「だんなさま、お茶をお持ちしました」

アーネストが入って来ると、ディは見ていた雑誌から顔を上げて、ああ、有難うと言った。デュアンを送り出してからも、思いもかけないほど楽しかった午後のせいでずっと幸せないい気分が続いているらしく、ディはご機嫌だ。

「先ほど坊ちゃまをお送りした車が戻って参りまして、お母さまのところまで、確かに安全に送り届けましたとのことです」

「そう」

「それにしても、驚きました」

「ん?」

「だんなさまのお小さいころとあれほどよく似ておられるとは」

「ああ、それそれ。ぼくもびっくりしたよ。タイムスリップしちゃったのかと思ったくらい」

「だんなさまもですか。それでは長いこと、お会いになっておられなかったので?」

「いや、なにしろ初めて会ったんだから。まさかあれほど似ているとは思ってもみてなかったんだよ」

「初めて?」

「そう、初めて。生まれたということは聞いていたんだけどね。その後、カトリーヌが何も言って来ないものだからぼくもすっかり忘れていてさ」

長いつきあいだけに、アーネストはそれに驚くと言うより、彼の主の場合はそういうこともあるだろうと妙に納得して、左様で、と答えている。

「それでマーサとも話していたのですが、他のお二人もだんなさまとよく似ておられるのでしょうか?」

「さあ...?」

聞く前から答えは分かっていたようなものだが、さすがにアーネストは呆れた顔を見せない。

「なにしろ、母親たちが生まれたってことだけ知らせてきて、その後なしのつぶてなもんだから、それでなんとなくぼくもそんなもんかなと思って時間が経ってしまっていたんだよ」

そんなもんも、こんなもんも、我が主ながらそれはあまりに無責任では?とさすがにアーネストも思ったが、今のディの発言にはもうひとつひっかかることがあった。

「母親、たち、と仰いましたか?」

「うん、3人とも全部母親が違うからね。他の子たちはどうなんだろうなあ。ちょっと会ってみたくなったよ」

さすがと言うか、天晴れと言うか、無責任もここまで堂々とやられては、アーネストでなくても怒る気にもなれないという気分になるだろう。逆に、アーネストは今日デュアンを送って来たカトリーヌを見て思っていたのだが、ディの選ぶのが十年近くも何ひとつ騒動を起こさずに黙って子供を育ててくれるような出来の良い女性ばかりだということの方に感心せざるを得ない。それに、ディがのべつまくなし、つきあう相手をとっかえひっかえしていることを考えれば、どちらかと言えば子供たちの母親は全部違う方が自然だ。

「他のお二人は、おいくつになられますので?」

「えーっと、確か、デュアンが来年9才だから、一番上がそろそろ12、次が10才じゃなかったかな。男の子ばかりのはずだよ」

「それは、シャンタン伯爵がお知りになったら大喜びなさるでしょうに」

「それはそうなんだけどさ。お父さんが知ったら、また会わせろの、家を継がせろのとうるさいじゃない。だから、もう少し子供たちが大きくなってからの方がいいような気がしてね」

ディは考えがあると言っていたし、ふだんこんなちゃらんぽらんを絵にしたような主ではあるが、反面、彼が通すべきところでは筋は通すのもアーネストはよく知っている。これ以上は、自分が口を出すことではないと思って、彼は頷くと、他に何か御用は? と尋ねた。

「いや、今は特にないよ」

「では、下がらせて頂きます。おやすみなさいませ」

「うん、おやすみ」

アーネストが丁寧にアトリエの扉を閉めて出て行ってしまうと、ディはお気に入りのスパイスを効かせたお茶に手を伸ばした。セーブルのカップから、良い香りが立ち上ってくる。そうしながら、彼はなんとなくカトリーヌとの出会いに思いを馳せていた。

彼女とつきあっていたのはかれこれ十年ほども前のことになる。当時、カトリーヌはまだ二十代の後半にかかるくらいの年齢だったが、美大に在学中からイラストレーターとして活動を始め、彼と出会う頃にはグラフィック系の新進作家として脚光を浴び始めたところでもあった。なにしろ波打つ見事なブロンドと、エメラルド色の瞳はモデルと言っても通るくらい人目を引く美女だ。それもあってその頃からメディアにもてはやされることしきりだったようだが、クランドル屈指の国立芸術学院の優等生だっただけのことはあって、絵描きとしての腕も当時から既に確かなものだった。

モルガーナ家は昔からいくつものアートスクールに援助を与えているが、この芸術学院もそのひとつで、ディがカトリーヌを紹介されたのは、その卒業生や関係者が集まって催された集まりの席だ。まあ、ご多分にもれず彼女の方が今のデュアンに劣らないほど彼の熱狂的ファンだったわけだが、ディの方でも才能豊かな上に明るくて気風のいい彼女の性質は大変魅力的で、一緒に食事をしたり、週末を過ごしたりするのがとても楽しかったのをよく覚えている。特にお気に入りだったこともあってついつい、内緒だけど実はぼくには息子が二人もいるんだよ、なんて話をしてしまい、それを聞いた彼女にそれなら私だって子供くらい欲しい! とねだられてデュアンが生まれることになったのである。もちろん、ディにしてもねだられたからと言って誰でもというわけにはいかないが、他の二人の子供たちの母親同様、カトリーヌなら構わないかなという気になるくらいには彼女のことが気に入っていたのだ。

デュアンが生まれる頃には既に彼女とは別れていたが、それはもう最初からそうなることはどちらにも分かりきっていることではあった。分かりきっているからこそ、カトリーヌは子供を欲しがったのでもある。別れるの別れないのと騒ぎを起こすまでもなく、ディが始終新しい恋人を作っていることはつきあう前から周知の事実であるし、しかも彼にはアリシア・バークレイという歴とした本命の恋人がいるのも誰知らない者はない。ディに劣らない美貌の持ち主な上に大天才、しかも彼の一番のお気に入りで唯一何年も続いている恋人ともなれば、例え相手が男の子とはいえ、割り込んだ女性たちの方で最初から太刀打ち出来るなどとは思ってすらいない。カトリーヌにしても、アリシアと張り合う根性などとても持ち合わせがなかったのである。

そんなこんなで出会って別れて、既に十年が経とうとしているわけだが、その間にも彼女はテキスタイルの方へ幅を広げ、今ではその方面でもよく知られるデザイナーだ。世界中に彼女の名を冠したインテリアショップまで展開しているほどで、それもあって、とても子供ひとり育てるのに苦労はしていそうにない。ディにしても、なにしろ彼の子供を手元に置かせているのだから、別れた後も彼女のことは気にかけるともなく気にかけていたが、その名声はますます磐石になるばかりで、彼が心配しなければならないようなことは何ひとつなかった。

そういえば、デュアンはあんなにぼくによく似ているのに、瞳の色だけはカトリーヌそっくりだったなとディは思い出している。それに、初めて実の父親と対面しているとあってデュアンも少々固まりぎみだったようだが、基本的に明るくて活発そうなのは見ていれば分かった。そういうところも、どうもカトリーヌを思わせる気がして、考えていると楽しい気分になる。そうするとなるほど、あの子はぼくとカトリーヌの子供なんだな、とディは妙に納得する気持ちになり、ひとりでに微笑していた。

original text : 2008.6.10.-6.19.

  

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