昨夜のディナーでもうお互いすっかり顔見知りにもなっていたし、午後のランチはその延長線で難なく進んでゆくようだった。メリルもこの雰囲気に随分慣れたようで、昨日の昼とは比べものにならないくらいリラックスして見えたが、それでもディに対してだけはまだ打ち解けるには程遠い気持ちのようだ。しかし、ロベールにしてみると長い間外で育った子供たちにしては、思ったよりずっと素直に自分やディに馴染んでくれたことの方が意外でもある。もちろんメリルのディに対するわだかまりまで解けたわけではないが、そのメリルですら祖父には初対面の時よりずっと親しみを感じてくれているようなのだ。ロベールにしてみると、返ってメリルの父に対する反感の方があって当然と思えるだけに、これは嬉しい驚きでもあった。そして、それにも増して三人が三人ともモルガーナ家の財産になどまるで興味がないようで、誰一人として自分やディに取り入ろうなどとはして来ないのにも感心せざるをえない。

ロベールも生まれついての貴族だから上流社会がどういうところかイヤというほどよく知っている。財産や地位目当てに群がる人間の卑しさや狡さだっていくらも目の当たりにして来たし、逆に今となってはその方が普通とすら認識しているほどだ。外で育てた子供が三人もいて、ましてやその母親は全て違う。それがこうして一同に会するともなれば、普通なら、まずその母親たちが黙ってはいない。何が何でも我が子を跡取りにしようと、必ずと言っていいほどしゃしゃり出てくるだろう。ましてや、子供たちの方だって母親のそういう態度を反映すれば、反目し合う気持ちの方が強くなるから、とてもこんなに短期間で和やかに打ち解けた雰囲気になるなど望むべくもない。

それやこれやを考え合わせると、ロベールはやはりこの子たちの母親は三人とも、とんでもなく優れた女性なんだなと思わざるをえなかった。子供たちのこの性質は、それを育てた母親の教育や躾の賜物と思えたからだ。なんだかんだと難ありの不肖の息子ではあるが、そういう女性に子供を産んでもいいと思ってもらえるとは、こいつはよほど幸運なやつなのか、それともそうは思えないがこれがこいつの人徳なのか、我が息子ながら全く可笑しなやつだとロベールは思っていた。

そして、ランチの後は庭を見渡せるテラスに設けられたサンルーム風のサロンで食後のお茶を楽しみ、それから夕方になって三々五々、子供たちを送り出すことになった。メリルは最初ので懲りたのか、帰りはできればもう少し小さな車でと祖父に申し出ていたので、ディはそのリクエストに快くお答えしてベントレーを、ファーンにはヴィンテージ・コレクションの中のロールスを用意させておいた。

ディはメリルが昨日の夜か今日、いよいよ何か文句を言いに来るかなとわくわくしながら待っていたのだが、案に相違してその様子はなく、結局、なぜか素直に帰って行ってしまった。ディにしてみるとどうも肩すかしを食らった格好になって、あれあれ? という感じだったのだが、しかし、昨日ここに来た時のメリルの様子から見て、これはやはりクスリが効きすぎたということなのかもしれないとも思われる。事実は確かにそれもあるが、メリル自身ファーンにも言っていた通り何をどう理解すべきなのか混乱していて、それで何にどう文句をつけたらいいのかも分からなくなってしまったという方が正確だっただろう。しかし、この時は素直に帰ったものの、後になってディはメリルから予測されて当然の手痛いしっぺ返しを食らうことになる。

ともあれ、男の子が三人もまとまるとその存在感はさすがになかなかのものらしく、彼らが引き上げてしまった後の屋敷の中は妙にしん、としたように感じられた。最後にいつものメルセデスでデュアンを送り出してからアトリエに戻って来て、ロベールは少々疲れたような様子ながらも上機嫌で、ソファにかけながらディに言った。

「いやあ、賑やかだったね。何年ぶりだろうな、あれくらいの年の子たちとあんなにいろいろ話すなんて。おまえやアレクが小さかった時以来じゃないかなあ」

「そうですね」

「うちは残念なことに本当に子供に縁が薄くて、かねがねアレクも含めて三人も息子がいるアルフレッドのことが羨ましくて仕方なかったものだが、こうなると早くお披露目でも何でもして、今度はこっちが自慢しまくりたい気分だぞ」

「ロウエル侯爵のところにはお孫さんがごろごろいますもんね」

「うん、アレクのを除いてな。実際、未だに私はどうしてああいうことになったのか不思議でならん。それはもちろんマーティアは並みの女性ではとても適わないくらい賢くて美しいし、その上、マリオが育てただけあって性質も素晴らしい。だからアレクの気持ちも分からんではないが、アルフレッドも常々、あの子が女の子でありさえしたらと言ってるよ。アレクの子供の顔が見られないのだけが、彼も残念でたまらないところだろう」

"あんなことになった"のは、目の前にいる息子の陰謀だったとも知らずにロベールは言っている。もちろん張本人の方はそんな昔のことはすっかり忘れたという顔でしれっとして聞き流していた。

「ああ、そうだ。それでな、ディ。跡取りのことなんだが」

「そんな急がなくってもいいじゃないですか。あの子たちもまだあんな年なんだし」

「そういうわけにもゆかんさ。どうせおまえはのんびり構えていたんだろうが私の方はなにしろ年が年だから、ずっと焦っていたんだぞ。とにかく、誰にどう跡を継いでもらうかだけでも決めておかないと、気が気じゃなくてな」

「じゃ、お父さんとしてはどうしたいんですか? 」

「順当にゆけばおまえの長男なんだからメリルにモルガーナ家を、二番目のファーンにシャンタン家をということになるだろう。デュアンにもできることならモルガーナ家に入ってもらうに越したことはないと思うがな。まあ、財産の問題は不公平にならんように後で考えるとして、だ」

「そんなところでしょうね」

内心、メリルがそう簡単に承諾するかな、と思いながらディは答えた。

「それに、ファーンは政治か経済に進みたいと言っていたし、確かにあの子にはそういう方面が向いているように私も思う。モルガーナ家はどちらかと言えば芸術の家、シャンタン家は事業の家という傾向が強いことも考えると、それが妥当だと思うんだが」

「ええ」

「しかしやはりまず、あの子たちを育ててくれた母親たちの意向を聞かなければなるまい? 手放してくれるかどうかも難しいところだろうし」

「そうですね。分かりました。じゃ、とりあえずその線で彼女たちに打診してみますよ。でも、話が決まったからと言って、すぐに引き取るのどうのということは...」

「まあな、おまえがそんなだから、彼女たちだけに苦労させてしまったという負い目もあるんだから、私だって、そうそう欲張りなことは言わんさ。出来るだけ早く、こちらに来てもらった方がいいとは思うがね」

「ええ」

「ま、そのへんも含めて、うまく話をまとめてくれ。口がうまいのだけが、おまえの取り柄なんだから」

「もう、また。どうしてそうぼくのことを悪く言いたがるんです? 可愛い一人息子なのに」

「可愛い一人息子だからこそ腹が立つんだ。全く、おまえのやることというのは...」

放っておいたらまた愚痴と説教に発展しそうだったので、ディは早々に話を切り上げた方が良さそうだと思いながら言った。

「分かりました。なんとか頑張ってみましょう」

その様子にこいつ逃げたなとは思ったが、ロベールは上機嫌だったこともあって今日のところは勘弁してやることにした。とにかく、会ったばかりの三人の孫のことを考えるだけで顔がほころんで来るのが止められないのだ。

一方、父と祖父がそんな話をしているちょうどその頃、帰途についた子供たちのうちファーンは家に帰り着いて執事の出迎えを受けていた。クロフォード家の屋敷もやはり市の郊外にあるが、モルガーナ家のそれが南西に位置するのに対して、こちらは北東にある高台の上に建っており、市を一望できる景観がまた素晴らしい。もちろん広大な敷地と庭を持ち、その中心にテューダー様式の邸宅がどっしりと腰を据えている。本邸の部屋数だけでも三十や四十は軽くあるだろう。

クロフォード公爵家は過去数百年に渡ってクランドル政界および財界に君臨してきた家柄だが、ファーンの二人の叔父たちも上は経済人、下は政治家としてその手腕を発揮していた。それだけに歴史の重みを思いっきり背負い込んでいる家ではあるのだが、現在の家長であるファーンの曽祖父の人柄もあってか、モルガーナ家同様、家の中には比較的オープンで暖かい雰囲気があった。これはもともと、クランドル貴族の多くが遡れば武人の家柄であり、古くから質実剛健をもって良しとするという気風が強いためもあるだろう。ヨーロッパの貴族社会に比べれば、遥かに奢侈や見せびらかしの浪費を嫌う傾向がある。それに加えて、クロフォード家は特に家族の結びつきが強い。

「おかえりなさいませ、ファーンさま」

執事のデイヴィスがにっこりして言うのへ、ファーンも微笑を返して言っている。

「ただいま、デイヴィス。お母さんは?」

「お部屋におられますよ。早く坊ちゃまのお話が聞きたいとおっしゃって、先ほどからお待ちかねでらっしゃいます」

それへ笑ってファーンは答えた。

「お母さんらしいな。じゃ、着替える前にちょっと寄っていこう」

言って彼は執事と別れると自分たち母子に与えられている屋敷の一画の方へ長い廊下を歩いて行った。そちらはもともと彼の母であるアンナが嫁入り前に使っていた居室を中心にした一画で、彼女がこの家を出てからも誰にも譲られずにそのままの状態で管理されていたところだ。それでアンナが戻ることになった時にはそこを昔のまま使うことが出来た。ファーンは生まれてしばらくはその彼女のスイートで一緒に暮していたが、3才のバースディに母の部屋のすぐ側に自分の部屋を与えられてそちらに移り、現在に至っている。

ファーンが歩いてゆくと向こうから叔父のダドリーがやってくるのに出くわした。彼は弟の方で、クランドルでも大変人気のある熱血政治家だ。年はディよりいくつか上くらいだろう。曽祖父を始め、祖父やもうひとりの叔父も、ファーンにはどちらかと言えば事業の方が向いているとよく言うのだが、ダドリーだけは政治もなかなか面白いぞと唆してくれる。どちらにしても、家族全員が今既にファーンの有能と将来性には何の疑いも持っていないような状態なのは確かだ。

「お、帰ってきたな、ファーン」

「ただいま、ダドリー叔父さん。お母さんのところに?」

「ああ、今ちょうどアンナとウワサをしていたところさ。どうだった? 」

「ええ、なかなか面白い集まりでしたよ。特に弟がものすごく可愛くて。もう、すっかり仲良くなってしまいました。ロベールおじいさまも楽しい方でしたしね」

「ほお? で? 肝心の親父はどうだったんだ?」

「そうですね」

ファーンはちょっと首を傾げてから、ウワサ通り、本当に絶世の美貌でした、と答えた。甥の冗談にダドリーは笑っている。

「でも、お母さんがよく、ぼくはお父さんに似てるって言ってた理由もなんとなく分かったような気がしましたよ。とにかく、ぼくにとってはいろいろと有意義な集まりだったと思います」

「そうか、それは良かったな。実際、おまえの父親があのモルガーナ伯爵と聞いて、おれもぶっ飛んでたからなあ。彼とはおれもあちこちで何度も会ってるはずなんだが、なにしろおまえは見た目アンナに似ているし、だから想像したこともなかったもの」

「ええ」

「ああ、そうだ、アンナが待ってる。おれが引き止めてちゃいかん」

「いえ。じゃあ、続きは夕食の時にでも」

「うん、楽しみにしてるぞ」

叔父と分かれてファーンが少し行ったところにある母の部屋のドアをノックすると、彼女の声が誰? と尋ねた。

「ぼくですよ、お母さん」

「あらあら、やっと帰って来たのね。入りなさい」

「はい」

部屋に入るとアンナのいる居間まで歩いてゆき、ファーンはただいまと言った。

「お帰りなさい。ほらほら、こちらに来て座りなさいよ。どんなだったか知りたくて朝からうずうずしていたんだから」

嬉しそうに言う母にファーンは笑って、彼女がかけているソファまでゆくと、その向かいに座った。いくつになっても少女のように好奇心旺盛なひとだなあと、ファーンは内心微笑ましく思っている。

「ディは元気だった?」

「ええ、もちろん。お母さんに宜しくですって」

「そう。で? おじいさまや弟たちは?」

「そう急かさないで下さいよ。ぼくは着替えだってまだなんだから」

「はいはい。ちょっと聞かせてくれたら、とりあえずは解放してあげてよ?」

「じゃあ、ちょっとだけ。母さんが一番知りたがってたのは、ぼくの兄弟のことでしたよね?」

「そうそう、それそれ。どちらもディの子供だもの、さぞかしキレイな子達でしょうね。私だって、出来るなら会いに行きたかったわ。どんなだった?」

「そうですね。弟はデュアンといって、お父さんの小さい頃に生写しだってロベールおじいさまがおっしゃってました。事実、ぼくが見ても顔立ちがそっくりで」

「あらそう!」

「とっても可愛いらしい子ですよ。ぼくのこと、ファーン兄さんとか呼んでくれて」

「まあ、もうそんなに打ち解けてくれたの?」

「はい、人懐っこいっていうのか、話しててもとても楽しいし、今度一緒に食事でもって約束して帰って来ました。あ、そうだ。デュアンのお母さんってカトリーヌ・ドラジェなんですよ。母さん、ファンでしょう?」

「ええ。ああ、そういえば一時期ディがつきあっていたかしらね。昔、そんな話を聞いたことはあったわ。なるほど、そうだったのね。で、お兄さんの方は?」

「メリル兄さんの方はとてももの静かな方で、画家を目指しているんですって。ぼくよりふたつ上くらいかな? おじいさまがおっしゃってましたけど、もう小さな賞はいくつも取ってらして、才能のある方みたいですよ」

「ああ、やっぱりね。一人くらいはそういう子がいても不思議じゃないわね」

「一人どころか、デュアンの方もお母さんの影響もあってイラストレーター志望らしいです。三人のうちじゃぼくくらいかな、芸術的才能が皆無らしいのは」

アンナはそれへ笑って言っている。

「それだけは残念よねえ、せっかくディの血を引いてるのに。今からでも何か気を入れてやってみようと思うものはないの? まだまだ間に合うと思うわよ?」

「ひどいなあ今更。ぼくがピアノも絵も十人並みで大して才能ないってことは知ってるくせに。ぼくはたぶん、母さんの血の方を多く引いちゃったんですよ」

「やなこと言う子ね。事実、そうかもしれないけど!」

笑ってそうは言うものの、これでなかなかアンナは名ピアニストだ。あまりにも若くして結婚したこともあって、その道を志すということはしなかったようだが、彼女のピアノは家族の誰からも愛されている。

「まあ、いいじゃないですか。ぼくはぼくなりに出来ることってあるみたいなんですから。ともかくそんな感じでね。デュアンの方はうんと小さい頃からお父さんのすごいファンだったらしくて、もう一も二もなく懐いちゃってますよ。でも、兄さんは...、そうだな、わりときびしい見方をしてるようですね、お父さんに対して」

「きびしいって?」

「ぼくもある意味、もっともな言い分かなと思って聞いてたんですけど、お父さんのああいう生き方ってちょっと許せないみたい。すごく真面目な方のようで」

「ああ。それはなんとなく分かるわね」

「そう?」

「だってほら。一般にディのことって好きな人はものすごく好きだけど、悪く言う人は思い切り悪く言うじゃない。あれって面白いわね。まっぷたつに分かれるの。今となってはもう大画伯だから、画家としては殆どどこにも貶そうなんて命知らずはいないけれど、もっとずっと若かった頃なんて喧々諤々の議論の対象になったものよ、彼が個展を開くたびに」

「そうなんですってね。研究本で読んだことがありますよ」

「あれはやっぱり、相性の問題なのかもしれないわ。ディも自分を曲げない人だから」

「兄さんも、お父さんが凄い画家だってことは認めてるって言ってましたよ。自分でも絵を描かれるから、それだけに認めないわけにはゆかないんでしょうけど、だからって何でも許されるわけじゃないって」

「なるほど、きびしいわね。確かにそれはそうなんだけど」

「でも、ぼくはメリル兄さんてけっこう好きですね。何事もお座なりには済ませておけない感じの人で」

アンナは話を聞いて息子の二人の異母兄弟たちにずいぶん興味を惹かれたらしく、会ってみたいわねえ、どちらとも、とつくづく言った。母の気持ちは分かったので、ファーンは願いを叶えてあげられそうかなと、ちょっと考えてみてから答えた。

「デュアンはぼくが言えばいずれは来てくれるかもしれないけど、兄さんはどうかな。ちょっと難しいかもしれない。少なくともすぐには」

言われてアンナは頷いている。

「じゃあ、時期を見て弟だけでも連れてらっしゃいよ。私がとっても会いたがってるってお願いしてみて?」

「ええ」

そうするうちに時計を見ると、既に夕刻を大きく回り、そろそろディナーの時間になりつつあった。クロフォード家では普通の日は夕食は7時スタートと決まっていて、その時間に家にいて都合がつく者はみな、ダイニングに集まることになっている。ファーンの曽祖父が一日一度はそうやって皆の顔を見るのを楽しみにしているからだ。95才ともなればさすがに体力も衰えて無理は全くきかないものの、身体には取り立てて不自由なところはなく、家の中であれば時間はかかるが問題なく動き回ることが出来る。だから少なくとも彼が自力でダイニングに辿りつけるうちは、この習慣は変えられそうもない。大家族だけにけっこうこれは厄介な習慣と言って良かったかもしれないが、祖父を始め、叔父たち一家も普通なら独立して別に家を構えても当然のところを敢えて同居していることでも分かる通り、家族みんなが彼をとても好きだからこそ続いている日課でもあるだろう。皆の方でも一日一度、その元気な顔を見るのが楽しみでもあるのだ。

そんなわけで時間が迫っていたし、夕食前に着替えてもおきたかったので、ファーンは続きは後でということで母を納得させて部屋を辞した。表面的にはいつもと変わらず落ち着いて見えるファーンだったが、内心では初めて会った兄弟たちや祖父、それに父のことがずっと頭の中にあって、楽しい気分で彼は自分の部屋の方へ歩いて行った。ファーンにしても、今まで漠然と想像するしかなかった自分のもう半分のルーツをやっと確認出来たことは、とても嬉しいことのようだった。

original text : 2008.9.5.+9.11.

  

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