周囲は丈高い巨木が取り巻き、裏には広大な庭園の広がるモルガーナ家の屋敷は、イレーネ湖畔の城と並んでクランドルで最も美しい建物のひとつだ。左右に両翼を広げるクラシックなスタイルの邸宅だが、よく手入れされている上に数世紀を経たものだけの持つ重みが加わって、それ自体が既に美術品の風情を醸し出している。もともとクランドルは古いものを大切にする気風のある国だが、この屋敷が現在でも隅々までこれほど完璧にその美を保っていられるのは、やはりアーネストの思い入れあってのことだろう。ディが家のことをあまり気にせずふらふら遊び回っていられるのも、全く彼のおかげだと言っていい。

これまでもこの家はこうして300年近くにも渡ってモルガーナ家の歴史を見守ってきたのだが、今朝もまた、その歴史にちょっとした記録を残す朝になりそうだった。石畳みの前庭にも冬の早い朝の清澄な空気が満ちて、晴天を予感させる陽光が降り注いでいる。連絡を受けて玄関先でヘリの到着を待っていたベンソン夫妻とアーネストを始めとするモルガーナ家の人々は、やっと遠くの空にそれらしい点が見えると、皆、一様に安堵の表情を浮かべた。最初、小さな点でしかなかったそれはみるみるうちに形を取り、それにつれてローターとエンジンの轟音がひとつになって近づいてくる。

すさまじい風を舞い上げながら、ヘリは今度は車寄せの方ではなく正面の前庭に降りてきた。なんと言っても勝利の凱旋だ。接地してローターが止まり、スライディングドアが開くと、一番先にディが降りてデュアンとエヴァが降りるのに手を貸してやっている。ディとデュアンの無事な姿を見て、皆の後ろから見守っていたアーネストが人知れずほっとした表情を浮かべていたのは言うまでもない。もちろんエヴァの両親も、彼女の姿を見てその名を呼ぶと、転びそうなくらい無我夢中で娘の側に駆け寄って行った。

「エヴァ!」

「パパ! ママ!」

その様子にディのみならず、後から降りてきたアレクやマーティアたちも笑顔になっている。夫妻にエヴァを無事に返せたことで、ひと安心という気持ちなのだろう。娘の元気な顔を見て微かに涙を浮かべていたベンソン氏の方は、人心地つくと側に立っていたディを見て言った。

「伯爵、有難うございました」

「とんでもない。こちらの問題に巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした。お嬢さんを無事にお返しできて本当に良かった」

それへディに寄り添って立っていたデュアンが口を挟んだ。

「ベンソンさん」

「やあ、デュアン。二人とも無事で本当に良かったよ」

「ごめんなさい。ぼく、何にもできなくて。エヴァを一緒に連れて行かせてしまって...」

それを聞いて、母に抱きしめられていたエヴァが叫んだ。

「違うわ! パパ! デュアンは私のこと守ってくれたの!」

「エヴァ」

「本当は私、最初に殺されていたかもしれなかったのよ。でも、デュアンが絶対にダメだって。私のことかばって動かなかったの」

エヴァが一生懸命に主張する様子は回りのみんなに微笑ましく映っている。ベンソン氏も元から子供のデュアンを責めるつもりは毛頭なかったが、それを聞いて微笑を浮かべると小さなナイトに向き直ってその肩に手を置いた。

「有難う、デュアン」

「いいえ」

「それにね、パパ」

父親が納得した様子に安心したのか、彼女は母の手から離れて彼らの側に歩いて来ると、父を見上げていたずらそうに笑って言った。

「デュアンは捕まってる間もずっと、エヴァのこと守ってくれてたの。だからちっとも怖くなかったのよ?」

ベンソン氏はそれを聞いて、娘の髪を撫でながら頷いている。

「さあ、とにかく中に入りましょう。子供たちも疲れているでしょうから、休ませないと」

ディが言って促し、一同は屋敷の中に入って落ち着くことにした。マーサが先に立って皆を案内して応接室の方へ歩いて行ったが、アーネストは扉の側に立って彼らを迎えながら、最後に入って来たディにいつもと何も変わらない調子で、お帰りなさいませ、と言った。

「ただいま」

それへディも何も変わったことなどなかったかのように答えたが、それ以上余計なことを言わなくても、アーネストがどれほどディのことを心配していたか彼はよく知っているし、ディがそのことをよく知っていることもアーネストには分かっていた。ディが安心してこの家の管理を彼に任せているのも、この信頼関係あってのことだろう。

ベンソン夫妻は応接室に落ち着いて、事の次第をおおまかにディから説明されたが、子供たちのためにもそれについては他言しないと約束してくれた。アレクたちが迅速に対応したおかげで二人が連れ去られてから僅か3日でカタがついたわけだし、未だ報道関係にも動きはない。万一、リークするようなことがあっても、モルガーナ家ばかりでなくIGDからの圧力に逆らってまで取り上げようという報道機関は、特にこのクランドル国内にはあるはずもなかった。

それからエヴァが疲れていることもあってベンソン一家にはしばらく部屋で休んでもらい、落ち着いたらいつでも家まで送り届けるということになって3人は応接室を辞した。マーティアはデュアンに話しておきたいことがあったようだが、3日間も誘拐という特殊な状況下に置かれて、銃撃戦にまで遭遇するハメになったのだから、さすがに爆弾っ子のサバイバル少年も相当疲れている様子だった。それがよく分かっていたのでマーティアは後日改めて出直すと言い、アレクやルイを伴って一旦帰ることにした。

大騒ぎの後ではあったが、こうして皆が引き上げてしまうとなんとなく一段落という感じで、応接室にはディとデュアンだけが残って、お互いほっとした様子で顔を見合わせている。

「ま、とにかく、おかえりなさい」

「ご心配おかけしまして」

「いえいえ」

言うとディはデュアンを抱き寄せて髪に口づけし、着替えてくる? と尋ねた。

「うん」

「じゃあ、ぼくも部屋で落ち着かせてもらおう。ちょっと眠らないと死にそうだよ。慣れないことをするとやっぱり疲れるな」

「ね、ディ。後でそっちに行くから、ベッド半分空けといてね」

「はいはい」

それへいたずらそうに笑ってキスすると、デュアンは応接室を出て行った。屋敷の中には当然デュアンのためのスイートもあるのだが、いつの間にかそちらではなくディの寝室で寝起きするようになって久しい。ディはその後ろ姿を見送って笑っている。

一方、アーネストに送られて外に出たアレクとマーティアは、ルイがガレージに入れられていたジャガーを回してくるのを玄関先で待っていた。

「ところで、アリシアは?」

アレクがふと気づいたようにマーティアに尋ねた。ヘリでここに降りるまでは一緒だったはずなのだが、いつの間にかアリシアの姿が消えていたからだ。

「バカバカしいから帰るって」

「え? バカバカしいって何が」

「だから、ディとデュアンだよ」

アレクは状況の把握に少し時間がかかったようなのだが、長いつきあいなのですぐピンときたらしい。

「なんだ、あの二人ってそういうことになってるの?」

「あ、そうか。アレクはまだ知らなかったんだ」

「全然。なるほど、それでディのやつ、あんなにあわててたんだな。いくらなんでもあいつらしくないと思ったよ」

「気がついてた?」

「それはもう、長いつきあいですから。珍しくマジで参ってるなとは思ってたんだ」

「それにしてもダメだな、おれまだ修行が足りない。ちょっと気を許すとこれなんだから。また口滑らしちまった」

「いいんじゃない? 相手はおれなんだし、ディも怒らないと思うよ。他言もいたしません」

「うん、よろしくお願いします」

「で? きみは? 傷心のアリシアを慰めに帰る? 送らせようか?」

「なんで? せっかく久しぶりにアレクと会えたのに」

その答えにアレクは笑って、じゃ、おれのところで戦勝祝いに一杯やってく? と尋ねた。

「そういうお誘いなら、喜んで」

言っているところへルイが回してきたアレクのジャガーが目の前に滑り込んで来て、それに乗り込むと二人はモルガーナ家を後にしていた。

original text : 2008.3.27.〜3.30.

 

   

© 2008 Ayako Tachibana