディのその生き方そのものが女性を泣かせるモトなんです。確かにうちの母も実際に泣いてるとこはぼくも見たことありませんけど、それでもぼくが生まれる前にはきっとそういうこともあったんではないかと思うし、他ならないぼくだって陰ながら泣いてるんですから、彼女たちの気持ちはよっく、分かります」

「なんできみが?」

「怒りますよ」

「だから、なんでぼくが怒られなきゃいけないんだ?」

「だったら、一人に決めて下さい」

「だって、ぼくにアリシアがいると知ってて割り込んで来たのはきみや彼女たちの方じゃないか。だからって、きみは断って欲しかった?」

「それは...」

「ほら。断ったら断ったで、結局それでも不満なんじゃない。じゃ、いったいぼくはどうすればいいわけ?」

「開き直らないで下さい」

「きみこそ駄々こねるのヤメなさいよ」

結局これは、どこまで行っても水掛け論にしかなりそうもなかったが、それでも「みんなが欲しがるものは、独り占めしようと思ったりしちゃダメだよ。仲良く分け合わないとね」とか、「それっていわゆる博愛主義でしょ? プレイボーイのリクツだよね」とか、二人はそれからもどっちがどう悪いのかについてしばらくムダな論争を続けていた。

窓の外ではなべてコトもなげに、そろそろ春を思わせる陽射しが平和に降り注いでいる。ともあれ、ディしか見えていないデュアンがこの先、彼のようなプレイボーイになる可能性はあまりなかったが、少なくとも父親に匹敵する美形に成長することはまず間違いない上、性格も悪くないと来れば、遊ばなければ遊ばないで女性を泣かせることになるのはほぼ確実だった。

今でさえ既にエヴァという犠牲者が出ているのだから、全く、罪な親子ではある。

original text : 2008.4.10.　（＋2008.3.21.+3.23.）