Say a little prayer for Green

NME magazine - March 1984

Interview by Richard Cook

 

 

では手始めに。「ミスター・パラノイド(偏執狂)」だというは本当ですか。

「パラノイドだって?」 グリーンは目を丸くして言った。「それって、どういうイミかな?!」

あなたの評判が先走っているようですよ、先生。けれどもグリーンは十分に穏やかと言っていい態度でそれを否定した。長い間シーンから遠ざかっていたあとで、―"Songs To Remember"発表以来そろそろ18ヶ月が経とうとしている。これは早々に忘れられて行ったが ― この言語、音楽、それに様々な要素の入り混じった硬派の思索家は、新たなポップ作品を世に出すところだ。ファースト・シングルは"ウッド・ビーズ"だが、その後、LPがリリースされることになるだろう。

グリーンとは奇妙な存在だ。イギリス人で沈思黙考タイプ。知的疑惑の狭間を疑り深く慎重に渡り歩いている。音楽業界に対する現実的なアプローチがポップにおける理想主義と結びつくというのは分裂的で、私にはいささか無邪気でバカげた考えのように感じられるのだが、この消費主義の業界で彼は本当にポリッティが正真正銘「政治的」たりうると信じているのだろうか。

ともあれ、まず近況を聞くことにしよう。ここしばらく何処にいたんですか。

「しばらくアメリカに住んでたんだ。」 寒い午後には不釣合いなくらい夏っぽい装いで、手足を伸ばしながら彼は答えた。「(ノー・ターン・オン・レッドの)デヴィッド・ギャムソンやフレッド・メイハーとニューヨークで会って、ナイル・ロジャースやマーカス・ミラー、それに沢山の面白い人たちと仕事していた。それで出来た作品はまだリリースされてないんだけどね。ぼくが会いたいと思う人には誰でも会えたという感じで、みんなものごく熱を入れて一緒にやってくれたよ。」

「そうだね、"Songs To Remember"以来ずいぶん経ってしまった。一番時間が掛かったのはラフ・トレードから出てマネージメントを移すことだったんだ。ホントに物凄く時間が掛かったよ。まあ、どちらにせよ全く忙しかったというのもホントでね。」

「アメリカで仕事するとか、他の人たちとコラボレートするというのは明らかに違うね。ここ(英国)とは全く違ったやり方で音楽を作る人たちがいるアメリカにスタッフを移すと、一番違うのは政治的なもの、もしくはスタイルの政治性だと思う。アメリカ人になんでそれが面白いのか伝えるのは、...例えば60年代のリッケンバッカーのギター音をR&Bのレコードとミックスするとかいうようなことね。それを伝えるのは難しいよ。だって「なんで?」って聞いてくるし。いい質問だよね。アメリカにおいてスタイルというのは、ここと同じ共鳴を引き起こすものではないんだ。」

それって基本的な美意識の差なんじゃないでしょうか。アメリカ人は耳を楽しませるために音楽を作るし、不調和な要素は絡まないでしょう?

「必ずしもそうだとは思わないけど。...ボブ・ラストが言ってたんだけど、彼の会った若いロシア人はホワイト・スネイクに何の違和感も持たなかったそうだよ。と言うのは、装飾的なものが彼らの文化と共鳴を引き起こさないからだろうね。アメリカでも似たようなことが別の形で起こるんじゃないかな。」

グリーンは昔と同じくらい彼の活動における論理的逆説を楽しんでいる。そのあたりを突っ込んでみるのも面白いかも知れないが、それは引き合わないだろう。ところで、仕事に関してプレッシャーというのはありますか。

「ラフ・トレードでは全くなかったよ。契約も交わしてなかったから、好きな時に仕事してた。ヴァージン(現在、彼の契約している会社)でも、どちらにせよ働いてるからね。それで会社の機嫌はいいみたい。自分でも驚いてるんだけど、一生懸命仕事するというのを楽しんでるんだ。」

そしてその仕事は一見取るに足りない、けれども意味ありげで楽しめる"ウッド・ビーズ"のプロデュースも手がけたソウル界のエキスパート、アリフ・マーディンとのコラボレートによる3曲も含んでいる。通なら"ウッド・ビーズ"をポスト・アトランティック的な、くだらないダンス・サウンドと評するかもしれないが。

「アリフはぼくが最も一緒にやりたかったプロデューサーなんだ。ぼくらは彼にいくつかデモを送ってみたんだけど、凄く気に入って乗り気になってくれたよ。」

 

ちょっと意地悪を言ってみたい気分になった。グリーンというアレサやベン・E・キング狂いの駆け出しソウル・ボーイにとって、そうした当の名作を生み出した権威あるプロデューサーをスタッフとして迎えるのは、ちょっとキツかったんじゃありませんか。

「まあね。ともあれぼくはホワイト・ソウルをやったつもりは毛頭ないんだ。ブラック・ポピュラー・ミュージックが未だ一番興味ある存在であるとは言ったかもしれないけど、この国でホワイト・ソウルが作れるヤツなんていないと思うしさ。あれがホンモノのパロディみたいなものだとは考えられないよ。」

「ぼくがアリフと仕事したくなったのは、彼が過去数年間にチャカ・カーンのような人たちとやっていたからなんだ。彼女の"We Can Work It Out"だけどね、凄いよ! それにアリフってとても優しい人で、今まで会った中では最も穏やかな人だと言っていいんじゃないかな。ある意味じゃ、ぼくらはお互いに礼儀正しすぎたかもしれない。押し付けがましい人でもなかったし、曲のアレンジも全部事前に出来ていたものを使ったんだ。」

もし"ウッド・ビーズ"がかろうじてマーディンらしいグランド・スラム・サウンドを仄めかしているに留まるとすれば、それは音がキレイで風変わりだった"Songs To Remember"と、より堅めで演説調だったサウンドとの間で均衡を保っている。ともあれグリーンの飛躍には時が満ちていたということなのだろう。シーンにおいてスクリッティのLPが大した反響を引き起こさなかったとすれば、それはカルチャークラブをあれほど成功に導いた様々の要素を、早くから先取りしすぎていたせいかもしれない。

「うん。」グリーンは機嫌よく答えたが、たぶん先ほどの考えがお気に召したからだろう。「ぼくの知る限りでジョージが言ってたことからすると、多分それを認めるだろうね。もし以前のシングルが流行に乗った状況の中でリリースされていたら...、いや、しゃくに触るとかそういうのじゃないんだよ。今のところぼくはこれで満足してるからね。ほんとだよ!」

「今振り返ってみて重要なのは、パブリック・イメージが示したような方向性に相反するリアクションじゃないかな。新しいポップの発芽ということについて言えば、それは今ではユーリズミックスやカルチャー・クラブのような数少ない特異なグループを生み出したに留まっている思う。一方ではバニーメン、シンプル・マインズなどのように夜の歌番なんかにもよく出る、― 言ってみれは古いタイプのポップ・グループね ― それからザ・スミスなんかの成功を見ていると、ちょっと心配にならないでもない。つまり新しい型が確立されつつあるというのかな。」

「ちょっと状況を整理してみると、アイシクル・ワークス、フィクション・ファクトリー、リフレックス.....、と、誰がどこから来たかについて暫定的な地図を描けるにすぎない。そのことについて、ぼくは少しばかり気に入らないこともあるかもね。」

スクリッティの音楽は他と比べてオーディエンスを引きつけられなかったという点で、その価値が損なわれますか。ポピュラーになることなく「ポップ」たりえるものでしょうか。

「そのあたりは面白いところだね。価値が損なわれるという考え方は、基本的にその作品が発表される前から既に価値を持っているということを前提としているんだけど...。ぼくとしてはレコードを作るのにかけた時間やどんな動機でそれを作ろうと思ったかなんて所で、その世の中における価値を決定すべきてはないと思っているし。」

「ぼくはリズムとアレンジの点で最も洗練されたポピュラーはブラック・ミュージックだと思っているんだ。それに魅きつけられる他の理由は、その歴史や政治性、そして例えば教会なんかとの関わり方だろうな。今のところぼくは物凄くヒップ・ホップやエレクトロ・ブギに魅力を感じているけど、それらは現在最も興味深くて際立った存在だと思うからなんだ。かつてのパンクと同じくらいね。」

我々はレコードになる音楽を作る上で、その情熱の謎についてあれこれ論じたが、グリーンは全てのプロセスにおいてそれは一貫していると言い、私はポップやソウルを作りあげる上での物凄く遠いプロセスの中で挫折させられてゆくという一般的な主張で押した。けれどもスクリッティの新しいアメリカ産の曲は「驚くほど早く出来んだよ。自分でもちょっと恐くなるくらいだった。一緒に仕事した人たちには説明する必要すらなかったんだ。何も言わなくてもバッチリやってくれたからね。」という答えが返って来たのである。

 

では、スクリッティ・ポリッティは現在どういう状況なんですか。メンバーはどうなっているんでしょうか。

「さあね」、彼はあいまいな答え方をした。「契約はぼく個人としてサインしてるから、グループをどうするかについては、はっきりしてないんだ。フレキシブルにやれるというのは悪くないしね。」

ては、ソングライティングの点で何か変化はありましたか。

「実際そんなに変わってはいないんだよ。ぼくのこだわりってのは今までと同じだと思う。曲は簡単に浮かぶんだけど、問題はそれで何を語るかということなんだ。今でもコトバには深い思い入れがあるし、それと一緒に育ったようなものだからね。アート・カレッジ時代には芸術に関する全ての問題が、ぼくを哲学や言語の哲学に結び付けたんだから。それは今なおぼくにとって重要ではあるけれども、イアン・デューリーみたいに言葉にハマりこむというのでもないな。」

ちょっとイタズラ心を起こして、そういうのはポップ・ミュージックというカテゴリーにおいて利口すぎるかもしれませんねと言ってみたところ、彼は傷ついたような様子だった。彼のしていることは、― グリーンが言うには ―、その音楽で彼が何を伝えようとしているのかという知識を何も持っていなくても楽しめるものだろう、ということだそうだ。

「ポップ界におけるナンセンスの数々を、それほど気にしてるわけじゃないよ。」私の意見を検分するように彼は続けた。「個人的に好意を持てる部分は少ないけど、でも現象としては物凄く興味深いね。例えばトップ・テンってあるだろ、あれは面白い! みんな当然のように受け止めてるよね、言葉と同じくらい。言葉の持つ重要性とかパワーに普通みんな気付いてないけど、音楽にしてもそうだよ。音楽って、日常的でありながら最も奇妙な存在じゃないかな、ぼくの思いつく限り。とても興味を持ってるしヒップホップには凄く魅力を感じてるけど、でも聞くに堪えないものやクズも多いと思う。」

グリーンは反対の主張を多々持っているようだが、我々もそうあるべきかもしれない。私は彼の、精神的な不安や情熱が作品作りに影響するという発言にそれほど説得力があるとは思わなかった。その客観性は、初期の作品においてグリーンの書いたものに常に表れていたが、後の耳ざわりの良い煌くような作品の外貌からは見て取ることの出来ないものだ。私がEinsturzuende Neubautenの方が、彼が現代において革命的とも押すヒップホップよりも更にラジカルな象徴となりうるのではないかと指摘すると、グリーンはそれを「Run DMCやビースティー・ボーイズに比べれば全く貧相で精彩のない連中」と評して却下した。

そういうわけでグリーンの攻撃範囲は更に拡大されるかもしれない。彼はポップ・ライティングは「遅れた音楽批評」に未だ囲い込まれていると考えている。そして数年前に書かれ、今や伝説的となっている音楽と言語に関する大著を改訂することで、新言語に貢献するつもりのようだ。それに出来たばかりのスクリッティの音楽も手元にある。

グリーンは咳払いをして、物問いたげに私を見た。

「今までにぼくが作った曲で好きなのはあるかい?」

ええ、もちろん。

2002.3.21.-2002.3.31.