Reflections On In(ter)dependence

NME magazine - November 1978

Interview by Ian Penman

 

 

スクリッティ・ポリッティ ― 3人もしくは4人(一人は非常勤メンバーなので)のミュージシャンの集まりだが、彼ら同様に重要なのは、援助やちょっとした飲み物代、励ましと批判を与えてくれる多くの親しい友人たちだ。

この友人達はバンドの平衡感覚を保つ上で大事な役割を果たしているが、ちょっと他のバンドについて考えてみてもわかるように、普通極端に自己満足に陥りやすく、結果として大局的なものの見方が出来なくなることが多い。そういうバンドを責めるわけにもいかないが、というのは「ニュー・ウエーブ」とはある意味、浮かれたレコード業界のやり方により良い形で接近し理解することだったはずだからだ。しかし通常、業界を利用するよりもバンドの方が業界に利用されてしまうことが多い。

スクリッティ・ポリッティはこうした問題とロック・ミュージックの有益な可能性に、独自の論証的、批判的方法論をもって臨む。

その顕著な例は、3枚の自費制作によるEPだ。そのジャケット(自分たちで撮影、現像、デザインを手がけた)には、レコーディング、プレス、パッケージングと配布に際して掛かった支出の全てが記載されている。

ザ・ディスパリット・バイシクルズもこうした記載を行っているもうひとつの「ロック」グループだが、スクリッティ・ポリッティも認めているように、その方法はバイシクルズに影響されたものだ。

SP : 「ヨーロッパのロックバンドは、どうしてジャズのミュージシャンがやっているように出来ないんだろう。アイデアや機材を共有したり、基本的な部分で協力し合ってお互いに助け合ったりとか。ぼくらのやり方は確かにバイクスやラフ・トレードの周辺にいる人たちから得たものだけど、もし業界にストレートに入って行ったとしたら、ひどく偏ったバンドになっていたと思うんだ。自分たちこそが最新と思い込み、他のバンドと争うようなね。そういうやり方を押し付けようとしたマネージャーもいたけど...」

「この記載から得られる情報があるとすれば、それとぼくらがどうしてこういうやり方をしなきゃならないのかをはっきりさせるとすれば、形式主義的なアプローチが限界にきているということを認識しているからなんだ。」

「どういう意味か説明しなくちゃね...」

「この"形式主義的な"アプローチというのは、そのやり方、つまりその特異なやり方の意義や主張のことなんだ。それは分類され補って解釈され、歴史における過去の局地的かつ現象をなす展開を参照することによってのみ意味を持つと言える。」

「それはモダン・アートの作品と近いものがあるね。その意義は初期のモダン・アートに批判的に作用するという点にある。けれどもぼくが言いたいのは、従来の芸術における方法論が限界に来ているということ、はっきりと尽きつつあるということなんだ。」

「ぼくは音楽にもそれと同じことが起こっていると思う。でもロックンロールはまた別だよ。なぜならみんなロックンロールは絶対に変わらないと思いたがってるし、そういった性格付けが行われるのは日常の生活や必要性という決して尽きることのないものと合致しているせいだろうね。でももしそうだとしても、それならぼくはクラッシュの新しいLPにあるBo Diddleyのリフを18年後にBo Diddleytが演奏しても、聞かないだろうと思うよ。」

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確かにイメージはアトラクティヴかもしれないが、現代の最もポピュラーなロック・ユニット、ロビンソンやクラッシュ、バンシーズといったグループは、しかしその実、新しい理想や認識、アプローチよりもマーケティングとの関連の方がずっと強い。

その代わりになるものとして必要とされるのは、情報の統合と熟考されたコミットメント、美学的な刺激、そして「完全なコントロール」である。

例えばインタヴューをコントロールするということは、伝えるべき内容を何も持たずに盲目のまま歩き回るのとは正反対の姿勢と言っていい。アーティストとプレスは通過儀礼的に行き来するものだ。(所詮仕事なので。)

プレスにおいては人々の期待は何の温かみもなく操作され、我々が新しいロック・バンドに対して何を期待しているのか、またバンドが潜在するオーディエンスに対して何を期待しているのかについての理解は欠落している。

Above all, any new band trying and testing things outside all the usual, used structures, images, reasons, and reactions, deserves not to be massively 'built up' ― whether through misplaced enthusiasm or muddled hype.

(訳者注 : この部分は真意をつかみかねるため、原文のまま掲載しています。理解出来る方がありましたら、ご一報下さい。)

SP : 「退屈なやり方には陥りたくないね。一歩一歩やってゆくのがぼくらのやり方なんだ。よくあるお喋りや正当化が意味のあるものだとは思えない。」

「ロック・プレスは自分達のポジションというものがわかっていない。」

熱心でスレていないスクリッティ・ポリッティというバンドは、3,4人の様々な地方から集まった若いミュージシャン達で、現在はロンドンの中心部にスクオットしている。(よくあることだけどね、と彼らは言うが。)

メンバーはそれぞれが、そしてグループとしても押し付けられたイメージを必要としない。プレスやレコード会社、それにプロモーターを通して活動することよりも、それと共に歩む道を熱心に模索している。必要なのはイメージよりも普遍的な言語である。

SP : 「個人的なバイオグラフィーはそんなに重要じゃないと思うんだ。」

2001.6.21.