― よおディ、久しぶり。電話くれてたんだって?

受話器から聞こえてくるアレクの声に、にっこりしながらディが答えた。

「久しぶりだね。やっと帰って来たのかい?」

― そおなんだよ。もう本当にここんとこ、ひと月に一回帰れればいい方なんだから。何か用だったんなら、直接おれんとこにかけてきてくれたら良かったのに

「いや、そう急ぐ用というわけでもなかったし、忙しいだろうと思ってね。それで、きみの執事に伝言だけ頼んでおいたんだ」

IGDのオーナーとして世界中を駆け回っている親友とは、ディ自身もう半年ほど前に会えたきりだ。しかし、相変わらずアレクはディと話せるのが嬉しそうである。幼い頃からのさまざまな経緯もあって、今に至るもアレクにとってディは一番気の許せる友人らしい。いや、今のような立場にあるからこそ、余計そうなのかもしれない。

「今回は、どこに行ってたのかな」

― アジアだよ。特に、中国ね。もう数え切れないくらい行ってるけど、さすがに広くてさ。あと、台湾、日本...

「面白い土産話が聞けそうだね」

― そりゃもう、あちこち行くたび何かはありますから。どう? 久しぶりにどこかでメシでも。土産話を聞かせてやるよ

「うん。ぼくもそう思ってたんだ。それに、実はちょっと頼みがあって」

― へえ? 珍しいね、きみがおれに頼みなんて。何?

尋ねられて一瞬ディはどう言ったものかと迷ったが、相手がアレクなこともあるし、ここはストレートに事実を伝えるのが一番だろうなと判断して言った。

「ぼくの息子がきみのファンだって言うから、会わせてあげるって約束しちゃったんだけど」

言われてアレクは自分の耳を疑ったようで、しばらく間を置いてから尋ね返してきた。

― え?

「だから、ぼくの息子が...」

― おいおいおい。やっぱり、いたってわけだな、それは。おれもさあ、いるんだろうなとは思ってたんだ、前々から。身内の間じゃたまにウワサは出てたし、レイなんか絶対いるって方に賭けてたからね

アレクの言うのに、ディが笑って言っている。

「うん、まあ。そういうわけで、その子がきみのことをとても尊敬してるらしくて」

― って、いくつなんだい、その子。男の子? 女の子?

「10歳だよ。男の子」

子供の年齢を聞いてアレクはまた驚いた様子で、よくまあ、そんなに長いこと隠しおおせてたもんだと感嘆符付きで言った。

「いや、隠してたっていうか、ぼくはそんなつもり全然なかったんだよ。ただ、自分でも子供がいるなんてこと忘れてたもんだから」

― 忘れてたって、それはますますきみらしいな。じゃ、その子はずっとお母さんのところにいたってこと?

「そう。一人は、きみも知ってるクロフォード公爵のところにいて、その子が...」

― ちょっと待て。"一人は"って、じゃ、全部でいったい何人いるんだ?

アレク相手に今さら何も隠す必要はないなと思って、ディは本当のところを答えた。

「三人」

さすがにその答えにはぶっ飛んだらしく、しばらく受話器から声は聞こえて来ない。

「アレク?」

― .....

「アレクってば。生きてる?」

― かろうじて...。いやもう、さすがと言おうか。きみに隠し子がいるか否かについては、たいてい"いるだろう"ってみんな思ってるみたいだったけどね。誰一人として、まさか三人もいるとは予想すらしてなかったと思うよ

「ふうん。そう思われてたわりには、よく今まで誰にも知られずに来たもんだ」

― また、他人事みたいに。しかし、今気がついたんだけど、"一人は"クロフォード家にいるって言ったよな?

「言ったよ」

― じゃ、他の二人はどこにいるんだよ。まさかとは思うけど、他の二人は母親が違うなんて言わないだろうね?

「どうして? 違ってたらヘンかな」

― 違うわけ? もしかして、三人とも?

それへディはコトもなげに、うん、と答えた。アレクは今度こそ、呆れ返ったという様子で言っている。

― まったく、とんでもないヤツだな、きみは。これは表沙汰になったら大騒ぎだぞ

「う〜ん、やっぱりそうなるかな」

― なるよ、なるに決まってるじゃないか。でも、ちょっと不思議なんだけど、なんで今まで隠しおおせて来てたのに、今おれにそれバラすわけ? いや、おれはきみが不都合と思うなら絶対口外はしないけど。それにしても、今ってのが...

「実は、うちの父にバレちゃってね」

― ってことは、ロベール叔父さんも今まで知らなかったってことかい?

「そう」

― いや、それはそうだろうな。彼が跡取りのことで頭を痛めてたってことは、たいがいみんな知ってるぞ

「まあ、いろいろ事情があってさ。それについても会ったら詳しく話すけど、とにかくとうとう父に知られちゃったんだよ」

― そりゃ、彼、怒ったろ?

「それはもう」

― で? どうなったんだ?

「ぼくが言わないままでいたことに怒りはしたけど、マゴがいたって事実そのものについては喜んでて」

― ああ、それはそうだろうな

「とにかく、知ったが最後、すぐにも会わせろという勢いだったんだよ」

― 分かる分かる。目に見えるようだよ

「それで、仕方がないんでこの春先に三人集めてディナーってことで、父に引き合わせたんだ」

― なるほど

「その時の話で、真ん中のコなんだけどね。ファーンといって、その子がきみのことを尊敬していると言うから」

― へえ、それは光栄だな。どんな子?

「礼儀正しい良い子だよ。クロフォード家の先代公爵のお気に入りらしい」

― 先代っていうと、もしかしてウィリアム・クロフォード氏か?

「そう」

― え? そう言えば、亡くなったなんて話はまだ聞かないけど、お元気なんだよな? もう、相当おトシだと思うけど

「今年で95歳だって」

― そりゃ、そのくらいにはなるよなあ。おれ、小さい頃には会ってるよ。でも、引退なさったのがかれこれ20年近く前じゃなかったっけ?

「らしいね。でも、全然お元気だったよ。この前ちょっと、まあ、跡取りの件でね。その子にシャンタン家を継がせるという話になったもんだから、挨拶に行って来たんだ」

― ああ。もうそんなところまで話が進んでるのか

「うん。それで、ぼくは初めてお会いしたんだけれど、そのトシとはとても思えなかったよ。うちの父とですら、そんなに違うとは思えなかったほど」

― へええ。まあ、うちの親父にしてもだけどさ、昨今のトシヨリはけっこう元気だから。それにしても95とは凄いね。で、その子は往年の経済界のドンに気に入られてるわけだな?

「そういうこと。できれば今はまだ手元から放したくないとおっしゃるほどだったんで、父もファーンが成人するまでは今のままということに決めたくらいなんだよ」

― そりゃ、なかなか大変そうなコだ

「会ってやってくれる?」

― そりゃあもう、喜んで。なにしろきみの子供なんて、それだけでも興味を引かれずにはいないからね

「じゃ、うちでディナーってことでは? きみの都合のいい時期を知らせてくれたら、ファーンにも聞いてセッティングするよ」

― ああ。じゃ、それはスケジュール確認してすぐまた連絡する。でも、子供たちの話、もっと聞かせろよ。他の二人は? どんな子? 男の子? 女の子?

ディの子供と聞いてアレクはすっかり興味津々の様子だ。それに笑って、ディは答えた。

「どちらも男の子だよ。一番上が12、下が9才かな」

― ロベール叔父さんが喜ぶわけだ。じゃ、これで跡取り問題は一気に解決だろ?

「まあね。ただ、うちを誰が継ぐかってことはまだ完全には決まってなくて。一番上の子に断られちゃったもんだから、今、三番目の子の母親を説得中」

― 断られたって、またなんで?

「ぼくが長いこと放ったらかしにしてたってことで、お怒りを買ってまして」

― ああ、なるほど。忘れてたってことは、あんまり会いにも行ってやらなかったんだろ

「って言うか。この前のディナーの時、初めて会ったんだよ、その子とも。二番目の子ともだったけど」

聞いて、これにもアレクは唖然である。自分の親友が一筋縄でゆく常識人ではないことくらい先刻承知のアレクだが、"自分の子供に10年近くも会わずにいた"などというのは、これまでの長いつきあいの中でも、大ヒット中の大ヒットとも言える常識ハズレである。しかし、ディをよく知るアレクだからこそ、これは全く彼らしいという気は確かにした。それに、少なくとも悪気があったり、無責任からそんなことをするヤツではないことも分かっている。

― そりゃ、いろいろ事情がありそうだな

「成り行きもあって」

― 電話じゃなんだから、それも会ったらぜひ聞きたいね

「いいですよ、お聞かせしましょう」

― それに、どうせなら、子供たち三人とも呼べないの? ぜひ、会ってみたいんだけど?

「それはもちろん、きみが言うなら...。でも、一番上の子は今はまだちょっと微妙な時期でね。父には懐きつつあるみたいなんだけど、ぼくに関してのお怒りはまだしばらく解けそうになくて」

― ああ...。じゃ、下の子たちだけでも。三番目のコは大丈夫なんだろ?

「うん、問題ないと思う。デュアンっていって..、だからぼくじゃなくてその子の名前なんだけどね。この子はずっとぼくの絵のファンだったらしくってすっかり懐いてくれてるから」

子供の名前を聞いてアレクは笑っている。

― へえ、そうなんだ

「向こうが会いたいって言ってくれて、だからデュアンとはもう一年近く前から仲良しなんだよ」

― じゃ、その子も呼べよ

「分かった。声かけてみる」

― それにしても楽しみだ。きみの子供とは、さぞかし見ごたえアリだろうからな

言われてディはふと、アレクがデュアンを見たらさぞ驚くだろうと思った。なにしろ、彼自身あまりに自分の子供の頃に似ているのでびっくりしたくらいなんだから、その頃のディをよく知るアレクが見た時の反応は想像すると面白いものがある。それを考えるとディは、何も知らされずにアレクがデュアンに会った時の様子を見たいものだという気がして、意地悪くそれについては話さないでおくことにした。

「まあね。たぶん、きみも二人とも気に入ると思うよ」

― そう? で、その話さ、マーティアにするくらいはいいよな?

確かに、アレクがこんな上ネタを仕入れてマーティアに話さないでいるわけがない。しかし、ディには今の時点ではそれに不都合があった。

「いや、それはちょっとまだ...」

― あれ? 何かまずい?

「マーティアは別にいいんだけどさ。あの子に知られるとそれは当然アリシアにも...」

― ああ!

「実はまだ、ぼくに子供がいること言ってなくてね」

― それは、大変だ

「だろ? 時期を見て話すつもりではいるんだけど」

アレクはもちろんディとアリシアのこれまでの経緯をイヤと言うほど知っているので、親友が何を気にしているかは説明されなくても推測がつく。

― 分かった。じゃあ、まだシカトしとく

「よろしく」

― しかし、それは大問題なんじゃないか? アリシアはおれやマーティアには全然いいコだけど、きみに対してだけは言いたい放題だからな

事情を知っているアレクは冗談らしく笑いながら言っているが、ディにとって今度ばかりは笑い事で済むかどうかという事態である。

「ほんと、そうなんだよ。あの子はぼくにだけはキツいからなあ...」

― でも、ある意味それはきみが望んでそうしたんだから仕方ないんじゃない? アリシアが単なる"いい子"になるのはきみこそが阻止したかったことなんだし、今に至るまで意図的に甘やかし放題して来たのもきみだろ?

「まあね」

― ま、頑張ってお怒りを鎮めることだな。健闘を祈るよ

「ヒトゴトだと思って」

いつになく参った様子で言うディに、アレクはまた笑って言った。

― じゃ、後でまたスケジュール知らせるから

「うん、待ってるよ」

それでアレクが一旦通話を切ったのでディも受話器を置いたが、また改めてアリシアのことを考えて、どうしたものかなあ、という顔をしている。何につけてもたいてい動じることのないディだが、アリシアのことだけは別なのだ。アリシアさえ、マーティアと別れて彼のところに来てくれていたら、ディは女性と遊ぶのもすっかりやめていただろう。しかし、そうすると子供たち、少なくともファーンとデュアンは生まれていなかったわけか、と考えて、ディはこれも運命かもしれないなと思っている。

しかし、何はともあれ現実問題として別れたくないなら、なんとかしてアリシアを宥める以外にはないこともディには分かっていた。

original text : 2009.5.27.+5.29.+6.11.

  

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