『リ〜デル! リデルってば、ねえねえねえ』

「なんなのよ、うるさいわね」

『あそぼ〜、あそぼ〜よお』

「あ〜、もう。遊ぶんなら一人で遊んでなさいよ。私はいそがしいのっ」

『やだ! 一人で遊んだって面白くないもん』

言って、トロリーはリデルのいるデスクの端に、ちょんと飛びあがって腰かけた。しかし、言葉を話してはいるものの、それは人の姿をしていない。なにしろ、見た目はまるっきりウサギなのである。いや、ウサギを模しているということは誰にでも見れば分かるだろうが、それは実物のウサギとも違った形をしていた。大きさはリデルより、ふた回りくらい小さいだろうか。キレイな薄茶の毛並みをしていて、リデルが座っていると床に立っているトロリーの顔の位置は彼女より少し低いくらいだから、本モノのウサギよりかなり大きい。決定的に実物と違うのは、いつでも二本足ですっくと立っていることで、しかも、こともあろうにその二本足でスタスタ歩くのだ。もちろん、けっこう高くジャンプもする。そんなわけで、つまりはトロリーは二足歩行うさぎ型ロボットなのだが、その見た目は一般的なロボットというイメージからまるっきり逸脱していて、じっとしていれば非常に精巧に作られたぬいぐるみに見えたし、動いていればいるでイキモノにしか見えなかった。

『何やってんの?』

リデルの手元にある本を覗きこみながら、トロリーが尋ねた。

「お勉強。本読んでるんだから、邪魔しないで。今、めんどくさい化学式を覚えてるとこなんだから」

『ふ〜ん、人間って不便だよね、いちいち苦労して覚えなくちゃならないなんて。こう、ちゃっちゃっとコピペでセーブといかんのかね』

「バカ言わないでよ。あんたとは違うんだから」

『だけど、マーティアやアリシアは何でもすぐに覚えちゃうよ? あれって殆ど、コピペでセーブの世界だもん。だから、人間ってボクらとそんなに変わらないと思ってたんだ。でも、リデルは違うんだね』

「あの人外の兄たちと、一緒にしないでもらいたいわね。私はこれでも、ふつーに人間なのよ」

『あ、そんなこと言うとチクっちゃうぞ』

トロリーの言うのへリデルは大きな溜め息をついて言った。

「あんたは、パパと話してるとおとなしいじゃない。ママには礼儀正しいし。それなのに、なんで私にはそういう態度なのよ」

『タメだもん。バークレイ博士は敬意を持って接するべき年長者ですけれどもさ。それにテディは美しい上に尊敬すべき淑女なんだから、あれは紳士として当然の態度だよ』

「ちょっと待ちなさいよ。タメって、それは私とあんたがタメだと言ってるの?」

『もっちり〜ん! もう、おトモダチでしょ? キミとボク』

「いつから私とあんたが、おトモダチになったのよ」

『これは心外な。キズつくなあ、そういう言い方。ボクはこれでもデリケートなんだから』

「バリケード?」

『おや、これは一本取られた。なかなかやるね、リデル。うん、キミ、素質あるよ。さすがボクの相棒さ』

「何の素質なのよっ、相棒ってなんなのよっ、いつからそういうことになったのよ〜っ!!!」

叫んでいる横で、側のパソコンからメールの着信チャイムの音がした。リデルはそれに気づくと騒ぐのは一旦やめ、そちらに向き直って受診したメールを開いている。それは今朝、リデルがマーティアとアリシアへC.C.で送信したメールへの返信だったので、件名は"Re: トロリーのプログラム修正について"となっていた。実は、もらった時からトロリーにはマニュアルが付いていなかったため、プログラムの変更やメンテの方法なども分からず、それでリデルは制作者であるアリシアとマーティアに尋ねてみることにしたのだ。なにしろ、トロリーはその言動のテンションがちょっとばかり高過ぎて、はっきり言って"ウルサイやつ"なのでなんとかしたかったのである。送信したメールでは、その辺りのところを切々と訴えたのだが、アリシアからの返信は極めて簡潔だった。

― いいじゃない。自分とそっくりで気が合うだろ? ヘンピンフカ、ケントウヲイノル (^_-)(-。-)y-゜゜゜

読んだ途端、リデルの血相は最悪のところまで変わり、再び、両手を振り回して大騒ぎを再開した。

「なんなの、これ〜っ!!! くっそ〜、カオ文字まで付けて悪質〜っ! 完全にバカにしてるわね、私のこと。それじゃ、なに? 私とトロリーがそっくりだってことは、アリシアと私の性格もそっくりだってことじゃないの! 冗談じゃないわよ。私は、まだああまでひねくれちゃいないわよ。それって、言いがかりってもんよ!」

『まあまあまあ』

「おまけに何が、"返品不可"よ。アリシアってば、失敗作の不良品だから私に押しつけてよこしたわねっ。第一、マニュアルもなきゃ、メンテのリクエストも受け付けないってどういう料簡してるのよっ。顧客に不良品押しつけて知らん顔って、IGDって、そおいう企業だったのっ?!?! き〜っっっっっ!」

『だーかーらー。いや、ともかくね、ボクもリデルとは相性バッチリだと思ってるんだ。それに、リデルにはそこはかとなくアリシアを思い出させるところも...』

「なんですって?!」

『リデル。既に、アリシアに人格形成上、影響されちゃってるんじゃない?』

「それこそ、冗談ポイよ。じゃ、とにかく、あんたはこれからもこのままココに居座るつもりなのね?」

『もちろんさ。ボクはココが気に入ってるんだから。リデル、キミのこともネ』

言ってトロリーは器用にウィンクした。

『ボクのことは、おしゃべり天才ウサギと呼んでくれてよい。Trolley, the great genius!』

言って、デスクから飛び降りると、イエイ! と言ってポーズを決めた。リデルは、深い深いため息をついている。今や、トロリーは、ある晴れた日、突然にリデルのもとへやってきて居座った災難そのものになりつつあったからだ。

夏の始め、しばらくリデルは両親と一緒にバークレイ家の本拠があるダーヴィルターンシャーへ出かけていた。クランドル南西部にあって風光明媚な土地柄でもあるので避暑にも最適で、本拠ともなるとリデル好みのクラシックで贅沢な大邸宅だってあるのだが、いかんせん、現当主であるマリオが戻っていると聞くとカタブツの親戚連中が続々と集まってくる。その上に、使用人たちも先代からの名残りでやたらに堅いので、彼女にとっては窮屈この上ない場所だったのだ。2週間近く我慢したものの最後にはブチ切れて、とうとう父にねだって早々に引き揚げてきてしまった。その辺りからしてオテンバ娘にとって既に災難だったと言えるが、戻って来てみたら、それ以上の災厄が待ち構えていたのであった。

リデルは夏生まれの獅子座なので、ちょうど今頃が誕生日にあたる。それで、兄たちからメッセンジャーに託されて5回目のバースディを祝うプレゼントが送られてきた、のはいいが、それがトロリーだったのだ。以前、兄たちのところにマロリーなる、トロリーとそっくりの電脳ウサギがいるのを見てめちゃくちゃ気に入り、欲しい欲しいとねだっておいたのだが、一見したところトロリーはマロリーそっくりだったので大喜びした、のも束の間の夢だった。マロリーは礼儀正しく、紳士なキャラの優等生ウサギなのに、トロリーはそれとは全くの正反対で、やたらめったら騒ぐしワガママ。おまけにあっと言う間にリデルに懐き、迷惑な話だが所かまわずついて回ろうとするのである。おかげでリデルは朝から晩までつきまとわれっ放しで、い〜かげんキレて兄たちに助けを求めたのに、アリシアからはからかうような返信が返ってきただけだ。マーティアに至っては、忙しいのは分かっているが、まだ返信すらくれていない。

親たちはと言えば、トロリーは外ヅラがいいのですっかり二人に気に入られているから既に生きたペット扱いで、ダーヴィルから戻った後、別の場所に避暑へという計画もあったのに、"トロリーを置いてゆくのは可哀想だから"という理由で取りやめになってしまった。なにしろ、トロリーはIGD内部では未だトップシークレット扱いのテクノロジーを山ほど搭載しているので、不用意に連れて回るわけにはゆかない。それで、あんたのおかげで、私の夏休みが無くなっちゃったじゃないのと思いつつ、こんなものねだるんじゃなかった、とつくづく後悔の嵐な昨今のリデルなのである。

そんなこととは少しも考えてすらみないトロリーが、呆れるリデルの横で言っていた。

『ね、ね、リデル。ぼく、また着替えたいな。お着替え! お着替え!』

トロリーは今、ネイビーのセーラーカラーのトップに、おろそいのズボンをはいている。今朝、着替えさせてやったばかりなのだが、気分が変わったのかまた着替えたいらしい。なにしろ、マーティアたちのメッセンジャーは、ついでにトロリーお着替えセットも山ほど置いて行ったのだ。中には、アリシアが自ら編んでやったというカギ針編みのニットボレロまであって、トロリーがまだ袖を通していないものも多いから、オシャレさんな彼はやたらと着替えたがる。着せ替えも楽しめるおしゃべり冗談ウサギだなんて、あの天才どもは何を考えてこんなものをテマヒマ大金かけて作ってるんだろうと、リデルはその人外ぶりにさすがにアタマの痛くなる思いがするのであった。

しかし、まあ一応、この世の他の誰も持っていないスーパー電脳ペットではあるし、可愛くないこともないので、リデルは仕方なく立ちあがって、ウォークインクロゼットの方へ歩いて行った。そこに、トロリーの服も入れてある。トロリーは嬉しそうにスキップしながら後からついてきた。

ウォークインクロゼットとは言うが、リデルのそれは普通の子供部屋ひとつくらいの大きさはゆうにあった。ヒラヒラと可愛らしいのやら、キラキラと豪華なのやら、彼女の父であるマリオは、マーティアやアリシアが幼かった頃も彼らの服をあれこれ選んでオーダーするのを大の楽しみにしていたが、今や、自分の実の子供、しかも女の子ともなるとその楽しさもひとしおのようで、妻が止めるのも聞かず、次から次からオーダーし続けているのだ。ちなみに、今日のリデルは夏らしいさらっとした花柄生地のハイウエスト・ドレスを着ている。相変わらず、彼女の方こそ人形か、どうかするとロボットかと思えるくらい非現実的に可愛らしかった。そのクロゼットの一画にトロリーの小さな服が沢山かかっているラックがあって、トロリーはそこへ飛んで行くと中の一枚を引っぱって言っている。

『コレコレ。前から着てみたかったんだよね』

トロリーが引っ張っているのは、アリスうさぎ仕様の上着だ。ハートやスペードなどのトランプマークが前にも後ろにもアップリケしてあって、襟元に金銀ラメ入りのチュールで作った大きなフリルも付いている。それを見て、リデルはまたまた呆れて言った。既に、声が疲れている。

「...お願い。もうちょっと、ぢみなのにして」

『なんでよ』

「クリスマスじゃないんだから。第一、見てて暑苦しいじゃないの、この真夏に!」

『ぶー』

トロリーは不満なようだったが、他にも着てみたいものがあったらしく、おとなしくそれは諦めて別のを引っぱった。

『じゃ、コレならいいでしょ? シンプルだし、夏向きだよ?』

今度のは、涼しげなボーダーのシャツだったので、リデルも納得したようだ。胸のところに錨マークのワッペンも付いている。ズボンもそれに合わせてきれいなブルーに変えてもらって、仕上げに海賊帽をかぶるとトロリーは満足した様子で鏡の前に歩いて行った。

『やっほ〜い♪決まってるぅ〜。どう? リデル。カッコいい?』

振り返って尋ねるトロリーに、リデルは諦めてとりあえず頷いてやった。彼女の肯定にトロリーは嬉しそうだ。

『よっほほほほ〜い♪ ボクは海賊だぞぉ。七つの海を渡り、宝物を強奪! 大艦隊と戦争だ! 野郎ども! ついてこ〜い!!』

言って飛びハネながらクロゼットを出て行ったのを見て、リデルは、ホントにこれからずっとアレと暮らすわけ? 、と思いながらトロリーの後をついて部屋に戻った。つくづく呆れて、尋ねている。

「あんたってば、なんでそうムダにテンション高いのよ?」

『ムダ? そんなことないよ。ボクはウサギなんで、人間のように表情で喜びや笑いを表現することができないんだもん。だから、それを表現する別のプログラムがいろいろと組込まれてるんだ。それに、ボクの最優先の使命は世界に笑いと元気を運ぶことなの。知ってる? 笑いは福音、健康にもいいんだよ』

「・・・・・」

『おや? もう、こんな時間だ。お茶の用意、頼んでくるね。お着替えも済んだことだし、お茶しよう、お茶しよう。よっほほほほ〜い♪ ほいほいほい♪』

歌いながらトロリーは、軽いステップで扉の方へ歩き出した。

『ボクはぁ〜、陽気な〜、気まぐれうっさっぎ〜♪るんるんる〜ん♪よっほほほほ〜い♪』

トロリーが部屋から出て行くのを呆然と見送って、どっと疲れた様子で肩を落としてリデルが言っている。

「悪夢...。悪夢よっっ。悪夢なのよ〜っ。私の静かな生活を返して〜っっっっ!!!」

そこへ再び、デスクの上のパソコンからメール着信のチャイムが響いた。歩いて行ってみると、どうやらマーティアからの返信が届いたらしい。まさか、マーティアまでアリシアと同じじゃないでしょうねと思いながら、リデルは椅子にかけてメールを開いた。

― ハイ、リデル。苦戦してるみたいだね。でも、トロリーの真価は、きみに何か万一のことが起こったときにこそ分かると思うよ。そんなことは、起こらないことを祈ってるけどね。まあ、もう少し、様子を見てやってよ。きっと、あいつの良さがきみにも分かるから。

日がな一日忙しいマーティアにしては、早い返信だ。だから、これでも精一杯、気を使ってくれているとリデルにも分かっている。しかし、何の解決にもならないなあ、と思いながら、またまた溜め息をついた。

「あの冗談ウサギが、私に何かあった時、モノの役にでも立つっていうのかしら。わっかんないな〜」

リデルは腕を組んで首を傾げ、それから仕方なさそうに続けた。

「それはまあ、可愛くないこともないですけれどもさ」

トロリーの口グセをマネて言ってから、更にプンスカと唇を尖らせて付け加えている。

「お調子ノリで、騒がしいけど!」

しばらくそのまま考えこんでいると、廊下からまたトロリーの声が聞こえてきた。家政婦のマジェスタと一緒に、午後のお茶セットを運んで来たようだ。

『リデル、リデル〜、ケーキだよ。リデルの好きなアイスクリーム・ケーキだよ! ねえ、マジェスタ、早く、早く!』

「はいはい、トロリー。ちょっと待ってね」

それを聞いてリデルは、また溜め息をついて言った。

「あの、のべつまくなくうるさいとこだけでも、なんとかしてくんないかなあ...。あれさえなきゃな!」

どうやら、リデルのこの夏の苦難はまだまだ続きそうだが、とりあえず、マジェスタ特製のアイスクリーム・ケーキとアイスティの慰めが来たようだ。

original text : 2012.11.4.-11.11.