Talking with a German Part 1

[not published] - July  1999

Interview by  Jochen Bonz

 

 

 

ここはハンブルグの中心にあるウーベンアルスターと呼ばれる湖のほとりだ。グリーン・ガートサイドは防波堤を歩いてみたり、湖を眺めたりしながら一息入れているようである。

よく晴れた午後、私はといえば、突堤にあるこぎれいな”クリフ”というビストロのテーブルから、彼を眺めるともなく眺めていた。

今日はスクリッティ・ポリッティの11年ぶりにして4枚目のアルバムである”アノミー&ボノミー”のプロモーション・インタヴューのために私たちはここに来たのだ。会話はちょっとした世間話から始まったが、それは神経質さやファンのこと、特にウエブでサイトを発行しているファンたちの話などだった。そのあたりから、録音を始めることにしよう。

Jochen: 彼らは本当に貴方のことが好きなんですね。

Green: ぼくは見たことがないんだ。ぼくのガールフレンドは見てるんだけど、ぼくは見ないことにしてるから。

Jochen: 本当にいいサイトがひとつあるんですよ。

Green: アケオロジー・オブ・ザ・フリボラス(AoF)のこと?

Jochen: ええ! 

Green: 見たことはないけど、本に載ってたのを読んだことはあるよ。

Jochen: 見てみるといいのに。

Green: そう?

Jochen: ええ、本当に。

Green: I-Dマガジンでは、全く、本当にいいサイトだとか書いてあったな。でも、ぼくは...、つまり、ぼくのためにあるわけじゃないんだし...ね。

Jochen: そうですね。確かにそうだけど。[二人とも少し笑ってから]わかりました、じゃ、それはそれとして、このインタヴューはこんなふうにしましょうか。私が先にスクリッティについて考えていることを言ってみるっていうのは?

Green: そうだね。

Jochen: それから、貴方がコメントをくださる、と。[大丈夫かなと思いながら、機嫌よく笑って]

Green: うん、そうしよう。

Jochen: その後で、ジャーナリストとして聞かなくちゃいけないことを聞きます。

Green: OK、OK、それでいいよ。

Jochen: 私の考えでは、スクリッティ・ポリッティは、愛...、と関係がありますよね、当然。

Green: うん。

Jochen: でも、それはかなり特別な意味の...。私としてはそれが興味深いところなんですが。それに多かれ少なかれ、見出すこと。それから貴方はアレサ・フランクリンやソウル・ミュージックに魅了されてますよね。 

Green: あー。

Jochen: そして、複雑な信念。

Green: そんなところかな。

Jochen: つまり、貴方が描く愛というものは、この信念、それとも信仰心と深くつながりが    ありますね。

Green: そう。

Jochen: 世界を構築する、という意味で、それかそれに近いような。

Green: うん、いいね。

Jochen: いいですか?

Green: そう思うよ。

Jochen: 良かった。[本当に安心した笑い]これで準備ができました。

Green: うん、10点満点だな。全くよく見てるよ。完全に意味が通るし。よし、今度誰かに聞かれたら、その通りに答えることにしよう。つまりそれは...。だから、きみは全く正しいし、...愛と、それに両方とも。メタファーの点でね。それと、...いい言葉が見つからないけど、...感情的なレベルでもかな。それから、決して変わることのないメタファーだけど、...すぺてを通じてね。...重要な関係というか。それは道徳的堕落であり、優先された場所からの逸脱。

Jochen: ん-。

Green: そして、その逸脱というのは、つまり...、愛に見放されること。愛、もしくは忠誠を失うこと。

Jochen: それは、ある意味ではすべてを失うに等しいことですよね。

Green: そうだね。

Jochen: その後は何の意味もなくなって... 

Green: 深遠かつ本質的な欠如だね。

Jochen: ええ。

Green: そして喪失。それはぼくの実際の経験であり、同時に知的なもの。ぼくはこの欠如、不在、脱落、落差、虚無、そういったものを感じている。それから広がって行く愛やその喪失、熱望、...そういったものすべてはつまり...、愛と真実は互換性のあるものなんだ。 

Jochen: ええ。

Green: そして、それが良いところでもある。なぜならそれは容易にすることであり、それは両方とも...。そういう感じがして。....んー、つまりね。愛を失った後、それは真理不在の状態なんだけれども、それには辛いのと、解放されたのと両方を感じるってことだね。

Jochen: 本当に、解放感も同時に感じることができるものなんですか。

Green: うん。わりとたやすくその両方をね。たしかに辛いよ、でも解放される。ぼくの使っている言葉はとてもロマン主義的な言い回しだけどね。また、同様にそれは愛を失うか、もしくはみつけそこねるか、でも一人になることだね。そういう状態で一人になることは解放的だよ。それは解放的な孤独とも言えるかな。意図して一人でいるわけじゃなく、終わりが来た後には、一人でいることが次善の策なんだ。

Jochen: でも、一人でいてどうなるっていうんです。何かすることがあるんですか。生きる目的(とか、そういったもの)は?

Green: いい質問だよ。人生そのもの以外に、生きる目的なんかないんだ。

Jochen: なるほど。

Green:   あとは reverie(幻想、空想、沈思、夢のような考え)という可能性、...reverieって言葉の意味、わかるかな?

Jochen: 宗教的な関連がありますか?

Green: いや、必ずしもそうではないね。reverieというのは、...ぼくにはとても定義するのがむつかしい言葉だな。

Jochen: 調べてみます。

Green: (即座に)うん。

Jochen: (笑)だめですよ。ちゃんと説明して下さい、お願いしますから。 

Green: くそー、やっぱりだめか。(笑)かわせそうだと思ったのに。reverieね。忘我というような状態とも違うんだよ。催眠状態ってのとも違うし、夢を見てるという感じでもないし。そういうのじゃなくて、我を忘れている...少し... 

Jochen: 少しの間?

Green: そうだな。禅みたいなものかもね。周囲が意識の中から去っている状態。君の存在が認識の中になくなるとか、湖だの空だのの取り決めを失ってしまうとか、そういう感じ。

Jochen:わかりました。ところで、サイモン・レイノルズという音楽ジャーナリストがテクノやレイヴについてそんな風に書いてるんですが。

Green: うん、ぼくもそう思うよ。

Jochen: 貴方は...

Green: ぼくはテクノもレイヴ・カルチャーも好きじゃないね。それは、つまり、...ある一部の...、だから...。あー、一時期のものだったよね、10年くらいかな。それからぼくは世の中から引いて...、自分で望んだ追放だけどね。

Jochen: ご自分でそんなふうに呼ぶんですか?

Green: うん、そうだよ。全くその通りだったんだもの。ガールフレンドとも別れたし、マネージメントや友人全部とも縁を切って、全く本当にたった一人で暮らすためにね。 

Jochen: そうだったんですか?

Green: 他の種類の友人はいたよ。でも、まるて世界の違う連中だった。

Jochen: まるで世界が違う。

Green: そういう意味で異境生活と言っていい。

Jochen: ということは、長いこと、多かれ少なかれずっとウエールズにいらしたというのは本当のことなんですか?

Green: うん。だからそういう事情もあって、レイヴ・カルチャーからは離れた所にいたのさ。まるで別の場所にいたんだからね。でも他の理由は...、つまりレイヴ・カルチャーが始まった頃はぼくはまだロンドンにいたし、だからアシッド・ハウスなんかが始まった頃にそういうパーティとか、けっこうそれなりに楽しんでて、まあ、ほんのしばらくの間はね。

Jochen: ええ。

Green: で、その後...

Jochen: で、その後、もっと...

Green: こんな感じさ。”いいね、でも、次はなにやるの?” でも音楽、...音楽そのものはぼくにとって魅かれるものじゃなかったんだ。一部には、ぼく個人の美学による判断で、ハウスっていうのは...、か、アシッド、で、テクノ、トランス、ガレージ、ね、アンビエント、ハンドバッグ、そういう英国のクラブ・カルチャーから出たものには美学的に熱狂できなかったんだよ。ドラムンベースだけが例外で、でもそれは実際...

Jochen: たぶん、ヒップ・ホップに関係があったからじゃないですか?

Green: うん、その通り。ドラムやベースにはヒップ・ホップやレゲエに通低するものがあったんだ。

Jochen: そう! レゲエ!

Green: でも実際その時は...、ぼくには見えてなくて...、つまりね、ぼくはウエールズにいて、ドラムやベースっていうのは始めるには全くロンドンのもの、っていう感じだった。だから、レイヴやクラブ・カルチャーに関わらなかったことについては、なんの後悔もしてないんだ。

Jochen: そんな風にはまったく思ってませんでしたよ。

Green: 要するに、好きじゃなかったんだ。

Jochen: ええ。で、私にとってはどういうわけか...、貴方が創った中でもっともわからないのは”プロヴィジョン”なんです。

Green: ほんとに?

Jochen: ええ。それで貴方が今でも気に入ってるかどうか知りたくて。

Green: いや。まるで、とことん気に入ってない。

Jochen: ほんとに、全くですか?

Green: 全く、全然。だって自分じゃ聞きもしないんだから。

Jochen: 全然、聞かないんですか?

Green: ばかばかしいってわかってるからだよ。作ってる間は、そりゃ聞いてたからね。でもスタジオを一歩出たその日からは、一度たりとも聞いてないんだ。ラジオ局かなんかで流れてるのをほんの少し聞くハメになったことくらいはあるだろうけど、スタジオから出た時に、究極の失敗作だってわかってたのさ。だってまるで良くないし、...あー、だから...

Jochen: 個人的に? それとも音楽的に?

Green: どっちもさ。だからそれは気の滅入ることで...

Jochen: アルバムが、ですよ。不幸なレコードだった。

Green: そう、とても不幸な、ね。創造性の面でも失敗だったし。全く違ったものになるべきだったと思うよ。だからそれから目をそらしたんだ。作品自体も良くなかったし、”キューピッド&サイケ85”と大して変わったとこもなかった。そのことで、スタジオから出た時、ものすごく気が滅入ってたんだよ。でも、プロモーションはやらなきゃならないだろ。こんなふうに座ってさ。でも、つまり、特にアメリカではラジオ局なんかへ行くと、自分の中の本質的なものが死に直面してしまうんだよ。ラジオ局まわりなんかをやるんだけど...

Jochen: あれは大変ですよね。

Green:  ウエストバブルフックとかアリゾナとか、そういう所でだよ、こんな感じ。”スクリッティ・ポリッティのグリーンが来てくれています。”でさ、”プロヴィジョン”から何かかけるわけ。耳をおおいたくなるよ、実際。自分で気に入ってるならまだしも、”もっとなんとかしとくんだった”って後悔するハメになる。ところが、それでも明るく振舞って、”バブルフックっいいところだね”とか言わなきゃならないんだ。子供じゃないんだから、わざわざ出かけてって、すねてるわけにはいかないじゃない。ところが、それだけじゃすまない。次に二人くらい順番を...

Jochen: 待ってるんですね。

Green: CD片手にプロモーションの順番をね。商品と同じ。自分が単なる商品でしかないとしたら、商品と等価なものになってしまうならだよ、もしその商品そのものを気に入ってなければ、滅入るのは当然だろ。だから、ぼくは本当に耐えられなくなって、何もかもやめてしまったんだ。

Jochen: こういう見方はどうでしょうね。...つまり私は”プロヴィジョン”の特性というのは、またこの言葉が出てきてしまうんですが、”ブラック・ミュージック”からはかけ離れている、というところ。私としてはどちらかと言うとこのアルバムを気に入ってるのは、本当にシンセ・ポップに仕上がってるところだと思うんです。

Green: 大キライだ、シンセなんて。

Jochen: でも、だからこそ、この作品には特定の領域、とかそういったものがないような気がするんですよ。

Green: うん、ないね。まったくその通りだよ、ぼくもそう思ってるから。そういう点では”キューピッド&サイケ”の方が楽しめたし、まだ肯定的な見方が出来るんだよ。 

Jochen: 私もそう思いますよ。 

Green: ずっと出来が良かったし。”プロヴジョン”は全くのデッド・エンドだよ、ある意味じゃ。それはすべて、つきつめるとシンコペーションにこだわりすぎてたことから来てるんだ。それにとりつかれてたね、ぼくたちは。シンコペーションってわかる?

Jochen: シン...

Green: シンコペーション、リズムだよ。音を切分することだ。

Jochen: ああ、ええ。

Green: それがあの二枚のレコードでは重要なところで、その影響が大きかったのさ。ぼくにとってR&Bから最初に受けた大きな影響だね。クインシー・ジョーンズのアレンジやシャラマーとか。他には、ソーラー・レコードのレオン・シルバーとか、そういうあの時代の卓越した人たちのさ。言ってる意味、わかるかな。

Jochen: ええ、わかりますよ。

Green: 卓越した人たち、つまり技術の巧みな、ね。

Jochen: で、そういうものに興味があったんですね。

Green: すごく関係があるよ。でも実際にはしなければならないのは...、部分的には実験的なことに...。だから、もちろんMIDIは違った声をこのシンコペーションに割り当てて、あー、えっとね、例えばパレットに...気に入らないな、こういう絵に関したたとえは...だから道具だ、たくさんの道具。それで空間と時間を結びつける、...いやこの場合時間は関係ないのか。限られてるからね。MIDIはつまり16分の2という音を、別の16分の2の音とは全く違ったように鳴らすことが出来て、そうすると...、それって、点描で描いた絵と似てるね、これもひどいたとえだけど。でも、もしその絵の主題が、もし...、内部的、とかそんなものなら、もし根底的に...。だから、”プロヴィジョン”は持ちえたかもしれないんだけど...。あれは費用をかけて加工されたものだけど、でも何も語るところがないんだ。それは部分的には作為的なんだけど、部分的には欠如していて...。もっとずっとうまく語らないようにするべきだったんだ。

Jochen:んー、えーっとね。その "by design"というのはどういう意味なんですか。

Green: designってby designの意味かい? 意図的に結びつけること、計画的ってことだよ。

 

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