Essay vol2.英語と日本人の不幸な関係・その1

 

90年代以降、巷で大流行の英会話教室ですが、いったいなんであんなに雨後のタケノコのようにドコにもココにもあるんでしょうか。単純に考えて、あれはやっぱり「儲かるから」ですよね? つまり、それだけ英語を習得したい潜在的な顧客層が厚いということ。でも日本では、中学、高校と正規の授業で英語を教えています。6年も習うわけですから、本当なら学校で勉強しているだけで絶対、英語は使いこなせるようになるはず。なのに、なぜ?

学生さんなら勉強熱心なヒトが補充的に通っているとも考えられますが、いや、それにしても大学生以上が通うのはそもそもヘン!! 大学に行くまでに、一生懸命英語は勉強してるはずなんですから、もー、その頃になったらホントなら第二外国語や第三外国語にチャレンジしてるべき時期なんです。それなのに、学生さんどころか、社会人になってまで英会話教室に通わなければならない。

それは、TOEICについて紹介した時にも書いたように、2600もの企業がTOEICを「社員の語学力測定に利用している」という事実からも伺えます。語学力を測定するのみならず、更には語学研修まで与えている企業すらあるでしょう。測定に利用するということは、雇った社員の語学力が事前に確定していない(学歴だけではどのくらい実用的な語学力があるのか判断できない)ということでもある。しかし、そもそも英語が実用として必要になるような企業はそこそこ一流とか中堅の会社でしょうし、そういうところは主に、ある程度一流と看做される大学を卒業したヒトを雇っているはずですよね。それなのに「大学を卒業してすら、英語標準仕様の脳になっている保証はない」から、測定しなきゃならないわけで、これではあまりにもスタンダード値が低すぎる。つまりはこうした現実の反映として社会人になってまで英会話教室に通わなければならなくなっちゃうということでしょう。

誰も言わないことなんで気づいてるのか気づいてないのかと不安になりますが、これらのことから考えて本当に恐ろしいのは、よほどの一流大学なら少しはマシかもしれませんが(希望的観測でないことを祈りたい)、そこそこの大学だと学生に英語の実用語学力をつけるノウハウを持っていないのではないかという疑問につきあたるということです。これはもう「疑問」の域と言うより、殆ど「確定的事実」と言うべきものかもしれませんが、ともかく遅くとも大学までゆけばマトモな語学力がつくってことなら、そもそもあんなに英会話教室がハヤってないでしょうしね。

これはもう冗談ごとで済ませられることではなく、英語は特に90年代以降、ビジネス世界でも重要な要素になってしまっていますから、義務教育中にクリアさせておかないということは、子供に平等な教育を与える=将来的に均等な可能性を与える という原則を狂わせてしまうことなります。英会話教室に通える子供はまだいいけど、通えない子にとって不利な状況を作ってしまうということですね。また、更にはこの状況が日本の対外的経済発展の支障のひとつになっているという、ヒジョーにっ、深刻な問題をも含んでいるわけです。

 

ではひとつ、こうした現実を反映する例を挙げてみましょう。これは英文和文ともに某外資系金融機関のパンフレットに載っていた文です。この文に限っては、まちがっても暗記しないで下さい。完全に誤文ですから。

There was a very important someone who was always looking at me, like a sunflower tracking the sun. Next month another precious person will enter my life, and I will be the sunflower.

(いつもヒマワリのように私を見つめ、微笑んでくれた人がいた。その人は今、私の一番大切な人になっている。来月にはもうひとり大切な人が増える予定だ。今度は私がヒマワリのように見つめてあげようと思う。)

さて、マトモな語学力を既にお持ちか、勉強熱心な方ならすぐに気がつかれることかと思いますが、まずこの「important someone」という表現。someoneやanything、something などを(複合)不定代名詞と言いますが、これに対する形容詞は必ず「後置修飾」という形で用いられます。つまり「someone important」でなければならないんです。これなどは、感覚的に英語を学習して来ていれば、絶対に在り得ない表現です*注1。また、この最初の文は明らかに過去形になっていますが、この文だとニュアンスは「過去にそういう人がいた」ということで、完全な過去形。ここから連想されるのは、その人がもう死んでしまったか、別れてしまったかしてもういないという状況ですね。和文を見ると確かに「微笑んでくれた人がいた」と過去形になってますが、続くのが「今、私の一番大切な人になっている」ですから、本来のニュアンスは「継続」であって、完了形を使うのが普通。従ってここは、「There has been a very important person」 か、「There has been someone very important」が正しい表現です。これなどはもう、言っちゃなんですが中学生のレベル。

私がこの和文のニュアンスを英文にするとすれば、

There has been a very precious person who's always watching me like a sunflower watching the sun. Another one comes into our life next month and I'd like to be the sunflower this time.

「comes into」と現在形にしているのは、これが近未来の確定的事実を示しているからです。それはともかくとして、一応は英文にしてみたものの、どうもこれは私としては和文そのものがイメージ的に落ち着きの悪い内容だと思ってしまう。そもそもこれは「ヒマワリが太陽に花を向けているように、自分を見守って来てくれた大切な人がいる。来月には子供が生まれるので、今度は私が子供にとってのヒマワリになってやりたい。」ということを言いたいんだと思うんですけど、問題はこのヒマワリと太陽の関係で、今まで自分を見守って来てくれた人は自分にとってとても大きな存在で、自分の方が見守られている小さい存在だったわけですよね。で、子供と親では子供の方が小さい存在。そうすると、太陽とヒマワリの関係は逆なんでは? と思いませんか。そこで、

There has been a very precious person who's always watching me like the sun watching sunflowers. Another one comes into our life next month and I'd like to be the sun this time.

ここでもよく書いていることですが、言葉はニュアンスというものを持っていますから、英訳する場合でもそれを伝えるためには言葉そのものよりもニュアンスの方を大切にする必要があります。特に完了形や助動詞などはそのニュアンスを表現するためにあるものですから、そこのところを把握しておかないと使いこなせません。また、私は「あまり文法に拘るな」とは言っているものの、しかし絶対にハズしちゃいかん基準というものもあるわけで、不定代名詞に対して後置修飾を使うなどは文法以前に常識のレベル。「something new」なんて表現は、歌のタイトルになるくらい当たり前な表現なんですから。

他にも言いたいコトはありますが、ともかくこういったパンフレットの謳い文句は所謂「コピー」とか「キャッチフレーズ」なわけですから、それなり常套的な書き方というものがあるわけで、あんまり実社会で使われている英文を見たことなしにこういうものを書くと不自然な文になっちゃうってコトですね。まあこれが、国内の信用金庫とかね、そういうところのパンフレットならご愛嬌で笑ってられますが、これは外資系ですから、なんと言っても。でもこういう、多少英語が分かる人間から見ると????? な英文は、日常茶飯事であちこち見受けられるわけで、これもちょっとなんとかしてよ、な問題ではあります。

ともあれ、このような英文が立派な一流外資系金融機関のパンフレットに載ってしまうということ自体が、いかに日本では英語が普及していないかという実態を暴露してしまっているし、じゃあなんで、こんなにみんな熱心に英語を勉強しているのに、いつまで経っても日本人はバイリンガルになれないんだ? という問題が浮上してくる。アジアでは、日本よりずっと経済的に苦しいのにバイリンガルが普通という国もあるというのに〜。なんでなんでなんで?

長くなってしまったんで、この話はその2で続けましょう。

 

*注1 不定代名詞とは、any, some, all, both, one, none などの代名詞用法のことを言い、この場合はこれらは一般に単独で用いられます。some boys のように名詞に付けられる場合は形容詞用法。something, someone, nothing, anything, anyone などは基本の不定代名詞に-one, -thing, -bodyなどがくっついたもので、これらを特に複合不定代名詞と呼ぶこともあります。ここでお話しているのはこの複合不定代名詞の扱いについてです。逆に、例えば代名詞用法ではnothing serious となるnothing が、名詞用法で用いられている時はpure nothing(なんとも得たいのしれないこと)などのように、形容詞を前に置いて(前置修飾)用いられる場合もあります。参考書などでは-thing の付いた不定代名詞の後置修飾については明記してある場合がありますが、他の複合不定代名詞についても、後置修飾されるのが一般的です。(ex. someone else, somebody else)

 

2007.9.28.-9.29.

(+ 2007.12.4.)

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