ローデンでの約1ヵ月半に及ぶ豪勢な夏の休暇を終えて、学校が始まる少し前に子供たちはクランドルに戻って来た。行く時は正規のルートで時間をかけるのも旅の楽しみのひとつだろうとコマーシャル(一般商用ライン)を使ったが、帰りはディが一緒なこともあってローデンからプライヴェートで一気に飛ぶことになった。祖父とは、お披露目の都合もあってまたすぐにクランドルで会えることになっているとはいえ、いざ帰るという段になると、しばしの別れにみんなちょっとおセンチになっていたようだ。しかし、ロベールの用意してくれたビジネス・ジェットは大型の旅客機に比べれば比較的小さいが最新のもので、鷲のような精悍なスタイルと、リッチでセレブな機内の様子を見てはどんな少年でもわくわくして来ない方が不思議だったろう。

この夏の祖父の側での様々な経験は、子供たちにそれぞれ多くを齎したようだったが、特にファーンにとっては、シャンタン家の所有する巨大な富の一環を目の当たりにしたこともあって、自分の将来にかかってくる責任の重さを実感させるものにもなったようだ。頭では分かっているつもりだったが、ロベールの部下であるフランソワにも指摘された通り、あの広大な城を含むエステートですらごく一部でしかないという、想像を遥かに超えるレベルの資産がそう遠くない将来、全て自分の管理に委ねられることにもう決まっているのである。普通の子供ならそれで安易に天狗になっても仕方ないかもしれなかったが、そこで"重い責任"を自覚するのがファーンのファーンたるところだ。

とはいえ同時に、自分がこの先、今まさに目の前にあるこのプライヴェート・ジェットで、祖父やアレクのように何億ドルという単位のビジネスを動かすために世界中を飛び回ることになるのかと思うと、実にエキサイティングな気分になるのも当然だった。もちろん、そのためにはこれからもっともっと多くを学ばなければならないのは、ファーンのような子にとって言うまでもない前提としての話である。

ディはローデンに来てからずっと子供たちのために時間を割いてやっていたので、ファーンも長いこと顔を見ることもないままに育って来た父といろいろな話が出来たし、それでその一見は常識はずれに見える生き方にも、どうやら彼なりの深い哲学があるらしいと分かって来たようだ。もっともメリルと違ってファーンは、もともと父のそういう我が道をゆく生き方に、曽祖父のそれに対するのと同様のロマンを感じていたから、親しく話すにつれて容易に共感できる部分を見出せたのも不思議はない。

一方、メリルは父が四六時中近くにいるという状況にはどちらかというと未だ戸惑いの方が先に立つようで、祖父や弟たちを交えて皆が歓談しているような席でも、できるだけ弟たちの影に隠れていようとするのか控えめな態度を変えなかった。そうなると返ってメリルが逃げよう逃げようとするのが面白いらしく、意地悪パパのディはわざと彼に話題を振ったり、一人でいるのを見つけては話しかけたりと折に触れてちょっかいを出すのを楽しんでいた。しかし、それで分かってきたことは、メリルの彼への反感は最初の頃に比べて徐々に変質しつつあるようだということだ。どうも彼の長男の気持ちの中では、かつての一方的で否定的な感情は収束に向かいつつあり、代わりに偉大な芸術家である父への畏怖だの、その才能に対するある種の嫉妬だのの複雑な要素を含んだ興味の方が大きくなって来ていると見受けられた。それはメリルの芸術的資質が、それ以外の瑣末な事柄を押しのけるほど強いということでもあるかもしれない。

兄たちがそうやって、少しずつ放蕩者の父への理解を深めている横で、しかし、最初から理解もヘチマもなく心酔しまくっているデュアンは、ずっとディの近くにいられることそのものが嬉しくて仕方ない様子だった。もちろんディの方も、こうまで懐いてくれていれば一段と可愛くなるというもので、この調子なら引き取ってからも大した問題は起こりそうにない。

そんなこんなでこの夏の休暇は、春以来の一族にとって二度目の集まりになると同時に、お披露目を前にしてお互いをよく知るのにも良い機会となったわけだが、その中で息子と孫たちの様子を眺めて一番楽しんでいたのはロベールだっただろう。実際、ついこの春先までは、孫どころか結婚の気配さえない脳天気息子に腹を立てたり呆れたり、どーにかならんかと頭を抱えていたものなのに、それが結婚をすっ飛ばしていきなり孫三人とは、全く人生、どこでどうなるか分からないものだ。そう楽しく考えながら、こうなった上は少なくとも子供たちが成人するところは見なければなるまいと、彼は密かに長生きを誓う気持ちを強くしている。

ちなみに、例の祖父対孫のチェス合戦の結果だが、ロベールがここで甘やかしてはいかんとばかりに本気を出したこともあって、この夏中、一度も祖父に勝てた者はなかった。三人ともそれぞれそれなりの自負は持っていただけに、如何に尊敬する祖父が相手、しかも年の功ありといえども、毎日のように挑戦しながら、ただの一度も勝てなかったことがかなり悔しかったようだ。それで三人とも、次に来る時までには必ず必勝法を編み出すと雪辱を誓って帰って行った。もちろん、ロベールは喜んで受けて立つつもりだ。

こうしてローデンでの夏は終わりを迎え、客を送り出した後の城の中はしんとした静けさに満たされているように思えたが、遠からず二人の子供たちの存在を社交界に知らしめるための盛大なお披露目のパーティの幕が上がる。それはまずクランドルで催されることになっているとはいえ、ロベールはその後にラファイエットでも改めて孫たちを紹介する席を持つことにしていた。こちらの社交界への手前ということもあるにせよ、それ以上に彼にとってはビーチェとの結婚式以来のこんなめでたい話、祝える限りの機会を捉えて祝わないではいられないというのが本音だろう。そして、その時には中世からの本拠であるこの城が舞台となる。クロードは主からその話を受けて、これは執事として自分の最後の大仕事になるだろうと腹を括って準備に余念がない。そのせいか、一見は元通りの落ち着いた佇まいを示しながらも、城の中には何かしら静かな熱狂とも言いたいようなものがひたひたと満ちてくるのが家の者全てに感じられているようだ。

ファーンとデュアンが後継者となるはずのどちらの家も、経済界、政界への影響力が大きいこと、そしてディの知名度が世界的なものであることを考えると、その話題は社交界だけに留まらず、世界中のありとあらゆるメディアをにぎわすものとなるのは間違いない。まさにこの夏の終わりの物寂しくさえある静けさは、嵐の前の最後のそれと言えるかもしれなかった。

original text : 2010.1.27.+1.28.

  

© 2008-2010 Ayako Tachibana