「ようこそ、ロウエル卿。相変わらず、お忙しいご様子で」

「おかげさまで商売繁盛、けっこうな話なんだけどね。のんびりメシ食うヒマもないのには、いい加減飽き飽きだよ」

エントランスで出迎えてくれたアーネストにクルマの鍵を渡しながら、アレクは開口一番、冗談を飛ばしている。今日はごくプライヴェートなので秘書の一人も連れず、自分でジャガーを運転して来たらしい。しかし、初めて会う子供たちに敬意を表してか、服装だけは長身を引き立てる仕立ての良いスリーピースに、きっちりタイをしめたフォーマルなスタイルだ。

「ディは? アトリエ?」

「はい、そちらでお待ちになっておられます。どうぞ」

言って執事はアレクを案内してそちらへ歩き出した。

「隠し子発覚だって? 大騒ぎだったんだろ」

「それはもう」

「ロベール叔父さんも知らなかったそうだね」

「左様で。だんなさまは、もうしばらく隠しておきたいご様子でしたのに、私が口を滑らせてしまいまして...」

「きみが? 信じられないな」

「一生の不覚でございます」

未だにその時のことを気にしているらしく、恐縮して言うアーネストにアレクは笑って言った。

「いや、でもさ。それで良かったんじゃない? 特にロベール叔父さんにとっては。跡取りのこと気にしてたからなあ...」

「だんなさまも、天啓かもしれないから気にするなと仰って下さったのですが」

「ディらしいね。うん、きっとそうだったんだよ。結局は、それで万事丸くおさまったようなんだし」

「はい...」

話している間に二人はアトリエの扉の前に着き、アーネストがノックしてから、ロウエル卿がおみえになりました、とディに声をかけた。中から、入っていいよ、という主の声が聞こえてくると、執事は扉を開けてアレクを通した。

「久しぶりだね、アレク。元気そうだ」

ソファにかけていたディが嬉しそうに言うと、アレクも笑ってそちらに歩いて行きながら答えた。

「おれはいつでも元気ですよ。で? ウワサの子供たちはどこかな」

「そう急かさないでよ。もうこっちに来てるし、今呼ぶから」

言ってディが執事に頷いて見せると、アーネストは了解したように一礼し、扉を閉めて下がって行った。

一方、デュアンとファーンはその少し前には二人ともモルガーナ家を訪れて、それぞれの部屋に通されていた。初の会合で来た時に使ったのと、どちらも同じ部屋だ。しかし、そろそろ主賓が来邸するはずの夕刻近くになると、もうすっかり支度を整えてしまっていたデュアンは退屈したようで、兄と話でもしていようと思ったらしい。少し離れたところにあるファーンの部屋の扉を叩いて言っている。

「兄さん、ちょっといい?」

「デュアン?」

「ええ」

「いいよ」

答えを聞いて部屋に入り、居間まで歩いて行ってデュアンはちょっとびっくりした。いつも余裕な兄に似合わず、ファーンが珍しく深刻な表情でソファにかけていたからだ。

「兄さん、どうかしたの? 気分でも?」

「え?」

「だって、なんか具合悪そうだから...」

「そ、そうかな。そんなに酷い?」

それを聞いてデュアンは本気で心配になってきた。この兄に限って、自分相手に吃るだなんて考えられないことだったからだ。

「兄さん、本当にヘンだよ? 気分悪いなら、アーネストさんを呼ぼうか?」

「いや、そうじゃなくて...。いよいよだなって思ったら、なんか物凄く怖くなってきちゃって」

言われてデュアンはやっと、兄が憧れの人物と初めて会うのを目前にして固まっているらしいと察したようだ。もしかするとそれって、ぼくがお父さんと初めて会った時の心境かなと思うと、兄さんもやっぱり人間だなあ、と楽しくなってきて、デュアンは兄の側に歩いてゆくとその横にかけた。

「大丈夫だって。お父さんも、ロウエル卿ってお仕事以外では気さくなヒトだって言ってたじゃない。だから心配することないよ。兄さんだったら絶対気に入られるから」

「ほんとにそう思う?」

「うん」

弟の気楽そうな態度のおかげでファーンはちょっとリラックスして来たようで、深呼吸すると言った。

「よし。きみもいてくれるんだしね。でも、ぼくがヘンなこと言っちゃったりしたら助けておくれよ?」

まさか、この兄から"助けてくれ"などというセリフが出るとは金輪際思っていなかったデュアンは、それに笑って答えた。

「ぼくってある意味、今日は兄さんのオマケだからね。気楽なぶん、サポートに励むから安心して」

「有難う」

「でもさ。なんかちょっと嬉しくなっちゃったな」

「なんで?」

「兄さんでもそんな風になる時があるんだなあって。ぼくもお父さんに初めて会った時は何喋っていいか分かんなくってパニクりまくりだったもん」

「そう?」

「うん。そりゃ、ぼくだって今日も、なにしろロウエル卿と会うんだからかなり緊張してるけど、お父さんもいるんだしさ」

「そうだね」

言っているところへ扉にノックの音がしたので、デュアンは、はい、と答えると、兄の代わりにソファを立ってそちらへ歩いて行った。ドアを開けるとアーネストが立っていて、デュアン坊ちゃまもこちらでしたか、と言った。

「ええ。兄さんと話していたので」

「ロウエル卿がお見えになりましたので、だんなさまがファーン坊ちゃまとアトリエの方に来て頂くようにと仰っています」

「あ、はい」

デュアンは答え、今度は奥の兄に向かって、兄さん、いい? と尋ねた。

「いいよ。今行くから」

弟のおかげでかなり落ち着いたらしく、出てくる時にはファーンはいくらか余裕を取り戻しているようだった。それから二人はアーネストを先に立ててアトリエへ歩いた。アレクを迎えてのディナーとあって、今日は二人ともがスーツでびしっと決めている。ファーンは今回は深いネイビーにペンシルストライプ、デュアンはいつもの白だが今日はおとなっぽく、どちらもかっちりしたスリーピースだ。これから後、この兄弟は社交界に顔を出すたびに、その対照的だが人目に立つ容姿でいつも場の話題をさらう存在になってゆくのである。

アトリエの前に着くとアーネストはドアをノックし、坊ちゃまがたをお連れ致しました、と言った。

「いいよ、通して」

ディの声で答えがあると、執事は扉を開けて二人を通した。それに応じて、さて、話題の子供たちを拝見しようかとそちらを向いたアレクは、入って来たデュアンを見て立ち上がるのも忘れたようで、呆然という顔をしている。ディは意地悪く、予期していたその反応を眺めて楽しんでいるようだ。

最初のショックがおさまるとアレクはディに視線を戻し、それからもう一度デュアンを見て、またディの方を向いて言った。

「きみが、縮んだのかと思った...。こりゃあ凄い。どこからどう見ても、きみの子供の頃そのままじゃないか。道で知らずにすれ違ったら、おれタイムスリップしたのかと思ったよ、きっと」

言うと立ち上がって、子供たちの方に歩いてゆく。ディもそちらに歩いてゆきながら言っている。

「そっちがデュアン」

言いながらディは二人の息子たちの後ろに回るようにして肩を抱いて立つと、今度はファーンを紹介した。

「で、こっちがファーン。ぼくの次男と三男です」

それから二人に向かって、紹介するまでもないと思うけど、あちらがアレクサンダー・フレデリック・ロウエル卿、と言った。子供たちは揃って、はじめまして、と言う。それを受けてアレクはにっこり笑うと、はじめまして、と答え、握手の手を差し出した。最初にファーン、それからデュアンと握手を交わす。

「会えて嬉しいよ。しかし、驚いたな。それで名前までディと同じだって?」

「母の趣味なんです」

「へえ」

「ぼくが生まれる前から決めてたらしいですよ」

「なるほど」

「でも、後で失敗したと思ってたみたい。ぼくが、あんまりお父さんと顔立ちが似てるので、お父さんと親しい人が見たらすぐバレちゃうんじゃないかって」

「ああ、そりゃそうだ。きみが元から社交界に関りのあるところにいたら、もうとっくの昔にウワサになってたろうからね」

「はい」

それからアレクは、今度はファーンを見て言った。

「で、ファーン? きみはクロフォード公爵のお孫さんにも当たるそうだね」

「ええ」

「先代の公爵とは、おれもうんと小さい頃に会ったことがあるよ。お元気なようでなによりだ」

「はい。ロウエル卿のことは、曽祖父からもよく伺っています」

「アレクでいいよ」

「えっ」

「デュアンもね」

言われて、デュアンはともかくファーンは再び固まりかけている。

「でも、そんな。とんでもない...」

「ディんちにメシ食いに来てまで"ロウエル卿"なんてやりたくないんだよ。ココでおれのことをそんなふうに呼んでいいのは頑固モノのアーネストだけだ。ね? アーネスト」

いたずらそうにそちらを見て言ったアレクに、ディの執事は微笑を返し、恐れ入ります、と一礼して見せた。

「じゃ...、じゃあ、あの、もし失礼でなかったら...」

「もちろんさ」

アレクの態度に、どうやら自分は第一印象で気に入られたらしいと直感したファーンは、それで少し気持ちが軽くなったようだ。"アレクと呼んでいい"というのも、少々固まりぎみらしい自分をリラックスさせてやろうという彼の思いやりとも見て取って、いつもの余裕が戻って来たのだろう。次に口を開いた時には、ファーンらしい凛とした口調になっていた。

「お会いできて光栄です、アレクさん」

「こちらこそ」

それで初対面の挨拶は済んだと見てディが、じゃ、座ろうか、と促すと、皆頷いてソファの方に歩いた。アレクとディは両側のアームチェア、子供たちが真ん中のソファに落ち着く。アーネストは、お茶の用意をしに下がって行った。

「二人とも、学校は?」

アレクが尋ねるのへ、ディが答えた。

「ファーンは寄宿学校、デュアンは市内の学校に通ってるよ」

「そうすると、ファーンはもしかしておれたちの後輩ってこと?」

「そうです。ロウエル卿...、いえ、アレクさんやお父さんのことはよくウィルバーグ教授などが話してくださいますよ」

「ええっ、ウィルバーグ教授って、あの親父、まだあの学校にいるのかい?」

「もちろんです、名物教授ですから。現在は校長も兼ねてらっしゃいますけど、教壇は降りておられませんよ」

「驚いたな。おれが十代の頃でさえもういいトシだったんだぞ。とっくに引退してると思ってたのに」

「でもまだそんなにお年というわけでは...。というか、ぼくはうちの曽祖父を基準に考えてしまうからかもしれませんけど、教授はギリギリ六十代ですからね。ロベールおじいさまよりもお若いわけですから」

「そう言えばそうだけど、なるほど。ロベール叔父さんも七十代だってのに元気だものね。う〜ん、昨今のトシヨリは侮れないなあ。まだまだ現役とは」

「あとまだ十年は教壇に立つぞと宣言してらっしゃるくらいです。上級生の話では、若い先生よりアクティヴな講義をなさるとか」

「へえ、今でもそうなんだ。ねえ、ディ、覚えてる?」

「まあ、忘れられる人じゃないね」

「確かに、いい先生でおれも好きだったけどね。校長になったというのは、かなり前に聞いてはいたんだ。でも、それだって相当前の話だよ」

アレクは思いがけない名前を聞いて、ちょっとその頃のことを思い出したようだ。しかし、それはほんの少しの間で、思い出に浸るのは後にしたらしく、頷きながら今度はデュアンに注意を向けた。

「で、デュアンは...。これってなんか...。どうも、そっち向くと今のディがいて、こっち向くと昔のディがいるって感じだよな。ご丁寧に名前まで同じだし」

何か言おうとしてその事実に気づき、ちょっと戸惑っているアレクにデュアンが笑って言っている。

「そんなに、似てます?」

「似てますって、似てるどころか生写しだよ。違うのは目の色だけじゃないか。ディはうんと子供の頃から"ディ"で、今だって誰も"デュアン"なんて呼ばないからいいようなものの...。いや、そう言えばきみがモルガーナ家を継ぐことになったんだよな?」

「ええ、そうです」

「そうすると、当然きみはモルガーナ家に入って"デュアン・モルガーナ"になるわけだよ」

「そういうことに、なりますね」

「それってめちゃくちゃ、ややこしくないか?」

ディを見て言ったアレクに、彼は、まあ、仕方ないんじゃないですか、と答えた。

「今さら、デュアンの名前を変えるわけにもいかないんだし」

「それはそうだけどさ。ね、ちょっと今思ったんだけど、ファーン、いっぺんデュアンを学校の見学にでも連れてってやってごらんよ。ウィルバーグ氏あたり、絶対腰抜かすから」

それでみんなが大笑いしているところへ、アーネストがお茶の用意を運んで来た。日が暮れればディナーの席に移ることになっているから、今はお菓子は小さなクッキーだけだ。

お茶を飲みながらそんなこんな話している間にファーンもアレクの存在に慣れて来たらしく、いつもの調子を取り戻しつつある。アレクの方も利発なことが一目瞭然な二人の少年たちをすっかり気に入ったようだった。

現在、世界最大ともされる複合企業体International Grand Distribution、その総合的な資本はたいていの国の国家予算を軽く上回るとも言われ、従ってオーナーともなればまさに"世界経済を握る男"なわけだが、プライヴェートでは相変わらずアレクはこんなふうだ。ファーンはそれを間近に見て、やっぱり思っていた通り、いや、その何倍も素敵な人だなあと深く感銘すると同時に、父の言っていた"底抜けお人よしの脳天気お坊ちゃま"という意味がなんとなく理解できるような気がしていた。なにはともあれ、まだ幼い少年たちにとっては彼らの父も、その親友であるアレクも、未だ若いながら度外れた大人物であることに変わりはないが、逆にだからこそファーンにも、二人が長年最も親しい友人どうしであることは何の不思議もないと思われるのだ。

窓の外ではそろそろ日が暮れ始め、庭にはひとつひとつ灯されてゆくキャンドルの灯りが、カーテン越しに幻想的に揺らいで見えていた。

original text : 2009.8.21.+8.27.-8.28.

  

© 2008-2009 Ayako Tachibana