「奥さま、モルガーナ伯爵とご子息がお見えになりましてよ」

「そう! 待ってたのよ、早く通して」

「はい」

気に入りのメイドの先触れを受けて、春の午後の日差し溢れるサロンで雑誌を斜め読みしながら二人を待っていたレイチェル・ロクスターは嬉しそうな声を上げた。ディの母であるベアトリスと同年代なのだから、もう軽く六十に届く年齢であるのだろうが、どこからどう見てもせいぜい行って四十くらいにしか見えない。春らしい色合いのニットに深くスリットの入ったロングスカートをスマートに着こなしていて、まだ十分に美しいと言える容姿を保っている様子は、密かに社交界の奇跡とさえ囁かれているほどなのだ。聡明な女性の常でちょっとキツい感じはするかもしれないが、誰でもふと目を奪われてしまうような印象的な雰囲気がある。

メイドが一旦下がり、既に次の間まで通されていたディとデュアンを伴って戻って来ると、レイはソファを立ち上がって二人を出迎えた。今日のディはアーティストさまらしくナチュラルカラーのミラノっぽい上下でラフに遊んでいるが、ちょっと見モノはデュアンの方だ。なにしろラグジュアリーなニードルポイントレースの大きな襟や、袖にたっぷりフリルの付いたシルクのブラウスとサスペンダー付きのパンツ、足元は白いエナメルのショートブーツときては、まさにその美少年ぶりが思い切り際立つナルシスの如き"お耽美"なスタイルである。本来のデュアンのキャラからすれば、これはかなりジョークの入ったコスプレまがいと言ってもいいコーデかもしれないのだが、なにしろ本人の見た目がコレだから思いっきりハマりまくっている。しかも、招待してくれた女主人に敬意を表して贈る大輪の花束まで抱えているのだから、アレク言うところの"キレイな男の子が好き"なレイなどは、見るなり目がハートになってしまうほどだ。

実は今日この服を着なさいと言ったのはディだったのだが、それは普段の父からすると珍しいことだったし、しかも服が服だったのでデュアンは"ちょっとハデじゃありませんか?"とは言ってみた。しかし、ディは"今日はそれでいいんです"と主張する。不思議には思ったが否定する材料もなかったのと、もともともっと幼い頃はカトリーヌにこのテの服をよく着せられていたから慣れてもいたのとで、なんとなく言われるままに着て出かけて来たのだ。しかし、それに対するレイの反応を見て、デュアンはなるほどね、と内心で父の意図を深く理解していた。

「まあ、デュアン。よく来てれたわね。楽しみにしてたのよ」

「こんにちわ。あの、これを...」

言って差し出された花束を嬉しそうに受け取り、有難うと言ってから、彼女は側に立っているディに視線を移した。

「ディ、お久しぶりね」

「ご無沙汰致しまして」

ディが、彼には珍しくバカ丁寧な様子で答えたので、デュアンはあれ? と思ったようだ。さすがにこの子はカンが鋭い。何故だかは分からないのだが、レイが含んだような視線をディに向けたことと彼の態度から、二人の間に何かわだかまりでもあるのかなという気がしたのだろう。もちろん"わだかまり"というのは事実を何も知らないデュアンにとって仕方のない勘違いで、この二人、実は母の親友とかつての親友の一人息子などという単純な関係ではないのである。しかし、ディはそれをデュアンに知らせておく必要はまるで感じていなかったし、そもそも、お子様向けの話題ではないのだから言わない方が当然だった。

「どうぞ、二人ともこちらにかけて」

レイが促すのに従って、二人はゆったりとした豪華なソファセットのところまで歩いてゆき、示されたところに並んで腰かけた。彼女は花束をメイドに渡し、生けて持ってくるように指示してから自分も二人の向かいに座って言っている。

「やっと来てくれたわね。お披露目以来ですもの」

「お招き下さって、有難うございます」

「堅い挨拶なんて言いっこなしよ。これからも気軽に遊びに来てくれると嬉しいわ」

「はい」

「それにしても、こうして見るとほんっとにディのこの年の頃そっくりね」

言ってからレイはディを見て、あなたはこんなに可愛くなかったけど、と付け加えた。ディは何食わない顔でクールに受け流しているが、デュアンの方は表には出さないが気持ちむっとしたようだ。彼の最愛の父にこんな失礼なセリフを吐く者は、誰であろうとこの子のお怒りを買わずにはすまないのである。しかし、レイはそのデュアンの反応を知ってか知らずか、脳天気に続けた。

「冬だったら、これに毛皮を羽織らせてみたいわ。さぞ見ごたえがあるでしょうね」

ディはそれに笑っている。今日、デュアンにこの服を着なさいと言ったのは彼なのだから、当然、彼女がこういう反応を示すだろうとは予期していたようだ。と言うよりも、そもそも息子にこういう格好をさせたこと自体が、この反応を狙ったディのジョークなのである。

「そのくらいの年の頃のディって、あなたそっくりだったけど本当に性格は可愛くなかったのよ」

言われて更に気分を害しながらデュアンは、そうなんですか? と答えた。この子には珍しくちょっと表情が硬くなっている。

「ええ。もっと小さい頃は、ビーチェがお人形みたいに着せ替えて遊んでいたから可愛かったんだけど、トシを取るに従ってナマイキになったと言うか、元々の性格が可愛くなかったと言うか」

言っているところへ執事とメイドたちがお茶の用意を運んで来てくれたので、デュアンのテンションはかろうじて落ち着いたようだ。ワゴンで運ばれて来たお菓子がどれも美味しそうなのでそっちに注意が行ったからだが、このブレイクがなかったらちょっと困ったことになっていたかもしれない。

「どれがいいかしら。チョコレートが好きだって聞いていたけれど」

「あ、はい」

「うちの自慢は、それなのよ。生チョコのタルトにたっぷり木の実を添えて食べるの。オレンジソースが絶品でね。誰にでも好評よ」

レイが指さしたタルトは確かに物凄く美味しそうだった。それでデュアンはそちらに気を取られて、一瞬だがさっきまでの彼女への反発心を忘れたようだ。何を言うにも僅か9歳では、まだまだ他愛のない年頃である。

「じゃあそれと、あの、そっちのマカロンとか...」

言われてレイはにっこりして頷き、メイドに指示して切り分けさせながらディにも尋ねた。

「あなたはそっちのブランディが入ったやつでいい? 相変わらず好物でしょ?」

ディはそれに頷いている。テーブルにお菓子が並ぶと、それぞれのカップにお茶が注がれ、とりあえずは楽しい歓談の席ということになった。

「まあ、それにしても本当にね、呆れるわ。こんなに大きくなるまで十年も子供を隠してたなんて」

「隠してたわけじゃありませんよ。単にみんなが知らなかっただけで」

「モルガーナ伯爵という立場で、そんな言い分が許されると思って?」

「ぼくは許されると思ってますけど?」

「可哀想なのはロベールよ。あなたがそんなだから、長年跡取りのことで気をもんで」

「だから、こうやって最終的には親孝行したじゃないですか」

「"親孝行"って、ロベールの前では言わないことね。また、怒鳴られるわよ」

「大丈夫。今は彼、マゴに夢中でそれどころじゃありませんから」

それにレイは笑って言った。

「確かにね、あれは舞い上がってるわ。デュアンもだけど、ファーンがまた出来すぎな子だし。あれはロベールの跡を継ぐために生まれて来たような子じゃないの」

「うん、ぼくもそう思う」

「でも、さすがに私もあの子があなたの子だなんて気がつかなかったわね。アンナに子供がいることは知ってたのよ。でも、まさかその父親があなただったとは」

「あれ? ぼくが彼女とつきあってたこと、知らなかった?」

「あなたね、そんなこといちいち覚えてられますか。今まで一体何人の女と遊んできたのよ」

「遊んでなんていませんよ、ぼくは。まじめにおつきあいしてるだけで。だから子供までいるんでしょ?」

「よく言うわ。だいたいあなたは元から気に食わないのよ。マーティアのことでは先を越されるわ、挙句にアリシアまで持ってゆかれるわ、散々なんですもの」

「侯爵夫人、子供の前ですからどうぞ...」

お控え下さい、という様子でディは軽くレイに手のひらを立てて制止する仕草をして見せた。

「あら、ごめんなさい。ね、デュアン、どうぞ食べて。美味しいから」

「はい」

言ってデュアンがそれでは、とケーキの皿に手をつけるのを楽しそうに眺めながら、レイは自分もお茶を飲んでディに視線を戻した。

「あのね、ディ」

「はい?」

「私、実はちょっと疑ってることがあるのよ」

「何を?」

聞こうかどうしようかまだ迷っている風を装いながら、レイはさり気なく核心に切り込んだ。

「...本当に、二人? 他にもいるんじゃないでしょうね」

横でそれを聞いていてデュアンは息を詰めかけたらしく、あわててお茶に手を伸ばしている。レイは目ざとくその様子に気がついてはいたが、そちらはあえて追及しようとしなかった。一方、さすがにディの方は天晴れなポーカーフェイスである。

「いませんよ。いくらぼくでもそんなには」

「どうだか」

彼の答えに疑わしそうな顔をしながらも、レイはとりあえず納得して今度はデュアンに矛先を向けてきた。

「ねえ、デュアン。あなたのお母さまってカトリーヌ・ドラジェなんですってね」

「あ、はい」

「彼女のイラスト、とても素敵ね。私も、好きなのよ」

「有難うございます」

「ほらほら、またそんな。お行儀よく答えないで頂戴。ビーチェの孫なら私にとっても孫同然、と言いたいところだけど、せめて叔母くらいにしておいてね」

彼女の年齢については、以前ディに言われていたことでもあり薄々は知っているデュアンだが、どう見ても"おばあさま"という雰囲気ではないのは彼にも分かる。しかし、アンナのように"おばさま"と呼びかけていいものかとも迷って、デュアンは聞いてみることにした。

「あの、じゃ、何てお呼びすれば...」

「あら、いいのよ、レイで。みんなそう呼ぶから。あなたもお友達になってくれるでしょ?」

「ええ、それはもちろん」

「じゃ、決まり。私もデュアンと呼ばせてね」

「...はい」

さっきからどうも彼女がディに絡んでいる様子なので、デュアンはまだどういう待遇で接したらいいのか決めかねてはいたのだが、嬉しそうにそう言われると否定も出来かねた。いまひとつ納得がゆかない気もするが、だからと言ってキライなタイプの人でもないし、と、デュアンは考えている。彼女が父に何かと失礼なことを言っているのでさえなければ、もっとすんなり好きになれるかもしれない。

「それにしても、本当に鑑賞に堪える光景ね。お披露目の時の正装もナマイキで良かったけど、今日のもとても似合っててよ」

「そうですか?」

「ええ。まあ、ディに似てるんだから当然なんでしょうけど、そうね。ちょっとアリシアを初めて見た時の感動がよみがえる感じね。そう思わない? ディ」

「まあね」

「あの子もキレイだったわねえ。世の中にキレイな子はけっこう沢山いるんだけど、今に至るまで私にとってもアリシアとマーティアは双璧よ。本当にこんな天使のような子が存在するのねえって、知られざる美術品を発見したような感動だったわ」

それへディが尋ねている。

「マーティアとアリシアが双璧なのはぼくも同じですけどね。そうすると、ぼくと出会った時の感動は無かったんでしょうか?」

「何言ってるの。私があなたと出会った時、あなたは生まれたての赤ん坊だったのよ。どうやって感動しろって言うのよ」

「そうでしたっけ?」

「そうよ。それは確かに、ある意味"天使"と見えないでもなかったけど。ま、あの子たちのことはともかくとして、デュアンはあなたの息子なんですからね。いくらキレイだと言っても自分の子供にだけは手出すんじゃないわよ。犯罪だからね」

それを聞いてデュアンはレイの父に対する辛辣さに再び気を悪くしながらも、彼女が言ったことにちょっとどきっとさせられていた。なんとなく、お父さんにだったら手を出されたいかも、というようなヨコシマな思いが走らないでもなかったからだ。しかし、大人たち二人はどちらもそれには気づかなかった。

「出しませんよ」

「そう願いたいわね。あなたが手を出すと、天使も悪魔になっちゃうのよ」

「酷いなあ。じゃあ、マーティアもアリシアも悪魔ですか?」

「"堕天使"ではあると思うわよ? もお、今のアリシアの生意気なことったら。あなたが散々甘やかすから」

聞いてディは笑っているが、レイの方はデュアンを見ると尋ねた。

「ね、デュアン。ひとつ聞いていい?」

「あ、はい」

「こんなお父さんで、イヤじゃない?」

アリシアとディのことは当然デュアンも知っているだろうと思って、そのことも含めてレイは冗談で尋ねたのだが、これはさすがに留めのヒトコトだった。ここに来てからずっと、お父さんにあんなことを言うなんてと腹を立てていたデュアンのむかむか度は、一気にレッドゾーンに達してしまったらしい。大爆発とまでは行かなかったが小爆発くらいは仕方のない事態だったから、デュアンはかなりキツい口調で言い返していた。

「いえ、ぼくの師だと思ってますから」

今まで可愛いとばかり思って見ていたデュアンから、こんな態度が出てくるとは予期していなかったのだろう。レイは一瞬、面食らったようだったが、さすがに彼女もしたたかでこの程度ではビビらない。むしろ、デュアンが本当はかなり気が強そうだと知って、よけい気に入ったように見えた。

「あらあら、もうすっかり手なずけてるってわけね。相変わらず、素早いこと」

言われてもディは何食わない顔で笑っているだけだ。彼女の失礼な言い分に対して、自分の激しかたのわりには父がそれに頓着している様子がないのに気づいて、ふとデュアンはあれ? と思ったらしく尋ねている。

「あの...」

「なあに?」

「もしかして、仲、いいんですか?」

二人を交互に指さして言ったデュアンの意図を解して、レイはまあ、ごめんなさい、と言った。

「お父さんと仲が悪いと思われてた?」

「ええ、だってさっきから...」

「ああ...。それはいつものことなのよ。なにしろこの人はこういう人だから、つかみどころがなくてついつっかかっちゃうのよね」

「そうなんですか?」

「そうなの。ね、ディ? 私たちは、うんと古いお友達ですものね」

言われてディはそれを肯定するように、息子を見て頷いた。それでデュアンの気持ちは軽くなったらしく、今度は全くこの子らしい人懐っこさで、なあんだ、と言った。一気にリラックスした様子になっている。

「だって、あんまりレイがお父さんに絡むんだもの。ごめんなさい、ぼく、ちょっとむかっとしちゃって」

「いいのよ。そうね、確かに私たち、知らない人が見たらどうかと思うかもしれないわ。ケンカ友達...って言うよりは、いつも私の方が一方的に絡んでるかもしれないけど」

デュアンはなにがなし納得して頷いている。

「師っていうことは、じゃ、デュアン。聞いてはいたけど、あなたもやっぱり絵を描いているってことかしら?」

「イラストですけどね」

「そう」

ディが横から説明を加えた。

「ちょっとしたものなんだよ。ついこの前も雑誌に載ったし。何かで見てるかもしれないね」

「あら、もうそんなところまで行ってるの?」

その年齢から見て意外だったらしく、いくぶん驚いた様子で言うレイにデュアンは、まだまだ、これからですと笑って答えた。その様子はすっかり普段の彼らしくなっていて、どうやら、この子の方でも彼女のことを受け入れる気持ちになったように見えた。"おばあさま"とは決して言ってはいけないのだろうが、彼女の言う通り"叔母"くらいかなという気分ではあるらしい。

original text : 2011.1.29.-2.8.

  

© 2011 Ayako Tachibana