Dotmusic Interview

Dotmusic website - July  1999

Interviewer unknown

 

ドットミュージック・ウエブサイト - 1999年7月

インタヴュアー不明

グリーン・ガートサイドがスクリッティ・ポリッティを結成して21年になる。

そして1991年以来久しぶりに発表された作品は、ロック、ラップ、ソウルが取り混ぜられ、これまで通り革新的ですばらしい仕上がりを見せている。

しかし確かにこの新作‘アノミー&ボノミー’はまぎれもなくポップ・レコードであるが、同時にラップからの影響が濃く反映されており、そこでデヴュー・シングルである‘ティンゼルタウン・トゥ・ザ・ブーギーダウン’のリミキサーも以下のような顔ぶれが揃うことになった。

Pyscho Les(ザ ビートナッツ)、アリ・シャヒード・ムハマンド(ア トライブ コールド クエスト)、ピート・ロックとロブ・スウィフト(ザ エクスキューショナーズ)。

と、いうわけでグリーンが我々ドットミュージックに1991年以来どんな風に過ごしていたのかを語ってくれた。

「80年代の半ばにはキューピッド&サイケ85のおかげで..、.あれはほんとに大作だったけど、ともかく世界中をプロモーションのために駆け回った挙句よくある話、ろくに休みもとれないままスタジオ入りして次の作品に取りかかることになってしまったんだ。結果としてプロヴィジョンはぼくにとって全くどうしようもない失敗作に仕上がってくれることになった」

「なにが最低と言って、自分が気に入ってさえいないものをプロモートしなきゃならないことほどひどいことはない。気が滅入るなんてものじゃないよ。そうやってる間に自分が確実にだめになって行ってるのがわかる。あれはオレゴンでラジオのインタヴューに答えてる時だったな。‘グリーン、よく来てくれたね。まず新しいレコードをかけようじゃないか’って感じで、ぼくはと言えばその横で陰陰滅滅たる気分でいるわけ。で、1989年までにはイギリスに戻って、その足でウェールズに帰っちゃったんだ。‘じゃあ、またね’って。ガールフレンドともサヨナラしたし、マネージメント・オフィスとも縁を切った。その後はミュージシャン仲間は言うに及ばず、デイヴ・ギャムソンにすら何年も連絡しなかった。完璧に外の世界から引いて、ウェールズの小さなコテージで暮らしてたんだよ」

「とは言え、ヒップ・ホップはずっと聞き続けてたな。ロンドンにはレコードを買いに来てたけど、すぐ家に帰るのが普通だった。そうしてるうちにまた自分の音楽が創りたくなって、結局引きこもっていようとする気持ちよりそっちのほうが強くなったんだ。ひとりでやってみてる間にまたスタジオに入れそうな気になって来て、デイヴ・ギャムソンに連絡してプロデュースをやってくれるかどうか聞いてみたらいいよって。ペースにミシェル・ンデゲオチェロを使ってみたらどうかって言い出したのはデヴィッドなんだ」

「ラップの他にも、例えばぼくはまたギターを弾くことにしたんだ。どっちもフーファイターズやペイヴメントみたいにアメリカから来たものだからね。これだけいろんなスタイルを詰め込んで、それでいてつまらないものにしないためには、ギター、ベース、ドラムの生な音にモス・デフを始めとするラッパーを組み合わせるってやり方がいいと思ったんだ」

「今度こそはね、物事をまじめに受け取りすぎるのはやめるつもりだよ。レコードがけなされたところで、所詮レコードじゃないか。ぼくかけなされてるわけじゃないんだ。昔は、成功も失敗も同じ度合いで恐かったな。良い批評を読んでも素直に喜べなくてさ、反対だったらもちろん喜べない。とにかく今回はそういうことを気にするのはやめると決めてるんだ」