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The Face Interview

Interview by James Truman * photography by Robert Erdman

The Face 1985 April

Translated by Ayako Tachibana

 

よく知られている話ではあるが、ブライアン・フェリーは鉱夫の息子として1945年ニューキャッスルで生まれている。ごく若い頃から芸術に魅了され、その大きな夢が後に彼を動かし、成功へと導いてゆくことになった。その発端はニューキャッスル大学だか、彼はそこで英国ポップアートの父とも称されるリチャード・ハミルトンの門下生として美術を学んだ。その後、始めは画家を志してロンドンに移リ住むのだが、やがてその希望はかねてからの音楽への関心に取って変わられてゆく。ニューキャッスルでは既にいくつかのR&Bをカバーしたバンドで活動してもいたからだ。しかし彼がロンドンで結成したバンドはそれとも全く違っていて、それまでどこにも存在さえしないようなものだった。

1972年の始めにデヴューを果たしたロキシー・ミュージックは、70年代において最も重要で影響力を持ったバンドとなった。アート起源のロックという概念が持つ、もったいぶった、くそまじめなイメージを打ち壊しながらも、フェリーがロキシーのために書いた曲の数々はウィットに富み、文学的で、独創的かつ革新的、そして心がこめられていながら同時に皮肉であるという両面性に裏打ちされていた。つまりは、信じられないくらい巧妙に構築されていたのだ。

同様に、ロキシーのショーはゴージャスで華やか、勇壮華麗なお騒がせポップとでも言うべきさまざまな要素の見事なコラージュだった。オーディエンスの半分はブライアン・フェリーの示唆した通りに着飾って来たという事実は、ロキシーが新たな規定を生み出したということであり、そのスタイルは単にひとつの集団における祝祭であったというばかりではなく、外の平凡で無味乾燥な世界からの解放をも意味していたのだ。このようなことは60年代のモッズ以来、起こらなかった現象である。反面、この重要なポイントが、1977年にはパンクからのフェリーに対する辛らつな反応を引き起こすもとにもなった。

彼のイメージから伺える通り、その暮らしぶりが贅沢で華やかと見えたことが敵意を招き、悪く言われる結果を齎したのだ。時代の雰囲気は上昇ではなく下降線を辿っていた。1975年にロキシーを解散した後、1977年には彼のキャリアの中で"The Bride Stripped Bare"が初めて商業的に失敗作となり、ガールフレンドだったジェリー・ホールはおおっぴらにミック・ジャガーへ走るなど、彼自身も不幸な時期であったことを否定しない。しかし結局、彼はその批判者たちを乗り越え、後にニュー・ウエーブ・バンドがその初期作をリモデルするまでになると、最後に笑う者となったのである。

フェリーは1978年にロキシー・ミュージックを再編し、更に多くのミュージシャンをもサポートに迎えた。それゆえサウンドは更に流麗で洗練されたものになり、初期ロキシーのLPをも遥かに凌ぐヒットを記録することになった。しかしそれでさえも"Avalon"に辿り付くまでは、まだその本領を十分に発揮していたとは言えなかっただろう。"Avalon"とは何なのか、それは簡単に言えることではないが、フェリーの新しいソロ・アルバム("Boys and Girls")が  ― これは"Avalon"を凌ぐ出来ばえである ― それについていくらか教えてくれるかもしれない。たぶんそれはこういうことなのだと思う。意図的に熟成され、洗練された音楽、AORからは掛け離れているが、しかし同時に若い人たちの市場に受けることを狙って作られたものでもないということだ。

ブライアン・フェリーはその作品を流行に合わせようとすることに興味はないと認める。また、彼自身をもう一度、かつての「時の人」といった立場に置くことにもだ。だから、もしその作品が違って聞こえるとすれば、初期作と全く同じように彼自身の在り方を反映しているからだろう。仕事をしていない時の彼は、ロンドンから数時間離れた郊外でルーシー夫人や息子のオーティスと静かな、殆ど隠棲といっていい毎日を送っているのである。

その日と状況によって、ブライアン・フェリーに合う人は3人の彼のうちのどれかと接することになるだろう。オフの時の彼は気軽で陽気、噂話が好きで面白い人だ。しかしこの2年の間、新しいLPを作っている時の彼は正反対で、神経質で気難しく、非常な自己不信と焦燥に苛まれがちな人物でもあった。また、第3のブライアン・フェリーは冷たいくらい礼儀正しく、ものごとに言明を避け、いくらか彫像のような印象があるが、そういう彼は往々にしてインタヴューの時になど見受けられる。

複合的なメディアを操る巨匠ではあるが、フェリーは彼自身のためにマスメディアを利用することに対して驚くほど消極的だ。彼と同年代の、時としてライヴァルとも見られるデヴィット・ボウイ と比べ― こちらはマスコミ操作を仕事の一貫としているが ― フェリーは自分の音楽について話したがらないし、時として個人的な質問を避けたがるのに、そのギャップを埋める良い手立てを考えようともしないのだ。「ずっと思ってたんだけど、ぼく自身よりぼくの作品の方がはるかに面白いんじゃないかな。」と彼は言う。「解説する必要のないようにと思って来たしね。」

このインタヴューでは、― しばらくぶりのものになるが ― 彼はこれまでより少しはオープンになることに同意してくれた。インタヴュアーが、実は同様にインタヴューが苦手であるという事実にも目をつぶってくれるようだ。このインタヴューは様々な場所で行われた。ちなみに、アルバムは5月の終わりになるまでお目見えしないが、シングルは4月始めにはリリースされるようである。

 


芸術的な観点から、あなたを最初に感動させたものは何でしたか?

ニューキャッスルのシアター・ロイヤルで公演されたオペラ、「ラ・ボエーム」を見た時かな。あれは強く印象に残ってるよ。ボヘミアンのロマンティックな生き方とか、芸術への献身とか。それから音楽も美しかったね。11かそこらの感じやすい年頃のことだったから、劇場から出て来た時にはトレンチコートに隠れて泣いてたりしてさ。

 

始め、広い意味での「芸術家」と「画家」のどちらになりたいと思っていたんですか?

「芸術家」、全くそうだったと思う。後にそれが具体的に「画家」に絞られていったんだけど、それがぼくなりに諸々の紆余曲折を経て、ミュージシャンになろうというところまで来るのに何年もかかったよ。

 

少年の頃の夢って、どんなものでした?

一年に何回も変わってたと思う。冒険っていうのには惹かれたな。男の子独特のね。英雄的なものは何でも好きだった。サイクリングにはとても興味があったから、一時期はプロのレーシング・サイクリストになって、トゥール・ド・フランスを制覇したいなんて考えてたし。それとか探検家、登山家。友達と学校で山登りのクラブを作ったりしてね。スタイルがパーフェクトだと思って19世紀的な登山に憧れてたんだよ。風変わりなコーデュロイのズボンや、陶製パイプ、丘で詩を読んだり、小さなテントで眠ったり、みたいな。いいなと思うものは何でも、そういうのじゃないといけなくてね。考えが浅かったんだけど(笑)。でも大切なのは何事も適切かつ完璧であることだったんだ。

 

当時、魅力を感じていたものは? 

んー、速いクルマとか、いい女とか、まあよくあるものだよね。実際ぼくは芸術にしてもライフスタイルにしてもグラマラスなものに惹かれる方だったけど、それは必ずしも豪勢ならいいってものでもなかった。自分の育った環境にあるものより面白いと思っただけだから。たぶん自分の周りにあったものは既に合わなくなってたんだろうね。ぼくは生まれつき型やぷりなところがあったし、環境に甘んじていられなかったんだと思う。とにかく本当の自分になるために、何かとてつもなく普通じゃないことをしなきゃって感じてたよ。

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その頃のあなたは誰だったんでしょう、もしそれがあなたでなかったとしたら?

いつも場違いな感じに苛まれてる誰か、かな。その感じは今でもぼくに付きまとってるけどね。でも当時は何事かを待ち受けていて、ぼくには才能があるはずだし、エリート意識が強いと思われたくはなかったけど、日々出会う普通の人たちとは違うんだという意識はあったと思う。

 

どんなふうに違ってたんでしょうか? 

例えば、ぼくが育った階層から考えると趣味が洗練されていたし、より美しいものに惹かれる感覚を持っていた。たぶん、ある種の人たちから見れば鼻持ちならないヤツに見えたかもしれないけど、でも単にそれがぼくを惹き付けるものだっただけなんだ。ミュージシャンとして、それとも芸術家とか、テニス・プレイヤーとか、何であれそういう成功が齎す生活は、普通に手に入れられるものよりずっといいもののように思えたしね。それに、事実ぼくは物事の様々な違った側面を体験したかった。もしぼくがものずこく裕福な家庭に生まれていたら、ずっと低いレベルの暮らしをしてみたがっただろう。阿片窟に出入りしてみたりね。いくつものビリヤード・ホールを覗いてみるみたいに、ぼくにとってはコインの反対側を眺めるのが面白いことだったんだ。今となっては、それはもうぼくはありとあらゆるものを見て来たわけだから、全てに飽き果ててしまって、さっさと引退してベッドに転がりこみたい気分だけどさ。(笑)

 

そうすると育った階級から抜け出すことは、とても重要なことだったんですね? 

もちろんだよ。インドみたいに、決まった階層に生まれて、いつまでもそこに留まらなければならないという考えには我慢ならなかった。生まれながらに永続的な不利を背負っているという考えにもね。ぼくはぼく自身でありたかったし、自分の人格は自分で創り上げたかったんだ。違った種類の生活を体験することや、変化の機会を持てるという自由を勝ち取ること、それが強い動機になったと思うよ。

 

逆に言えば、それは有益な動機になったと思いますか?

そうだね、多くのイギリス人が確かにこれまでそういうものを持って来ただろうし、それがイギリスという国を特異にしているとも思う。残念ながら、そういう階級闘争が今の多くの問題の原因にもなっているわけだけど。ぼくのような者にとっては、そのために違った方向に引きずられるというのがとても悲しいことなんだ。自分のルーツを意識していて、同時にそれを超えることが出来るほどの大きな成功を通して、いわゆる階級から解放された人たちの一員であるということでね。

 

当初、スタイルというものが、そういった英国的な階級意識を超える、若しくは少なくとも薄らがせる手段になると考えていましたか? 

いや、全く。卓越しているということそのものが既に、そういったことから開放される道だと思ったんだよ。つまり優れた芸術というものはいつでもそういった意識を超越しうると信じていたからね。大学にいた頃、例えばピカソやマティスに感動するとして、そういう時、ぼくは彼らの出身階級についてなんか考えたこともなかった。誰だってそうだろう。彼らはなんてすばらしい作品を残したんだろうという感動が全てだよね。

 

それでも、ロキシー・ミュージックの初期において、多くのオーディエンスがスタイルを利用するところに解放を見出していたように思うんですが。

たぶん。確かに幻想や逃避、夢、そういったものは多々あっただろうね。でも、ぼくはスタイルという部分があまりにも誇張されすぎていたと思うよ。そのおかげで作品の内容がぼやけてしまった。ぼくとしては両方同じくらい重要であってほしかったんだけどね。

 

沢山の人が、あまりに強くあなたに自分を重ねるあまり、身代わりのように思っていたことは重荷になりましたか? 

いや悪い気はしなかった、それは否定しないよ。でも、そういうのに夢中になりすぎたってこともないと思う。ぼくのやっていることの中心から言えば、副産物的なものと見ていたしね...。(急に当惑したような様子で)そうだな、これについてここで話すのは不適当だという気がするんだけど...。(長い沈黙)、でも、もしぼくが世の人々...、労働者階級の人たちに、他のことで望みうるよりも何かクリエイティヴな動機付けを為しえたとしたら、それはすばらしいことだと思う。それに、それはそんなに新しいことでもないと思うしね。Tamla MotownやStaxだって同じ事をしたんだし。ゲットーでもそういうことがあって、ぼくは自分をその白人版だと思ってたから。

 

オーディエンスの中に、20人も自分のクローンがいるというのを初めて見た時はどんな感じでしたか? 

いい気分だったよ。なかなかね。 不承不承ステージに上がっていたから、いつでもその重荷を軽くしてくれるものを探してたし。ステージをやってて楽しめる部分だったと思う。

 

もし既にブライアン・フェリーでなかったとしたら、自分もブライアン・フェリーを真似てたと思いますか? 

さあね。それよりブライアン・フェリーが飛行機事故で死んだとかなんとかの方を面白がってたんじゃないかな。そういう熱狂的ファンみたいな世界に入ったことは全くないし。遠まきにして、というならともかくね。ぼくが惹かれるものはいつももっと心を動かされるもの、地味なもの、例えばアメリカの黒人音楽、モータウンとかビリー・ホリデイみたいなものだったから。

 

過去を振り返ってみて、パンクとの関わりや、あなたがスキャンダル・メイカーのように仕立て上げられていたという事実は、どのくらい大変だったでしょうか? 

ぼくが実際やってることと、あまりにも違いすぎるという事実をいくらか楽しんでいたような気がするよ。もしぼくがもっと哲学的だったら、髪をかきむしって芝生を転げ回ってたかもしれないけど。なんてことだ! 後から出て来た連中のせいでこんなことになるなんて! なんてね。でも実際は全く気にもしてなかったんだ。それよりもっと後になってからニューウエーブが出て来て、ぼくの初期の音楽を復刻した挙句に、流行らせてしまったことの方が問題だった。これまでもそれをどう思うかってずっと聞かれて来たけれど、それはまったく御し難いことだったんだよ。あまりにクローンみたいで、それにあんまり情報を与えすぎたかなという気にもさせられたし。音楽そのものばかりではなくて、インタヴューでもね。その中でぼくが尊敬する人たちとか、特定の趣向とかを名指したわけだから。ぼくと同じ方法論で書かれた曲や、同じ出典を使ってるものがあるのも知ってる。そのおかげで思ってたより先を急がなきゃならなくなったり、もうちょっと探検してみたかった分野を早々に引き上げなきゃならなくなったりしたんだ。

 

誰かにデュラン・デュランやジャパンをどう思いますかと聞かれると、いつでも言明を避けますよね。誰だってコピーされるのはイヤだと思うんですが、どうしてハッキリそう言わないんですか?

そうすると安っぽく見えるんじゃないかって気がしてね。ぼくだって狭量な人間のひとりに過ぎないんだけど、でもそういう所は表に出したくないじゃない。自分の悪い面を宣伝したい人間なんていないだろ?

 

他の人の音楽に興味はありますか?

たぶん、十分にとは言えないな。新しいものはあまり聴かないし。クルマに乗ってる時とか皿洗いをやってる時にラジオをかけたりはするけどね。

 

皿洗いなんてするんですか?

(笑)まあね。

 

自分のことをポップスターだと思ったことはないと言ってましたね。それってポーズですか?

まさか。ぼくは自分のことをタレントよりは芸術家だとずっと思って来たもの。ああいうロックスターなんてものになりたいとは全く思ったことすらないし、そうだったこともないよ。ぼくが誇りに思っているのは、ぼくの作品。自分でも分かってるんだけど、問題はそれがいくらか難解だってことだろうね。で、それを押し通すために、他の理由ならまずやらないようなことをやって来たんだと思う。人目を引くところに出て行くことだけじゃなく、インタヴューを沢山こなしたり、山ほど写真に撮られたり。それが特に英国内におけるいくつかの分野で、ぼくの信頼性を曇らせる結果に繋がったんだろうな。ぼくはずっと自分の作品が、ポピュラーであるにはあまりに奇妙でエキセントリックだと思っていたし、だからそれを埋め合わせるためにインタヴューなんて物凄く気のめいることでさえして来たんだ。でももしきみが、ぼくがこの一枚("Boys and Girls")でやってたように、一年以上もレコードを作るために過ごしたとしたら、プロモーション活動が売上げを二倍にしてくれる限り、選択の余地がないってことが分かるよ。きみは、ぼくがどうしてこのインタヴューをデイリー・ミラーやサン紙向けにやらないのかって思うかもしれない。じゃ、やってみようか? それで連中が書くであろうことからは完全に逃避するんだ。でも結局はそれが、レコードセールスを倍にする助けになるかもしれないけどね。

 

インタヴューとなると、どうしてそんなに居心地を悪く感じるんでしょう? 

自分の作品について話すことそのものが、居心地悪くて戸惑うことだからだよ。自分とでさえその話はしたくはないってのに、他の人とだなんてとんでもない。自分のやってることを細かく分析するなんてことはいつだって願い下げなんだ。音楽作りの楽しささえ吹き飛んじゃうよ。

 

他の人のあなたに対する認識と、あなた自身の自己認識の間に大きなギャップを感じますか?

公的なぼくなんてものが存在するのかどうか、今や自分でも全く分からないね。ここ数年のうちに、そういったものはかなり縮小して来たから。その方が明らかにぼくには合ってるという感じがする。 あらゆる申込みは何もかも却下したし、だからもうぼくは人目にさらされてはいないよ。こういう世界で可能な限り、世捨て人のような状態なんじゃないかな。

 

華やかで、成功に呪縛されたこの80年代に言うにしては、妙に思えますが?

自然とそういう感じがするんだよ。ああいうのは楽しくないこともない気はするけど、どのくらい飲んでるかにもよるよね。一般に英国の外にいる時には楽しめたんだけど。ここってすごく小さな国だし、トップ・オブ・ザ・ポップスにでも出てごらんよ。翌日には街を歩いててもみんなに指さされたりするし、それってホントに悪夢だったんだ。でも、ここ数年の間には、それもかなりマシになって来てはいた。今ではぼくをそれと分かる人は、単にテレビに出てるからってことじゃなく、作品を通してぼくを知ってるってことだから。そういうふうに、ずっとなりたいと思っていたしね。

 

でも、スポットライトには中毒性があるし、その中心からはずれるかもしれないということに恐れを感じたりしないものでしょうか?

難しい質問だね。と言うのは、普通ぼくは人にぼくと分からないで済むと、ほっとする方だから。ともあれ、人生においてまだグロリア・スワンソンのような境地に至ってないことは確かだけど!(笑)

 

年をとるにつれて、レコードを作るのが難しくなるということはありませんか? 

うん。初期の頃で懐かしいのは、若いということや、より鋭い個性から出て来る衝動とか熱心さとかいったものかな。説明するのはとても難しいことなんだけど、特に若い人にはね。だって若ければそれだけでそういう情熱とか野望というものが自然に備わってるわけで、それを失った状態なんて想像もつかないだろう? とは言え、ぼくは今でも芸術という観点から自分のやってることを大事に思っている。だからこそ、そういうホンモノの衝動が起こってくるのを長いこと待つことが出来るんだよ。それなくして、作品は意味をなさないからね。残念ながら、そのおかげでレコード一枚作るのに18ヶ月もかかったりしちゃうんだけど。

 

こういう若い人中心の世界で仕事をしてるということで、不安になることはありませんか?

そういう恐れは、ずっと努めて持たないように努力して来たんだ。ぼくが尊敬するアーティストは、概してその最高作を老齢になってから世に出している、この事実を忘れないようにしてね。ただ、ぼくのテリトリー ―現代音楽― というところは、とても奇妙な世界だ。つかみどころがなくて、適切な定義もない。この国でも多くの杓子定規な人たちは、18から25歳の若者によって作られ、同年代に向けられていると信じていたりする。だけどぼくの場合、25になるまで活動を始めてさえいなかったし、今でもまだぼくの最高傑作は世に出ていないと思いたいんだ。ともあれ、これまでのところでは、ぼくは自分の仕事を習い覚えたばかりのような気すらしてる。そういうわけで、ぼくはとてもおかしな立場にいるということにもなるよね。だって世の中からは、自分の半分のトシの連中と競い合っているように見えるわけだから。

 

競い合っているという意識はあるんですか?

ぼくは元来、競争心の強い人間なんだけど、それは一般に一緒に仕事をしてる連中に対して発揮されるものでね。だからこそグループの中でやるってのはぼくに合ってたことだったんだ。そこでは自分を主張するためには他の才能と競わなきゃならなかった。ぼくの作品でデキのいいやつは、他の誰かが演奏したり提案したりしたことについて、それを改善する必要に迫られたことから来てるものも多いよ。ロキシーでやってた時も、誰かがぼくにとって気に入らないとかカンにさわる演奏をしたりするだろ。するとぼくは、ピアノのところまで飛んで行く。その結果、すごくいいアイデアが出てきたりしたものさ。ところがソロ・アルバムとなるとどれも、そういう摩擦というものがなくて、概して自分で招いたミュージシャンたちの卓越したプレイに感心するばかり。そういう才能をぼくのイメージに嵌め込むのが、とても複雑なプロセスになってね。このレコード("Boys and Girls")でも素晴らしいところが多々あるんだけど、それはそういう長い、気の遠くなるようなプロセスを経てきてるんだよ。

 

なぜ、ロキシー・ミュージックを解散させようと決めたんですか?

あまりに摩擦が多すぎたんだ。音楽的なというよりは、人間的な部分で。"Avalon"を作る前、それに作ってる最中に、行くとこまで行きついたって感じがしていたし。そういう種類の摩擦を続けることが、有益でも刺激的でもなくなっていたんだよ。

 

インスピレーションより、人間的な摩擦の方が問題だったと?

ぼくはただ、そういうことに悩まされずに仕事がしたかっただけ。ビジネスのためだけに名前をつないでおくなんてのは、十分な理由にならなかったしね。

 

初期のレコードは時代の雰囲気に合致していましたけど、この新作は、"Avalon"もそうですけど、全く正反対ですよね。超越的というか。それは意図的なものだったんでしょうか?

そうだよ。昨今、ぼくのレコードを買う人は、ぼくが最新のヘアスタイルをしているとかそういう理由ではなくて、音楽が良くて買っていくんだと思う。実際ぼくが売っているものは流行とかと全く違う種類のものだしね。素人っぽさと正反対の、プロ志向というか。それが制作に時間のかかるもう一つの理由でもあるけれど。確かにいいレコードを早く、しかも一般向けに作ることは出来るよ。でも今ではみんなぼくからそういうものを期待しているとは思わないし、自分でも作ろうとは思わない。そういうことは初期のロキシーのアルバムでやったことで、今では全く違う仕事のやり方があるからね。人から「ファースト・アルバムは良かったよ。」なんて具合に、どうしてああいうものをもう作らないのかと暗に仄めかされると、いつも落ち込む元になるんだ。だってぼくにとっては同じ事を繰り返すなんてバカげているし、そういうのはウソだと思うしね。

 

じゃ、このレコード("Boys and Girls")は、どのように受け取られたいですか?

望むらくは、ぼくが美しくて、印象的な音楽を売っていますように。そして望むらくは、そういうものを売る余地がいつでもありますように。

 

このレコードは作るのに莫大な費用がかかってますよね。ヒットになるようにというプレッシャーがかかってくるのは、不愉快なことでしょうか?

確かにね。実際、音楽に関してウンザリさせられるのは、スタジオに一歩踏み込もうものなら、その途端に1時間150ポンドなんて金額を払わなきゃならなくなることなんだ。3週間で作ったレコードがそのままチャートでナンバー1、なんて話を聞くといつもムッとするよ。自分でもそんなことがやれたらとしばしば思うんだけど、出来ないんだものなあ。

 

人に影響を与えるようなレコードを作ることと、ミリオン・セラーになるようなレコードを作ることでは、正直なところどちらがすばらしいと思いますか?

そりゃどちらも満たせれば、それに越したことはないだろ。でも、実際ぼくにとってはね、尊敬に値する少数の人たちから評価されることの方がよほど大事なことなんだ。考えてもごらんよ。買って三週間もすれば忘れて放り出されるようなプラスチック盤にすぎないんだよ。それなのに誰かに「あなたのレコードは私の人生を変えましたよ」なんてことを言ってもらえるとしたら、すばらしいと思わない? ロイアリティの計算書なんかよりよっぽど価値があるよ。ぼくが誇りに思えるのは、そういうことの方だからね。

 

じゃあもし、ロイヤリティが絶無だったらどうします? 

それなら、答えはまるっきり違って来るんじゃない? (笑)

 

自分でよく働くと思いますか?

答えるのが難しいね。ウロウロ考えを巡らせたり、怠けたりしがちな時が往々にしてあるんだけれど、でもそれもぼくのやってることの一部じゃないかと考えることもある。例えば、ギターを習わなかったことをいつも残念に思ってるんだ。ギターについてはよく思うんだけど、結局習おうとはしなかった。だけどもし習ってたとしたら、そのせいでもっと面白いことをやりそこなったかもしれないよね。もしかするとぼくはものすごく退屈なギタリストになって、全く退屈なギターのレコードを作ってたかもしれない。それとか、何事も簡単にはゆかないものだから仕事を始めるのが億劫な時だってあるよ。飛行機に乗ってる間にいい曲が書けちゃうなんて芸当は出来ないし、ぼくの場合、一旦音楽に取り掛かると構想から完成までそれはもう艱難辛苦の道のりなんだ。だけど一旦始めると、例の北部的労働倫理に従って、憑かれたように仕事に没頭したりする。実際、どのレコードも苦労しなかったものなんてないよ。ある意味、だからこそぼくが軽薄なジェット・セット・ライフを送ってると批判されたりしても、その権利はあるという気がするんだろうね。ぼくは自分がどんなに自分の仕事に労力をつぎ込んでいるか、よく知ってるから。

 

そういう批判は辛いですか?

うん。ぼくは元々、誇り高い人間だからね。だから安っぽい扱いを受けると傷つくよ。ああいう人たちは、ぼくが有名人だからそういう扱いは当然と思ってるのかもしれないけど、そういうのは複雑だな。

 

どんなことなら、笑えますか?

他人の不幸、自分のじゃなくね! (大笑)、いや...、面白い物語だとか、変わったキャラクター、エキセントリックなこと。ぼくにはどんな人間の人生からも学ぶものがあるよ。

 

初恋はいくつの時でした?

17の時かな。失恋で終わったんだったと思うよ。

 

だからって、がっかりしたようでもないですね。

恋するっていうのは、魅力的な経験ではあるけどね。ぼくはそれでいいバランスが取れると思ってるから。

 

過去のガールフレンドの中には、プレスにその話を売った人たちもありますよね。今度はジェリー・ホールが回想録を出版しようとしてるという話ですが、どう思いますか?

実際、全く悪趣味だね。初稿を送られたんだけど、たぶんぼくが訴訟を起こすかどうか知るためじゃないかな。名誉毀損になるような部分はないけれど ― 明らかに法律家がしっかりチェックしたんだろうな ― 事実が曲げられている所はいくつもあるよ。

 

彼女は自分のことを全部正直に話してました?

そんなに注意しては読まなかったから。ま、抜け落ちてる点はいくつもあるだろうけどね。

 

例えば?

そうだな...。ある時、彼女がイランのシャーに会いに行ったことがある。どうも彼女がお気に召したらしくてね。後になって、その秘密警察がぼくたちの住んでた家を見張ってたんだよ...。でも、そういうことに関わりたくはないからさ。

 

自伝を書こうとは思いませんか?

いや、思わない。ああいうやり方ではね。

 

もし書くとして、ジェリー・ホールとのくだりにはどんなタイトルを付けるでしょうか?

んー、こんな具合かな。「光るもの必ずしも金ならず」。その名前を口にする人はみんな、ぼくがそれに動揺するだろうと思うらしけど、彼女とぼくの妻の両方を知ってる人なら誰でも、ぼくが誠実な女性を選べてとてもラッキーだったと思うだろうね。

 

「マニフェスト」の「トラッシュ」という曲ですが、あれはジェリー・ホールのことですか?

違うよ。いろんな曲の中には、特定の人に言及した部分があるかもしれないけど、でもぼくはそういう種類の曲は書いたことはないから。

 

自分はどんな人間だと思いますか?

うーん、ぼくの中には奇妙な要素が交じり合っていてね。一方では気紛れで内省的、暗かったりするし、いつも仕事のことが頭にある。かと思うと一方では新しいインスピレーションや刺激を求めてキチガイみたいに駆け回ってたり、何にでも手を出したがったりするんだ。

 

父親であるということは、どんな気分のものですか?

自分のことにかまけすぎてて、想像もしなかったようなことだからね。でも、とても喜んでるよ。ぼくは思ったよりずっと素晴らしい人間かもしれないってね。でも、ヒトが自分の子供について語ってるものなんて退屈だと分かってるから、ここでそれを始めようとは思わないな。

 

息子さんは、どこの学校に行かせるつもりですか?

パブリックスクールに入れたい。まだハッキリとはしないけど。ぼくが行ったようなグラマー・スクールなら行かせたいけど、もうそうではないようだしね。どうするのがいいか難しいところだな。英国のパブリックスクールに行った連中は、Hooray Henryタイプのとんでもなくひどいのになるか、何事にも驚くほど自己信頼をもって臨むタイプになるかのどちらかだろ。それほどの確信なんて、ぼくがこれまで持ち得なかったものなんだ。

 

初期のロキシーにノスタルジーを感じることはありますか?

最近、初期の頃に作った"Remake/Remodel"のヴィデオ・クリップを見たんだけど、若い頃に戻りたいような懐かしさはちょっと感じたよ。でも、それほど強くというわけじゃない。

 

アントニー・プライスのスーツを着て、沢山のガールフレンドに囲まれて、世界を駆け回っているデュランデュランのような人たちを見て、どう思います? 既視感なんて感じませんか?

よく分かるよ。有名になって、贅沢になって、そうすると急にイギリスなんて仕事するには小さな所だと感じるようになるんだ。自然だと思うよ。自分が有名になれば、他の有名人と会うのが面白いだろうし、特に以前から尊敬していて、でも会う機会に恵まれなかったような人となら尚更さ。その後は、ずっと続けて有名人に会いたいと思うようになるか、もう会わない方が幸せと思うようになるか、どちらかだけどね。

 

今のあなたはどんな所に立っているんでしょうか?

どこにも、全く。仕事をしてる時は放っといてもらいたい方だから、ここ2年ほどは殆どそうなんだけど、世の中と関わることをしないで来たし。でも結局は、自分に関心を持ってくれて、何をしてるかは関係なしに自分が好きでいられる人を見つけて一緒に過ごすようになるものなんだよ。

 

夢をかなえても、最終的には空しいものだと思いますか?

幸福は買えないという、ありきたりな現実に突き当たるものだよね。若いときは、「金持ちになってヨットを持つんだ」なんて考えるんだけど、やってみても自分は変わらないということに気づくものさ。結局、同じ荷物を抱えているんだし。内面的なものは、そうは変わらないだろ。いろんな所に住んで、いろんな集まりに出会って、ぼくはどこにもそぐわないということが分かったよ。いつかはどこかにハマりこめるだろうと思って来た挙句に、妙なものだけど。

 

もし他の何かのために音楽を諦めるとすれば、何のためにだと思いますか?

農夫になるため、かな。最高と思えることの一つなんだけど、ずっと農夫になれたらなって考えてるんだよ。

 

2005.4.25+5.1.-5.3.

revise / edit 2007. 1.16.

 

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