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Scritti Politti magazine no.1−August 1985

Compiled by Geoff Parkyn

 

Scritti Politti magazine no.1−1985年、8月
ジョフ・
ーキン編集

 

“おかしいかもしれないけど、ものごとを複雑にするより簡単にしようとする仕事をしてるんだよ。異種性とか異種の構成要素とかに公正でなければならない。ものごとについて−完全−を装うとかそうあろうとするなんてのは、ぼくは好きじゃない”

“スクリッティっておかしな立場にいるね。パンクって騒ぎがなかったらこんなふうにはならなかった。そんなきっかけでもなきゃ、まるで自分の回りで何が起こってるか考えもしないかもしれない連中まで巻き込んだんだから。ある種の美意識とか思想性と、いくつかそういった類のものとが相乗したおかげで、ぼくらは目立ってるんだろうね”

“新しいアルバム(キューピッド&サイケ85)は、とにかく楽しんでもらえればいいと思ってる。音楽を創るのは楽しいし、音楽を楽しむのも愉快だよね。この楽しみって言葉(Pleasurable)は大文字のPなんだけど、そうすると、その中には不愉快さや落着かなさや挑戦的な要素まで含むことが出来るんだ。ある程度までは感動的で面白い、でも同時にその中で、ポップミュージックには違った見方もあるんだな、って分かってもらえるといいなとも思ってる”

“今の時代に回りがやってることに、ぼくらは捕らわれずにやっていかなきゃならない。つまりスタイルとか音楽とかの点でね。それって退屈だし、つまらないからさ。クズみたいなものが出回ってるし”

 “‘キューピッド&サイケ85’って全くおかしなタイトルだろ。実はキューピッドとサイケには伝説があるんだ。”二人はとても愛し合っていて、でもお互いを知ろうとしすぎるとだめになる運命にあった。でもサイケの方はがまんできなくなったんだな。相手のことをもっと知ろうとして結局キューピッドに逃げられるんだ。確か最後にはもとのさやにおさまるはずなんだけど、でもこの知りすぎるとか知ろうとしすぎるってことについて歌った曲が、アルバムの中には1,2曲ある。で、ただ‘キューピッド&サイケ’ってつけたんじゃ、地に足がついてない感じなんで、85をつけることにしたんだよ。ともかく少しは効いてるだろ”

“ぼくはスタイルを作為的かつ便宜的に取り替えると思われてるみたいだね。結構それって当たってるけど”

“ミュージシャンであるってことを、ぼくは気に入ってるよ。今のところ創りたいと思うのはポップ・ミュージック、もしくはポピュラーだからね。マイナーなやつよりずっと大事にされるし、理解もされるし、受け入れられやすい。マージナルな音楽ってのはすごく閉鎖的なんだ。そこでは作品や存在意義はどこまでその世界にはまり込んでるかの経緯によって判断されるけど、メインストリームでは限界はあるにせよ、ずっとオープンに仕事が出来るからね”

“‘キューピッド&サイケ85’のジャケットね。木綿で肉をくるんであるやつ。あれって、マルセル・デュシャンがヴォーグ誌の表紙でやった‘ジョージ・ワシントンの肖像’って作品から来てるんだ。それも木綿で肉をくるんであるんだけど。つまりスクリッティのやってることは甘くてばかげたポップ・ミュージックじゃ全然なくて、その中には根性入ってて、ある種不愉快な部分もあるってことさ。ある程度悪意に満ちた邪悪な部分、というかダーク・サイドがね。飾りびょうを生肉に刺して、モスリンでくるむっていうのはすごく宗教的な言外の意味を持ってる。すごく普通でないものをね”

“スクリッティは画像とかコンセプトを広告から持って来てたんだ。ラフ・トレードのレコードではダンヒルやCourvoisierそれにディオールからいただいたんだよ。ああいう会社はアーティストを育てたり、作品を使用するのに何百万ポンドもかけてるんだけど、ぼくらはそういうのをちょいと拝借して来ちゃうんだ”

“今まで誰にも言ったことはないんだけど、ウッド・ビーズのアイデアってのは、デイヴ&アンセル・コリンズのダブル・バレルから来てる。あの始めの所で‘W..O..O..O..’って歌って、語りが入るだろ。ぼくはそこが好きで、それと単なるポップ・ミュージックにスピリチュアルなものを持ち込んできたアリサ・フランクリンには感動してたしさ。あの宗教的信念とポップの融合が何よりも重要な部分なんだ”

“妥協なんて絶対しないね。できないんだよ。人間ってそういうもんなんだろうけど、ぼくもそうしなきゃいけないってことはないだろ。少なくともそうしていたいんだ。、と言っても、全くのアウトサイダーっていうか、変わり者だと思われるのもいやだし。ぼくはぼくの好きなことをやって、みんなが気に入ってくれればな、って思ってるんだよ”