ディが屋敷に戻ってみると、アーネストがロベールから電話があったと伝えてくれた。今や、念願の跡取り問題解決でかつてないほど盛り上がっている彼の父は、毎日のように電話をかけてきては、その進行状況を知りたがるのだ。ディは進展があったらすぐにお知らせしますから、と何度も言っているのだが、今では彼の育てた有能な若い衆に事業の運営を殆ど任せてしまって、自分はその業績を見て必要に応じて指示を出すくらいしかやることがないロベールにとって、"跡取りを決める"ということは現在只今の最も楽しいイベントと化しているようで、手があくたびにそのことが気になって居ても立ってもいられなくなるらしい。それを知っているから、ディの方も親孝行で何かあれば知らせてやるようにはしている。

そんなわけで、彼は部屋に落ち着いて楽な格好に着替えると、今日のコトと次第を報告するためにロベールに電話をかけた。もちろん父は家にいて、息子の声を聞くなり、で、どうなってるんだ? とたたみかけてきた。これにはもう、ディはかなりウンザリぎみだ。

「ですからぁ、話が話なんですから、そんなに何もかもがとんとん拍子に進むというわけにはゆかないと言ってるじゃないですか。ぼくだって、苦労してる最中なんですから、ちょっとはおとなしく待ってて下さいよ」

― 気になるんだから仕方ないだろうが。おまえ、さっきいなかったのは、そのことで出かけてたんじゃないのか?

「まあ、そうですけど」

― 何しに行ってたんだ?

「カトリーヌを説得に行ってたんです」

― デュアンのお母さんだな。そらみろ、ちゃんと進展があるんじゃないか。

「だから、ぼくだって一段落ついたら報告するつもりではいましたよ」

― それで彼女はどう言ってるんだ?

「当然だと思いますけど、全然乗り気じゃありませんね。デュアンを宝もののように可愛がってますから」

― まあ、それはそうだろうな。

「昨日、デュアンにその話をして、あの子はカトリーヌさえいいなら跡取りを引き受けてもいいとは言ってくれてるんですが...」

それを聞いたロベールは大喜びで嬉しそうにブラボォ! と叫んだ。全く、70もとっくに過ぎているというのにそのラテン気質は一向衰えず、相変わらずものごとに反応するテンションが高い。それでまた一気に疲れながらも、ディは続けた。

「いや、ですからね。それはとりあえずデュアンのOKを取り付けたというだけのことで、なんと言ってもあの子はまだ10才にもなってないんですから、母親の意向が最優先になりますよ、どうしても」

― しかし、デュアンはやってもいいと言ってくれているんだろう? メリルの時みたいに本人に断られたんでは手も足も出ないが、そういうことならあとはあの子のお母さんを説得すればいいだけのことじゃないか。おまえ、絵を描くことの他のとりえと言っては、女性の扱いが上手いことくらいしかないんだから、その才能を最大限生かして頑張れ。

もう、言いたい放題言うんだから、と呆れ果てながら、ディは答えた。

「言われなくても、頑張ってますよ。昨日、デュアンからその話を聞いてカトリーヌが泣き出しちゃったみたいで、ぼくとあの子、二人がかりで今までそれを宥めにかかってたんですから」

― 泣き出した?

「そういう女性なんです」

― う〜ん

「まあ、お父さんももうデュアンをご覧になってるんだから分かると思いますが、彼女はそれだけあの子を可愛がってるってことですよね。それだけに、ここはじっくり構えて、カトリーヌの気持ちを損ねないで済むように解決してゆきたいと思ってるんです」

― まあ、それはなあ...。私だって、無理を言ってるというのは分かっているから、それは当然、時間も必要だろうとは思うが...。

「ともあれ、ファーンの方は何も問題なく、お父さんの跡を継いでもいいと言ってくれているんですから、デュアンにはうちを、ということで話を進めようと思います。カトリーヌは、あの子が将来的にであれ外国に行ってしまうということにまでなれば、それこそ絶対反対しかねませんから」

― それは、そうだろうな。

「それに、デュアンにはもうひとつ問題がありましてね。ぼくもあの子に言われて気がついたんですけど、ファーンと違ってデュアンは普通の環境で育ってるでしょう? それで、やはりうちみたいな家を継ぐには慣れも必要だし、出来るだけ早くこちらに来てもらう方がいいんじゃないかという話になって...。これがカトリーヌとの話合いで、今一番ネックになっているところなんですけど」

― ああ、なるほど。

「もちろん、デュアンをこちらにもらう限り、カトリーヌのことは今まで以上にぼくも気を配るつもりではいます。ただ、やはり"離れて暮す"というところが彼女には...」

― そりゃ、"母親"というのはそういうものだろう。しかしそれは、おまえが彼女と結婚する気さえあればすぐ片付く問題だろうに。こんなことは言ったところで虚しい気はするがな。

「断られましたよ」

― なに?

「だから、それはぼくも言ったんです。一緒にくれば? って。でも、ぼくみたいな夫はいらないそうです」

それへしばらくロベールは絶句していたが、やがて、自業自得だ、と冷たく言った。

「追い討ちかけないで下さいよ。ぼくだって、それなりキズついてるんですから」

― ほぉ、おまえにキズつく神経があったとはな。

「ありますよ、ぼくにだって」

言って気を取り直し、ディは続けた。

「まあ、それはとにかくですね。デュアンに関してはそういう方向で話して、今はカトリーヌの返事待ちというところです」

― いい返事をもらえそうか?

「ぼくの感じではたぶん。それに、デュアンにとって両親きっちり揃った状態になるのが一番いいことは、彼女にも分かってるはずですから」

― うん。ま、じゃ、それはしばらく待つしかないということだな。

「ええ。で、今度はファーンなんですけど、あの子はデュアンと違ってああいう育ちですから、いつシャンタン家に入っても何も困らないとは思います。ただ、アンナはいつというところに関しては特に何も言いませんが、それは彼女がもともと我々と同じ世界の人間で、それなりに心得ていてくれるからで、彼女だって今あの子をお父さんのところにやってしまうのは辛いと思うんですよ」

― う〜む

「それに、アンナの話では先代の公爵、つまりファーンのひいおじいさまですけど、その方がとてもあの子を可愛がって下さっているようで、まあ、問題はアンナよりそちらの方かもしれません」

― ...なるほどな。

「お父さんは先代公爵とも顔見知りだったわけですし、どういう方かはお父さんの方がよくご存知でしょう。アンナが肯定的な返事をくれている限り、それはもうそちらにも話を通した上でのことには違いありませんが、最終的に、いつファーンをシャンタン家に出すかということについては、やはり先代の意向に拠らざるをえないんじゃないでしょうか?」

― それは確かにそうだろう。私にしたってあの傑物にはちょっと逆らえない立場だからなぁ...。無理を言われる方ではないが、かなり頑固なところもをお持ちなのも確かだし。

言ってロベールは考えているようだったが、しばらくして分かった、と言った。

― まあ、とにかくファーンをこちらに頂くということについては反対しておられるようではないから、そのへんは私が翁と腹を割って話すとしよう。

「そうですね。ぼくもそれが一番いいと思います」

ロベールは話を聞いていて、お披露目に漕ぎ着けるまでにはまだいくらか時間がかかりそうだが、どうやら跡取り問題は片付く方向へ動いているようだと思ったらしい。それで、そのにこにこ顔が目に浮かぶような声で、ディに言っている。

― しかしま、なんだな。おまえもなかなか頑張ってくれてはいるようだから、なんとかやっとカタをつけられそうだ。ご苦労さん。

どうやら父が納得したようなので、ディはほっとした様子で冗談を言った。

「今更ですけど、あんなに欲のない女性ばかり選ぶんじゃなかったと、ちょっと後悔してます」

それへ、ロベールは笑って答えた。

― ま、あの子供たちを見ていればな、その母親がどういう女性たちかということも見当はつくさ。おまえにしては上出来だよ。じゃ、そうだな。来週私がそちらに行ったら、とりあえずクロフォード家に挨拶に伺うということでどうだろう? そろそろ、私が翁と直接お会いして話さなければならない時期のようだ。

「ええ」

― 公爵、いや、先代か、とにかくあちらにはファーンのことで何もかもお世話になっているんだから、くれぐれもよくお礼しなければならんぞ。それに、何を言われても、素直に承るようにな。首を洗って待っていろ。

「分かりましたよ。もうマナイタの上のコイですから、何でも仰る通りにします」

― よし、いい心がけだ。まあ、おまえにしてもだ、これで跡取り問題が片付いたら、おまえの一番イヤがってた結婚ということからは開放してやるから、あと少し頑張れ。

それへ、ディはバカ丁寧に言った。

「有難うございます」

ロベールはその答えに笑い、じゃ、また何かあったら連絡してくれと言ってから受話器を置いた。ディも受話器をクレイドルに返し、深い溜め息をついている。これでカトリーヌが良い返事さえくれればこの問題は山場を越すわけだが、完全に落ち着くまでにはまだいくらか紆余曲折を経なければならないようだった。

original text : 2009.2.19.+3.2.+3.6.

  

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