Scritti Politti Broadcast

Smash Hits magazine - June 1982

Interview by Johnny Black

 

 

本当にこの健康そうで、控えめなエレガンスを纏い、すっかりリラックスした青年が、かつて半ば伝説化していたアンチ・ヒーロー、スクリッティ・ポリッティの知的中心人物であるグリーン・ガートサイドなのだろうか。洒落たニックネーム −グリーンー を持った彼のかつての面影は、明るい色合いのゆったりしたスーツを着こなした姿からはすっかり想像もつかなくなっていた。

私はそのこぎれいなバーに足を踏み入れながら、顔色の悪い、薄汚れた少年を目で探していたのだ。しかし何気に通り過ぎた視界に妙にひっかかるものを感じて、もう一度視線を戻した。そこには気怠げに分厚い政治の本をめくりながらビールを啜っている、しなやかな青年の姿があった。まさか、と思ったが見間違いようはない。確かに、と思って、私は彼に近づいて行った。

間違いでないことがはっきりするのに時間はかからなかった。グリーンが多音節の単語を使いたがるという話は聞いていたのだが、すぐにそれらが彼の口から流れ出したからだ。

「視覚的、または文学的な文化はポップ・シングルが内包する政治的なパワーに勝てやしないよ。それは革命的で、感覚に訴えてくるものだ。ある種の恍惚感を伴うもので、それに対して文学は抗すべくもない。」彼が一旦話し始めるとハンパには済まない。その豊富な語彙のせいで、5つ言葉が使えるところを一つで済ませてしまうということが出来ないのだ。

彼の英語に対する造詣よりも更に驚きなのが、ほんの数か月の短い間にスクリッティ・ポリッティの音楽が豹変したという事実である。それは最近のグリーンの言葉を借りれば、「真面目な苦悩を表現した騒音めいた音」から、チャートで上位を大いに狙える軽快でソウルフルなポップへの変貌だ。どうしていきなりスムースにコトが運びはじめたのだろうか?

リーズのアート・スクール時代にグリーンはスクリッティ・ポリッティを編成したが、78年の半ば頃にはロンドンに移り、クラッシュやパプリック・イメージの流れを汲むパンク・バンドらしく自分たちで作ったレコードのパンフレットを制作し、不健康な日常に明け暮れていたのだ。「病んだグループだったと思うよ、しばらくの間はね。肉体的にも精神的にも不健康だったし。ぼくは本を読みまくったり、文を書いたりしてたけど、放蕩ざんまいで深酒する他にやってたことといったら、それくらいだったな。」

「カムデンの住み家には18人くらいの人間が集まってきてて、みんなグループに何らかの形で関わってるって感じだったんだけど、そのうちマチューがオーガナイズする横で、ぼくが一人で曲を書いて歌ってアレンジして、ってのが実情だと明らかになって来たんだ。」

マチュー・ケイはグリーンがそうであるように口が達者で、けれどもその旧友にいくらか畏敬の念も抱いているようだ。「確かに少なくともグリーンの方が3インチぼくより背が高いよ。」マチューは言ってつけ加えた。「でもぼくの係りはビジネスだからね。」初期の頃から経理や電話係などの雑用をこなしてきたのは彼である。グリーンはそれを有難く思っているようだ。

「ある程度の成功をおさめるためには、常に親身になって世話をやいてくれる人が必要だ。プロダクションのようなものじゃなくね。自分が信頼出来て、一緒に仕事していける人間だよ。」徐々に明らかになって来たのは、スクリッティが通常のグループと言うよりは、グリーンの創造力の産物だということだ。確かに彼らは皆でライヴをやり、レコードを作って、インタヴューにも答えるが、グリーンがいなかったら全てが無に帰すだろう。

1979年の終わり頃になると、享楽的で不健康な生活についにグリーンは行き詰まることになる。両親とは5年も会っていなかったが、音楽誌でその健康状態について読んだ彼らは療養のためにウエールズに帰郷するようにとグリーンに勧めた。

ウエールズで静かに暮らしている間、彼を支えてくれたのは家族であり、「政治的文書」(スクリッティ・ポリッティはイタリア語で「政治的文書」を意味する)であり、ブラック・ミュージックやソウル、レゲエ、ダブなどの様々な音楽だった。そして1981年になると意気揚々とロンドンに舞い戻り、グリーンはスクリッティとその音楽の再編に取り掛かったのである。かつてのメンバーやその周りにいた連中は殆どが拡散されてしまっていたが、マチューをオーガナイザーに、そして既にグリーンが殆どドラム・コンピュータを扱ってはいたが、トムをドラマーとして残すことに彼は決めた。「バカげてるかもしれないけどグループとしての体裁を保つためで、写真にはマチューも一緒に入るようにして来たんだ。」

事実、マチューはミュージシャンとしては使いモノにならず、グループに関わることでそのクリエイティヴィティを楽しんでいるようだ。「スペイン・ギターを習おうとしたんだけど」、と彼は回想する。「でもナイロンのじゃなくて金属製の弦を使ったせいで指が酷く痛んでね。」

「信じられる?」グリーンが素早く割って入る。「でも確かに彼はミュージシャンよりテニス・プレイヤーになる方が、まだましだよ。」

彼らがラフ・トレードで最初に作った「ザ・スイーテスト・ガール」、これによってグループは政治的なポップからスイートなソウルに路線変更するわけだが、その曲でマチューが貢献を期待されなかったのは、こういう理由によるものらしい。

「ずっとポップが好きだったんだよ」とグリーンは言う。「いつかは政治的な風刺を含んだホワイト・ポップを作ろうと思ってたし。ビンビン響く、うるさい音じゃなくね。」

洋服の好みが変わったのもこの頃かららしいが、「着るものが矛盾してるとは思ってないよ。コアなパンクだった頃はもっと凝った格好をしてたし。ぼくの外見はコロコロ変わるんだ。」

グループを世の中に向けて見せて行く上で、その変化もまた好ましいものだと言えるだろう。メディアはずっとグリーンがスターになるだろうと予見してきたが今やすっかりそれらしく見えるし、グループの構造が変わるにつれて、まごうことなきその中心人物として注目の的になっている。

「ザ・スイーテスト・ガール」の後、グリーンはアルバム「ソングス・トゥー・リメンバー」の制作に着手したが、その間にプロデューサーであるアダム・キドロンは「すばらしいノース・ロンドンの連中」、つまりジョー・カング(ベース)、マイク・マカヴォイ(キーボード)を彼に紹介した。それにバッキング・ヴォーカルとしてロレンザ、マエ、ジャッキーが加わり、グリーンはライヴをやるためにこのメンバーをうまく取りまとめたいと思っている。最終的にはこれを新生スクリッティのパーマネント・メンバーとして確立したいようだ。

「ジョン・ピール・セッションをやったところなんだ。」とグリーンは意気揚々と語る。「すごくうまく行ったよ。一緒に演るのは楽しかったし、やった曲の中から何かリリースするかもね。」

そういった中でトムの役割というのは、もうひとつ判然としない。「ドラム・コンピュータの横でいつも家に絵ハガキを書いたりしてるけど、グループをやめてもらうつもりはまるでないんだ。」

最新のシングル「フェイスレス」では、新しい方向性が更に強まったように思える。グリーンのホワイト・ソウルへのアプローチはずっとスムーズなものになっているし、アレンジも洒落ていてヴォーカルも効いているのだ。スクリッティが手にして当然の成功は、じわじわと迫って来ようとしているが、その中にあってさえ、グリーンのあれこれ考える頭には疑惑が湧いてくるようだ。

「失敗するのが本当に恐いんだ。でも同時に成功するのもね。政治性にしがみついて来たのは、それが自分の主義の正しさや知識を科学的に保証してくれるものだったからなんだ。」そう話すグリーンは当惑げである。

その他に彼が恐れるものと言えば蜘蛛だ。以前よりは酷くはないようだが。

「ベッドに入る時なんかね、床の割れ目から這い出してくるんじゃないかと思えてさ。そうすると起き上がってカーペットを剥がして、テープを貼らなきゃならなくなる。そうしたらそうしたで今度はドアの隙間から入って来るんじゃないか、と思ったり。」

アルバムは既に完成しているようだが、グリーンとマチューは時期が来るまでリリースは見合わせるという意見で一致している。

「みんなすごく気に入ってて、マーケットで見過ごしにされるようなことにはしたくないんだ。「フェイスレス」も成功しつつあることだし、そう長くは待たせないと思うよ。」

グリーンによれば「フェイスレス」は、こんなことを歌った内容の歌だそうだ。「信念を持たずに生きることは、幸福でもあり悲哀でもある。ぼくは宗教を持たずに生きてきた、政治以外はね。社会秩序や進歩に寄与する何らかの手段を持つことに興味はあるけど。」

「フェイスレス」は英国で売れ始めていて、またニューヨークでは「ザ・スイーテスト・ガール」が1981年のニューヨーク・タイムズ・トップ10シングルに入っていることも朗報だ。「アメリカで成功するチャンスはあると思うね。ぼくのスイートな声もあるし、ぼくらはアメリカ人が好きそうな耳ざわりのいい曲も持っているから。」

チャートには明らかに気を配っているらしいが、グリーンは他のグループを競争相手とは見ていないようだ。

「レコードのセールスに関しては、レコード会社に任せておくよ。ABCやHeaven17、それにHaircut100なんかは、確かにぼく達と近いものがあると思うけど、今ではぼくらの曲には他の誰もマネ出来ないパワーがあると思うんだ。」

ロバート・パーマーやグレース・ジョーンズはグリーンの曲を録音したいと切望しているし、加えてグリーンは初期のスクリッティ作品を録り直したいとも考えている。

「初期の曲のいくつかは、テクノロジーを持ってなかったせいで良い状態には仕上がってないんだ。」そう言いながら彼は既にスクリッティより先の未来についても考えを巡らす。「ずっと音楽を続けてゆくかどうかはわからないな。政治について書くとか、法律の方に行くかもね。そういうのも面白そうだし。でも楽しめるうちは、この世界にいると思うよ。」

今の時点では、それがこの先ずっとになるかも知れない。

2001.6.15.-6.16.