「ぼく、峰岸さんって好き〜♪」

すっかりいい気分で旅館に戻り、またまたちょいと温泉につかって着替えると、布団にもぐりこみながらデュアンが言っている。

「あれで五十代だなんて全然信じられない。すっごい素敵」

「そう言うと思った。まあ、彼ってほんとちょっとした人物なのよね。なにしろ、日本人でディの絵を個人的に所有してる唯一人だと思うから」

「えっ、お父さんの絵、持ってるの?」

「そう、あのディに絵を手放させるのに成功した唯一の日本人。もちろん、画商としての仕事じゃなくて蒐集家としてよ。長野のおうちに置いてらっしゃると聞いてるわ。ああ、そうだ。確か、彼のお父さまは先代のモルガーナ伯とも親しかったはずよ」

「え、じゃ、うちとはもともと縁の深い人なんじゃない。ぼく、今まだヨーロッパ関係の人脈に埋もれてウロウロしてるんで、アジア方面まで手が回ってないんだよ。それってやっぱり跡取りとして"まだまだ"だよね」

デュアンがモルガーナ家のことを"うち"と言うのにふと気づいて、カトリーヌは内心、笑っている。どうやら、跡継ぎとしての自覚が定着しつつあるようだと思ったからだろう。母としては少し淋しい気もするが、親として子供の幸福を考えるならば、今の環境に早く馴染んでくれるに越したことはない。

「ま、ぼちぼち頑張りなさい。急に何もかもは無理なんだから」

「それはそうなんだけど、ほんとぼく最初は軽い気持ちで引き受けちゃったじゃない。でも、"大家の跡取り"ってハンパじゃないよねってつくづく思ってさ。だって、お父さんってやっぱり凄いんだもん。絵描きとしてだけだって凄いのに、経済や政治や世界情勢とか、その他の分野にも知識が広くて、聞けば何でも教えてくれるんだよ」

「ある意味、だからこそ"デュアン・モルガーナ"なのよ、ディって。絵以外の全ての地盤が、彼の絵をバックアップしてるというか、まあ、他にいないわね、ああいう画家。そもそもディが"画家"なのは彼個人の嗜好の問題で、もしそれが他に向いてたら表現形態は何にだってなってたと思うわ」

母の言うのを聞いて、デュアンはつくづくと溜め息をつき、"天才かあ..."と言った。

「存在そのものが遠いよね、ぼくあたりからじゃ...」

デュアンだってこの年で既に認められつつあるのだから、それなり才能があるのははっきりしてきているし、一部では"天才児"などと囁かれてもいる。しかし、ディの存在があまりにも大きいために、本人、とてものことに自惚れる心境にはなれないのだろう。ふだんから"天狗になっちゃだめよ"と教えているカトリーヌには、それはとても良いことだと思われる。いくら元々の才能があっても、慢心した時点で成長が止まると知っているからだ。高い目標が目の前にあれば、なかなかそんなことにはならないで済む。

「とにかく、頑張るしかないわね。でも、ディだって生まれた時から今の彼じゃなかったんだから、結局は努力よ」

「うん...。元の才能っていうのも大きいとは思うけど、だからって努力しなきゃ始まらないもんね」

「そういうこと。じゃ、とりあえずのとこ、そろそろ寝ましょ。明日はいよいよお祭り見物だからまた体力いるわよ」

「だね。では、おやすみなさい、ママ」

「おやすみ」

言ってカトリーヌは枕元の小さなランプの灯りを消した。いくらか飲んでもいたし、あちこち回って疲れていたこともあって、二人はほどなく眠ってしまったようだ。

そして翌日、午前中は昨日に予定した通り、定番の御所や二条城などの観光を済ませ、午後から祭り見物とあいなった。今日も当然、達哉やライラが一緒だ。お昼に一度旅館に戻り、午後からは皆、浴衣に着替えている。昨日のうちに達哉が藤乃に頼んでおいてくれたから、カトリーヌやデュアンも着ることができたのだ。

「カトリーヌ、歩きにくくない? 」

せっかくだから電車にも乗りたいというデュアンの希望で、最寄りの駅から四条周辺までそれで出ることになった。それで気になったらしく、達哉が尋ねている。

「大丈夫よ、ミュールとあんまり変わらないから。以前来たとき、着物に草履で歩いたこともあるし。デュアンは?」

「うん、ぼくも大丈夫。なんか、すっごく日本〜って感じ♪」

「よく似合ってるよ、二人とも。ね、ライラ」

「ええ。柄もいいわね」

「そうなの。もう、すっかり気に入っちゃって。藤乃さんに感謝しなきゃ。見て見て、こ〜んな可愛いバッグまで」

持っている巾着を示しながら、カトリーヌもすっかりご機嫌だ。

「ぼくも仕事柄、海外のお客さんを案内することが時々あるんだけど、二通りなんだよねえ。異文化にすっごく懐疑的な人と、きみたちみたいに日本人より日本のことをよく知ってたりする人と。そういう場合は実際、こっちの方が教えられたりすることもあるくらいだよ」

「かもしれないわね。興味があると、知らないからよけい"知識"として情報を得ようとするじゃない? でも、自分の国のことって"日常"だから、返って意識しないでいることも多いと思うわ」

「確かにね」

そんな話をしている間に電車はほどなく四条に到着した。この時期、浴衣姿は珍しくないとはいえ、ただいても目立ついい男が"外人さん"三人を引き連れているのだから、自然と周囲の視線が集まるのも無理はない。デュアンの可愛らしさに対する反応も万国共通らしかったが、目立ち慣れている四人の方は特に気に留めていなかった。

四条通りに出ると、祇園祭の間は大通りのスピーカーからもさりげなくあの特徴的な鐘の音が流されて気分を盛り上げている。午後ともなると、そぞろ歩く人たちの中には着物や浴衣も目立ち、時折り、舞妓さんや芸妓さんとすれ違うこともあった。四人は目につく店に入ったり、横道にそれてみたりしながら、ゆっくりと八坂神社の方向へ歩いている。夕方からは交通が規制されて車道も歩けるようになるが、今の時間はまだ通常通りだ。

「わあ、涼し〜い。なんか、このへん、いきなり日本! な感じですよね。これって鴨川?」

「そう。で、これが四条大橋。川風が気持ちいいだろ? もう少し行くと八坂さんなんだけど、その前に花見小路も通って行こうか。古い時代の日本が、そのまま残ってるようなところだよ」

「本で見ました。ぜひ、歩きたいです」

四条周辺でも、八坂神社の回りは特に古い日本家屋が残っている部分のひとつだ。中でも、花見小路は昭和の頃までの街並みを、そのままのような姿で楽しむことができる。

「う〜ん、これはもうタイムスリップよね。前来た時も思ったけど、いいわねえ」

「昔の日本って、こんなだったの?」

「みたいよ」

「昭和初期までは、どこでもだいたいこんな感じだったらしいね。京都は残ってる方と思うけど、震災の影響やら何やらで四条周辺はもうまるっきり"今の街"だから」

「ええ。全然違和感なかったです。でも、もったいないですよね、古い建物ってこんなにキレイなのに、あんまり残ってないなんて」

「木造建築だからねえ。昔の建物は骨格に使われてる木材が頑丈だから今のものに比べて返って寿命は長いんだけど、それでも構造物としての限界がヨーロッパやクランドルの建物と比べてどうしてもね。また、日本人てのは簡単に壊すし。京都みたいに観光資源とか文化財としてとか、そういう特別な場合を除いては残りにくいんだよ」

達哉の説明に、皆頷いている。そうこうするうちに一行は八坂神社に着いていた。階段を上って門に入ってゆこうとするところで、擦れ違う人たちを見てデュアンが嬉しそうに言っている。

「あ、綿菓子! あっちの人は、リンゴ飴持ってる!」

「きみも食べる?」

「もちろんです! お祭りなんですから、やっぱり定番は絶対食べないと」

それを聞いて達哉は、あのディの息子にしては、性格、カトリーヌ似かもと笑いながら言った。

「イカ焼きもあるよ。あと、カステラとか、タイ焼きとか」

「全部いきます。ね? ママ」

「当然よ。さ、中入りましょ、入りましょ」

四人とも、特に宗教的拘りはないので、まずは気軽に型通りのお参りをして、それから神社の中を見物しながら屋台を見て歩いた。境内では舞なども披露されている。デュアンは綿あめとイカ焼きを両手にご機嫌だ。

「デュアンくん、あれやってみる? 射的。当たると賞品もらえるよ」

「やるやる、やります♪ ママ、これ持ってて」

「はいはい」

食べかけのイカ焼きと綿菓子をカトリーヌに預け、達哉に教えてもらいながらデュアンは射的に挑戦した。お目当ては、小さなウサギのぬいぐるみのようだが、そう簡単に商品ゲットというわけにはゆかない。根性で5度ほどやって、やっとのことで当てることができた。最後まで最初のお目当てに拘るところは、さすが"ウサギ魔"である。

「やた〜っ。かっわい〜い。もう、ぼくのものだも〜ん」

手にしたぬいぐるみを抱きしめながら飛びあがっているデュアンに、達哉が言っている。

「おめでとう、良かったね」

「峰岸さんのおかげです。なんとか、コツがつかめました」

「ぬいぐるみ、好き?」

「大好き! ほらほら、このコこんなに可愛いし。うちまで大事に抱いて帰っちゃいます」

一方、女性軍のお目当てはもっぱら小間物らしい。デュアンもミランダたちに喜ばれそうと思ったらしく、当然、物色に参加だ。

そんなこんなで食べて、遊んでしているうちに日も暮れて、大通りも歩行者天国となり、あちこちでなにやらパフォーマンスの音も聞こえ始めた。特にデュアンたちが気に入ったのたはパワフルな太鼓の生演奏で、殆ど打楽器だけなのに大小様々な太鼓の音が豊かな旋律となって夕空に響き渡るさまは、まさに夏の祭りならではの豪快さだ。あまりに素晴らしいので皆、聞き惚れてしまい、あやうく夕食の予約時間を忘れかけたほどだった。

「凄かったわねえ! 太鼓だけとは思えない表現力だったわ」

鴨川沿いに張り出した料亭のテラス席に落ち着きながらカトリーヌが言っている。

「あれぞ、日本の祭り! という感じね」

「うん! ぼくも太鼓叩いてみたくなった」

「毎年やるみたいだね、あれは。人気も高いらしいよ」

「でしょうね」

昼間はガンガンに暑かったが、この時間、川風に吹かれていると涼しくてとても気持ちがいい。様々な小料理をサカナに、今夜も日本酒で乾杯だ。

「今日だけでも思いっきり楽しんじゃいましたけど、明日も凄いんですよね?」

「大きな山鉾が移動するからね。祇園祭のハイライトだよ」

「楽しみ〜っ! こんなことなら、兄さんたちも誘えば良かった」

「ああ、そうか。デュアンくん、お兄さんいるんだよね」

「そうで〜す」

「じゃ、次はぜひ一緒においで。ぼくがまた案内してあげるから」

「ほんとですか?!」

「うん」

「お願いします! 兄さんも日本、行ってみたいって言ってたし、絶対連れて来ますから」

こうしてデュアンとカトリーヌの日本旅行も中盤にさしかかりつつある。明日も京都で山鉾巡行を見物し、その後は神戸や大阪にも足を延ばす予定だ。そのついでに、カトリーヌは自分のショップも視察して回ることにしていた。

しかし、祭りの夜はまだまだこれからといった風情で盛り上がっていて、鴨川の川風に乗ってあちこちから鐘や太鼓の音なども楽しげに響いてくる。食事の間一休みしてから、四人はまた祭り見物に復帰するつもりだった。

original text : 2012.3.27.-3.28.